上 下
2 / 14

2:冗談じゃない

しおりを挟む
フリッツはベッド横の窓のカーテンの隙間から射し込む光でハッとなった。
慌てて古い壁掛け時計を見れば、もう店の開店時間である。また本に夢中で徹夜してしまった。夕食も食べていないし、朝食を食べる時間もない。眠らないことにも食べないことにも慣れているが、若い頃は平気だったが、最近は身体がじわじわしんどくなるようになった。多分歳をくったからだろう。
フリッツは溜め息を吐いて、寝転がっていた身体を起こし、ベッドから降りた。立ち上がると軽い眩暈と頭痛がして、おまけに身体が重怠い。それでも店は開けなければならない。フリッツはまた溜め息を吐いて、上に着ているシャツだけ着替えてから、階下の店へと降りた。自宅へと通じる階段はカウンターの後ろにある。階段を降りればすぐにカウンターだ。フリッツはカウンターを出て、店の入り口に行き、店のドアの鍵を開けた。
いつもの定位置であるカウンターに移動しようとすると、ドアの鍵が開くのを待っていたかのように、店のドアが開いた。
そこには昨日来た客である茶色い毛並みの犬獣人が立っていた。


「こ、こ、こ、ここでっ!働かせてくださいっ!!」


開いたドアの向こうで犬獣人はそう叫ぶと、勢いよくフリッツに頭を下げた。
フリッツは無言でドアを閉めた。






ーーーーーー
寝不足で重くぼんやりする頭がハッキリしてきたのは、昼食に硬い買い置きのパンを噛りつつ、牛乳を飲んでいる時であった。
朝のは一体なんだったのだろうか。フリッツが大嫌いな獣人、その中でも特に嫌いな犬獣人に突然店で働かせてくれと叫ばれた。つい反射でドアを閉めて、そのままカウンターに戻ってしまったが、しっかり念入りに断っておくべきだっただろうか。

フリッツ1人がなんとか食っていけるだけの収入しかない小さな本屋だ。人を雇う余裕などない。それも見かけるだけで嫌悪感がわく大嫌いな犬獣人などを雇うなんて絶対にあり得ない。本当なら店の入り口にでも『獣人お断り』の張り紙をしたいくらいなのだ。それをしないのは露骨な獣人差別は法律で禁じられているからである。
店に獣人が来たら、フリッツは絶対に声も出さないし目も合わせない。本に値札はつけてある。金だけ寄越せと無言で手を差し出すだけだ。本当はそれも嫌だが、仕方がない。
獣人のコミュニティでそんなフリッツの本屋の評判が広まっているからか知らないが、フリッツの店が開店して5年もすると獣人はほぼフリッツの店には来なくなった。フリッツとしては有り難いことこの上ない。
しかし昨日、数年ぶりに獣人の客が来た。しかも犬獣人だ。胸糞悪いが、追い返すわけにもいかない。フリッツはいつもの対応をした。普通は店員にこんな態度をとられたら不快に思う筈だ。実際、獣人で2度もフリッツの店を訪れた者はいない。大方、獣人嫌いの人間の店だと思われたのだろう。人間相手なら一応言葉を交わすし、顔もいつも読んでいる本から上げるのだから。無愛想かもしれないが、一応接客をしている。
まぁ実際、フリッツは獣人が嫌いなので間違ってはいない。

だというのに、今朝突然昨日の犬獣人が雇ってくれと頭を下げてきた。訳が分からない。もしかして、空気が読めない、鈍い間抜けな犬獣人なのだろうか。なんにせよ、不快だし迷惑な話だ。フリッツは眉間に皺を寄せて、忌々しく溜め息を吐いた。






ーーーーーー
翌日の開店時間。
流石に2日続けて徹夜はできないフリッツは、ぐっすり寝て少しスッキリしている頭と身体で、開店の為に店のドアの鍵を開けた。するとまたすぐに店のドアが開いた。昨日の犬獣人がそこに立っていた。


「何でもしますっ!こ、ここで働かせてくださいっ!」


そう叫んで、また頭を勢いよく下げた。
フリッツはまた無言でドアを閉めた。


そんなことがなんと10日も続いた。
フリッツにとっては不快極まりない。カウンターに所に置いてある椅子に座ったまま、フリッツはイライラと爪を噛んだ。イライラし過ぎて本を読む気すら起きない。ここ数年でこんなに不快でイライラすること等なかったので、自分でも、どうやってこのイライラを発散させたらいいのかが分からない。
客がいないことをいいことに、フリッツは何度も大きな溜め息を吐いて、苛立ちをぶつけるように、カリカリと爪先でカウンターを引っ掻いた。

昼を過ぎて夕方に差し掛かっても、本を読む気になれず、カウンターに肘をついて、ぼーっとしていると、店のドアが開いた。
もしやあの犬獣人かと思って身構えていると、店に入って来たのは、なんと20年ぶりくらいに見る書類上の父親だった。豊かだった豪奢な金髪はすっかり薄くなり、顔には深い皺がいくつもある。書類上の父親の年齢は知らないが、多分60代くらいではないだろうか。
フリッツは慌てて立ち上がった。


「……お久しぶりです」

「あぁ」

「本をお求めですか?」

「いや」

「…………」


何をしに今になって来たのだろうか。フリッツには全く見当がつかない。書類上の父親には本当に感謝している。フリッツの唯一無二の居場所を作ってくれた。そうじゃなかったら、多分今頃もう死んでいた筈だ。
じっと軍人らしい鋭い目付きでフリッツの顔を見た書類上の父親は、小さく溜め息を吐いて口を開いた。


「この店に従業員を雇う。お前の身の回りのこともする者だ」

「……あ、あの、お言葉ですが、その、この店には従業員を雇う程の余裕は……」

「給料は俺が出す。お前はただ俺が雇った者を使えばいいだけの話だ」

「はぁ……」

「流石にここには狭くて住ませられないから通いになるがな」

「わ、分かりました。えっと……ありがとう、ございます」

「……おい。入れ」


書類上の父親の声で入ってきた人物を見て、混乱していたフリッツは目を見開いた。
そこにはフリッツに雇ってくれと頭を下げてきた犬獣人がいた。


「これはバーバラ・バートル。元・軍人だ。まぁ、護衛になるかは微妙だが、番犬程度にはなるだろう」

「…………」

「ではな」


フリッツが絶句して固まっている間に、書類上の父親は店から出ていった。
残されたのは呆然としているフリッツとなにやらそわそわしているバーバラとかいう犬獣人だけだ。
バーバラが恐る恐るフリッツに声をかけてきた。


「あ、あの。バーバラ・バートルです。よろしくお願いいたします」

「…………」

「そ、その……何をしたらよろしいでしょうか?」

「…………掃除でもしてろ」

「はっ、はいっ!」


フリッツは眩暈を感じながら、バーバラにそれだけ言うと、どさっと力なく椅子に座り込んで、頭をかかえた。
100歩譲ってフリッツの世話係兼従業員ができるのはいい。だが何故よりにもよって犬獣人なのだ。犬獣人に世話を焼かれて、フリッツの小さな城で働かせるなんて、とても許せることではない。
おずおずと、掃除道具はどこか聞いてくるバーバラに、フリッツは無言でカウンターの奥を指差した。掃除道具は階段の下の隙間に置いてある。礼を言うバーバラの声もパタパタと聞こえる尻尾を振る音もフリッツは聞き流した。
頭が痛い。イライラが止まらない。この店に来て、ずっと平穏に過ごせていたのに。この店を与えてくれた本人から今度はフリッツが1番嫌う犬獣人を押しつけられた。訳が分からない。真意を問いただしたいが、書類上の父親が何処に住んでいるのかも分からない。
フリッツは暫く唸りながら悩みに悩んで、心底嫌だが雇われたバーバラ本人に聞くことにした。
尻尾をパタパタと煩く振りながら、本棚の埃をハタキでパタパタと落としているバーバラを睨みつける。


「……おい」

「はっ、はい」


フリッツが地を這うような低い声で話しかけると、バーバラがピタリと動きを止め、びくびくしながらフリッツを見た。


「説明しろ」

「な、なんのでしょうか……」

「全部だ、犬っころ」

「は、はい……あの……今朝も雇っていただけないかとお願いに来たんです」

「…………」

「そ、それで、今朝も駄目な感じでしたから、その、帰ろうとしていたら、先代の将軍閣下に声をかけられました」


書類上の父親は将軍だったのか。知らなかった。フリッツはどうでもいい感想を抱いた。
バーバラは情けなく耳を垂らしたまま、たまに吃りつつ話を続ける。


「そ、その、フ、フリッツさんの身の回りの世話もやるなら、先代・将軍閣下が雇ってくださり、この店で働かせてくださると。お、俺、どうしても、その、この店で働きたくて……その、先代・将軍閣下に雇ってください、とお願いしました」

「…………」

「そ、そのあとに雇用契約書にサインをして、あの、えっと、い、今に至ります……」

「…………」


ひたすら睨みつけているフリッツに怯えてか、どんどん小さくなっていく声で、一応バーバラは経緯を説明した。だが、フリッツが聞きたいのはそこではない。


「何故だ」

「……へ?」

「何故あの人はお前を雇った」

「わ、分かりません。……お、俺は、ずっと下っぱの軍人で、あ、もう、辞めてるんですけど、その、先代・将軍閣下とはお会いしたことがなくて、あ、で、でも、去年までは将軍でいらしたので、流石に写真で顔は知ってて……」

「…………」

「そ、その……フ、フリッツさんの、あの、身の回りの世話をする者が必要だと、仰ってました」

「…………」

「お、俺のこと、何故か、その、ご存知でらっしゃって、この際お前でいい、と、その、仰ってました……」

「…………」

「お、俺、この店でどうしても働きたくて!その、が、がんばります!」

「…………」


フリッツは忌々しく舌打ちをした。フリッツが経営しているとはいえ、この店は書類上の父親から与えられたものだ。書類上の父親が何を考えているのか分からないが、書類上の父親が雇った者をどんなに不快でも勝手に首にすることはできない。
フリッツは嫌々、この店の開店時間と閉店時間をバーバラに告げた。フリッツが起きていなくても店に入れるように、店の合鍵をバーバラに投げつけ、掃除と本の陳列、本が入荷した際の受け取りと値札つけをするよう早口で言い、あとはもう犬獣人など見たくもないので、売り物の本を1冊手にとって頁を開き、視線をそこに落とした。イライラし過ぎて文章が全然頭に入ってこない。掃除をするパタパタと煩いバーバラの尻尾を振る音も不快極まりない。
閉店時間まで苦行のような時間を過ごし、閉店時間のなると、即座にバーバラを店から出した。バーバラは夕食を……とか言い出したが、フリッツは無言で店のドアを閉めて鍵をかけた。

鍵をかけると、フリッツはその場に座り込んだ。
最悪だ。これまでの平穏な生活がなくなってしまった。何が悲しくて大嫌いな犬獣人をこの店に出入りさせねばならないのだ。おまけにフリッツの身の回りの世話をするということは、フリッツの家の中にまで入ってくるということだ。冗談じゃない。

フリッツはバーバラが掃除をして少しキレイになった床に寝そべった。
糞が。こうなったらバーバラが逃げ出す程こき使ってやる。
フリッツがバーバラを首にすることはできない。だが、バーバラが自主的に辞めることはできる筈だ。それに賭けるしかない。
フリッツはイライラとまた舌打ちをした。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結・BL】DT騎士団員は、騎士団長様に告白したい!【騎士団員×騎士団長】

彩華
BL
とある平和な国。「ある日」を境に、この国を守る騎士団へ入団することを夢見ていたトーマは、無事にその夢を叶えた。それもこれも、あの日の初恋。騎士団長・アランに一目惚れしたため。年若いトーマの恋心は、日々募っていくばかり。自身の気持ちを、アランに伝えるべきか? そんな悶々とする騎士団員の話。 「好きだって言えるなら、言いたい。いや、でもやっぱ、言わなくても良いな……。ああ゛―!でも、アラン様が好きだって言いてぇよー!!」

勇者の股間触ったらエライことになった

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
勇者さんが町にやってきた。 町の人は道の両脇で壁を作って、通り過ぎる勇者さんに手を振っていた。 オレは何となく勇者さんの股間を触ってみたんだけど、なんかヤバイことになっちゃったみたい。

会社を辞めて騎士団長を拾う

あかべこ
BL
社会生活に疲れて早期リタイアした元社畜は、亡き祖父から譲り受けた一軒家に引っ越した。 その新生活一日目、自宅の前に現れたのは足の引きちぎれた自称・帝国の騎士団長だった……!え、この人俺が面倒見るんですか? 女装趣味のギリギリFIREおじさん×ガチムチ元騎士団長、になるはず。

絶滅危惧種の俺様王子に婚約を突きつけられた小物ですが

古森きり
BL
前世、腐男子サラリーマンである俺、ホノカ・ルトソーは”女は王族だけ”という特殊な異世界『ゼブンス・デェ・フェ』に転生した。 女と結婚し、女と子どもを残せるのは伯爵家以上の男だけ。 平民と伯爵家以下の男は、同家格の男と結婚してうなじを噛まれた側が子宮を体内で生成して子どもを産むように進化する。 そんな常識を聞いた時は「は?」と宇宙猫になった。 いや、だって、そんなことある? あぶれたモブの運命が過酷すぎん? ――言いたいことはたくさんあるが、どうせモブなので流れに身を任せようと思っていたところ王女殿下の誕生日お披露目パーティーで第二王子エルン殿下にキスされてしまい――! BLoveさん、カクヨム、アルファポリス、小説家になろうに掲載。

少年野球で知り合ってやけに懐いてきた後輩のあえぎ声が頭から離れない

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
少年野球で知り合い、やたら懐いてきた後輩がいた。 ある日、彼にちょっとしたイタズラをした。何気なく出したちょっかいだった。 だがそのときに発せられたあえぎ声が頭から離れなくなり、俺の行為はどんどんエスカレートしていく。

(…二度と浮気なんてさせない)

らぷた
BL
「もういい、浮気してやる!!」 愛されてる自信がない受けと、秘密を抱えた攻めのお話。 美形クール攻め×天然受け。 隙間時間にどうぞ!

陰キャ系腐男子はキラキラ王子様とイケメン幼馴染に溺愛されています!

はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。 まったり書いていきます。 2024.05.14 閲覧ありがとうございます。 午後4時に更新します。 よろしくお願いします。 栞、お気に入り嬉しいです。 いつもありがとうございます。 2024.05.29 閲覧ありがとうございます。 m(_ _)m 明日のおまけで完結します。 反応ありがとうございます。 とても嬉しいです。 明後日より新作が始まります。 良かったら覗いてみてください。 (^O^)

王子様のご帰還です

小都
BL
目が覚めたらそこは、知らない国だった。 平凡に日々を過ごし無事高校3年間を終えた翌日、何もかもが違う場所で目が覚めた。 そして言われる。「おかえりなさい、王子」と・・・。 何も知らない僕に皆が強引に王子と言い、迎えに来た強引な婚約者は・・・男!? 異世界転移 王子×王子・・・? こちらは個人サイトからの再録になります。 十年以上前の作品をそのまま移してますので変だったらすみません。

処理中です...