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第一部
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唯一の光源であるカンテラに照らされた薄暗い部屋は、バルト・クエーツの低い小さい声だけが響く。
篤美には上手く聞き取ることができないその言語を真剣な顔であたかも唄うように唱える。
横になる子供の額に手をかざし、その手は淡く蒼い光に包まれている。
こんなことを思う場合ではないかもしれないが、……美しいと思った。
(これが魔術か……)
非現実的なその光景は、淡い蒼に照らされたバルト・クエーツの整った顔も相俟って、篤美の目にはまるで美しい宗教画のような神秘的なものに思えた。
どれほどの時間が経ったかは分からない。
短かったようにも長かったようにも思える。
息すらも潜めて食い入るように見つめていると、バルトが大きく息を吐き、その手を子供の額から離した。
薄暗く篤美の位置からは確認しずらいが、青白い顔で弱弱しく呼吸をしていた子供は、頬に赤みを取り戻し呼吸も正常になって今はただ眠っているようだ。
「……終わりました」
「御苦労。で、どうだ?」
「ひどく衰弱していることを除けば、あとは擦り傷と軽い打撲だけの健康体です。魔力循環も身体構造も異常はありません。ただ身体が退行したというだけのようです」
「いろいろツッコミたいところだが……命に別条はないんだな?」
「はい。もちろん身体が子供になったことで体力、魔力共にそれ相応になっていますが。この衰弱した状態はおそらく急激に身体が退行したことによるもののようです。2,3日安静にしていればすぐに元気になりますよ」
「そうか……団長はどうやったら元の身体に戻る?」
「……見たことがない魔術が使われているようですから、現段階ではなんとも……」
「……張本人を締め上げるしかないってことか……」
「それが一番速くて確実かと……」
熊二号が大きく舌打ちをして自身の頭をガリガリと強く掻く。
元々静かだった室内に重苦しさが広がる。
ベッドに横たわる子供の横で、大の大人が4人、まるで通夜の様な沈痛さで黙りこくる。
あまりの重苦しさに息が詰まりそうだ。
篤美は溜息を小さく吐くと、凭れかかっていた玄関から離れ、障害物(主にガタイのいい客人達)をよけつつベッドに近寄る。
客人達からの視線を感じたが、無言でヘッドボードに置いてあった煙草と着火具、灰皿を取ると再び玄関に向かう。
「……何処へ?」
壁際に凭れかかっていた方の騎士が声をかけてきた。
他の騎士達も無言を此方に視線をよこす。
「……一服」
煙草の箱を持った手をヒラヒラさせながら玄関を開け外に出る。
とたんに生ぬるい風を頬を撫で、篤美は重苦しさに詰めていた息を静かに大きく吐き出した。
灰皿を足元に置き、玄関に凭れかかって煙草を口に銜える。
着火具で火をつけると、ジジッという小さな燃える音と共に暗闇の中に小さな煙草の明かりができた。
どこを見るともなく視線を前方に固定したまま、胸一杯に紫煙を吸い込む。
煙草を吸ったとき特有の酩酊感に一瞬だけ目を閉じた。
(やれやれ……ノリとテンションと成り行きだけで関わっちまったけど……)
「王族……か……」
憎くて憎くて仕方がない王族が自分の家の自分のベッドに寝ている。
現実味がないが、事実だ。
まさかこんな形で王族に関わることになるとは……予想だにしなかった。
叶うならば何度皆殺しにしてやろうと思っただろう。
初代王妃が異世界人だったという、理解しがたい自分本位にも程がある下らない理由で勝手に召喚して、これまた身勝手な理由で右も左も分からない自分を放り出した王族。
自分には自分の世界が、自分の暮しが、自分の家族がいた。それは自分にとって、確かに生きてきた蓄積であり証拠であり全てだ。
それを一瞬で奪われた。傲慢なるこの国の王族によって。
自分だけではない。
これまで召喚されてきた女達も、自分の後に召喚された少女も。
昏い昏い憎しみの焔がゆらりと立ち昇る。
王族は憎かれど、否、憎いからこそ、何が何でも一生関わる気はなかった。
それがなんの因果か我が家にいる。しかも酷く弱った子供の状態で。
まるで暴風雨のように頭の中が乱れる。
相手は今は子供だ
それが何だ?王族じゃないか
あの場にはいなかった奴かもしれない
関係ない。王族というだけで許し難い
アレを殺して何の意味がある?
そんなこと知るか。殺した後考えればいい。
殺したくはないのか?復讐したくはないのか?
……殺したい。殺してやりたい。私が被った全ての苦しみを、悲しみを、痛みを与えてやりたい……
憎い。許せない。私の全てを奪った奴らを。憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くてっ……
足に感じた一瞬の熱と痛みにハッと昏い思考から引きずり戻される。
無意識のうちに力を入れすぎたせいで煙草が途中から折れて、火のついた方が室内用のサンダルを履いた素足の上に落ちたようだ。
(駄目だ……落ち着け)
火がついたままの落ちた煙草の火を踏み消し灰皿に落とすと、新たに煙草を取り出し火をつける。
現実問題として、今ここで何かしようとしたところで騎士が3人に魔術師までいる。
とてもじゃないが、あの子供を殺せるはずがない。
殺したところで元の世界に戻れるはずもない。
当事者でもないあの子供を殺したとしても、この胸に巣食う消えることのない憎しみが晴れようはずもない。
(私は無力で臆病だ……)
元の世界に戻ることも、復讐することもできない。
その努力すらもしていない。
ただ流されて惰性で生きて、そしてこの憎たらしい世界で一人老いて死ぬのだろう。
自嘲に煙草を銜えた唇が歪む。
(復讐したところで何も変わりはしない。ただ疲れるだけだ……)
諦めてしまうのが一番楽だ。
是までだってそうしてきた。
何も考えず、目先の楽しいことだけ考えて、適当に働いて、適当に生きて……
それで十分じゃないか。
何か行動を起こすには、歳を取り過ぎたのだから……
言いようもない無力感と疲労感、寂寥感を誤魔化すように、大きく紫煙を吸い込んだ。
篤美には上手く聞き取ることができないその言語を真剣な顔であたかも唄うように唱える。
横になる子供の額に手をかざし、その手は淡く蒼い光に包まれている。
こんなことを思う場合ではないかもしれないが、……美しいと思った。
(これが魔術か……)
非現実的なその光景は、淡い蒼に照らされたバルト・クエーツの整った顔も相俟って、篤美の目にはまるで美しい宗教画のような神秘的なものに思えた。
どれほどの時間が経ったかは分からない。
短かったようにも長かったようにも思える。
息すらも潜めて食い入るように見つめていると、バルトが大きく息を吐き、その手を子供の額から離した。
薄暗く篤美の位置からは確認しずらいが、青白い顔で弱弱しく呼吸をしていた子供は、頬に赤みを取り戻し呼吸も正常になって今はただ眠っているようだ。
「……終わりました」
「御苦労。で、どうだ?」
「ひどく衰弱していることを除けば、あとは擦り傷と軽い打撲だけの健康体です。魔力循環も身体構造も異常はありません。ただ身体が退行したというだけのようです」
「いろいろツッコミたいところだが……命に別条はないんだな?」
「はい。もちろん身体が子供になったことで体力、魔力共にそれ相応になっていますが。この衰弱した状態はおそらく急激に身体が退行したことによるもののようです。2,3日安静にしていればすぐに元気になりますよ」
「そうか……団長はどうやったら元の身体に戻る?」
「……見たことがない魔術が使われているようですから、現段階ではなんとも……」
「……張本人を締め上げるしかないってことか……」
「それが一番速くて確実かと……」
熊二号が大きく舌打ちをして自身の頭をガリガリと強く掻く。
元々静かだった室内に重苦しさが広がる。
ベッドに横たわる子供の横で、大の大人が4人、まるで通夜の様な沈痛さで黙りこくる。
あまりの重苦しさに息が詰まりそうだ。
篤美は溜息を小さく吐くと、凭れかかっていた玄関から離れ、障害物(主にガタイのいい客人達)をよけつつベッドに近寄る。
客人達からの視線を感じたが、無言でヘッドボードに置いてあった煙草と着火具、灰皿を取ると再び玄関に向かう。
「……何処へ?」
壁際に凭れかかっていた方の騎士が声をかけてきた。
他の騎士達も無言を此方に視線をよこす。
「……一服」
煙草の箱を持った手をヒラヒラさせながら玄関を開け外に出る。
とたんに生ぬるい風を頬を撫で、篤美は重苦しさに詰めていた息を静かに大きく吐き出した。
灰皿を足元に置き、玄関に凭れかかって煙草を口に銜える。
着火具で火をつけると、ジジッという小さな燃える音と共に暗闇の中に小さな煙草の明かりができた。
どこを見るともなく視線を前方に固定したまま、胸一杯に紫煙を吸い込む。
煙草を吸ったとき特有の酩酊感に一瞬だけ目を閉じた。
(やれやれ……ノリとテンションと成り行きだけで関わっちまったけど……)
「王族……か……」
憎くて憎くて仕方がない王族が自分の家の自分のベッドに寝ている。
現実味がないが、事実だ。
まさかこんな形で王族に関わることになるとは……予想だにしなかった。
叶うならば何度皆殺しにしてやろうと思っただろう。
初代王妃が異世界人だったという、理解しがたい自分本位にも程がある下らない理由で勝手に召喚して、これまた身勝手な理由で右も左も分からない自分を放り出した王族。
自分には自分の世界が、自分の暮しが、自分の家族がいた。それは自分にとって、確かに生きてきた蓄積であり証拠であり全てだ。
それを一瞬で奪われた。傲慢なるこの国の王族によって。
自分だけではない。
これまで召喚されてきた女達も、自分の後に召喚された少女も。
昏い昏い憎しみの焔がゆらりと立ち昇る。
王族は憎かれど、否、憎いからこそ、何が何でも一生関わる気はなかった。
それがなんの因果か我が家にいる。しかも酷く弱った子供の状態で。
まるで暴風雨のように頭の中が乱れる。
相手は今は子供だ
それが何だ?王族じゃないか
あの場にはいなかった奴かもしれない
関係ない。王族というだけで許し難い
アレを殺して何の意味がある?
そんなこと知るか。殺した後考えればいい。
殺したくはないのか?復讐したくはないのか?
……殺したい。殺してやりたい。私が被った全ての苦しみを、悲しみを、痛みを与えてやりたい……
憎い。許せない。私の全てを奪った奴らを。憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くてっ……
足に感じた一瞬の熱と痛みにハッと昏い思考から引きずり戻される。
無意識のうちに力を入れすぎたせいで煙草が途中から折れて、火のついた方が室内用のサンダルを履いた素足の上に落ちたようだ。
(駄目だ……落ち着け)
火がついたままの落ちた煙草の火を踏み消し灰皿に落とすと、新たに煙草を取り出し火をつける。
現実問題として、今ここで何かしようとしたところで騎士が3人に魔術師までいる。
とてもじゃないが、あの子供を殺せるはずがない。
殺したところで元の世界に戻れるはずもない。
当事者でもないあの子供を殺したとしても、この胸に巣食う消えることのない憎しみが晴れようはずもない。
(私は無力で臆病だ……)
元の世界に戻ることも、復讐することもできない。
その努力すらもしていない。
ただ流されて惰性で生きて、そしてこの憎たらしい世界で一人老いて死ぬのだろう。
自嘲に煙草を銜えた唇が歪む。
(復讐したところで何も変わりはしない。ただ疲れるだけだ……)
諦めてしまうのが一番楽だ。
是までだってそうしてきた。
何も考えず、目先の楽しいことだけ考えて、適当に働いて、適当に生きて……
それで十分じゃないか。
何か行動を起こすには、歳を取り過ぎたのだから……
言いようもない無力感と疲労感、寂寥感を誤魔化すように、大きく紫煙を吸い込んだ。
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