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2:『男の敵』ちーちゃん
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チヒロはくわぁっと大きな欠伸をして、突っ伏していた机から身体を離した。背中や肩がバッキバキである。仕事の合間にうっかり寝てしまっていたらしい。上司でもある養母シャルロッテ・ダンケ魔術師長が溜め込んでいた書類をなんとか片付け、休む間もなく、自分の分の仕事をこなしていた。最後に時計を見た時には日付が変わっていた。そして気づいたら朝である。下敷きになっていた書類を見れば、チヒロの涎の跡がしっかりついていた。これは完全に書き直しである。チヒロは小さく溜め息を吐いて、書類をぐしゃぐしゃに丸めて、少し離れた場所にあるゴミ箱へと放り投げた。丸まった書類はゴミ箱に入らず、ゴミ箱の少し手前に落ちた。ゴミ箱の周りは、同じような丸まった紙などが散乱している。チヒロは気にせず、椅子に腰かけたまま、ぐっと背筋を伸ばした。
チヒロは『来訪者』である。9歳の時に神殿の森に気づいたらいて、神殿の者達に保護されて、縁あって10歳になる少し前に養母シャルロッテに引き取られた。シャルロッテは女だてらに魔術師長を任せられる程の優れた魔術師である。チヒロがかなりの量の魔力を持っていた為、シャルロッテに引き合わされ、何故かシャルロッテに気に入られて養女となった。因みにシャルロッテは未婚である。ダンケ侯爵家の次女であるシャルロッテは幼い頃から魔術がずば抜けていて、おまけに頭が切れるかなりの才女であるが、少し変わっている。
チヒロはどんなに訓練をしても、1つの魔術しか使えないポンコツ魔術師である。シャルロッテが冗談で教えた、冗談のような魔術しか使えない。しかし、シャルロッテはチヒロがどれだけポンコツ魔術師であっても、可愛がってくれている。チヒロはシャルロッテが大大大好きだ。美しくて、優しく、強く逞しい上に面白い彼女のことを心の底から慕っている。
チヒロは魔術師としてはポンコツ過ぎるが、事務系の仕事に適正があった。魔術を実際に発動させることは何故かできないが、魔術に関する知識だけはある。魔術の知識がないと、予算関係の部署へ、魔術研究や備品の必要性の説明ができない。変わり者が多く、そういった裏方のことや必要書類などの事務仕事を嫌がる傾向が強い魔術師達を事務方として支える仕事に就いた。
10代前半からシャルロッテのお手伝いで使いっ走りをしていたが、18歳から本格的に働き始めて、もうそろそろ8年が経つ。結婚適齢期をとうに過ぎたが、チヒロは恋人すらいたことがない。そもそもチヒロは結婚する気がない。シャルロッテも結婚していないし、別に自分が結婚する必要性をまるで感じていない。一応ダンケ侯爵家の養女であり、貴族ではあるが、貴族女性としては珍しく仕事をしているので、自分の食い扶持くらい自分で稼いでいる。ダンケ侯爵家はシャルロッテをはじめ、優れた魔術師を輩出している家系で、権力争いには興味がない。ただ魔術研究にひたすら貪欲な傾向がある家だ。シャルロッテはその優秀な魔術師としての血を残すよう、実父であるダンケ侯爵に言われているが、本人にその気はない。チヒロに関しては、魔力量が多いだけでポンコツなので、できない子ほど可愛い理論なのか、祖父になるダンケ侯爵からも可愛がられており、むしろお嫁にいってくれるなと言われている。お嫁にいくなと言われても、そもそも自分じゃ結婚相手を見つけることもできない。チヒロは美しい顔でもないし、ちんちくりんの幼児体型だし、魔術師としてはポンコツの一言である。男が大半の魔術局に務めているのに、そういう意味で声をかけられたことなど1度もない。未だに小さな子供のような扱いをしてくる者もいるくらい、魔術師達に女として認識されていない。それを気にしたことはない。それよりも大好きな養母シャルロッテと一緒の時間を過ごすことの方がチヒロには大事なのである。
チヒロがまた1つ大きな欠伸をすると、殆んどチヒロ専用になっている魔術局の狭い事務室のドアが開いた。
「あ、ミアちゃん。おかえり」
「ただいま。ちーちゃん。またここに泊まったの?」
「うん。仕事やってたら寝ちゃってた」
「もう。貴女も女の子なのよ?駄目よ。ちゃんと家に帰らなくちゃ」
「はーい」
事務室に入ってきたのはミアちゃんことミアデージュだ。
ミアデージュは元々公爵家の令嬢で、前王太子の婚約者であったが、その前王太子に婚約破棄され、今は魔術局で魔術師として働いている。火の攻撃魔術が得意な彼女は、今や魔術局のエースである。騎士団と合同で行われる魔獣討伐には必ずと言っていい程駆り出されている。国中を飛び回ることが多いので、あんまり会えない。チヒロはミアデージュも大好きだ。小さな頃に読んだ物語のお姫様そのものである美しい容姿と物腰、高い教養と豊富な知識、そしてずば抜けた魔術師としての腕前。ミアデージュは、チヒロの理想のお姫様なのである。それにすごく優しい。チヒロにとっては、大好きなお姉さんだ。
ミアデージュが前王太子から多くの貴族達の目の前で婚約破棄された場に、チヒロもシャルロッテと一緒にいた。真っ青な顔で震えるミアデージュを放っておけなくて、シャルロッテにおねだりして、ミアデージュをダンケ侯爵家に連れて帰った。余程ショックだったのか、ろくに喋ることも食べることも眠ることもできなくなったミアデージュに、チヒロはずっとくっついていた。ミアデージュがダンケ侯爵家に来て10日程経って、泣くことすらしなかったミアデージュが、チヒロを抱き締めて、初めて声をあげて泣いた。チヒロは、元の世界の母が恋しくて泣いていた時に、世話になっていた神殿の神官がやってくれていたことを真似して、よしよしとミアデージュの背中を優しく撫でた。ミアデージュが泣き止むまで、ミアデージュを抱き締めて、ずっとそうしていた。
ミアデージュが泣き止んだタイミングで、シャルロッテがミアデージュとチヒロに温かい蜂蜜入りのミルクを持ってきてくれた。チヒロはミアデージュと片手を繋いだまま、温かくて甘いミルクを飲んだ。
「ねぇ。ミアデージュ嬢」
「……はい」
「貴女、これからどうしたい?」
「……父が選んだ方と結婚する以外にありません」
「貴女自身はどうしたい?」
「……私、自身……」
「貴女さえよければだけど、うちで働かない?」
「え?」
「魔術局でよ。貴女の魔術の腕は聞いているわ。火の攻撃魔術が得意なんでしょう?もうすぐちょっと大きな魔獣討伐もあるし、即戦力が欲しいなぁ、って思ってたのよね」
「……実戦は経験がございません」
「それこそ何事にも初体験はあるわ」
「……父が許してくれるとは思えません」
「大丈夫よー。宰相からは先に言質とってるもの。『ミアデージュの望む生き方をさせる』って。まぁ、貴女は王妃にならなくても、魔術師としても十分国に貢献できるものね。結婚したいのなら宰相が相手を探すし、魔術師として働きたいのなら私の元で働いてもいいんですって」
「……ほ、本当に?」
「えぇ。そうよ」
「お母様。お姫様が魔術局で働くなら、この家に住むの?」
「そうね。それがいいわ。一応魔術師用の官舎もあるけれど、あそこは男しかいないもの。かといって宰相の屋敷に帰って、そこから通うのもねぇ」
「ねぇねぇ。お姫様。一緒に住もうよ。楽しいよ?」
「……で、でも……その、ご迷惑になるのでは?」
「私は構わないし、父も別に何も言わないわよ。よくも悪くも放任主義だもの。まぁ、私はそれなりに優秀な魔術師と結婚して子供だけは産めって言われてるけどね。家に貴女1人が増えたくらいじゃ何も言わないわ」
「お祖父様ね、すっごく優しいよ」
「…………私は働けるでしょうか?」
「そこは貴女の頑張り次第ね。魔力量も魔術も一級品だもの。あとは実戦に耐えられるかどうかってとこかしら」
「お姫様なら大丈夫だよ!だって、いっぱい努力してきたんでしょ?それなら何とかなるよ!」
すぐ隣に座って、ニッと笑ってミアデージュを見上げているチヒロを見ていると、なんだかずっとずっと幼い頃から張りつめていた気が抜けてしまった。なんだかもう、このまま流されてもいいかしら、という気になってしまった。ミアデージュはその時、目の前に立つ美しい魔術師長に頭を下げ、結婚などせず、魔術師として働くことを決めたらしい。
因みに前王太子は王太子ではなくなって臣籍に下り、妻としたハルカという『来訪者』と一緒に、特に産業もない、地理的にもなんの戦略的価値のないような小さな領地へと行った。国王から2度とその領地から出るなと厳命されているのだとか。今はどうしているのか知らない。正直興味もない。
また欠伸をしながら、書き損じた書類を書き直そうとペンを取ると、ミアデージュが呆れたような顔をした。
「ちーちゃん。お風呂には入ったのですか?食事は?」
「えっとねー。まだだねぇ」
「もう。1度一緒に家に帰りますよ。私も戻ったばかりでまだ帰っておりませんから。貴女のことだから、急ぎの書類は終えているのでしょう?」
「うん」
「では帰りますよ」
「はぁーい」
ミアデージュに促されて、チヒロは立ち上がった。ミアデージュはもう30歳を過ぎているのに、若い頃と変わらず美しい。むしろ、若い頃にはなかった大人の色気がでてきて、歳を重ねる毎に益々魅力的になっていく。そんなミアデージュに恋をする男は多いのだが、ミアデージュも結婚する気がなくて、とにかく仕事第一な生活をしている。
背が低く足も短いチヒロはミアデージュよりも歩くのが遅い。ミアデージュはいつもそんなチヒロに合わせてゆっくり歩いてくれる。子供の頃の癖で、チヒロはミアデージュの手を握った。手を繋いだまま、王城内にある魔術局の廊下を歩く。
「ちーちゃん。貴女のこと、また騎士団で噂になっておりましたわ」
「あー……『男の敵』ってやつ?」
「えぇ。アレをまたやりましたの?」
「うん」
「……まぁ、貴女のお陰で犯罪者が随分と減っているらしいのですけど……」
「私の魔術をかけられるのって、本当にイヤなんだね。男の人って」
「……まぁ、そうなのでしょうね」
チヒロが唯一使える魔術は『男性器を極端に小さくする魔術』である。そのまんまの意味だ。チヒロがこの魔術を男にかけると、その男の男性器は生まれたての赤ちゃんサイズになってしまう。排泄もできるし、性行為もできる。ただ、本当に極端に小さくなるのだ。シャルロッテに冗談で教えられたこの魔術だけは何故か使える。シャルロッテがこの事を面白がり、国王や騎士団その他に打診して、性犯罪者への刑罰として、チヒロがこの魔術を性犯罪者にかけることになった。チヒロにはよく分からないのだが、男は自分の性器の大きさが男としてのプライドに関わるそうで、再犯率の高い性犯罪者達は、この魔術をかけるとピタリと再犯しなくなる。チヒロがこの魔術を使えるようになってから、性犯罪がかなり減ってきているそうだ。
性犯罪者を捕える騎士団達とも面識があるのだが、皆いつも怖いものを見る目でチヒロを見てくる。つい先日も女性を無理やり乱暴した男が捕まり、チヒロがこの魔術をかけた。魔術をかける前は、ニヤニヤと笑いながら、チヒロにはあまり意味が分からない下品なことをベラベラ話していたその男は、チヒロが魔術をかけた後の自分の股関を見て泣きわめいた。男にとっては性器が小さくなることは、それだけショックなものなのだろう。生まれたての赤ちゃんサイズなので、どんなに大きくてもチヒロの小指の第2関節くらいまでの長さや太さしかない。
昔シャルロッテが言っていた。『去勢したら流石に諦めもつくけど、使えるのに小さすぎて恥ずかしくて使えないって方が精神的に抉れそうよね』と。チヒロは未だにその事がいまいちよく分かっていないのだが、チヒロは『魔術局事務の男の敵』と色んな所で噂されている。
性犯罪者にしかこの魔術はかけないのに、同じ魔術局内でも男達に遠巻きにされているくらいだ。どんだけ性器が小さくなることが怖いのだろうか。女のチヒロにはサッパリ分からない。
チヒロは普段は魔術師長であるシャルロッテの補佐や魔術局の事務仕事をしながら、たまに性犯罪者が出ると、唯一使える魔術を使いに行く。
チヒロはある意味、王城中、いや国中の男達にとっての恐怖の対象なのであった。
チヒロは『来訪者』である。9歳の時に神殿の森に気づいたらいて、神殿の者達に保護されて、縁あって10歳になる少し前に養母シャルロッテに引き取られた。シャルロッテは女だてらに魔術師長を任せられる程の優れた魔術師である。チヒロがかなりの量の魔力を持っていた為、シャルロッテに引き合わされ、何故かシャルロッテに気に入られて養女となった。因みにシャルロッテは未婚である。ダンケ侯爵家の次女であるシャルロッテは幼い頃から魔術がずば抜けていて、おまけに頭が切れるかなりの才女であるが、少し変わっている。
チヒロはどんなに訓練をしても、1つの魔術しか使えないポンコツ魔術師である。シャルロッテが冗談で教えた、冗談のような魔術しか使えない。しかし、シャルロッテはチヒロがどれだけポンコツ魔術師であっても、可愛がってくれている。チヒロはシャルロッテが大大大好きだ。美しくて、優しく、強く逞しい上に面白い彼女のことを心の底から慕っている。
チヒロは魔術師としてはポンコツ過ぎるが、事務系の仕事に適正があった。魔術を実際に発動させることは何故かできないが、魔術に関する知識だけはある。魔術の知識がないと、予算関係の部署へ、魔術研究や備品の必要性の説明ができない。変わり者が多く、そういった裏方のことや必要書類などの事務仕事を嫌がる傾向が強い魔術師達を事務方として支える仕事に就いた。
10代前半からシャルロッテのお手伝いで使いっ走りをしていたが、18歳から本格的に働き始めて、もうそろそろ8年が経つ。結婚適齢期をとうに過ぎたが、チヒロは恋人すらいたことがない。そもそもチヒロは結婚する気がない。シャルロッテも結婚していないし、別に自分が結婚する必要性をまるで感じていない。一応ダンケ侯爵家の養女であり、貴族ではあるが、貴族女性としては珍しく仕事をしているので、自分の食い扶持くらい自分で稼いでいる。ダンケ侯爵家はシャルロッテをはじめ、優れた魔術師を輩出している家系で、権力争いには興味がない。ただ魔術研究にひたすら貪欲な傾向がある家だ。シャルロッテはその優秀な魔術師としての血を残すよう、実父であるダンケ侯爵に言われているが、本人にその気はない。チヒロに関しては、魔力量が多いだけでポンコツなので、できない子ほど可愛い理論なのか、祖父になるダンケ侯爵からも可愛がられており、むしろお嫁にいってくれるなと言われている。お嫁にいくなと言われても、そもそも自分じゃ結婚相手を見つけることもできない。チヒロは美しい顔でもないし、ちんちくりんの幼児体型だし、魔術師としてはポンコツの一言である。男が大半の魔術局に務めているのに、そういう意味で声をかけられたことなど1度もない。未だに小さな子供のような扱いをしてくる者もいるくらい、魔術師達に女として認識されていない。それを気にしたことはない。それよりも大好きな養母シャルロッテと一緒の時間を過ごすことの方がチヒロには大事なのである。
チヒロがまた1つ大きな欠伸をすると、殆んどチヒロ専用になっている魔術局の狭い事務室のドアが開いた。
「あ、ミアちゃん。おかえり」
「ただいま。ちーちゃん。またここに泊まったの?」
「うん。仕事やってたら寝ちゃってた」
「もう。貴女も女の子なのよ?駄目よ。ちゃんと家に帰らなくちゃ」
「はーい」
事務室に入ってきたのはミアちゃんことミアデージュだ。
ミアデージュは元々公爵家の令嬢で、前王太子の婚約者であったが、その前王太子に婚約破棄され、今は魔術局で魔術師として働いている。火の攻撃魔術が得意な彼女は、今や魔術局のエースである。騎士団と合同で行われる魔獣討伐には必ずと言っていい程駆り出されている。国中を飛び回ることが多いので、あんまり会えない。チヒロはミアデージュも大好きだ。小さな頃に読んだ物語のお姫様そのものである美しい容姿と物腰、高い教養と豊富な知識、そしてずば抜けた魔術師としての腕前。ミアデージュは、チヒロの理想のお姫様なのである。それにすごく優しい。チヒロにとっては、大好きなお姉さんだ。
ミアデージュが前王太子から多くの貴族達の目の前で婚約破棄された場に、チヒロもシャルロッテと一緒にいた。真っ青な顔で震えるミアデージュを放っておけなくて、シャルロッテにおねだりして、ミアデージュをダンケ侯爵家に連れて帰った。余程ショックだったのか、ろくに喋ることも食べることも眠ることもできなくなったミアデージュに、チヒロはずっとくっついていた。ミアデージュがダンケ侯爵家に来て10日程経って、泣くことすらしなかったミアデージュが、チヒロを抱き締めて、初めて声をあげて泣いた。チヒロは、元の世界の母が恋しくて泣いていた時に、世話になっていた神殿の神官がやってくれていたことを真似して、よしよしとミアデージュの背中を優しく撫でた。ミアデージュが泣き止むまで、ミアデージュを抱き締めて、ずっとそうしていた。
ミアデージュが泣き止んだタイミングで、シャルロッテがミアデージュとチヒロに温かい蜂蜜入りのミルクを持ってきてくれた。チヒロはミアデージュと片手を繋いだまま、温かくて甘いミルクを飲んだ。
「ねぇ。ミアデージュ嬢」
「……はい」
「貴女、これからどうしたい?」
「……父が選んだ方と結婚する以外にありません」
「貴女自身はどうしたい?」
「……私、自身……」
「貴女さえよければだけど、うちで働かない?」
「え?」
「魔術局でよ。貴女の魔術の腕は聞いているわ。火の攻撃魔術が得意なんでしょう?もうすぐちょっと大きな魔獣討伐もあるし、即戦力が欲しいなぁ、って思ってたのよね」
「……実戦は経験がございません」
「それこそ何事にも初体験はあるわ」
「……父が許してくれるとは思えません」
「大丈夫よー。宰相からは先に言質とってるもの。『ミアデージュの望む生き方をさせる』って。まぁ、貴女は王妃にならなくても、魔術師としても十分国に貢献できるものね。結婚したいのなら宰相が相手を探すし、魔術師として働きたいのなら私の元で働いてもいいんですって」
「……ほ、本当に?」
「えぇ。そうよ」
「お母様。お姫様が魔術局で働くなら、この家に住むの?」
「そうね。それがいいわ。一応魔術師用の官舎もあるけれど、あそこは男しかいないもの。かといって宰相の屋敷に帰って、そこから通うのもねぇ」
「ねぇねぇ。お姫様。一緒に住もうよ。楽しいよ?」
「……で、でも……その、ご迷惑になるのでは?」
「私は構わないし、父も別に何も言わないわよ。よくも悪くも放任主義だもの。まぁ、私はそれなりに優秀な魔術師と結婚して子供だけは産めって言われてるけどね。家に貴女1人が増えたくらいじゃ何も言わないわ」
「お祖父様ね、すっごく優しいよ」
「…………私は働けるでしょうか?」
「そこは貴女の頑張り次第ね。魔力量も魔術も一級品だもの。あとは実戦に耐えられるかどうかってとこかしら」
「お姫様なら大丈夫だよ!だって、いっぱい努力してきたんでしょ?それなら何とかなるよ!」
すぐ隣に座って、ニッと笑ってミアデージュを見上げているチヒロを見ていると、なんだかずっとずっと幼い頃から張りつめていた気が抜けてしまった。なんだかもう、このまま流されてもいいかしら、という気になってしまった。ミアデージュはその時、目の前に立つ美しい魔術師長に頭を下げ、結婚などせず、魔術師として働くことを決めたらしい。
因みに前王太子は王太子ではなくなって臣籍に下り、妻としたハルカという『来訪者』と一緒に、特に産業もない、地理的にもなんの戦略的価値のないような小さな領地へと行った。国王から2度とその領地から出るなと厳命されているのだとか。今はどうしているのか知らない。正直興味もない。
また欠伸をしながら、書き損じた書類を書き直そうとペンを取ると、ミアデージュが呆れたような顔をした。
「ちーちゃん。お風呂には入ったのですか?食事は?」
「えっとねー。まだだねぇ」
「もう。1度一緒に家に帰りますよ。私も戻ったばかりでまだ帰っておりませんから。貴女のことだから、急ぎの書類は終えているのでしょう?」
「うん」
「では帰りますよ」
「はぁーい」
ミアデージュに促されて、チヒロは立ち上がった。ミアデージュはもう30歳を過ぎているのに、若い頃と変わらず美しい。むしろ、若い頃にはなかった大人の色気がでてきて、歳を重ねる毎に益々魅力的になっていく。そんなミアデージュに恋をする男は多いのだが、ミアデージュも結婚する気がなくて、とにかく仕事第一な生活をしている。
背が低く足も短いチヒロはミアデージュよりも歩くのが遅い。ミアデージュはいつもそんなチヒロに合わせてゆっくり歩いてくれる。子供の頃の癖で、チヒロはミアデージュの手を握った。手を繋いだまま、王城内にある魔術局の廊下を歩く。
「ちーちゃん。貴女のこと、また騎士団で噂になっておりましたわ」
「あー……『男の敵』ってやつ?」
「えぇ。アレをまたやりましたの?」
「うん」
「……まぁ、貴女のお陰で犯罪者が随分と減っているらしいのですけど……」
「私の魔術をかけられるのって、本当にイヤなんだね。男の人って」
「……まぁ、そうなのでしょうね」
チヒロが唯一使える魔術は『男性器を極端に小さくする魔術』である。そのまんまの意味だ。チヒロがこの魔術を男にかけると、その男の男性器は生まれたての赤ちゃんサイズになってしまう。排泄もできるし、性行為もできる。ただ、本当に極端に小さくなるのだ。シャルロッテに冗談で教えられたこの魔術だけは何故か使える。シャルロッテがこの事を面白がり、国王や騎士団その他に打診して、性犯罪者への刑罰として、チヒロがこの魔術を性犯罪者にかけることになった。チヒロにはよく分からないのだが、男は自分の性器の大きさが男としてのプライドに関わるそうで、再犯率の高い性犯罪者達は、この魔術をかけるとピタリと再犯しなくなる。チヒロがこの魔術を使えるようになってから、性犯罪がかなり減ってきているそうだ。
性犯罪者を捕える騎士団達とも面識があるのだが、皆いつも怖いものを見る目でチヒロを見てくる。つい先日も女性を無理やり乱暴した男が捕まり、チヒロがこの魔術をかけた。魔術をかける前は、ニヤニヤと笑いながら、チヒロにはあまり意味が分からない下品なことをベラベラ話していたその男は、チヒロが魔術をかけた後の自分の股関を見て泣きわめいた。男にとっては性器が小さくなることは、それだけショックなものなのだろう。生まれたての赤ちゃんサイズなので、どんなに大きくてもチヒロの小指の第2関節くらいまでの長さや太さしかない。
昔シャルロッテが言っていた。『去勢したら流石に諦めもつくけど、使えるのに小さすぎて恥ずかしくて使えないって方が精神的に抉れそうよね』と。チヒロは未だにその事がいまいちよく分かっていないのだが、チヒロは『魔術局事務の男の敵』と色んな所で噂されている。
性犯罪者にしかこの魔術はかけないのに、同じ魔術局内でも男達に遠巻きにされているくらいだ。どんだけ性器が小さくなることが怖いのだろうか。女のチヒロにはサッパリ分からない。
チヒロは普段は魔術師長であるシャルロッテの補佐や魔術局の事務仕事をしながら、たまに性犯罪者が出ると、唯一使える魔術を使いに行く。
チヒロはある意味、王城中、いや国中の男達にとっての恐怖の対象なのであった。
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