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17:不審者とご対面
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アイディーは、ミケーネと一緒に遊んで楽しそうに笑っているヨザックの顔をチラッと見た。
年末年始の休みが終わり、ロバートが出勤するようになって10日程経つ。昼過ぎに久しぶりにヨザックが訪ねてきた。まだまだ観光客が多い修羅場期間の真っ最中ではあるが、なんとか半日の休みをもぎ取ったらしい。玄関で出迎えたアイディーに、家で寝ているだけよりもここに来た方が心が癒えると、ヨザックが疲れを滲ませた顔で笑った。
ミケーネとぬいぐるみを戦わせて遊んでいるヨザックは、本当に楽しそうである。ヨザックと会うのは、アイディーの誕生日の夜以来だ。アイディーはヨザックの顔を見た瞬間から、なんだかそわそわして落ち着かない気持ちになった。ミケーネに負けてやったヨザックに、ミケーネが嬉しそうな笑い声を上げながら抱きついた。ヨザックに抱き締められたミケーネが、笑顔ですぐ側にいるアイディーに嬉しそうに手を伸ばした。
「あーちゃん!かったー!」
「おーう。見てたぜ、坊っちゃん。見事な勝ちっぷりだったな」
「うひっ」
アイディーが笑って褒めて、ミケーネの小さな手を握り軽く上下に振ると、ミケーネが楽しそうに笑った。
ヨザックが笑顔でミケーネの頭を撫でた。
「ミー坊。そろそろお昼寝の時間だな」
「やぁだ!」
「俺も一緒にお昼寝するぞ」
「よーちゃんも?」
「おう」
「んーー。ねんねする」
「いい子だなぁ。ミー坊」
「うひっ」
アイディーは胡座をかいて座っているヨザックの膝の上にいるミケーネを抱き上げ、仰向けに寝転がって自分の身体の上にミケーネをのせ、昼寝用の毛布をミケーネの身体の上にかけた。ヨザックがアイディーのすぐ隣に寝転がったので、身体の上の毛布を引っ張り、ヨザックの身体にも毛布を掛ける。ぴったりくっついているヨザックの体温と微かに香る男物の爽やかな練り香の香りに心臓が跳ねる。アイディーは何故かドキドキと激しく動く自分の心臓に気づかないフリをする為に、ミケーネの背中を優しくポンポンしながら、ミケーネが好きな歌を歌い始めた。
ミケーネが穏やかな寝息を立て始めると、ヨザックのゴツくて固い手がアイディーの手に触れ、きゅっと優しく手を握られた。思わずドキッとするアイディーに、ヨザックがクックッと小さく笑いながら、囁いた。
「やっと意識してくれたな」
「…………別に、そんなんじゃねぇし」
「ふーん?」
「……なんだよ」
「顔、真っ赤だぜ。ハニー」
「………………うっせぇ」
ヨザックの楽しそうな小さな笑い声に、顔だけじゃなくて耳まで熱くなってくる。何だこれ。
気まずくて、アイディーがヨザックの方を向いてジロッと睨めば、ヨザックが益々楽しそうに笑った。何でだ。
アイディーの方を向いて横向きに寝転がっているヨザックが、アイディーに顔を少し近づけ、アイディーの鼻の頭に自分の鼻先を軽く擦りつけた。
すぐ近くにあるヨザックの鳶色の瞳から目が離せない。
「……なぁ、キスしていいか?」
「………………」
心臓がバクバク暴れだして、どう反応していいのか分からず、アイディーはぎゅっと強くヨザックの手を握って、キツく目を閉じた。唇にかさついた柔らかいものが触れた。アイディーの唇に触れているヨザックの唇が離れ、またアイディーの唇にくっつき、ちゅっと微かな音を立てて唇を軽く吸われる。全然不快ではない。心臓が耳のすぐ横にあるんじゃないかという程、自分の心音が煩く感じる。ヨザックの唇がまた離れたので、アイディーは反射的に止めていた息を吐いた。ほんの少しだけ開けているアイディーの唇にまたヨザックの唇が触れる。下唇を軽く吸われた。
ヨザックと唇を触れあわせながら、アイディーはそっと目を開けた。超至近距離にヨザックの鳶色の瞳がある。ヨザックはどうやらずっとアイディーを見ていたようである。アイディーはヨザックの瞳を見つめながら、小さく、はぁ、と震える吐息を吐いた。自分の唇にヨザックの唇が触れているのが何故だか気持ち良くて、ドキドキして、アイディーは自分からヨザックの唇を軽く吸った。ヨザックが目を細めた。唇にぬるっとした感触を感じた。ヨザックの舌がアイディーの下唇をゆっくり這っている。アイディーはまた微かに震える吐息を吐いた。くちゅっと小さな音を立てて、また唇をヨザックに軽く吸われる。アイディーも触れているヨザックの唇を軽く吸った。
アイディーはヨザックとキスをしながら、自然とヨザックと指を絡めあっていた。
「……アイディー」
唇を触れあわせたまま、ヨザックが本当に小さな声でアイディーの名前を呼んだ。アイディーが絡めた指に少しだけ力を入れると、同じくらいの力でヨザックも指に力を入れ、ぎゅっと指を絡めたまま、また小さな音を立ててアイディーの唇を軽く吸った。
ミケーネが自分の身体の上で寝ていることも忘れて、アイディーはヨザックとのキスに夢中になっていた。
何度も互いに唇を優しく吸い合っていると、突然玄関の呼び鈴が聞こえていた。アイディーはビクッと微かに身体を震わせた。触れていたヨザックの唇が離れていく。
「……客か?」
「……さぁ?客が来るなんて聞いてねぇし、この家を訪ねてくるのなんて先輩くらいだぜ。とりあえず行ってくる」
「俺も念のため行くわ」
「おう」
ついさっきまでのアイディー的には非日常な空気が霧散した。起き上がったヨザックが、そっと慎重に眠るミケーネを抱き上げ、アイディーが起き上がると毛布でミケーネの身体をくるんで、ゆっくり慎重にミケーネを分厚いもこもこのカーペットの上に寝かせた。ミケーネが寝ていることを確認すると、アイディーはヨザックと共に静かに玄関へと向かった。
ーーーーーー
アイディーが玄関のドアを開けると、そこには2人の青年が立っていた。1人は中背中肉の、頬にソバカスがある眼鏡をかけた男で、もう1人は小柄でほっそりとした、まるで小動物のような雰囲気の庇護欲をそそられそうな可愛らしい美青年である。
アイディーは少し俯いている美青年の顔を見て、あ、と声を出した。
「不審者じゃねぇか」
「……不審者は君じゃないか」
俯いたまま眉間に皺を寄せて、美青年がボソッと言った。その美青年の頭を眼鏡の男がパシンッと叩いた。
「いったぁ!?」
「ハルファ。お前、ここに来た理由忘れたのか?」
「うぐっ……」
「突然訪ねて申し訳ない。僕はディータ・イースト。こっちの不貞腐れているのがハルファ・パール」
「アイディー・クラバット。この家の家政夫」
「ヨザック・ティタン。見ての通り、軍人だ」
「……家政夫……?」
美青年ハルファがポカンとアイディーを見上げた。ディータがそんなハルファの頭をガッと掴み、ぐいっと頭を下げさせ、自分も頭を下げた。
アイディーはキョトンとして、頭を下げる2人を見下ろした。
「このお馬鹿ちんが本当に申し訳ないことを……」
「いやいや。ちょっと待ってくれよ。その前にアンタ達何者だよ」
「……僕は、僕は……ミケーネの……ミケーネの父親、だった……」
ハルファが泣きそうに震えている小さな声で、そう言った。アイディーは思わず隣に立つヨザックと目を見合わせた。
無言で俯いているハルファの代わりに今回の訪問の理由を説明してくれたディータによると、離婚してからずっとディータの家に引きこもっていたハルファが、たまたまアイディーに抱っこされていたミケーネの姿を見かけたそうだ。似合わない女装をした厳つい犯罪者のようなおかしな男が息子を抱っこして歩いているのを見て、心配でいても立ってもいられず、ミケーネが大丈夫なのかをこっそり探ろうとしていたらしい。ところがミケーネが本当に大丈夫なのかを確認できる前に、ロバートの家を出入りする軍人の姿を見かけるようになったので、ロバートの家に来れなくなった。ロバートには、ハルファが様子を見に来ている事を絶対に知られたくなかったらしい。それを最近知ったディータが、ハルファが間違いなく不審者と思われていると思い、アイディー達に不安にさせたことへの謝罪をし、直接ミケーネの現状を聞く為に来たそうだ。ちなみにディータはハルファの親友らしい。
アイディーはなんとなく納得して、俯いたまま自分のシャツを両手で握りしめているハルファを見た。
「そんなに気になるんだったらよー。坊っちゃんと会っていけばいんじゃね?今、昼寝してっけど」
「…………それはできない。僕は……僕は、ミケーネを捨てたんだ……」
ハルファがボタボタと大粒の涙を溢し始めた。ディータが少し困ったように眉を下げ、ハルファの背中を擦った。
「すいません。その、まだ安定してなくて……」
「安定?」
「離婚の理由は聞いてますか?」
「聞いてねぇ」
「……分かりやすく言うと、ハルファが酷い育児ノイローゼになってしまって……その、今は心が疲れきっていて、まだ癒えていないんです」
「あぁ。なるほど」
アイディーは俯いて小さく嗚咽を上げているハルファを見下ろした。ハルファはかなり痩せていて、目の下には隈もある。よくよく見れば、肌もかさついていた。
アイディーは少し考え、玄関先で3人に少し待ってもらい、自室に戻って端末と保管していた求人表の写しと雇用契約書の控えを取って、玄関へと戻った。
アイディーは雇用契約書をペラッとハルファとディータに見せた。
「ほい。これ家政夫の証拠。あ、こっちは求人表の写しな」
涙を流しながら視線を上げ、求人表を見たハルファがポカンと口を開けた。暫しの沈黙の後、ハルファがボソッと呟いた。
「馬鹿なの?」
「馬鹿だよな」
アイディーが力強く同意すると、ハルファが大きな溜め息を吐いた。
「……ダメな人だなぁとは思ってたけど……これはあんまりでしょ……」
「アンタ、ダメ親父なのが分かってて結婚したのか?マジで物好きだな」
「ダメな大人って気づいたのは結婚した後だよ。恋人だった時は素敵に見えてたんだ」
「マジかよ。馬鹿で情けなくて変態なオッサンなのに。あ、あれか。顔か」
「……顔もだけど、ロバートは優しいじゃない」
「……まぁ?」
「正直結婚前もちょっと情けないなって思ってたけど、だから僕が側にいなきゃって思っちゃって」
「あ、それダメなやつじゃん。ダメ男を甘やかしちゃう典型的思考だろ」
「……否定ができないんだよねぇ」
また大きな溜め息を吐いたハルファの涙は止まっていた。頭が痛いとでも言うかのように自分のこめかみを揉んでいるハルファの顔を、アイディーはじっと見た。
ミケーネはあまりロバートに似ていないと思っていたが、どうやら全面的にハルファに似たらしい。特にパッチリとした目元がそっくりである。
ハルファがどんよりとした目でアイディーを見た。
「何で君、こんな馬鹿な求人受けちゃったの?」
「あ?金の為。クソ以下のクソ親父のせいで馬鹿みてぇな額の借金があんだよ」
「……そう。君、何歳?」
「17」
「17歳の子に常に女装させてセックスまでやってるわけ?あのダメ大人」
「おう。つっても夜の仕事は2回しかしてねぇけど」
「え?ロバートめちゃくちゃ性欲強いのに?」
「あ?本人は淡白っつってたぞ」
「……うーん……ロバート、君の事情知ってるの?」
「おう」
「あー……それ、あれだよ。絶対にやらかした後に後悔したってパターン」
「あ?」
「ロバートさ、すっごい仕事はできるらしいんだけど、それ以外は本当に何もできないんだよね。おまけに考えなしなところもあるから、すぐに色々やらかすの。お酒も弱いし。でも根はすごく優しいから、特に人間関係絡みだと後から本当にめちゃくちゃ凹むんだ。多分、ヤっちゃった後に君の事情を思いだして最低なことしたって反省したんじゃないかな」
「ふーん。よく分かるな」
「……まぁ、3年は伴侶してたし……」
「なるほど。まぁ俺の方はそんな感じっつーことで納得してもらえっか?」
「うん……その、本当にごめんなさい」
「あ?何が?」
「その……不審者みたいなことして……君に対して、すごく失礼で酷いことばかり考えちゃって……本当に申し訳ない……」
泣き止んでいたハルファの瞳がまた泣きそうにうるうるし始めたので、アイディーはハルファの額にデコピンをした。ビシッと中々に派手な音がした。
「いたぁっ!?え?え?ちょっ、いた、本気でいたいぃ……」
ハルファが自分の額を両手で押さえながら、涙目でアイディーを見上げた。
「これでチャラな」
「え……?」
「坊っちゃん、わりかし最近自分でスプーンとフォーク使って食うようになったぜ」
「…………」
「去年の秋の終わりに比べりゃ、結構重くなってる」
「……ちゃんと、寝れてる?」
「おう。年明けのちょい前から一緒に寝てんだわ。一緒に寝ると起きても殆んど泣かねぇよ」
「……ミケーネ、泣いてない?笑ってる?」
「さっきも昼寝の前まで先輩と遊んで、めちゃくちゃ笑ってたぜ」
「……そう……」
ハルファが泣きそうな顔で笑った。アイディーはワンピースのポケットから端末を取り出した。
「アンタ、今端末持ってっか?」
「え?あ、うん」
「連絡先を交換したら、今ならもれなく坊っちゃんの写真が手に入るぜ」
アイディーが自分の端末を見せながら言うと、ハルファがキョトンとした顔でアイディーの顔を見上げた。そして、大粒の涙を溢しながら、くしゃくしゃの笑顔を見せた。
ハルファとディータが帰った後、ヨザックと一緒に大急ぎで居間に戻ると、幸いミケーネはまだ寝ていた。
ほっとしたアイディーは、端末でミケーネの寝顔の写真を撮り、早速ハルファの端末に送った。ハルファからすぐに返信がきた。
『ありがとう』
アイディーはヨザックにその文面を見せ、ニッと笑った。ヨザックがクックッと楽しそうに笑って、アイディーの頭をガシガシ撫でた。
何はともあれ、不審者問題は無事に解決した。
年末年始の休みが終わり、ロバートが出勤するようになって10日程経つ。昼過ぎに久しぶりにヨザックが訪ねてきた。まだまだ観光客が多い修羅場期間の真っ最中ではあるが、なんとか半日の休みをもぎ取ったらしい。玄関で出迎えたアイディーに、家で寝ているだけよりもここに来た方が心が癒えると、ヨザックが疲れを滲ませた顔で笑った。
ミケーネとぬいぐるみを戦わせて遊んでいるヨザックは、本当に楽しそうである。ヨザックと会うのは、アイディーの誕生日の夜以来だ。アイディーはヨザックの顔を見た瞬間から、なんだかそわそわして落ち着かない気持ちになった。ミケーネに負けてやったヨザックに、ミケーネが嬉しそうな笑い声を上げながら抱きついた。ヨザックに抱き締められたミケーネが、笑顔ですぐ側にいるアイディーに嬉しそうに手を伸ばした。
「あーちゃん!かったー!」
「おーう。見てたぜ、坊っちゃん。見事な勝ちっぷりだったな」
「うひっ」
アイディーが笑って褒めて、ミケーネの小さな手を握り軽く上下に振ると、ミケーネが楽しそうに笑った。
ヨザックが笑顔でミケーネの頭を撫でた。
「ミー坊。そろそろお昼寝の時間だな」
「やぁだ!」
「俺も一緒にお昼寝するぞ」
「よーちゃんも?」
「おう」
「んーー。ねんねする」
「いい子だなぁ。ミー坊」
「うひっ」
アイディーは胡座をかいて座っているヨザックの膝の上にいるミケーネを抱き上げ、仰向けに寝転がって自分の身体の上にミケーネをのせ、昼寝用の毛布をミケーネの身体の上にかけた。ヨザックがアイディーのすぐ隣に寝転がったので、身体の上の毛布を引っ張り、ヨザックの身体にも毛布を掛ける。ぴったりくっついているヨザックの体温と微かに香る男物の爽やかな練り香の香りに心臓が跳ねる。アイディーは何故かドキドキと激しく動く自分の心臓に気づかないフリをする為に、ミケーネの背中を優しくポンポンしながら、ミケーネが好きな歌を歌い始めた。
ミケーネが穏やかな寝息を立て始めると、ヨザックのゴツくて固い手がアイディーの手に触れ、きゅっと優しく手を握られた。思わずドキッとするアイディーに、ヨザックがクックッと小さく笑いながら、囁いた。
「やっと意識してくれたな」
「…………別に、そんなんじゃねぇし」
「ふーん?」
「……なんだよ」
「顔、真っ赤だぜ。ハニー」
「………………うっせぇ」
ヨザックの楽しそうな小さな笑い声に、顔だけじゃなくて耳まで熱くなってくる。何だこれ。
気まずくて、アイディーがヨザックの方を向いてジロッと睨めば、ヨザックが益々楽しそうに笑った。何でだ。
アイディーの方を向いて横向きに寝転がっているヨザックが、アイディーに顔を少し近づけ、アイディーの鼻の頭に自分の鼻先を軽く擦りつけた。
すぐ近くにあるヨザックの鳶色の瞳から目が離せない。
「……なぁ、キスしていいか?」
「………………」
心臓がバクバク暴れだして、どう反応していいのか分からず、アイディーはぎゅっと強くヨザックの手を握って、キツく目を閉じた。唇にかさついた柔らかいものが触れた。アイディーの唇に触れているヨザックの唇が離れ、またアイディーの唇にくっつき、ちゅっと微かな音を立てて唇を軽く吸われる。全然不快ではない。心臓が耳のすぐ横にあるんじゃないかという程、自分の心音が煩く感じる。ヨザックの唇がまた離れたので、アイディーは反射的に止めていた息を吐いた。ほんの少しだけ開けているアイディーの唇にまたヨザックの唇が触れる。下唇を軽く吸われた。
ヨザックと唇を触れあわせながら、アイディーはそっと目を開けた。超至近距離にヨザックの鳶色の瞳がある。ヨザックはどうやらずっとアイディーを見ていたようである。アイディーはヨザックの瞳を見つめながら、小さく、はぁ、と震える吐息を吐いた。自分の唇にヨザックの唇が触れているのが何故だか気持ち良くて、ドキドキして、アイディーは自分からヨザックの唇を軽く吸った。ヨザックが目を細めた。唇にぬるっとした感触を感じた。ヨザックの舌がアイディーの下唇をゆっくり這っている。アイディーはまた微かに震える吐息を吐いた。くちゅっと小さな音を立てて、また唇をヨザックに軽く吸われる。アイディーも触れているヨザックの唇を軽く吸った。
アイディーはヨザックとキスをしながら、自然とヨザックと指を絡めあっていた。
「……アイディー」
唇を触れあわせたまま、ヨザックが本当に小さな声でアイディーの名前を呼んだ。アイディーが絡めた指に少しだけ力を入れると、同じくらいの力でヨザックも指に力を入れ、ぎゅっと指を絡めたまま、また小さな音を立ててアイディーの唇を軽く吸った。
ミケーネが自分の身体の上で寝ていることも忘れて、アイディーはヨザックとのキスに夢中になっていた。
何度も互いに唇を優しく吸い合っていると、突然玄関の呼び鈴が聞こえていた。アイディーはビクッと微かに身体を震わせた。触れていたヨザックの唇が離れていく。
「……客か?」
「……さぁ?客が来るなんて聞いてねぇし、この家を訪ねてくるのなんて先輩くらいだぜ。とりあえず行ってくる」
「俺も念のため行くわ」
「おう」
ついさっきまでのアイディー的には非日常な空気が霧散した。起き上がったヨザックが、そっと慎重に眠るミケーネを抱き上げ、アイディーが起き上がると毛布でミケーネの身体をくるんで、ゆっくり慎重にミケーネを分厚いもこもこのカーペットの上に寝かせた。ミケーネが寝ていることを確認すると、アイディーはヨザックと共に静かに玄関へと向かった。
ーーーーーー
アイディーが玄関のドアを開けると、そこには2人の青年が立っていた。1人は中背中肉の、頬にソバカスがある眼鏡をかけた男で、もう1人は小柄でほっそりとした、まるで小動物のような雰囲気の庇護欲をそそられそうな可愛らしい美青年である。
アイディーは少し俯いている美青年の顔を見て、あ、と声を出した。
「不審者じゃねぇか」
「……不審者は君じゃないか」
俯いたまま眉間に皺を寄せて、美青年がボソッと言った。その美青年の頭を眼鏡の男がパシンッと叩いた。
「いったぁ!?」
「ハルファ。お前、ここに来た理由忘れたのか?」
「うぐっ……」
「突然訪ねて申し訳ない。僕はディータ・イースト。こっちの不貞腐れているのがハルファ・パール」
「アイディー・クラバット。この家の家政夫」
「ヨザック・ティタン。見ての通り、軍人だ」
「……家政夫……?」
美青年ハルファがポカンとアイディーを見上げた。ディータがそんなハルファの頭をガッと掴み、ぐいっと頭を下げさせ、自分も頭を下げた。
アイディーはキョトンとして、頭を下げる2人を見下ろした。
「このお馬鹿ちんが本当に申し訳ないことを……」
「いやいや。ちょっと待ってくれよ。その前にアンタ達何者だよ」
「……僕は、僕は……ミケーネの……ミケーネの父親、だった……」
ハルファが泣きそうに震えている小さな声で、そう言った。アイディーは思わず隣に立つヨザックと目を見合わせた。
無言で俯いているハルファの代わりに今回の訪問の理由を説明してくれたディータによると、離婚してからずっとディータの家に引きこもっていたハルファが、たまたまアイディーに抱っこされていたミケーネの姿を見かけたそうだ。似合わない女装をした厳つい犯罪者のようなおかしな男が息子を抱っこして歩いているのを見て、心配でいても立ってもいられず、ミケーネが大丈夫なのかをこっそり探ろうとしていたらしい。ところがミケーネが本当に大丈夫なのかを確認できる前に、ロバートの家を出入りする軍人の姿を見かけるようになったので、ロバートの家に来れなくなった。ロバートには、ハルファが様子を見に来ている事を絶対に知られたくなかったらしい。それを最近知ったディータが、ハルファが間違いなく不審者と思われていると思い、アイディー達に不安にさせたことへの謝罪をし、直接ミケーネの現状を聞く為に来たそうだ。ちなみにディータはハルファの親友らしい。
アイディーはなんとなく納得して、俯いたまま自分のシャツを両手で握りしめているハルファを見た。
「そんなに気になるんだったらよー。坊っちゃんと会っていけばいんじゃね?今、昼寝してっけど」
「…………それはできない。僕は……僕は、ミケーネを捨てたんだ……」
ハルファがボタボタと大粒の涙を溢し始めた。ディータが少し困ったように眉を下げ、ハルファの背中を擦った。
「すいません。その、まだ安定してなくて……」
「安定?」
「離婚の理由は聞いてますか?」
「聞いてねぇ」
「……分かりやすく言うと、ハルファが酷い育児ノイローゼになってしまって……その、今は心が疲れきっていて、まだ癒えていないんです」
「あぁ。なるほど」
アイディーは俯いて小さく嗚咽を上げているハルファを見下ろした。ハルファはかなり痩せていて、目の下には隈もある。よくよく見れば、肌もかさついていた。
アイディーは少し考え、玄関先で3人に少し待ってもらい、自室に戻って端末と保管していた求人表の写しと雇用契約書の控えを取って、玄関へと戻った。
アイディーは雇用契約書をペラッとハルファとディータに見せた。
「ほい。これ家政夫の証拠。あ、こっちは求人表の写しな」
涙を流しながら視線を上げ、求人表を見たハルファがポカンと口を開けた。暫しの沈黙の後、ハルファがボソッと呟いた。
「馬鹿なの?」
「馬鹿だよな」
アイディーが力強く同意すると、ハルファが大きな溜め息を吐いた。
「……ダメな人だなぁとは思ってたけど……これはあんまりでしょ……」
「アンタ、ダメ親父なのが分かってて結婚したのか?マジで物好きだな」
「ダメな大人って気づいたのは結婚した後だよ。恋人だった時は素敵に見えてたんだ」
「マジかよ。馬鹿で情けなくて変態なオッサンなのに。あ、あれか。顔か」
「……顔もだけど、ロバートは優しいじゃない」
「……まぁ?」
「正直結婚前もちょっと情けないなって思ってたけど、だから僕が側にいなきゃって思っちゃって」
「あ、それダメなやつじゃん。ダメ男を甘やかしちゃう典型的思考だろ」
「……否定ができないんだよねぇ」
また大きな溜め息を吐いたハルファの涙は止まっていた。頭が痛いとでも言うかのように自分のこめかみを揉んでいるハルファの顔を、アイディーはじっと見た。
ミケーネはあまりロバートに似ていないと思っていたが、どうやら全面的にハルファに似たらしい。特にパッチリとした目元がそっくりである。
ハルファがどんよりとした目でアイディーを見た。
「何で君、こんな馬鹿な求人受けちゃったの?」
「あ?金の為。クソ以下のクソ親父のせいで馬鹿みてぇな額の借金があんだよ」
「……そう。君、何歳?」
「17」
「17歳の子に常に女装させてセックスまでやってるわけ?あのダメ大人」
「おう。つっても夜の仕事は2回しかしてねぇけど」
「え?ロバートめちゃくちゃ性欲強いのに?」
「あ?本人は淡白っつってたぞ」
「……うーん……ロバート、君の事情知ってるの?」
「おう」
「あー……それ、あれだよ。絶対にやらかした後に後悔したってパターン」
「あ?」
「ロバートさ、すっごい仕事はできるらしいんだけど、それ以外は本当に何もできないんだよね。おまけに考えなしなところもあるから、すぐに色々やらかすの。お酒も弱いし。でも根はすごく優しいから、特に人間関係絡みだと後から本当にめちゃくちゃ凹むんだ。多分、ヤっちゃった後に君の事情を思いだして最低なことしたって反省したんじゃないかな」
「ふーん。よく分かるな」
「……まぁ、3年は伴侶してたし……」
「なるほど。まぁ俺の方はそんな感じっつーことで納得してもらえっか?」
「うん……その、本当にごめんなさい」
「あ?何が?」
「その……不審者みたいなことして……君に対して、すごく失礼で酷いことばかり考えちゃって……本当に申し訳ない……」
泣き止んでいたハルファの瞳がまた泣きそうにうるうるし始めたので、アイディーはハルファの額にデコピンをした。ビシッと中々に派手な音がした。
「いたぁっ!?え?え?ちょっ、いた、本気でいたいぃ……」
ハルファが自分の額を両手で押さえながら、涙目でアイディーを見上げた。
「これでチャラな」
「え……?」
「坊っちゃん、わりかし最近自分でスプーンとフォーク使って食うようになったぜ」
「…………」
「去年の秋の終わりに比べりゃ、結構重くなってる」
「……ちゃんと、寝れてる?」
「おう。年明けのちょい前から一緒に寝てんだわ。一緒に寝ると起きても殆んど泣かねぇよ」
「……ミケーネ、泣いてない?笑ってる?」
「さっきも昼寝の前まで先輩と遊んで、めちゃくちゃ笑ってたぜ」
「……そう……」
ハルファが泣きそうな顔で笑った。アイディーはワンピースのポケットから端末を取り出した。
「アンタ、今端末持ってっか?」
「え?あ、うん」
「連絡先を交換したら、今ならもれなく坊っちゃんの写真が手に入るぜ」
アイディーが自分の端末を見せながら言うと、ハルファがキョトンとした顔でアイディーの顔を見上げた。そして、大粒の涙を溢しながら、くしゃくしゃの笑顔を見せた。
ハルファとディータが帰った後、ヨザックと一緒に大急ぎで居間に戻ると、幸いミケーネはまだ寝ていた。
ほっとしたアイディーは、端末でミケーネの寝顔の写真を撮り、早速ハルファの端末に送った。ハルファからすぐに返信がきた。
『ありがとう』
アイディーはヨザックにその文面を見せ、ニッと笑った。ヨザックがクックッと楽しそうに笑って、アイディーの頭をガシガシ撫でた。
何はともあれ、不審者問題は無事に解決した。
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