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19:妹

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ニルダは昨日からずっと緊張していた。今日、随分と久しぶりにアルマが家に帰ってくる。セベリノが掃除中に見つけたアルマの大事な装飾品を取りにくるそうだ。ニルダとは話してくれないだろうし、お茶も飲んでくれないかもしれないが、アルマが好きなクッキーを買っておいた。土産に渡せばいいだろう。

昨日の勤務中からずっとニルダがあまりにガチガチに緊張して顔を強張らせているからか、昨夜はセベリノが一緒に寝てくれた。少し心配になるくらい真っ赤な顔で、セベリノが『一緒に寝るだけ』と、ニルダの寝間着の裾を掴んで言った。ニルダは少し驚いたが、セベリノが気遣ってくれているのだろうと頷いて、セベリノと一緒にニルダの部屋で寝た。今夜は絶対に緊張して眠れないと思っていたが、一緒にベッドに入った途端にニルダ以上に緊張し始めたセベリノを見て、ニルダは少し落ち着いた。アルマの訪れよりも、真っ赤な顔で身体を固くしているセベリノを寝かしつけるということの方に集中してしまい、セベリノが寝ついた後すぐにニルダも寝落ちた。子供の頃にアルマにしていた、抱きしめて背中をポンポンしながら、ひたすら数を数えるという寝かしつけ方法は、セベリノにも有効だった。ニルダの腕の中のセベリノのゆるんだ寝顔が、なんだか可愛かった。

朝目覚めたら、また緊張がぶり返してきたが、昨夜一緒に寝たことに照れまくって挙動不審なセベリノを見ていたら、やはり少し落ち着いた。
いつも通り、日課の鍛錬をして、洗濯や庭の手入れをしていると、あっという間に午前のお茶の時間になった。
居間でセベリノが淹れてくれた珈琲を飲んでいると、玄関の呼び鈴が鳴った。ニルダは思わずビクッとソファーの上で身体を震わせた。
セベリノがすぐに立ち上がり、ガチガチに緊張して身体を固くしているニルダの側に来て、自然と拳を握ってしまっていたニルダの手をやんわりと握った。
セベリノの顔を見上げれば、セベリノがゆるく笑った。


「一緒にアルマさんを出迎えましょ。アルマさんが喜ぶから」

「……あぁ」


ニルダも一緒に出迎えて、本当にアルマは喜んでくれるのだろうか。セベリノだけの方がいいのではないだろうか。アルマに会いたい。しかし、アルマはニルダに会って嫌な思いをするのではないかと、どうしても不安を感じている。
ニルダはセベリノに手を引かれ、ほんの少し背中を丸めて玄関へと向かった。

セベリノがニルダの手を握ったまま、無造作に玄関のドアを開けた。落ち着いた色合いのワンピースを着たアルマが、ニルダと目が合うと、俯いて視線を逸した。
セベリノが飄々とした笑みを浮かべ、アルマに声をかけた。


「アルマさん。おはようございます。わざわざすいません」

「……おはよう。その……下の子はお義母さんに預けてるから……あ、いや……えっと、これ……よかったら……」


俯いたままアルマがおずおずと手に持っていた紙袋を差し出した。アルマは小柄な方で、身長差があるし、俯いているのでアルマの表情がよく分からない。アルマは今どんな表情をしているのだろうか。やはり本当は此処に来たくなかったのではないだろうか。ニルダがどう声をかけたらいいのか分からず、内心オロオロしていると、セベリノが掴んでいたニルダの手を離し、丸くなっているセベリノの背中をポンポンと優しく叩いた。
セベリノがアルマから紙袋を受け取り、にっこりと笑った。


「ありがとうございます。遠慮なくいただきます。この店の干し葡萄のパン、俺も好きなんで嬉しいです」

「……そう。それなら、よかったわ」

「ここじゃなんですし、中へどうぞ」

「……お邪魔します」


小柄な身体を更に小さくするようにして、アルマが家の中に入ってきた。此処はアルマの実家だ。アルマがいつ帰ってきてもいい場所だ。気まずそうな、身の置き場がないといった雰囲気のアルマに、ニルダはなんだか悲しくなってきた。
セベリノに声をかけられて、まずは3人で居間に移動した。ずっと俯いているアルマの表情は殆ど見えない。ニルダは本当にどうしたらいいのか分からなくなった。なんて声をかけたらいい。幼い頃は、どうやって話していたのだろう。
セベリノがお茶を淹れに台所へ向かうと、居間に気まずい空気が流れた。
アルマは嫌かもしれないが、アルマの顔がちゃんと見たい。ニルダは思い切って、アルマの名前を呼んだ。


「アルマ」

「……なに。ニー」

「子供達は」

「……元気よ。2番目の子は元気過ぎて、今腕の骨に罅が入ってる」

「何故」

「友達と遊んでて、橋から川に飛び込んだの。足からじゃなくて腕から。浅いところだったから、落ちたときに川底で強くぶつけて、骨に罅が入ったのよ。……いっぱい叱ったわ。危ないことしないでって。心配させないでって」

「そうか」

「……ニーは」

「元気」

「そう。……休みの日に押しかけてきて、その、ごめん」

「いい。お前の家」

「……私はもう、家を出てる」

「それでも、お前の家」


俯いているアルマが、左手で自分の右手の手首を強く掴んだ。ニルダはそれを見て、思わずソファーから立ち上がった。小さな頃からのアルマの癖である。泣くのを我慢している時の。
ニルダは一瞬だけ躊躇ってから、静かにアルマの側に近寄った。ソファーに座るアルマの近くで、床に膝をつき、おずおずと、力が入っているアルマの左手を握り、右手の手首から離させ、アルマの両手を握った。子供の頃に比べたら大きくなったが、ニルダの手よりも随分と小さいアルマの手は、微かに震えていた。


「……なんで怒らないの」

「理由がない」

「ニーに酷いことしかしてない」

「されてない」

「した」

「されてない」

「いっぱいした」

「されてない」

「……いっぱい、いっぱいしてるもの……」

「何もされてない」


ポタッと、アルマの小さな手を握るニルダの大きな手に、アルマの涙が落ちてきた。
アルマが泣く理由が分からない。ニルダが嫌なことをしたのだろうか。ニルダが手を握っているのが嫌なのだろうか。ニルダがオロオロしていると、アルマがニルダの手を握った。


「ニーの馬鹿。私を甘やかし過ぎって、また母さんに怒られる」

「甘やかしてない」

「甘やかしてる」

「甘やかしてない」

「甘やかしてる。……少しは怒りなさいよ。嫌なら嫌って言いなさいよ。いつも嫌な思いをするくらいなら、私達なんて放っておけばいいじゃない」

「アルマ?」

「……ニー。怯えられるの嫌でしょ。なんで嫌な目に合うのに、いつも会いに来るのよ。あの子達だって、ニーに会っても泣くだけじゃない。ニーだって嫌でしょ。そんなの」

「アルマ」

「わ、私だって、いつも嫌な顔してるでしょ……そろそろ愛想を尽かしなさいよ」

「無理」

「なんで」

「アルマは妹だ」

「……ニーの馬鹿。甘やかし大王。駄目人間製造機」

「すまん?」

「……ニー」

「なんだ」

「……ごめん」

「うん」

「なんの『ごめん』か分かってないでしょ」

「あぁ」

「即答しないでよ。少しは考えてよ」

「すまん」

「……ニーに、嫌な態度ばっかりで、その、嫌な思いをさせて、ごめんなさい。……許してなんて言わない。言えない。……これからも、家族の前では今まで通りのことしかできない。……私は、強くない……」


なんの事なのか、ニルダには正直上手く飲み込めないが、アルマがとても傷ついているのだけは分かった。それの原因がニルダであるということも分かった。苦い思いが胸の中に広がっていくが、自分のことよりも、アルマを泣きやませることの方が先だ。
ニルダは幼い頃のように、アルマの小柄な身体を両手で抱き上げて、自分がソファーに座り、膝の上にアルマを乗せた。アルマのほっそりとした身体を抱きしめて、背中を優しくポンポンと叩く。
アルマが一瞬身体を固くして、それからすぐに力を抜いてニルダに体重を預けた。アルマがニルダの首に両腕を絡めて、ぎゅっと抱きつき、ニルダの肩に目元を押しつけた。肩がじわぁっと湿っていく。


「ニー」

「うん」

「ごめん」

「うん」


ニルダは泣いているアルマが完全に落ち着くまで、子供の頃のように、アルマを抱きしめて、ポンポンと背中を優しく叩き続けた。

アルマが完全に泣き止み、ニルダから離れたタイミングで、セベリノがお盆を持って居間に入ってきた。
ニルダが買ってきたアルマが好きなクッキーをお茶請けに持ってきてくれた。
特に会話もなくお茶を飲み、アルマの赤くなった目元と鼻の色が少し落ち着いた頃に、ニルダもアルマと一緒に、アルマの部屋へと移動した。
セベリノがアルマの机の上に置いてくれていた古ぼけた小さな箱を見て、アルマが嬉しそうに小さく笑った。


「これ、ずっと探してた」

「そうか」

「……ニーが初給料で買ってくれたイヤリング。結婚して引っ越す時に分からなくなってたの。大事なものなのに」

「……そうか」

「セベリノが見つけてくれてよかった」

「アルマ」

「なに」

「幸せか」

「……幸せよ。それなりに。夫のこと、好きだわ。結婚した時よりかなり太ったけど、あの人なりに大事にしてくれてる。子供達も皆可愛い。毎日大変だけど。お義父さん達もよくしてくれている方だと思う」

「そうか」

「ニーは」

「……幸せ」

「セベリノのこと、好き?」

「あぁ」

「そう。ならいいわ」


アルマが随分と久しぶりにニルダの目を見て、子供の頃のように、ふわっと嬉しそうに笑った。
ニルダは目を細めて、アルマの頭をやんわりと撫で、アルマのおでこにキスをした。







-------
自分の家へと帰っていくアルマの背中を見送り、居間に戻ってソファーに座ると、セベリノがニルダのすぐ隣に座り、ぽすんとニルダの肩に頭を預けてきた。
ふふっと何やら嬉しそうにセベリノが笑い、ニルダの手を握りながら口を開いた。


「アルマさん。ニルダさんのこと大好きですね」

「……そうか」

「そうですよ。ふふっ。『ニーは甘やかし選手権があったら、ぶっちぎりで優勝するから、セベリノも気をつけて』ですって。もう手遅れな気がしますねー」

「別に甘やかしてない」

「甘やかしてますよ。俺も。アルマさんも」

「そうでもない」

「これ以上なく甘やかされてますよ。俺。ニルダさん」

「なんだ」

「アルマさんにはアルマさんの事情がある。でも、貴方のことを嫌いになったとか、そういうんじゃないです。アルマさんは間違いなく、貴方のことが大好きですよ」

「……あぁ」

「いつか、一緒にご飯を食べたりしてみたいですね」

「あぁ。……アルマは魚が好きだ。塩焼き」

「おや。それは頑張って上手く焼かないとですね。ニルダさん。お昼にアルマさんがくれた干し葡萄のパンを食べましょうか」

「あぁ」

「……ニルダさん。嬉しいね」

「……あぁ。セベリノ」

「なんです?」

「ありがとう」

「はい」


ニルダがセベリノの指に指を絡めると、セベリノが嬉しそうに笑って、ニルダの肩に頬を擦り寄せた。
なんだか、よく分かっていないこともあるが、とにかく嬉しくて堪らない。アルマはニルダのことを嫌っていなかった。それだけで十分過ぎる程嬉しい。

アルマは嫁に行った今でも、大事な愛おしい妹だ。アルマは小さい頃はニルダ以上に引っ込み思案で、ニルダの背中に隠れているような子供だった。小さな頃から小柄で、それを友達に馬鹿にされて泣いて帰ってきたこともある。アルマは悲しいことがあると、真っ先にニルダの元に来ていた。しかし、ニルダ絡みの事では、絶対にニルダに何も言おうとしなかった。ニルダが必要以上に傷つかないように、口を噤んで、自分1人で抱え込み、どうしようもなくなって初めて、母に泣きついていた。ニルダの妹は、本当にとても優しいのである。ニルダにとってアルマは、心から大切に思う妹であり、守りたい者であった。今でもその思いは変わらない。

アルマと久しぶりに話せたことも嬉しいが、セベリノが、ニルダとアルマの為に、こうして気を回してくれたことも本当に嬉しい。
セベリノが側にいてくれて、本当によかった。

ニルダはセベリノと手を繋いだまま、セベリノの頭に頬を擦りつけた。

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