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31:嬉しい。でも、困る

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イーグルは最近困っていた。
ディルムッドは本当に夏休み2日前からイーグルの家に住み始めた。絶対にディルムッドの父親が反対すると思っていたのに、家に来たディルムッドの父親にディルムッドが説明すると、イーグルの父親に対して『無責任過ぎだろ!』と怒った後、『うちのことは気にするな。ちゃんとイーグルを助けろよ。あ、料理はちゃんと毎日するんだぞ』と言って、あっさり『イーグルの家に住む』というディルムッドの言葉に頷いた。イーグルには『ほんの少しのことでも頼りなさい。絶対だぞ!遠慮なんてするんじゃないぞ!』と言ってくれた。本当にありがたいことなのだが、できたらディルムッドの同居に反対してほしかった。
ディルムッドが心配して来てくれたことも、抱き締めてくれたことも嬉しかった。でも、好きな相手と一緒の家に暮らして何とも思わない訳がないではないか。おまけに毎日隙あらばディルムッドはイーグルを抱き締めてくる。イーグルだけじゃなくて、双子の弟達もだが。嬉しいが、困る。いつも心臓が口から出ちゃうんじゃないかってくらい、ドキドキしている。
店の方は祖父に毎日来てもらって、なんとかなっている。野菜の仕入れの半分は農家の人が直接早朝に店に持ってきてくれるし、残りの分は朝市で昔から馴染みの農家の人から仕入れている。仕入れに必要な金や暫くのイーグル達の生活費は、叔父が援助してくれている。お陰でなんとか八百屋を続けられることになった。仕入れの時間が早いので、起床時間はかなり早くなったが、ディルムッドが一緒に行って手伝ってくれるので重い野菜を積んだリヤカーを運ぶのもイーグル達だけでなんとかなっている。昼間は祖父に来てもらい、店を手伝ってもらいつつ、野菜の目利きや経営について話を聞き、店を閉めた後はディルムッドが待つ自宅に帰る。ディルムッドは昼間は自分の定食屋に行かせている。ディルムッドは調理師免許をとって、一人前の料理人にならなくてはいけないのだ。ディルムッドが『俺も八百屋で働く!』というのをなんとか説得して、夏休み中はずっと自分の定食屋の方に行かせている。ディルムッドの店は営業が3時までなので、ディルムッドがイーグルの家に帰ってから、家事をしてくれている。夕方6時に店を閉めて自宅に行くと、ディルムッドが毎日美味しい食事を用意して待っていてくれる。一緒に後片付けをやって、ディルムッドの筋トレに付き合い、お互い勉強してから一緒のベッドで寝ている。そう。一緒のベッドで寝ているのだ。『人様の親御さんをこう言うのはどうかと思うけど、イーグル泣かせたクソ野郎のベッドで寝るとか普通に嫌』と言って、初日からイーグルのベッドに潜り込んできた。勘弁してほしい。こっちは今年15になる健康な男の子なのだ。何年も好きな相手と一緒に寝るけど何もできないなんて、軽く拷問である。ドキドキして中々寝つけないし、うっかり勃起してしまい、必死でディルムッドからそれを隠すこともある。癖なのか、ディルムッドは寝ると必ずイーグルにピッタリくっついてくる。空調をつけていても素直に暑い。嬉しいを通り越して、逆に少し腹が立つ。こちとらディルムッドをおかずにオナニーしていたんだぞ。生ディルムッドがくっついていて勃起しているのに、オナニーができない。ディルムッドが一緒に暮らし始めて1週間近く経つが、全くオナニーができなくなった。いい加減暴発しそうだし、ぺニスが馬鹿になってしまいそうだ。
イーグルが八百屋で働いている間のディルムッドが不在の時間に、ふとした瞬間にディルムッドの体温や匂いを思い出してしまい、勃起してしまうことがある。前はこんなことなかったのに。ひょろひょろに細長かったディルムッドの身体は今じゃかなり逞しくなっている。身長も伸び続けており、もう200を余裕で越えている。イーグルも身長が伸びているが、それでも頭1つ分近く身長差がある。しっかりと筋肉を感じる大きな身体にすっぽり抱き締められると、それだけで本当に堪らなくなる。
正直、嬉しい。でも、困る。ディルムッドに対する自分の気持ちが何かの拍子に溢れてしまいそうで、怖い。
イーグルはディルムッドに自分の気持ちを伝える気がない。ディルムッドは本当に女の子が好きだから。なのに、こんなにもイーグルの為に色々してくれると勘違いしてしまいそうだ。ディルムッドもイーグルのことが好きなんじゃないかと。抱き締めてくれる太くなった腕も、ぴったりくっつく分厚くなってきた胸板も、最近声変わりが落ち着いて完全に低くなった声も。大人の男になりつつあるディルムッドに、正直ときめきが止まらない。イーグルがどれだけ好きという気持ちを大きく膨らませれば気が済むのかと、いっそキレたくなる程だ。
ディルムッドが一緒に暮らしてくれて、店の方も家事も手伝ってくれて本当に助かっている。抱き締められるのも、かなり嬉しい。でも、やはり困る。ディルムッドに対する『好き』がどんどん膨れ上がって、いつか弾けてしまうかもしれない。
イーグルは小さく溜め息を吐いた。ディルムッドのお陰と言うべきか、ディルムッドのせいと言うべきか、父親にも捨てられたと悲しむ暇すらなくなってしまった。日々ディルムッドにドキドキし過ぎて。
ディルムッドに『好き』だと言ってはいけない。でも、うっかり言ってしまいそうだ。
『嬉しい』と『困る』が心の中で同居する日々は、まだまだ続きそうである。






ーーーーーーー
イーグルは常連客に愛想よく笑って釣り銭を渡し、笑顔で帰っていく客を見送った。祖父は弟達と一緒に今は家の方で休憩中だ。ディルムッドが昨夜作ってくれたプリンを食べている筈である。祖父も双子の弟ドーグとバーグもディルムッドが作る料理もお菓子も大好きだ。勿論、イーグルも。父親がいなくなってまだ10日程だが、ディルムッドがいつもの笑顔で美味しい食事を作ってくれたり、弟達の話を聞いてくれたりしているので、弟達は最近笑うことがぐっと増えた。『1人じゃキツくて心が折れそうだから』とディルムッドにおねだりされて、イーグルも一緒に筋トレをしているのだが、2人で筋トレをしていると弟達も側に来て声援を送ってくれている。ディルムッドが住み始めて、なんだか家の中が明るくなった。祖父は腰に加えて膝も悪く、杖なしでは歩けない。自分が一緒に暮らすとかえって余計な手間をかけさせてしまうから、と、自分の代わりにディルムッドがイーグル達と同居してくれることに喜び、安心していた。祖父は結婚が遅く、長男であるイーグルの父親ができたのが35歳を過ぎた頃だった。今年でもう70歳になる。無理はさせられない。本当は昼間に店を手伝ってもらうのも申し訳ないし、ゆっくりさせてやりたいのだが、イーグルだけじゃどうしようもないので仕方がないと諦めた。弟達も夏休みに入ってから、毎日店を手伝ってくれる。友達と遊びたいだろうに、朝から店を閉める夕方までずっとイーグルと一緒に店にいる。イーグルがもっと大人だったら、祖父に無理をさせることもないし、弟達を遊ばせてやることもできるのに、と思ってしまう。
とはいえ、そんなことをぐるぐる考え始めたタイミングでいつも何故か必ずディルムッドに抱き締められて、悩むどころではなくなるので、あまり深刻に悩んではいない。仕事中は必死で悩む余裕がない。ディルムッドのお陰でかなり心が救われている。イーグルをドキドキさせて追い詰めてくるのもディルムッドなのだが。

客が途切れたので、店の奥の方に置いてある椅子に座って休んでいると、ディルムッドの母親ミミンが来た。ディルムッドによく似たのほほんとしたいつもの笑顔で、イーグルに声をかけてきたので慌てて椅子から立ち上がった。


「こんにちは。イーグル」

「こんにちは。おばちゃん」

「……大変だったわね。どう?うちの子、ちゃんと役に立ってる?」

「あ、ありがとうございます。あの……ディルのお陰でなんとかなってます」

「そう!よかったわ。イーグル。絶対に無理はしちゃダメよ?ディルをいくらでもこき使っていいから!」

「え、あ、はい……あの、すいません……」

「何が?」

「……ディルに迷惑かけて……おじちゃんとおばちゃんにも」

「あら。迷惑なんかじゃないわよ。ていうか、すごく大事な友達が辛い時に何もしないなんて腑抜けた子に育てた覚えはないわ。あたしとしては、むしろよくやった!って感じ?流石ブリアードの息子よねぇ。優しくて、いざという時の思い切りがいいところがそっくりよ」

「は、はぁ……」


ミミンがコロコロと嬉しそうに笑った。ミミンに会うのは少し久しぶりだ。正直、イーグルに腹を立てているのではないかとうっすら思っていたので、なんだか気が抜けてしまう。ミミンが悪戯っぽい顔で、イーグルに少し近づいて、内緒話をするように声を潜めて話しかけてきた。


「なんなら、ディルをお婿さんにしてくれてもいいのよ?」

「……はぁぁぁっ!?」

「うっふっふー!ディルには内緒にしてるけど、マクラーレンったら既に彼女がいるのよー!あの子は確実に女の子と結婚するだろうから、跡継ぎの心配はないものー。イーグルも双子ちゃんいるし?」

「いやいやいやいやいや」

「イーグルが息子になってくれたら色々安心だものー。ほら。あの子ったら、いざって時はそれなりに頼りになるけど、普段はちょっと抜けてるっていうか、ちょっとアホの子じゃない?やっぱり心配なのよねー。女運もよくないから、いつか絶対変な女に引っかかる気がするのよねぇ。変な女に捕まるより、イーグルがお婿さん?お嫁さん?にしてくれた方がずぅぅぅっといいわぁ」

「いや、でも」

「まぁ、本人達の気持ちが1番だもの。勿論、無理強いはしないわよ?でも考えといてね。ブリアードもそっちの方が安心ではあるって言ってたし!」

「え、えぇぇぇ……」

「ねぇ、イーグル」

「あ、はい」

「貴方達兄弟のことを心配してる人がいるって、忘れないでね。ディルもだけど、あたし達も。いつでも、本当に些細なことでもいいから頼りなさい。貴方は若いの。未成年で、本来ならまだ親の庇護下にいる筈なの。経験が絶対的に足りないから、どうしたらいいか分からないことだって多いでしょう。自分じゃどうしようもなくなる前に、必ず相談しなさいね。あたしの旦那達はすっごく頼りになるんだから!……絶対に1人で何でも抱え込んじゃダメよ?ディルが貴方の側にいるって決めてるしね。あの子、言い出したら聞かないからね。貴方が嫌がっても絶対に側から離れないから、遠慮なく寄りかかりなさい。あの子もいい筋肉に育ってきてるもの!イーグル1人寄りかかっても全然大丈夫よ!!」

「……っはい」


あぁ。泣いてしまいそうだ。ディルムッドもディルムッドの家族も皆優しい。ディルムッドの父親ブリアードも買い物がてら店を閉めた後にディルムッドと共に来て、毎日のように様子を見に来てくれている。たまにマクラーレンもついてきて、何故かイーグルや双子の弟達に抱きついてから帰っていく。ディルムッド達だけじゃない。フィルも毎日端末に連絡をくれて、課外講座や課題で忙しい筈なのに2日に1度は会いに来てくれる。フィンも買い物に来たと言って、イーグル達の様子を見に来てくれる。昨日は自分が勉強に使っていたという経理の本を持ってきてくれた。『書き込みもあって汚いけど』と言っていたが、書き込みのお陰でとても分かりやすくなっていた。
両親には捨てられたが、こんなにも気に掛けてくれる人がいる。泣きたくなる程嬉しい。

イーグルが泣くのを堪えて下唇を噛んでいると、ミミンに頭を撫でられた。優しい手つきに益々泣きそうになる。


「……あんまり頑張りすぎないのよ?イーグルはもう頑張ってるんだから」

「……っはい」

「ふふっ。1度ね、イーグルの頭を撫でてみたかったの。じょりじょりー。楽しいわね、この感触」

「……ははっ」


楽しそうな顔で笑うミミンにつられて、イーグルも思わず笑ってしまった。多分、変に歪んだ笑顔で、絶対不細工な顔になっているだろう。
ミミンはイーグルに抱きついて、むぎゅうっと1度強くイーグルを抱き締めてから帰っていった。『また会いに来るわ!』と温かい笑顔で告げて。
嬉しい。でも、困る。ディルムッドが好きだ。ディルムッドの家族も好きだ。自分も家族の1人になりたいと思ってしまう。そんなの許されない。ディルムッドは女と結婚して、子供をつくるべきだ。ディルムッドは優しいから、きっと自分の子供を深く愛して大事に育てる。ディルムッドの子供なら絶対に可愛い。ブリアードもミミンも孫は多い方が嬉しい筈だ。自分じゃ、優しい2人に孫の顔を見せてやれない。何故、イーグルは男に生まれたのか。女だったら、何の気兼ねもなくディルムッドに好きだと言えたし、結婚して子供を産んでやれたのに。

イーグルはじんわり滲んでしまった涙を、乱暴にシャツの裾を引っ張って拭いた。


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