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15:新しい年の始まり

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アイディーはふにふにと胸のあたりを擽られるような感覚で沈んでいた意識が浮上した。目を開けてみれば、アイディーの身体の上で俯せで寝ているミケーネが、アイディーの胸の辺りでアイディーの胸を揉むように、ふにふに手を動かしていた。穏やかな寝息を立てているので、無意識にやっているのだろう。頭を少し動かしてベッドのヘッドボードの上の時計を見れば、いつも起きる時間より少し早い時間である。

アイディーは眠るミケーネの背中を左手で優しく撫でながら、右手を自分の鼻に近づけ、匂いを嗅いだ。寝る前に塗った手荒れに効くクリームの香りは殆んど消えている。少し残念に思いながら、アイディーはあかぎれが少しだけマシになってきている自分の右手をじっと見た。
ヨザックの好意が冗談ではなく本気だと知ってから、なんとなく気持ちが浮き足立っている気がする。男とどうこうなる気なんて更々なかったアイディーだが、ヨザックの好意は全然嫌ではないし、多分嬉しいのだと思う。多分。ヨザックは本気で忙しいらしく、アイディーの誕生日の夜に会って以来、この家に来ていない。端末には1度だけヨザックから連絡があったが、ヨザックが忙しいと分かっているから、アイディーからは端末で連絡することをしていない。
アイディーはゴツい自分の手を見ながら、ぼんやりと、初めてのセックスの相手がヨザックなら良かったのに、と思った。ヨザック相手なら、多少痛くても、きっと笑ってじゃれ合って、それなりにいい思い出になったのかもしれない。ヨザックには求人表を見せたので、ヨザックはアイディーがロバートの夜の相手もしていることを知っている。ヨザックは金の為に男に抱かれているアイディーでも、本当にいいのだろうか。
アイディーよりも少し低い体温のヨザックのゴツい手の感触を思い出すと、なんだかじんわり胸が温かくなる。ヨザックにいつものように頭をガシガシ撫でてもらいたい。そう思う自分はヨザックのことが好きなのだろうか。初恋もまだなアイディーにはよく分からない。

アイディーは布団から出していた手を温かい布団の中に戻し、目を閉じた。今日は新しい年の初日である。今日くらいは少し寝坊しても構わないだろう。

アイディーは数日前のガーディナの誕生日の夜から、毎晩ミケーネと一緒に寝ている。ガーディナとはいつも一緒に寝ていた。自分の誕生日のことは当日は素で忘れていたが、ガーディナの誕生日は忘れなかった。誕生日当日にガーディナに届くように、誕生日プレゼントの手袋と手紙を送った。ガーディナの誕生日の日はやけに感傷的な気分になってしまい、アイディーはミケーネに一緒に寝てくれないかと頼んだ。1人で寝るのが、どうしても寂しかったのだ。ミケーネは笑顔で頷いてくれた。一緒に寝ると、ミケーネはいつものように夜泣きをしなかった。夜中に目が覚めても、少しだけふんふん言うくらいで、アイディーが優しく背中をポンポンしていると、泣かずにまた眠ってしまった。それからアイディーは毎晩ミケーネと寝るようになった。お陰でアイディーの睡眠時間が少し長くなった。
アイディーは大きな欠伸を1つして、ミケーネの温かい体温と穏やかな寝息に導かれるようにして、再び眠りに落ちた。





ーーーーーー
いつもより2時間近く朝寝坊をしたアイディーがミケーネを抱っこして1階の居間に行くと、ロバートがソファーで寝ていた。昨夜は年越しだったので、ロバートは夕食の時からずっと酒を飲んでいた。アイディーがミケーネと寝る為に自室に引っ込んでからも飲んでいたのだろう。空になった酒瓶がいくつもソファーの周りに転がっていた。居間が酒臭い。ミケーネが嫌がるように唸って、アイディーにぎゅっと抱きついた。
アイディーはだらしない格好と顔で寝ているオッサンに呆れて、すたすたと窓の方へ移動し、容赦なく窓を全開にした。すぐに冷たい空気が室内へと入ってくる。アイディーは朝食を作る前にミケーネを厚着させようと、窓を全開にしたまま2階へと戻った。


「ぶえっくしょん!」

「うわ。きったねぇ」

「ずずっ。お前が窓を開けっ放しにしていたからだろ」

「酒くせぇ部屋に坊っちゃんを居させる訳にはいかねぇだろ」

「せめて毛布くらい掛けてくれてもよくないか?」

「つーか、まだ飲むのかよ」

「身体が冷えたから温めるんだよ」

「飲みてぇだけだろ」

「うん」


アイディーは呆れて、朝から酒を飲むロバートを眺めた。ロバートに毛布を掛けてやるのを忘れていたせいか、起きてからロバートは何度もくしゃみをしている。風邪を引かれても面倒だから、朝食を急遽生姜をきかせた鶏肉と卵の雑炊にしたのだが、ロバートは雑炊を食べながら、また酒を飲みだした。普段、ロバートは自室以外では酒を飲まない。昨夜は年越しだったし、今は新年の祝いということなのだろう。多分。生姜抜きの雑炊を少しずつスプーンで食べるミケーネを時折手伝いながら、アイディーも温かい朝食をのんびり食べる。

ロバートがまた酔っているのか、少しとろんとした目でアイディーを見た。


「お前も飲むか?」

「あ?いい。酒なんて飲んだことねぇし」

「ん?成人の祝いで飲まなかったのか?」

「飲んでねぇ。俺のじいちゃん下戸だったし。別に酒に興味ねぇし。酒買う金があったら肉とかお菓子買いたかったからよぉ」

「ふーん」

「程々にしとけよ、旦那様。つーか、酒くせぇ状態で坊っちゃんに近づくなよ。坊っちゃんが嫌がっから」

「ひどい」

「ひどくねぇ」

「……ひどい……う、う、うぇ……」

「……まさかの泣き上戸かよ。めんどくせぇ」


アイディーはいきなりぐずぐず泣き出したロバートに溜め息を吐いた。ロバートは相当酔っているようである。泣きながら雑炊を食べつつ、酒を飲んでいる。泣くくらいなら酒を飲まなければいいのに。ロバートは面倒臭いダメなオッサンをものすごく適当に慰めつつ、朝食を済ませ、ミケーネをおんぶ紐でおんぶしてから片付けをしに台所へと移動した。

ミケーネが好きな歌を歌いながら洗濯物を干し終え、ミケーネと手を繋いで2人で歩いて居間に戻ると、ロバートがまたソファーで寝ていた。アイディーは仕方がないので2階のロバートの部屋から毛布を持ってきて、眠るロバートにきっちり毛布を掛けてやった。換気の為に居間の窓を全て半分開けてから、アイディーは壁の時計を見た。普段なら午前のおやつを食べている時間だが、今日は朝食がいつもよりかなり遅かったので、ミケーネはお腹が空いていないだろう。温かい蜂蜜入りの豆乳だけ飲ませようと、アイディーはミケーネをおんぶして、台所へと移動した。

ミケーネと遊びながらのんびり過ごし、昼食も普段より遅めの時間に用意した。昨夜は年越しということで、料理本に載っていた普段よりも豪勢な料理に挑戦した。今夜も一応新年の祝いということで、料理本片手に頑張る予定である。昼食はあえて簡単な軽めのものを作った。
ミケーネが最近お気に入りなすり下ろした人参を入れたパンケーキと目玉焼き、カボチャをメインに色んな野菜を入れたポタージュスープ、果物のヨーグルト和えを食堂のテーブルに並べていると、ボサボサ頭のロバートがのろのろと食堂にやって来た。ロバートは年末年始の休みに入ってから髭を剃っていないので、髭が伸びて小汚くなっている。


「おはようさん、旦那様」

「……うん」

「お茶飲むだろ?」

「……珈琲がいい」

「おーう」


アイディーは台所へ行き、おんぶしているミケーネに歌ってやりながら、手早く珈琲を淹れた。ちゃっかり自分の分の珈琲も淹れる。ロバートは何も入れずに珈琲を飲むが、アイディーはいつも練乳をたっぷり入れている。練乳はそこそこ高いので、ロバートに雇われてから初めて買って食べた。パンに塗っても美味しいが、アイディーは珈琲に入れるのが1番のお気に入りだ。
珈琲が入ったマグカップを両手に持ち、アイディーが食堂へ戻ると、ロバートはテーブルの上にぐったり突っ伏していた。


「旦那様。大丈夫か?」

「……だいじょばない」

「飲み過ぎだろ」

「……迎え酒……」

「まだ飲む気かよ」


アイディーは呆れて、ぐったりしているロバートの近くに珈琲が入ったマグカップを置いた。のろのろとロバートが伏せていた上体を起こし、マグカップを両手で持って、ふーふーと熱い珈琲に息を吹きかけた。ロバートは猫舌なので、あまり熱いものはすぐに飲み食いできない。
アイディーはおんぶをしていたミケーネを下ろし、自分の膝に座らせた。ミケーネは最初の頃に比べると、格段に自分から食事をとってくれるようになった。フォークやスプーンも使えるようになった。ロバートが買った犬のフォークとスプーンをいつも使っている。ミケーネの少しずつの成長が素直に嬉しい。
アイディーはミケーネと一緒に昼食を食べながら、ぼーっとマグカップを見下ろしているロバートに声をかけた。


「食えねぇなら粥でも作るか?」

「……いい。食べる」

「あ?別に無理しなくていいぞ」

「……食べる」


ロバートはぼんやりした顔のまま、ナイフとフォークを手に取り、パンケーキを食べ始めた。
ロバートが食事を残したことはない。弁当もいつもキレイに食べて、完全に空の弁当箱を持って帰ってくる。アイディーが何を作っても、文句を言ったこともない。本人が気づいているかは知らないが、好物と思わしき料理を作ると、子供のように眼を輝かせる。苦手なものの時は眉を情けなく下げる。それでも料理を残したり、文句を言ったりはしない。そういう躾がされていたのだろうか。ロバートは割と表情に出やすいので、とても分かりやすく、アイディーとしては楽である。
今ものろのろと食べているが、ロバートも人参のパンケーキが好きなので、目だけは少しシャッキリしており、人参のパンケーキから視線を反らさない。誰も盗らないのだから、そんなにパンケーキばかり見つめなくてもいい気がする。子供か。
アイディーも、普段よりものろのろなロバートと食事にまだ時間がかかるミケーネに合わせて、のんびり昼食を食べた。





ーーーーーー
昼食の後片付けを終え、ロバートも含めた3人で少し遊ぶと、ミケーネの昼寝の時間になった。
アイディーはいつものように仰向けに寝転がり、ミケーネを自分の身体の上に乗せ、優しくミケーネの背中をポンポンしながら歌い始めた。

ミケーネがうとうとし始めた頃。
ソファーに座っているロバートがのろのろと近づいてきた。歌うのを止めずにロバートを見上げると、ロバートがアイディー達のすぐ側にしゃがんだ。お山座りをして、視線を床に向けているロバートがボソッと呟いた。


「……俺も一緒に寝る」


ロバートはそう言うなり、コロンと寝転がって、アイディーの片腕に両手を絡めた。何やってんだ。このオッサン。
ミケーネがあと少しで完全に寝落ちそうなので、アイディーは歌うのを止めるつもりがない。アイディーは歌いながら、変なものを見る目でロバートを見た。本当に何やってんだ。このオッサン。
ロバートはアイディーの腕をまるで抱き枕のように抱き締め、すぐに寝息を立て始めた。何だ、このオッサン。
ロバートは体つきが貧相なので、振り払おうと思えば普通にできるが、なんとなく面倒なことになりそうな気がしたから、アイディーはそのままロバートの好きにさせることにした。別に普通に寝ているだけなら害はない。
ミケーネごと身体の上にかけていた毛布をなんとか片手でロバートにもかけてやり、アイディーは大きく欠伸をした。昼寝から起きたらミケーネのおやつを作り、洗濯物を取り込んで、夕食を作らねば。世間一般は新年の祝いで浮かれているのだろうが、アイディーにとっては普通に仕事な日常と大して変わらない。やることは沢山ある。アイディーはミケーネの子供体温な温もりと、酒臭いロバートの体温を感じながら、束の間の眠りに落ちた。 

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