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5:マイキーの言葉

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今日は土曜日である。
ケリーに弟子入りしてから、フィンは毎週土曜日が来るのが待ち遠しくなった。確かに筋トレはキツいが、それ以上に楽しくて仕方がない。学生時代、店の手伝いも家事もあるし、友達がほぼいなかったから学校が終わっても友達と遊んだり、外で走り回るなんてことはしていなかった。運動らしい運動をするのは体育の授業くらいで、それでも特に走るのが大好きだった。
小学校低学年くらいまでは普通に仲がいい友達もそれなりにいたが、小学校高学年くらいになると、フィンは友達だと思っていても、相手はそうじゃなかったというケースが激増した。友達だと思っていた相手に告白されるのは正直キツいものがある。そのせいで、フィンは微妙に人間不信の気がある。

フィンが筋トレを始めて1ヶ月半近く経とうとしている。始めた頃は初夏だったのに、もうすっかり夏の気候になっている。未だに母アリーナには筋トレをすることを反対されているし、アリーナは頻繁に家に来てはフィンにぐちぐち言ってくるが、フィンはまるっと無視している。フィンはもう小さな子供じゃない。立派な成人男性である。母親の言うことに従う必要なんてない。
この約1ヶ月半で、本当に少しずつだが、じわじわ食べられる量が増えてきた。二の腕にも微妙に筋肉がついてきて、腕を曲げて力を入れると力瘤ができるようになった。ぺったんこだった腹もうっすら、本当にうっすらだが腹筋が分かるようになってきたし、脚にも筋肉がついてきたような気がする。着実に前進している。
師匠であるケリーは伴侶が大好きでたまに惚気かな?というような発言をさらっとしたりするし、筋トレ仲間のディルムッドは女の子にモテたくて筋トレをやっているくらい女の子にしか興味がない。兄弟子的な存在になるマイキーは多分カーラのことが好きなんだと思う。フィンにとっては、すごく安心できる環境である。自分を絶対に恋愛的や性的な意味で好きにならない男達と過ごすのは本当に気楽で楽しい。フィンは子供の頃から無駄に美少女顔だったから、ある程度大きくなってからはドレイクが色々心配して、街の公衆浴場に連れていってもらえなくなった。誰かと一緒に大きな風呂に入るなんて、ざっと10年ぶりくらいだ。わいわい話しながら、皆で一緒に筋トレ終わりに風呂に入る時間がフィンは1番好きである。

フィンが朝食の片付けと洗濯を終わらせて、いそいそと自室でケリーの家に行く準備をしていると、部屋のドアがノックされた。返事をするとフィルが部屋に入ってきた。


「どうしたの?フィル」

「兄ちゃん、今日も行くんでしょ?」

「うん」

「僕も行っていい?」

「ん?多分大丈夫だろうけど、フィルも筋トレするの?」

「んー。見学?なんかディルも兄ちゃんもすごい楽しそうだからさ。どんな感じかなって」

「あぁ。まぁ、実際楽しいよ。ちょっと待って。師匠に端末で連絡してみる」

「うん」


端末とは、離れた場所同士でも会話や文章のやり取りができ、更には写真を撮れたりする便利な魔導製品である。今時小学生でも持っているくらい広く普及している。フィンが端末を弄ってケリーに連絡すると、すぐに快諾の返事が返ってきた。どうやら、ディルムッドの弟マクラーレンも今日は一緒らしい。小中学校は数日前から夏休み期間に入っている。ディルムッドは夏休みの間は毎日実家の定食屋の手伝いをしつつ、調理師免許を取得する為に父親指導の元、料理の修行もするらしい。ディルムッドは中学校を卒業したら実家の定食屋で働くそうだ。フィルは本屋の手伝いもしてくれるが、将来は役所への就職を考えているので、近くの別の大きな街の高等学校へ進学する予定である。カサンドラはそこそこ大きな街だが、高等学校はない。その為、高等学校へ進学する者は別の街にある高等学校へ行く。フィルは夏休み期間中も、平日は進学組の為に行われている課外講座に行っている。


「いいって。ディルの弟も来るんだって」

「あ、そうなんだ」

「うん。一応着替え持っていったら?師匠のお家のお風呂めちゃくちゃ大きいから、お風呂だけ僕達と入ればいいんじゃない?温泉だよ!温泉!」

「あぁ。ディルが言ってたな。じゃあ着替え用意してくる」

「うん」


フィンはフィルと一緒に着替えの入った肩掛け鞄を持って家を出た。ケリーの家はフィンの家からは少し離れている。ウォーミングアップ代わりに走るのにはちょうどいい距離だ。フィンはフィルと一緒に走ってケリーの家に向かった。






ーーーーーー
「おはようございます!」

「……おはようございます」

「おう。おはよう」


いつもの中庭に行くと、ケリーとコリン、マイキー、それにアイールとアイール達の父親であるケビンが既にいた。フィルを紹介していると、ディルムッドとマクラーレンもやって来た。マクラーレンは顔はディルムッドとよく似ているが、11歳にしては背は低い。友達であるアイールと頭半分くらい違う。
ケリーがアイールの頭を撫でながら、話しかけた。

「アイールもたまには一緒にやるか?マクラーレン君もいるし」

「えーー。……どうする?マクラーレン」

「俺いいよー。筋トレ楽しそうだし」

「フィルはどうする?」

「え、あー……じゃあ、その……ご一緒させてもらいます」

「おーう。じゃあ準備体操からなー」


結局フィルも一緒にやるらしい。いつもより人数が多いので、狭い中庭が更に狭くなった。でも、なんだか既に楽しい気分である。フィンはご機嫌に準備体操を行った。
筋トレ前に2時間ちょっと走る。初回はディルムッドとケリーと3人で走ったが、今は各々のペースで走っている。ディルムッドは背が高くて足が長いのに、走るのがフィンよりもかなり遅い。ケリーはディルムッドに合わせて一緒に走り、やる気はあるが元々運動が得意じゃないディルムッドを上手い具合に励ましつつ、少しずつ走れる距離を伸ばしている。フィンは最近はマイキーと一緒に走っている。マイキーは子供の頃は運動音痴で走るのも苦手だったらしいが、15年近くケリー指導の元で鍛えたら、今では筋肉もつき、足もそれなりに速くなったそうだ。コリンは父親のケビンと走っている。今日は他の子供達もケビンと走る。
フィンはマイキーと並んで走りながら、合間にちょっとした話をするのが結構好きだ。マイキーは穏やかな人で、でも少しユーモラスなところもあって、話していて面白い。


「そういえば、俺は聞いたことがなかったけど。何でフィンはマッチョになりたいの?」

「ゴリッゴリのガチムチマッチョになって女の子にモテたいんです」

「…………目標に向かって努力するっていいことだよね」

「ですよね!師匠みたいに胸毛が生えないかなって期待してるんですけど、その気配がまだないんですよね」

「胸毛かー。体質によるしね。俺も生えてないし」

「育毛剤を胸に塗ったら生えませんかね」

「うーん……どうだろう……」

「せめて日焼けくらいはしたいんですけどね……」

「フィンは肌が弱いじゃない」

「そうなんですよ……11歳の時に日焼けしようと思って素っ裸で家の裏庭に1時間くらい寝転がったことがあったんです」

「はい?」

「全身真っ赤になって、痛すぎてのたうちまわりました。あと親にめちゃくちゃ怒られました」

「うわぁ……何でそんなことしたの」

「同級生に『女の子より肌が白い』って言われて、すっごい悔しかったんです」

「あー……なるほど」

「あと、顎が割れてる人っているじゃないですか」

「いるね。うちのお隣さんのおじちゃんも顎割れてる」

「めちゃくちゃ憧れます」

「なんで!?」

「え、格好よくないですか?」

「え、や?んーー……好みによる?」

「僕、未だに髭もほぼ生えてこなくて。師匠みたいに髭を伸ばしたいんですけど」

「髭かぁ……俺は面倒だから毎日剃っちゃうなぁ」

「……?僕、髭剃りはまだしたことがないんですけど、毎日剃る方が面倒じゃないんですか?伸ばしてたら、長くなりすぎた時だけ切ればいいんじゃないんですか?」

「や、全部剃るのは魔導髭剃り使えばすぐに終わるし。おじちゃんみたいに髭を伸ばして整えるのって、鋏と櫛使って、小まめに手入れしなきゃいけないんだよね。俺も顎髭を1度伸ばしたことあるけど、結構面倒で。一部を切りすぎたりとか、長さが不揃いになったり形が微妙になったら逆に格好悪いんだよね。結局、1年も経たないうちに全部剃り落としたんだ」

「へぇー。……髭って育毛剤を塗ったら、にょきにょき生えてきます?」

「うーん……どうかなぁ……多分無理かなぁ。これも体質によるし」

「……筋肉以外で、あとはどうやったら男らしくなれますかね……」

「フィンが考える『男らしい』って何?」

「……え?んーーーー。筋肉ムキムキで髭がもっさり生えてて、胸毛もふっさふさで、逞しくて頼りがいのある……師匠みたいな感じですかね?」

「あーー。うん。まぁ、分からんでもない。確かにおじちゃんは格好いいしね」

「ですよね!師匠は僕の理想そのものです!」

「でもさ、『男らしく』なる必要ってあるのかな?」

「え……?」

「あくまで俺の考えなんだけどさ。所謂『男らしさ』って、単なるつまらない固定概念な気がするんだよね。歳をとったら皆皺くちゃで筋肉も萎んでよぼよぼのお爺ちゃんになるんだしさ。『男らしさ』なんて小さな枠で物事を考えるより、なんていうんだろ。自分らしさ?人としての有り様?みたいな。自分がどう生きて、どう満足いく人生送っていくかって考えていく方がよっぽどいいんじゃないかと思うよ。ほら。人生色々大変なこともあるだろうけどさ。死ぬ時に『悪くない人生だったな』って笑えたら、それってすっごい幸せなことじゃない?」

「…………」

「あ……なんか、すごい的外れな上に、めちゃくちゃ偉そうな事言っちゃった気がする……ごめん。忘れてよ。俺もまだまだ青二才の若造だしさ」

「……いえ……その……」

「あ、なんかすごい恥ずかしくなってきた……忘れて……本当忘れて……」

「あ、はい……」


フィンは走り終わって、筋トレも終わって、風呂や昼食も終わって、家に帰ってから仕事をしている間も、ずっとマイキーの言葉が頭に残っていた。
どことなく上の空なフィンをフィルが心配していたが、フィンは笑って『なんでもない』と誤魔化した。

フィンはずっと、ケリーみたいな分かりやすい『男らしさ』が欲しかった。フィンは男だ。女の子に間違われるのには慣れているが、正直いつも嫌な気分になる。男に告白されるのも尻を狙われるのも嫌だ。『可愛いね』とか『キレイだね』とか言われるのが大嫌いだ。フィンに告白してくる男達は、フィンの表面、具体的には顔だけしか見てないんだろう、とずっと思っていた。フィンは女の子にしか見えない自分の顔が大嫌いだ。見た目が『男らしい』感じになれば、男には告白されなくなるし、女の子にもモテると思っていた。とりあえず現状を変えられたら、それでいいと思っていた。

……自分がどう生きて、どう満足いく人生を送っていくかなんて考えたことがない。『悪くない人生だった』って、笑って死ねる気はまるでしない。

フィンはその日、マイキーの言葉を何度も何度も繰り返し頭の中に思い浮かべながら、眠りについた。

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