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3:愛おしさを隠して

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 エーベルハルトが、欠伸を噛み殺しながら腕立て伏せをしていると、ずしっと背中に重いものが降ってきた。


「うぉっ!?」

「エーベルハルトー。訓練中に欠伸とはいい度胸だ」

「げっ。ヘルマン曹長」

「このまま追加で100だ」

「お、鬼……本気で重いんですけど……」

「ほれ。やれ」

「うぅ……了解であります……」

「いーち。にー。さーん。しー……」

「う、お、お、お……」


 エーベルハルトは、背中にヘルマンを乗せたまま、必死でなんとか腕立て伏せ100回をやりきった。ぶるぶると震える腕で100回目をやりきった瞬間、エーベルハルトは、べしゃっと蛙みたいに潰れた。背中に乗ったままのヘルマンの体重が、かなりキツい。エーベルハルトにとっては、ヘルマンは愛おしい人だから、ご褒美かと思えば、実際はそうでもない。素直にキツいだけだ。

 ぜぇぜぇと荒い息を吐くエーベルハルトの背中に乗ったまま、ヘルマンがクックッと低く笑った。


「今日は訓練だけだ。終わったら飲みに行くぞ」

「りょ、了解であります……」

「どっこらしょ。全員、銃を持て! 走り込みだ! たらたら走りやがったらケツを蹴り上げるぞ!」

「「「「はっ!」」」」

「おら。エーベルハルトもさっさと起きろ」

「はっ!」


 エーベルハルトは、重い身体で起き上がった。銃を置いている所に銃を取りに行き、重い銃を抱えて走り始める。普段なら普通にキツいだけだが、ヘルマンを背中に乗せての腕立て伏せ追加100回が地味に響いている。エーベルハルトは、部下に情けないところを見せないように、意地だけで、規定の距離を走りきった。

 対人戦闘訓練でヘルマンにボコボコにされ、銃の訓練をして、今日の訓練は終了である。エーベルハルトは、銃は比較的得意だ。部下達の指導ができる程度には、優れている。
 訓練後、使った銃の手入れをしていると、ヘルマンがやって来た。


「エーベルハルト。『如月亭』でいいだろ?」

「はい。他に誰を呼びますか」

「あー。適当に暇そうな奴に声をかけておいてくれ。俺は書類を提出してから参加するから、先に始めとけ」

「了解であります」

「じゃあ、後でな」

「はい」 


 エーベルハルトは、颯爽と訓練場を出ていくヘルマンを見送った。ピシッと背筋が伸びた背中が格好いい。昨夜、ヘルマンを犯したばかりなのに、身体がじんわりと熱を持つ。同時に、落ち着いていた罪悪感と後悔が、ぶわっと込み上げてきて、吐き気がしてきた。

 エーベルハルトは、吐き気を堪えながら、手早く銃の手入れを終えた。
 適当に独身の暇そうな連中に声をかけて、軍の建物から出た。たまに、こうしてヘルマンや部下達と飲みに行く。ヘルマンは酒が好きだ。馴染みの飲み屋である『如月亭』に着くと、人数が少し多いので個室に案内してもらって、先に注文をして、酒を飲み始めた。

 半刻もしないうちに、ヘルマンがやって来た。ごく自然に、ヘルマンはエーベルハルトの隣に座った。一瞬、ドキッと胸が大きく高鳴る。すぐ隣から、ヘルマンの汗の匂いと愛用の香水の匂いがする。
 飲んでいる部屋に来る途中で頼んだのだろう。すぐにヘルマンの酒も運ばれてきた。もう既に出来上がっている者もいる。改めて乾杯をしてから、わいわい喋りながら飲み始めた。

 隣で、ぐっと一息で酒精がキツい酒を飲み干したヘルマンに、エーベルハルトは、適当に酒の肴になりそうな料理を取り分けた。


「空飲みすると酔いますよ」

「いいじゃねぇか。仕事上がりの一杯の為に生きてんだよ」

「はいはい。これ、美味しかったですよ。新しいメニューらしいです。揚げた鶏肉に、香味野菜たっぷりの油をかけてるそうで」

「へぇ。食う」

「はい。酒の追加しますよね」

「あぁ。瓶で持ってきてくれ。同じやつ」

「了解であります」


 エーベルハルトは、卓上にあった店員を呼ぶ鈴を鳴らした。すぐにやって来た店員に、酒の追加を頼み、ついでに料理も追加した。今日は一日訓練で身体を動かしていたから、皆、腹が減っている。最初に頼んだ料理は、殆ど無くなっていた。元気のいい店員が、笑顔で注文をメモして、部屋から出ていった。
 他愛もないお喋りをしていると、追加の酒と料理が運ばれてきた。エーベルハルトは、せっせとヘルマンに料理を取り分け、酒を注いでやりながら、これが二人きりなら、もっと幸せだったろうな、と思った。

 夜も更けた頃に、解散となった。殆どの者は、これから娼館に行くそうだ。エーベルハルトも誘われたが、断った。娼館で遊ばないからか、エーベルハルトは堅物扱いされている。別に、エーベルハルトは堅物という訳ではない。ただ、女に興味がないだけだ。それを言ったことはないけれど。

 ヘルマンも、今夜は娼館に行かないらしい。エーベルハルトは、残っていたヘルマンと共に、月明かりの下を軍の独身寮を目指して、歩き始めた。


「行かなくてよかったんですか? 娼館」

「んー。性欲より睡眠欲の方が勝ってる」

「左様で」

「エーベルハルト」

「はい?」

「おんぶ」

「えぇーー」

「うりゃっ」

「うぉっ!? おもっ!」

「寝るわ。部屋の鍵は胸ポケットの中」

「えっ。ちょっ……マジで寝た……」


 エーベルハルトの背中に乗ったヘルマンは、エーベルハルトの肩に頬をつけ、すぐに寝息を立て始めた。ヘルマンの鍛えられた筋肉質な身体は、素直に重い。でも、ヘルマンの熱い体温が、どうしようもなく愛おしい。こうして、ちょっとした我儘を言ってくれるのも、甘えてくれているみたいで嬉しい。

 エーベルハルトは、酒精以外で火照る頬を夜風に撫でられながら、軽い足取りで、軍の独身寮の最上階にあるヘルマンの部屋に向かった。
 階段がクッソキツかったが、エーベルハルトは、なんとか独身寮の最上階に到着した。眠る人間は、なんでこんなにも重いのか。ぜぇ、ぜぇ、と荒い息を吐きながら、ヘルマンの部屋の前で、眠っているヘルマンをなんとか背中から下ろした。眠るヘルマンの腕を自分の肩に回させ、ヘルマンの上着の胸ポケットから、鍵を取り出す。

 部屋の鍵を開けて、眠るヘルマンの身体を支えながら、寝室へと向かう。寝室のドアを開ければ、ベッドの上の乱れたままの布団が目に入った。
 なんとかヘルマンの身体をベッドに寝かせ、ブーツと靴下を脱がせる。上着のボタンを外して、下に着ているシャツのボタンもいくつか外す。ベルトも外してやって、エーベルハルトは、ヘルマンの身体に掛け布団をかけた。

 ヘルマンは鼾をかいて寝ている。今、襲うつもりは無いが、キスくらいはしてもいいだろう。やった後は絶対に後悔するのが分かっているが、どうしてもヘルマンにキスがしたい。

 エーベルハルトは、少しだけ髭が伸びたヘルマンの頬にキスをした。
 ヘルマンの寝顔をじっと見つめていると、ヘルマンが目を開けた。ぼんやりした目でエーベルハルトを見上げて、ヘルマンがゆるく笑った。


「今日はしないのか」

「……何をですか」

「さぁな」


 ヘルマンがクックッと低く笑って、また目を閉じて、寝息を立て始めた。
 エーベルハルトは、背中に嫌な汗をかきながら、静かに寝室を出て、逃げるようにヘルマンの部屋から出た。バタバタと走って自室に戻ると、エーベルハルトは、玄関にへたり込んだ。

 もしかしなくても、ヘルマンにバレている。エーベルハルトが、ヘルマンを犯していることを。
 目の前が真っ暗になって、吐き気が込み上げてくる。
 バレてしまった以上、もう、ヘルマンの側にはいられない。

 ぽたっと、エーベルハルトの目から涙が零れ落ちた。ヘルマンが好きだ。だが、ヘルマンが、男のエーベルハルトを好きになることはない。

 こうなったら、逃げるしかない。
 エーベルハルトは、のろのろと立ち上がり、退職願を書いて、少ない荷物を鞄に詰め込んだ。

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