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29:いらっしゃい

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ニルダはそわそわと落ち着かずに、ソファーを立ったり座ったりを繰り返していた。
今日ミレーラがアロンソと共に、ニルダの家を訪ねてくる。セベリノにもいて欲しかったが、残念ながら今日はセベリノは仕事である。お茶請けのお菓子は、セベリノと一緒に昨日の帰宅途中に今街で話題になっているという店に立ち寄って買った。念の為、お茶の淹れ方もセベリノ指導の元練習をした。家の中は、セベリノがいつも掃除をしてくれているので、いつだってキレイだ。友達になってくれたのかもしれない人が自宅に来てくれるだなんて、生まれて初めてで、どう対応したらいいのか本気で分からない。失礼なことや不快なことをしてしまったらどうしようと、不安がどんどん大きくなる。やはりセベリノと一緒の休みの日に来てもらえばよかった。今更後悔しても遅い。あと小半時もしないうちに、約束の時間が来てしまう。
アベラルドも今日は仕事だそうで、街の探索がてらミレーラとアロンソだけがやって来る。アベラルドに2人を自宅まで迎えに行くと申し出たが、『街を探検したいんだってよ』と笑って断られた。ニルダの家は、この近辺ではかなり庭が広い方で、近くに来れば、割とすぐに分かると思う。第五地区からの道もそんなに分かりにくいような感じではない。おそらく迷うことはないと思うが、じわじわ心配になってくる。道中はそれなりに治安がいい地域だが、あの2人はとても美しいので、間違いなく目立つ。変な輩に声をかけられたり、絡まれたりしていないだろうか。
ニルダはいよいよ落ち着かなくなり、家の門の前で2人を待つことにした。迎えに行って行き違いになったら困る。落ち着かないし、不安だし、心配だが、ぐっと堪えて、ニルダはそわそわしながら2人を待った。

約束の時間のほんの少し前に、遠目に親子連れが見えて、ニルダはほっと息を吐いた。手を繋いで此方に向かって歩いているのは、ミレーラとアロンソだ。ニルダは足早に2人の元へと向かった。
ニルダが2人の前に立つと、ミレーラがゆるく笑って、ニルダを見上げた。


「やぁ。ニー。今日の調子はどうだい」

「いい」

「こんにちは。熊のおっさん。首痛くなるから屈んでよ」

「あぁ。……こんにちは」


アロンソの言葉に、ニルダはすとんとしゃがんだ。アロンソがニッと笑って、持っていた紙袋をニルダに手渡した。


「お土産。親父が焼いた挽肉のパイ。熊のおっさん。おんぶして。第ニ地区遠いよ」

「あぁ。ありがとう。ん」

「こら。アーロ。もう目の前でしょ。自分で歩きな。ごめんね。ニー」

「えー」

「構わない」

「甘やかさなくていいよ。それじゃあ、お邪魔するよ」

「あぁ」


ミレーラの言葉にぷくっと頬を膨らませたアロンソに小さく笑って、ニルダは立ち上がった。2人と共に、すぐ近くの家に向かう。
庭を見たアロンソが、わぁと小さく歓声を上げた。


「すげー。庭ひっろ。花がいっぱいある」

「やー。見事だね。全部ニーが育てたの?」

「あぁ」

「熊のおっさん。診察の間、庭にいていい?花見たい」

「あぁ」

「僕も終わったら見たいな」

「あぁ。……先にお茶」

「おや。じゃあ、ご馳走になるよ」

「お菓子もある」

「やった!お菓子!」

「悪いねぇ。結構歩いて小腹が空いてるから嬉しいよ」

「あぁ」


ミレーラとアロンソが嬉しそうに笑ったので、ニルダはほっとして、2人を居間に通した後、いそいそと台所へ向かった。
セベリノに教えてもらった通りに慎重にお茶を淹れ、お菓子と共に居間へと運ぶ。
2人は興味津々といった様子で、ソファーに座って居間の中を見回していた。
ミレーラがニルダに気づくと、少し照れたように笑った。


「あー、ごめんね。不躾に見回しちゃって。僕はあんまり他人の家にお呼ばれしたことがなくてね。珍しくて、ついつい。とても温かい雰囲気のお家だね。それにすごくキレイだ」

「……ありがとう。セベリノが掃除してくれる」

「へぇー。いいね。僕の家は、掃除は僕が担当なんだ。ルドは頓着しない方だから。まぁ、できる方ややりたい方がやったらいいよね」

「あぁ。……どうぞ」

「ありがとう。いただくよ」

「ありがと。熊のおっさん。あ!母さん。見て。このクッキー、すげぇ可愛い」

「可愛いね。クマさんだ」

「ヒヨコとウサギもいる。すげー。デカい街ってこういうのもあるんだな」

「今人気らしい」

「「へぇー」」


セベリノが仕入れてきた情報を元に買いに行ったデフォルメされた動物クッキーは、2人に非常に好評だった。ニルダはセベリノに心から感謝をしつつ、美味しいと頬をゆるませる2人を見て、ほっと安心した。

お茶とお菓子で一息ついた後、アロンソは庭に出ていき、ニルダはミレーラの診察を受けた。問診表に色々と書き込み、血圧を測ったり、採血をしたり、聴診器を胸や腹に当てられたりした。
診察に使った道具を鞄に片付けながら、ミレーラがふんわりと笑った。


「今診た感じ、すこぶる健康体だね。血液検査と尿検査の結果はまた後日教えにくるよ。検便セットを渡すから、次回来る時にちょうだい」

「あぁ」

「月のものはどんな感じ?定期的にきてる?」

「あぁ。3ヶ月に1回」

「そう。痛みが強かったり、貧血の症状とかは?」

「特にない。血が出るだけ」

「そう。身体を使う仕事だからね。症状らしき症状が無くても、月のものの時は特に念の為いつもより気をつけてね」

「あぁ」

「なにか健康上の悩みとか、気になることはあるかい?なんでもいいよ。本当に些細なことでも」

「……特に思いつかない」

「夜の夫婦生活の後、痛みがあったりしない?」

「そんなに。慣れた。多分」

「そうかい。それはいい。ふたなりは膣口が狭めだったり、膣が狭い人が割合的に少し多いみたいだから。中々慣れなくて性交時に痛みがあるって言ってた人が結構いるんだよね。あくまで僕が知る中での話だけど。僕も慣れるのに時間がかかった方かな。まぁ、ルドは大きいからねぇ」

「そうか」

「ニーは身体が大きいからかな?いい筋肉してるね。普段から頑張ってないと維持できないし、そもそもそんなに育たないでしょ」

「鍛錬は日課」

「素晴らしいね。ルドも毎朝鍛錬してるよ。家の庭がもう少し広かったらよかったなぁ。そうしたら、ルドがもっと伸び伸びと鍛錬できたんだけどね」

「休みの日は来ればいい」

「おや。それはありがたい。ニーと休みが被った日は一緒に鍛錬してあげてよ。あの体格でしょ?今まで全力で組手とかできる人がいなかったんだって」

「俺もだ」

「庭を破壊しない程度に遊んでね。折角キレイにしてるんだもの。荒れたら可哀想だよ」

「あぁ。……ミリィは」

「ん?」

「ミリィは……その、好きな、もの、とか」

「んー。そうだねぇ。ルドは不動の1位なんだけど。それ以外だよね?本かなぁ。本を読むのが好きだね。あと珈琲。砂糖とミルクたっぷりのやつ。甘いものも好き。美味しいケーキ屋とか知らない?」

「……此処から市場に行く途中にある。セーべが美味いと」

「あら。セベリノ副班長のこと、『セーべ』って呼んでるんだ。愛称っていいよねぇ。言うの楽だし」

「あぁ。帰りは送る。ついでに案内する」

「ありがとう。頼むよ。お土産にケーキを買いたいからね。ルドもアルも甘いものに目がなくてね。勿論、僕達も。アルも本当は今日来たがってたんだ。学校の課外授業があって諦めたけどね」

「そうか。いつでも」

「うん。またルドとアルも連れてくるよ。庭を見せてもらってもいいかな。街中でこんなに花がいっぱい見れる所って中々ないんじゃない?」

「あまり見ない」

「だろうね」


ニルダはミレーラと一緒に玄関から出て、庭に出た。花壇の前にはアロンソがしゃがんでおり、花を見ていた。
ニルダ達に気づいたアロンソが、青い花を指差して、ニルダに話しかけてきた。


「熊のおっさん。これなんて名前?」

「ネモフィラ」

「ふーん。これが一番好き。可愛い」

「いるか」

「んー。んーん。折角咲いてるのに摘んだら可哀想」

「そうか」

「いつまで咲いてるの?」

「あと半月くらい」

「ふーん。咲いてるうちにまた見たい」

「いつでも」

「うん」


アロンソがニッと笑って、ネモフィラの花弁を指先で優しく撫でた。
庭を一通り見て回っていたミレーラがニルダ達の側に来て、白い花が咲いている背が低い木を指差した。


「ニー。あれは何?花がすごく可愛い」

「ブルーベリー」

「「ブルーベリー!」」

「ブルーベリー」

「へぇー。ブルーベリーって、あんな可愛い花が咲くんだ」

「いつ食えるの?」

「早ければ2ヶ月後。……採りに来るか」

「「来るっ!!」」


ミレーラとアロンソが顔を輝かせて勢いよく頷いた。ブルーベリーの木は、ニルダが子供の頃からある。母が存命の頃は、毎年ジャムを作っていた。ニルダは子供の頃から甘いものが得意ではなかったので、殆ど食べなかったが、アルマが大好きだった。今は収穫したら、魔導冷蔵庫で冷凍して、まとめてアルマの嫁ぎ先に渡しに行く。ブルーベリーの木は3本しかないので、一度に大量に採れる訳ではない。沢山実をつけてくれるが、収穫できるのは1日に多くて20~30個くらいだ。ブルーベリーの収穫時期は、毎日チマチマ収穫して、洗って袋に入れて魔導冷蔵庫に入れるのが日課に加わる。
キラキラと目を輝かせている2人を見て、ニルダは小さく笑った。とてもよく似た親子だ。なんだか可愛い。


「俺、ブルーベリー採ったことない」

「僕もないなぁ。田舎の方にも住んでたけど、果物は基本的に買うか、貰うかだもの」

「イチゴは採ったことある。学校で育ててた。ちょこっとだけ。本当にちょこっと。水やり頑張ったのに、結局1個しか食べてない」

「そうか。……確か、イチゴは秋。植えるか」

「秋に植えるの?」

「多分」

「植えていいの?」

「あぁ」

「植えたい!食べたい!水やりする!」

「あぁ。だが、必ずルドかミリィも一緒に」

「うん」

「ふふっ。イチゴもいいよねぇ。楽しみだなぁ。ありがと。ニー」

「ん」


ミレーラにイチゴの育て方が載っている本が欲しいとねだっているアロンソとニコニコ楽しそうに笑っているミレーラを見て、ニルダは小さく笑った。なんだかすごく嬉しい。ここにセベリノがいたらよかったのに。セベリノが仕事から帰ってきたら、この事を話したい。セベリノも喜んでくれる筈だ。

ニルダはミレーラとアロンソに聞かれるまま庭に咲く花の事を説明し、夕方が近くなるまで2人と一緒に庭で過ごした。

ニルダはアロンソをおんぶして、ミレーラと一緒にアベラルドの家に向かっていた。はしゃいでいて疲れたのか、眠そうにしていたアロンソをニルダがおんぶすると、すぐにアロンソは寝落ちた。子供特有の温かい体温を感じるのは、随分と久しぶりだ。ニルダは年の割に体格がよく、アルマは年の割に小柄だったので、子供の頃はたまにアルマをおんぶしていた。セベリノをおんぶする時とは少し違う、懐かしい温もりに、なんだか心がほっこりする。
ミレーラがニルダを見上げて、ふふっと笑った。


「ごめんね。助かるよ。僕はアーロをおんぶするのは流石にキツくなってきてさ」

「そうか」

「僕も君みたいに大きかったらよかったんだけどね。子育ては体力筋力勝負みたいなところが大きいから。今はかなり楽になったけど、少し前まで本当に大変だったんだ」

「そうか」

「ルドがいるから、まだ楽してるんだろうけどね。ルドも一緒に頑張ってくれるから」

「……いい夫婦だ」

「ありがと。ニー達もきっとそうだよ」

「……ん」

「子供達が喜びそうな場所って知ってる?あ、ニーの家以外で」

「……街の体験教室施設がある。子供の頃、妹と2人でよく行っていた。色んな体験ができる。妹はそれで陶芸が趣味になった」

「へぇー。そんな所があるんだ。妹さんいるんだ。いいね。僕はひとりっ子だったから、兄弟って少し憧れるな。ルドの休みの日に子供達を連れて行ってくるよ。折角、物作りが盛んな街に来たんだもの。子供達に色んなものを体験させてみたいな。特にアーロね。将来に繋がるような、いい出会いがあるかもしれない」

「ん。ものによっては予約制。その日に飛び入りできるものもある」

「なるほど」

「役所にチラシがある。申し込みも役所でもできる」

「ありがとう。じゃあ、先にアーロを連れて役所に行ってみるかな。アルは勉強で忙しいし。でも息抜きは大事だよね」

「あぁ」


ポツポツとミレーラと話しながら歩き、アベラルドの家に到着した。帰宅していたアベラルドに寝ているアロンソを受け渡し、笑顔で2人にお礼を言われて、また会う約束をしてから、ニルダはアベラルドの家を後にした。
軽い足取りで自宅へと向かう。セベリノに話したいことがいっぱいある。ニルダは夕暮れに染まる道を、軽やかに歩いて家路を急いだ。

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