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7:オッサン仕事に行く

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アイディーはミケーネを抱っこしたまま、玄関先でロバートに弁当を渡した。


「ほい。弁当。今日は定時で帰んのか?」

「あぁ」

「りょーかい。坊っちゃん。いってらっしゃいしな」

「やー」

「ほれ。ばいばーい、だぜ」

「むーー」

「ほーれ。坊っちゃん。パパにばいばーい」

「……い」


アイディーに抱っこされているミケーネがロバートに小さく手を振った。ロバートが小さく笑って、ミケーネの頬にキスをした。


「……いってくる。ミケーネ」

「んー」

「……ミケーネを頼んだぞ」

「おーう。しっかり稼いできてくれや。いってらっしゃい」

「……いってくる」


ロバートが何やら口をむにむにさせて、アイディー達に背を向けて歩きだした。玄関先から出勤するロバートを見送り、アイディーはミケーネに話しかけた。


「坊っちゃん。今日の昼飯は外で食おうぜ。俺達の分も弁当作ったんだ。ピクニックだぜ。ピクニック」

「ぴー?」

「めちゃくちゃ楽しいぜー。今日は天気もいいしよー。掃除やっちまったら、お出かけだぜ」

「あーい」

「お。素晴らしいお返事だぜ、坊っちゃん」

「うひっ」

「ふはっ。うりゃうりゃ」

「きゃーー」


アイディーはミケーネとじゃれあいながら、家の中へと入った。掃除を終わらせたら、街の広場へ行って、砂場で遊んで、その後はそのまま広場で弁当を食べる。アイディーはミケーネをおんぶ紐を使っておんぶしてから、ミケーネが好きな歌をノリノリで歌いながら、掃除に取りかかった。

ロバートが魔術研究所で働き始めて10日程経つ。
初対面では草臥れた小汚いオッサンだったロバートは、髭を剃り、髪を整えると、羨ましい程美形だった。弓なりの形がいい眉に、長い睫に縁取られた切れ長の目元、ヘーゼルナッツみたいな色の瞳。すっと通った鼻筋に、薄めの形のいい唇。各々のパーツがまるで計算され尽くされているのかのように、バランスよく配置された美しい顔をしている。人相が悪いとよく言われるアイディーからすると、本当に羨ましい。
ロバートがソファーでめそめそ泣いていた日の翌日。ロバートは魔術研究所に行き、再就職を決めてきた。その次の日から、平日は毎日仕事に行っている。

アイディーは何故かロバートから謝られた。しかし、ロバートが何に対して謝っているのかは分からなかった。『……悪かった』としか言われていないので。謝る理由をわざわざ聞くのも面倒臭かったので、『おう』とだけ言っておいた。
ロバートは仕事に行き始めてから、少しだけシャッキリしたような雰囲気になった。ぼんやりとした情けない馬鹿なオッサンにしか見えなかったが、どうやら本当に魔術師としてはすごいらしい。普通、アポ無しでふらっと行って再就職を決めて、翌日から出勤なんてあり得ないだろう。

ロバートとはまだ1度しかセックスをしていない。初めてセックスをした翌日に部屋に行ったら、『淡白な方だから頻繁には無理だ』と言われた。やらなくていいのなら、その方がアイディーとしても助かる。地味に痛くてキツかったし、ミケーネの夜泣きの対応もある。ミケーネと一緒に昼寝をしているが、少しでも夜の睡眠時間が長い方がいい。

ロバートがアイディーと一緒に、ミケーネと夕食後に遊ぶようになって、ミケーネが嬉しそうである。まだ遊びたいと寝るのを嫌がるが、それはそれでいいことな気がする。ミケーネはあんまりロバートに懐いていないようだったから。ロバートはアイディーのアドバイスを受けながら、不器用にミケーネと一緒に積み木をしたり、下手くそな歌を歌ってやったりしている。それで結構ミケーネが喜んで笑うので、ロバートのモチベーションが上がっているのか、夕食後はミケーネよりもロバートの方がそわそわしている。早くミケーネと遊びたいらしい。子供か。
仕事に行き始め、生活にメリハリができたお陰で、多分心に余裕ができたのではないだろうか。なんとなくだが、少しずつ、親子の関係がいい方向へ変化していっている気がする。

アイディーはご機嫌にミケーネと共に街の広場へと出掛けた。







ーーーーーー
ロバートは昼休憩の時間になると、いそいそと鞄から弁当が入った袋を取り出し、自分の机の上に弁当を広げた。今日の弁当は鶏肉の生姜焼き、甘い卵焼き、茸とベーコンを炒めたものに、キャベツの酢の物である。それと大人の拳程の大きさのおにぎりが3つ。昨日はおにぎりの中に甘辛く煮た牛肉が入っていた。今日は何が入っているのだろうか。
ロバートはなんだかむず痒さを感じながら、大きなおにぎりにかぶりついた。弁当を用意してもらうなんて、子供の頃以来かもしれない。魔術研究所に就職してからは、1度目の結婚の時も、昼食はずっと食堂を利用していた。程よい塩加減のおにぎりが素直に美味しい。
今日はアイディーとミケーネは何をしているのだろうか。昨日は買い物がてらの散歩の時に、散歩中の飼い犬を撫でさせてもらったと言っていた。大きいが大人しい犬で、ミケーネが近づいても、撫でても、吠えたりはしなかったそうだ。ミケーネは初めて撫でた犬が余程気に入ったのか、昨夜はずっと犬のぬいぐるみを抱き抱えていた。ミケーネが喜ぶのなら、犬を飼ってみるのもいい気がする。犬を飼うのに必要なものはどんなものなのだろうか。
ロバートはもぐもぐ咀嚼しながら、首を傾げた。


「よーっす。飯食いながら考え事か?ロバート」

「…………シャリーズ」


分厚い眼鏡をかけた背が高い男が、ふらっとロバートの机の側にやってきた。50年近く一緒に仕事をしていたシャリーズである。見た目は陰気な雰囲気だが、中身は割と明るい研究チームのムードメーカー的存在である。


「犬には何が必要だ?」

「犬を飼うのか?いいねー。可愛いよなぁ。でも、お前に世話できんの?」

「……世話……餌?」

「あとは毎日散歩させなきゃな。最初のうちはトイレの躾とかもあるだろうな」

「…………まじか」

「つーか、今日の弁当も旨そうだな。卵焼き1個くれ」

「断る」

「ケチ。例の愉快な家政夫ちゃんのお手製だろ?いいよなー。手作り弁当。家政夫ちゃんって可愛いのか?まぁ、可愛いよなぁ。お前、めちゃくちゃ面食いだし」

「犯罪者だ」

「は?」

「見た目がゴツくてむさい犯罪者」

「マジかよ。何?宗旨替えでもしたわけ?」

「……してない」

「ふーん。チビちゃんは懐いてんの?」

「あぁ。『あーちゃん』『あーちゃん』って、ずっとくっついてる」

「へぇー。……ふむ。よし。次の休みにお前ん家に遊びに行くわ」

「は?何故だ?」

「え?だって、お前んとこのチビちゃんまだ見てないし。つーか、『あーちゃん』も見てみたいし」

「……何故だ」

「単なる好奇心!」

「……別に面白いものなんてないぞ」

「いいんだよ。俺は多分面白いからさ。『あーちゃん』に女装させてんだって?やー。お前にそんな趣味があったとはなぁ」


シャリーズがニヤニヤ笑って、ロバートの頬をつんつん指先でつついた。ロバートは眉間に皺を寄せて、シャリーズの手を払った。


「……どこで聞いた」

「街で噂になってるって噂を食堂で聞いたんだよ。面白そうだから、ちょー見たい!」

「視覚の暴力だぞ?」

「はははっ。いいじゃーん。それはそれで面白いからな」

「悪趣味め」

「そう?……ふふっ」

「……何だ」

「いや?お前が戻ってきてくれてよかったなって。研究の進み具合が段違いだもんよ。ちょーっと余裕ができてきたし、遊びにも行けるってもんだぜ」

「…………」

「お。照れてる」

「……別に照れてない」

「照れてるー」

「やめろ。頬っぺたをつつくな。うっとおしい」

「次の休みって2日後だっけ?遊びに行くから『あーちゃん』にも伝えといてくれよ。あ、ついでに昼飯食わせて」

「…………分かった」

「ははーっ。たーのしみー……あ、そうそう。業務連絡があったから来たんだわ」

「ん?何だ」

「えっとなー……」


ロバートはシャリーズの話を聞きながら、再びおにぎりにかぶりついた。今日はマヨネーズが絡めてある鶏肉の唐揚げがおにぎりに入っている。素直に美味しい。
業務連絡が終わると、シャリーズと今やっている研究の話をしながら、ロバートはのんびり弁当を食べ終えた。







ーーーーーー
夕方。
定時になると、ロバートは魔術研究所の建物から出て、乗り合い馬車に乗り、中央の街まで戻った。魔術研究所は通称・魔術師街と呼ばれる地区にあり、中央の街からはそこそこ離れている。ロバートは独身の頃は魔術師街の集合住宅に住んでいた。1度目の離婚の後は魔術研究所に住み着いていた。ハルファと結婚した時に今の家を買った。それなりに大きな2階建ての一軒家で、庭もある。アイディーがちょこちょこ手入れをしているのか、雑草まみれだった庭が徐々にキレイになっていっている。一昨日はミケーネと庭の一角に花の種を蒔いたと話していた。春に咲く花らしい。アイディーがミケーネ用の小さなジョウロを買ってきていて、毎日2人で水やりをするそうだ。

ロバートは犬を飼うか悩みながら、歩いていた。犬を飼っていたことがあるという同僚に少し詳しく話を聞いてみたのだが、ロバートには犬の世話は難易度が高そうである。ミケーネが喜ぶ顔が見たいが、犬の躾なんてロバートにはできないだろうし、毎日の散歩もキツそうだ。たまには思いっきり走らせてやらなくてはいけないらしいし。アイディーなら余裕で犬の世話もできそうだが、アイディーの仕事を更に増やすのも如何なものか……。しかし、ミケーネが喜ぶ顔が見たい。
ロバートが眉間に皺を寄せながら、悩みつつ歩いていると、ふと、馬鹿デカい犬の目と目があった。茶色の毛並みのぬいぐるみのようだ。玩具屋のガラス張りの飾り棚にでんっと置いてある。
ロバートはふらふらと玩具屋の中に入り、馬鹿デカい犬のぬいぐるみの手触りを確認してから、馬鹿デカい犬のぬいぐるみを買った。ロバートが犬のぬいぐるみを両手で抱えあげると、前が見えなくなるくらいデカい。あと地味に重い。ロバートはよろよろとした足取りで、馬鹿デカい犬のぬいぐるみを抱えた状態で、なんとか家まで帰った。



「だははははっ!!なんだそれっ!!くっそでけぇな!おい!やっべ!マジでけぇじゃん!!」

「きゃーーーー!わんわん!わんわん!」


ロバートが玄関の呼び鈴をなんとか頑張って押したら、アイディーの馬鹿笑いとミケーネの興奮したような歓声に出迎えられた。ミケーネの喜ぶ顔が見たいが、馬鹿デカい犬のぬいぐるみが邪魔で見えない。


「わんわん!わんわん!」

「すっげぇわんわんだなぁ!よかったなぁ、坊っちゃん」

「わんわん!わんわんーーー!」

「旦那様、居間に置いてくれよ。坊っちゃんが触りてぇってよ」

「……あぁ」


ロバートがよろよろと居間に移動し、どさっと馬鹿デカい犬のぬいぐるみをカーペットの上に置くと、アイディーが抱っこしていたミケーネを馬鹿デカい犬のぬいぐるみの上に乗せた。ミケーネが歓声を上げて、興奮しているのか、馬鹿デカい犬の上でゆらゆら身体を揺らした。
アイディーが笑いながら、ミケーネと一緒に馬鹿デカい犬のぬいぐるみの頭を撫でた。
アイディーがロバートの方を見て、にやっと今から恐喝してきますみたいな顔で笑った。


「忘れてた。おかえり。旦那様。ほれ、坊っちゃん。パパにおかえりって言いな。あと、ありがとうな」

「あーい。おあえりー。あいがとー」

「…………ただいま」


ミケーネが弾けるような笑顔でロバートを見て、片手を伸ばしてきた。ロバートがおそるおそる小さなその手を握ると、にこーっとミケーネが笑った。
なんだか腹のあたりがむずむずする。ロバートは口をむにむにさせて、なんとなくポリポリ頭を掻いた。
    
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