ニナの開放

丸井まー(旧:まー)

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1:ニナの開放

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 土の宗主国サンガレア領中央の街某産婦人科医院にて。

「おめでとうございます。おめでたですよ」

 中年の穏やかな雰囲気の医者が優しくニナに笑いかけた。全然おめでたくない。いっそ堕胎してしまいたい。しかし、そんなことは言えないし、できない。性犯罪の被害者であったり、妊娠により母体が危険な状態になってしまったり等、本当に余程の理由がないと堕胎することはできない。法律でそう決まっている。
 ニナは沈みこんだ顔で産婦人科医院を出た。なんとニナには現在三ヶ月の赤ちゃんがお腹にいるそうだ。死にたい。いっそ死んでしまいたい。
 ニナはどうしてこうなってしまったのだろうか……と遠くを見つめながら、ぼんやりここ1年のことを思いだした。





ーーーーーー
 ニナは、土の宗主国サンガレア領にある通称・中央の街と呼ばれる大きな街で生まれ育った。ニナは親にも自己主張がろくにできない程気が弱く、おどおどした子供だった。別に思うことがない訳ではない。ただそれを口に出すことがニナにとっては酷く難しく、欲しいものがあっても、したいことがあっても、嫌なことがあっても、ただ口をつぐんで黙って周囲に流されていた。

 10歳の頃に受けた魔力量検査でニナがかなりの魔力を持っていることが分かると、薬師であった父方の祖父が大喜びした。その時から、ニナは薬師になることが決まった。祖父のことは優しくて穏やかな人だから好きだった。いつも祖父から香る薬の匂いも嫌いじゃない。むしろ落ち着く匂いだ。薬師になることに関しては、ニナは別に嫌じゃなかったので、素直に祖父から薬師になるための知識や技術を教えてもらい、一生懸命勉強した。その甲斐あって、地元の高等学校の薬学科を卒業と同時に上級魔導薬師の資格を取得できた。サンガレアの薬事研究所に併設されている製薬施設に就職することもできた。
 祖父に言われて始めた薬師の勉強は楽しく、働き始めたら仕事も楽しくやり甲斐があった。ニナの両親は、中学校を卒業したあたりから、早く結婚しろと煩かったが、祖父が黙らせてくれていたので特に問題はなかった。

 この世は男女比が平等ではない。6:4で男の方が多い。当然溢れる男が出てくるので、土の宗主国では複婚や同性婚が認められている。血統重視の貴族とは違い、平民の間では、女を中心とした複婚が一般的である。女は最大5人の夫を持つことができる。ニナの母も3人の夫がいる。女は16~20歳の間に結婚して子供をもつのが普通である。基本的に外に出て働くことなんてしない。それこそ、人並み以上の魔力が必要な魔術師や魔導薬師、医者などの特殊な仕事に就く者くらいだろう。その数も実際のところ少ない。
 祖父はニナを薬師にしようとして、実際に薬師にならせたが、ニナの両親は『普通』に中学校を卒業したら結婚して家庭に入り、子供を産むことをニナに求めた。祖父が穏やかだけど頑固な人だったから、ニナは中学校卒業後に高等学校にも進学できたし、就職試験を受けて無事合格し、働き出すことができた。ニナは中学校に進学する頃にはすっかり薬を作る魅力にとりつかれていたので、ニナを教え導き、両親を抑えてくれる祖父の存在がありがたかった。

 その祖父が亡くなったのが約1年半前。ニナが就職して、半年後のことだった。その半年後には、ニナの意思に関係なく結婚が決まっていた。相手はそれなりに繁盛している商家の跡取り息子で、結婚が決まった後に引き合わされた時は優しそうな印象を受けた。ニナとて、結婚に夢や憧れを抱いていた。しかし、それはすぐに木っ端微塵になった。

 夫となったディオルドは、初夜でこう言った。
『僕は男しか愛せないから君なんかとセックスはできないよ。まぁ他に適当に男をつくってよ。どうせ女は何人も伴侶にできるんだし。跡取りがいるから子供も早く産んでくれよ。あぁ、勿論それなりに優秀な男の子供ね。無能な男の子供なんて跡取りになんかできないし。仕事は辞めるなよ。自分の食い扶持くらい自分で稼げよ。女は男を金蔓としか思ってないしな。僕はお前の金蔓になんぞなる気はない。あぁ、家事はお前がしろよ。女の仕事だろ』
 突っ込みたい所が多過ぎて、ニナは呆然とした。男しか愛せないなら女と結婚するなよ。そんな簡単にニナが優秀な男とやらを捕まえられると思うな。子供は跡取り用の道具じゃない。仕事を辞める気はないが、そもそも男を金蔓だなんて思ったことはない。ニナも外に出て働くのに、家事は『女の仕事だから』と全部やらなくてはいけないのか。文句を言うべきなのだろうが、結局この時もニナは黙っていた。
 
 ニナは新居の夫婦の寝室から追い出されて、仕方がなく居間のソファーで寝た。いずれは家を継ぐが、新婚の間くらいは2人きりで生活してみなさいとディオルドの親が用意した高級集合住宅の一室がニナ達の新居である。広い部屋が三部屋もあるのに、ベッドは寝室に一つしかなかった。

 結婚してからの日々は、ニナにとっては地獄だった。職場の上司に結婚を報告すると、上司にも先輩達にも嫌そうな顔をされた。『入ったばかりなのにもう辞めるのか』と。ニナは結婚が決められた少し前に、難病の患者に使われる難易度が高い薬を作る部署に異動になっていた。難易度が高い薬を作るには多くの魔力がいるし、繊細で複雑な行程があり、薬師ならば誰にでも作れるというものではない。常にその部署は人手不足で、ニナは久々の新人だった。辞める気はないと、なんとか伝えたが、『辞めなくても子供ができたら長期間休むだろう。それに他の夫を持ったら、それが何度にもなる』と迷惑そうな顔をされた。ニナは何も言えなかった。
 
 仕事以外の時間は殆んど家事で潰れる。朝早くに起きて、炊事洗濯掃除をして、仕事から帰ったら、また炊事と洗濯物を取り込んだり風呂の準備をしたりして。まだ慣れない仕事で疲れている身体に鞭打ってニナなりに頑張っているのに、ディオルドの口からは文句しか出てこない。『掃除が甘い』『料理の味付けが母とは違う』『アイロンもまともにかけられないのか』等々。毎日遅くまでくたくたになるまで動き回って、眠るのはいつもソファーである。

 ディオルドは毎晩のように男娼がいる花街に遊びに行くのに、ニナが寝室のベッドで眠ることを許さなかった。曰く『女が寝たベッドなんか気持ち悪くて眠れない』と。
 結婚して一ヶ月も経つと、ニナの両親もディオルドの両親も休日の度に家に来るようになった。皆、言うことは同じである。『子供はまだか』。
 ディオルドの花街通いが知られると、『お前が女としての魅力がないのが悪い』『嫁としての努力が足りない』等々、ニナが何故か詰られることになった。ニナは処女のままだから子供なんてできるわけがないし、それもディオルドが女相手では役立たずなだけだ。確かに、ニナは女として魅力的ではないかもしれない。顔立ちは本当に普通だし、胸が小さいくせに尻は大きい自分の身体は、自分でも好きじゃない。薬師をしているから化粧なんてしたことがないし、今時のお洒落な服だって持っていない。母が買ってきた母好みの服だけだ。子供の頃から、ニナは自分で服を選ぶことすらさせてもらえず、母の趣味の、ニナには似合わない少女趣味な服ばかり着ていた。

 ストレスフル過ぎる日々に、ニナは心身ともに疲れきっていた。約三ヶ月前、職場で飲み会をしようという話になった。社交辞令で一応誘われたニナは、飲み会に参加することにした。家に帰りたくなかったのだ。職場の人達と初めて行く飲み屋で初めて酒を飲み、気づいたら堅物クソ真面目だと思っていた先輩の家で朝を迎えていた。全裸で。『かなり酔っててヤれそうだったし』と、しれっとした顔で言う先輩を全力で殴りたかった。殴れなかったけど。一晩だけで子供ができるわけがないと自分に言い聞かせ、とりあえず先輩との一夜はなかったことにした。万が一、妊娠していたらどうしよう、と怯えながら日々を過ごしていると、恐れていた事態に直面した。生理がこない。一ヶ月目は単に遅れているだけだろうと思うようにした。二ヶ月目はストレスによるものだろうと思うようにした。でも三ヶ月になって、ニナはいよいよ観念して病院に行った。結果の妊娠発覚である。絶望するしかない。

 ニナは悩んだ。悩んで、悩んで、いよいよお腹が目立ち始めて周囲に隠せなくなる頃まで悩んだ。そしてニナはキレた。そもそもだ。何故ずっと誰かの言いなりで過ごさねばならないのだ。確かに、ろくに自己主張ができないニナも悪い。でもニナにだって意思があり、考えがあり、やりたいこともある。それを誰も一切考慮してくれないというのも正直どうかと思う。せめて両親くらいはニナの気持ちを少しくらい考えてくれてもいいのに、と逆恨みのような感情さえ芽生えた。

 ニナは決意した。子供ができてしまったものは仕方がない。ニナ1人で産んで、1人で育てる。ディオルドとは離婚する。こんな奴隷みたいな生活にはもう堪えられないし、産まれた子供を道具のようにされるのも我慢ならない。両親とも絶縁する。ニナだけじゃなくて、ニナの子供まで好き勝手にされたら嫌だ。
 幸いニナは仕事はできる。産休制度も育児休暇制度もあるし、薬事研究所のすぐ側に保育所もある。きっと1人でもなんとかなる筈だ。いや、なんとかしなければならない。ニナはもう誰の言うことにも流されたくなかった。

 そう決意した翌日。ニナは役所に行き離婚届けの書類を貰って、その場で自分のサインを書いてから、少し遅れて職場に行き、職場の上司に妊娠したことと離婚すること、この先二度と結婚する意思も出産する意思もなく、今回の子供は1人で育てることを伝えた。それから長生き手続きをして働き続けることも。

 この世には異世界から召喚される神子が4人いる。神子は各宗主国に属し、神と人とを繋ぐ役割を担っている。神の恩恵が色濃い宗主国の王族は500年の寿命があり、神子はそれより長くおよそ1000年もの時を生きるらしい。故に、王族に仕える者や土の神子がいるサンガレア領の公的機関に勤める者は長生き手続きと呼ばれるものを受けることができる。長生き手続きをすると、神殿で神より祝福を受け、その時点から老いることなく生き続けることができるようになる。長生き手続きをやめたら、その時から再び普通に老化が始まる。

 サンガレアは同性愛に寛容な土地柄で、男同士でも子供をつくることができる施設もある。施設を利用して子供をつくるには庶民の年収10年分程の多額の金銭が必要になるが、長生き手続きをして通常よりも長く働けば男しか愛せない男でも子供をもつことができる。それ故、サンガレアの公的機関で働く男専門の男は結構多い。ニナが働いている部署の先輩達の殆んどは長生き手続きをしている。ニナだって長生き手続きをして、好きなだけ好きな仕事をしてもいい筈だ。

 ニナは完全にキレていた。何かに、というよりも、全てに。ニナは上司に、『なんなら誓約書も書くし、出産後に避妊手術を受ける。いっそのこと子宮をとってしまってもいい』とまで言った。ニナは本気だった。妊娠することで仕事ができなくなるのなら、子供を産む機能なんていらない。上司は、ニナの普段と段違いな剣幕に引き攣った顔をして、『そこまでする必要はない』と言った。産後1年まで産休をとり、その後は近くの保育所に子供を預けて働く事が決まった。そのまま休みをもらい、研究所近くの官舎へ入居の申し込みをしに行った。幸い、いくつもある官舎の一部屋が空いており、即決でそこを借りることにした。

 帰宅すると、家を出る為に最低限の荷物をまとめて、居間でディオルドを待ち、ディオルドが帰ってきたら離婚届けを叩きつけた。ディオルドは怒り狂ったが、ニナは頑として譲らなかった。ディオルドが連絡をして、ディオルドの両親もニナの両親も来て、ニナを責めたり、説得しようとしたが、ニナの心には彼らの言葉は何一つとして届かなかった。

 ニナは本当にキレていた。今まで出したことがない程の大きな声で彼らに反論し、罵り、最終的にディオルドに離婚届けにサインをさせた。自分の両親にも絶縁宣言をして、鞄一つで家を出た。

 ニナは、こうして地獄から解放されたのだった。
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