夜の散歩

丸井まー(旧:まー)

文字の大きさ
上 下
11 / 59
第一部

しおりを挟む
 唯一の光源であるカンテラに照らされた薄暗い部屋は、バルト・クエーツの低い小さい声だけが響く。
篤美には上手く聞き取ることができないその言語を真剣な顔であたかも唄うように唱える。
横になる子供の額に手をかざし、その手は淡く蒼い光に包まれている。
こんなことを思う場合ではないかもしれないが、……美しいと思った。


(これが魔術か……)


非現実的なその光景は、淡い蒼に照らされたバルト・クエーツの整った顔も相俟って、篤美の目にはまるで美しい宗教画のような神秘的なものに思えた。







どれほどの時間が経ったかは分からない。
短かったようにも長かったようにも思える。
息すらも潜めて食い入るように見つめていると、バルトが大きく息を吐き、その手を子供の額から離した。
薄暗く篤美の位置からは確認しずらいが、青白い顔で弱弱しく呼吸をしていた子供は、頬に赤みを取り戻し呼吸も正常になって今はただ眠っているようだ。



「……終わりました」

「御苦労。で、どうだ?」

「ひどく衰弱していることを除けば、あとは擦り傷と軽い打撲だけの健康体です。魔力循環も身体構造も異常はありません。ただ身体が退行したというだけのようです」

「いろいろツッコミたいところだが……命に別条はないんだな?」

「はい。もちろん身体が子供になったことで体力、魔力共にそれ相応になっていますが。この衰弱した状態はおそらく急激に身体が退行したことによるもののようです。2,3日安静にしていればすぐに元気になりますよ」

「そうか……団長はどうやったら元の身体に戻る?」

「……見たことがない魔術が使われているようですから、現段階ではなんとも……」

「……張本人を締め上げるしかないってことか……」

「それが一番速くて確実かと……」

熊二号が大きく舌打ちをして自身の頭をガリガリと強く掻く。
元々静かだった室内に重苦しさが広がる。
ベッドに横たわる子供の横で、大の大人が4人、まるで通夜の様な沈痛さで黙りこくる。
あまりの重苦しさに息が詰まりそうだ。



篤美は溜息を小さく吐くと、凭れかかっていた玄関から離れ、障害物(主にガタイのいい客人達)をよけつつベッドに近寄る。
客人達からの視線を感じたが、無言でヘッドボードに置いてあった煙草と着火具、灰皿を取ると再び玄関に向かう。


「……何処へ?」

壁際に凭れかかっていた方の騎士が声をかけてきた。
他の騎士達も無言を此方に視線をよこす。


「……一服」


煙草の箱を持った手をヒラヒラさせながら玄関を開け外に出る。
とたんに生ぬるい風を頬を撫で、篤美は重苦しさに詰めていた息を静かに大きく吐き出した。

灰皿を足元に置き、玄関に凭れかかって煙草を口に銜える。
着火具で火をつけると、ジジッという小さな燃える音と共に暗闇の中に小さな煙草の明かりができた。
どこを見るともなく視線を前方に固定したまま、胸一杯に紫煙を吸い込む。
煙草を吸ったとき特有の酩酊感に一瞬だけ目を閉じた。


(やれやれ……ノリとテンションと成り行きだけで関わっちまったけど……)


「王族……か……」


憎くて憎くて仕方がない王族が自分の家の自分のベッドに寝ている。
現実味がないが、事実だ。
まさかこんな形で王族に関わることになるとは……予想だにしなかった。


叶うならば何度皆殺しにしてやろうと思っただろう。
初代王妃が異世界人だったという、理解しがたい自分本位にも程がある下らない理由で勝手に召喚して、これまた身勝手な理由で右も左も分からない自分を放り出した王族。
自分には自分の世界が、自分の暮しが、自分の家族がいた。それは自分にとって、確かに生きてきた蓄積であり証拠であり全てだ。
それを一瞬で奪われた。傲慢なるこの国の王族によって。
自分だけではない。
これまで召喚されてきた女達も、自分の後に召喚された少女も。

昏い昏い憎しみの焔がゆらりと立ち昇る。

王族は憎かれど、否、憎いからこそ、何が何でも一生関わる気はなかった。
それがなんの因果か我が家にいる。しかも酷く弱った子供の状態で。
まるで暴風雨のように頭の中が乱れる。


相手は今は子供だ

それが何だ?王族じゃないか

あの場にはいなかった奴かもしれない

関係ない。王族というだけで許し難い

アレを殺して何の意味がある?

そんなこと知るか。殺した後考えればいい。

殺したくはないのか?復讐したくはないのか?

……殺したい。殺してやりたい。私が被った全ての苦しみを、悲しみを、痛みを与えてやりたい……

憎い。許せない。私の全てを奪った奴らを。憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くてっ……


足に感じた一瞬の熱と痛みにハッと昏い思考から引きずり戻される。
無意識のうちに力を入れすぎたせいで煙草が途中から折れて、火のついた方が室内用のサンダルを履いた素足の上に落ちたようだ。


(駄目だ……落ち着け)


火がついたままの落ちた煙草の火を踏み消し灰皿に落とすと、新たに煙草を取り出し火をつける。
現実問題として、今ここで何かしようとしたところで騎士が3人に魔術師までいる。
とてもじゃないが、あの子供を殺せるはずがない。
殺したところで元の世界に戻れるはずもない。
当事者でもないあの子供を殺したとしても、この胸に巣食う消えることのない憎しみが晴れようはずもない。

(私は無力で臆病だ……)

元の世界に戻ることも、復讐することもできない。
その努力すらもしていない。
ただ流されて惰性で生きて、そしてこの憎たらしい世界で一人老いて死ぬのだろう。

自嘲に煙草を銜えた唇が歪む。

(復讐したところで何も変わりはしない。ただ疲れるだけだ……)

諦めてしまうのが一番楽だ。
是までだってそうしてきた。
何も考えず、目先の楽しいことだけ考えて、適当に働いて、適当に生きて……
それで十分じゃないか。
何か行動を起こすには、歳を取り過ぎたのだから……


言いようもない無力感と疲労感、寂寥感を誤魔化すように、大きく紫煙を吸い込んだ。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

達観した紫の上と、年上旦那様

神月 一乃
恋愛
水速 麻帆佳(みはや まほか)は十八歳、高校三年にして二十歳年上の旦那様と結婚することになりました。外見◎、財力◎、他はどうか知りませんが。 よく言う「玉の輿」よりも「政略結婚」の方が正しいです。 だって、親戚の経営する会社が倒産の危機になって、支援する代わりに嫁がされたんですから。 少しばかり達観した女子高生と、ロマンチストなアラフォー旦那様の生活日記です。 別サイトにも公開中です

スウィートカース(Ⅷ):魔法少女・江藤詩鶴の死点必殺

湯上 日澄(ゆがみ ひずみ)
ファンタジー
眼球の魔法少女はそこに〝死〟を視る。 ひそかに闇市場で売買されるのは、一般人を魔法少女に変える夢の装置〝シャード〟だ。だが粗悪品のシャードから漏れた呪いを浴び、一般市民はつぎつぎと狂暴な怪物に変じる。 謎の売人の陰謀を阻止するため、シャードの足跡を追うのはこのふたり。 魔法少女の江藤詩鶴(えとうしづる)と久灯瑠璃絵(くとうるりえ)だ。 シャードを帯びた刺客と激闘を繰り広げ、最強のタッグは悪の巣窟である来楽島に潜入する。そこで彼女たちを待つ恐るべき結末とは…… 真夏の海を赤く染め抜くデッドエンド・ミステリー。 「あんたの命の線は斬った。ここが終点や」

【本編完結】異世界再建に召喚されたはずなのにいつのまにか溺愛ルートに入りそうです⁉︎

sutera
恋愛
仕事に疲れたボロボロアラサーOLの悠里。 遠くへ行きたい…ふと、現実逃避を口にしてみたら 自分の世界を建て直す人間を探していたという女神に スカウトされて異世界召喚に応じる。 その結果、なぜか10歳の少女姿にされた上に 第二王子や護衛騎士、魔導士団長など周囲の人達に かまい倒されながら癒し子任務をする話。 時々ほんのり色っぽい要素が入るのを目指してます。 初投稿、ゆるふわファンタジー設定で気のむくまま更新。 2023年8月、本編完結しました!以降はゆるゆると番外編を更新していきますのでよろしくお願いします。

転移先で出会ったアラフォー魔術師が時々かっこよく見えるのが悔しい

チーズたると
ファンタジー
異世界転移しちゃった女の子が、魔術師としては一流だけど優柔不断なアラフォーに振りまわされながら異世界を冒険する話。

アラフォーおっさんの美少女異世界転生ライフ

るさんちまん
ファンタジー
40代を数年後に控えた主人公は、ある日、偶然見かけた美少女を事故から助けようとしたところ、彼女の姿で異世界に転生してしまう。見た目は美少女、中身はアラフォーおっさんというギャップで、果たして異世界生活はどうなってしまうのか──。 初めての異世界物です。1話毎のエピソードは短めにしてあります。完走できるように頑張りますので、よろしくお付き合いください。 ※この作品は『小説家になろう』(https://ncode.syosetu.com/n9377id/)、『カクヨム』(https://kakuyomu.jp/works/16817139554521631455)でも公開しています。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

平凡冒険者のスローライフ

上田なごむ
ファンタジー
26歳独身動物好きの主人公大和希は、神様によって魔物・魔法・獣人等ファンタジーな世界観の異世界に転移させられる。 平凡な能力値、野望など抱いていない彼は、冒険者としてスローライフを目標に日々を過ごしていく。 果たして、彼を待ち受ける出会いや試練は如何なるものか…… ファンタジー世界に向き合う、平凡な冒険者の物語。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

処理中です...