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7:ニルダの妹

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セベリノは自室となった部屋に入るなり、へなへなと床に崩れ落ちた。ニルダにエロ本を渡しに行き、無事に帰還した。挙動不審にならなかったと信じたい。セベリノは熱い気がする頬をゴシゴシと片手で強く擦ると、のろのろと立ち上がり、ふらふらと移動してベッドに倒れ込んだ。想像も妄想もするな俺。頑張れ俺の理性。ニルダはふたなりだ。男じゃない。ニルダがエロ本片手にシコるところを想像したら駄目だ。絶対に駄目だ。
セベリノは仰向けになり、パァンと強く自分の頬を両手で叩いた。

セベリノの部屋はニルダの部屋の隣である。ニルダの家は、1階は広い居間と食堂、台所、風呂とトイレ、亡くなったニルダの父が工房として使っていた部屋がある。ニルダの父は、主に装飾品を作る職人だったらしい。2階は4部屋とトイレがあり、ニルダの部屋の向かいはニルダの妹の部屋で、その隣は物置になっている。セベリノが使わせてもらっている部屋は、元々はニルダの両親の部屋だった。ニルダの両親の部屋は、2人とも亡くなった後に片付けたそうで、殆ど何も置いてなかった。しかし、妹の部屋はそのまま全て残されていた。可愛らしい壁紙の部屋で、古びたベッドには女の子が好きそうな柄の寝具があり、勉強机も古いが可愛らしいものだった。きっと、いつ妹が帰ってきてもいいように、そのままにしてあるのだろう。

ベッドに寝転がって、セベリノはぼんやりと天井を見上げた。全然違うことを考えよう。じゃないと、土下座どころじゃすまないようなことを考えてしまいそうだ。

セベリノはなんとなく引っかかっていたニルダの妹のことを考え始めた。
ニルダの身内は妹家族だけだ。肉親と限定すると、妹と甥っ子達だけになる。結婚式の時に初めて会ったニルダの妹アルマは、ニルダとは全然似ていない穏やかな顔立ちをした普通の女だった。アルマからの贈り物を見たニルダは、なんだかとても嬉しそうだった。結婚式の時のアルマは、ものすごく素っ気なくて、ニルダの方を見もしなかった。結婚前の挨拶も断られている。ニルダは、両親が亡くなってからは、殆どアルマに会っていないらしい。
なんだか、少しモヤモヤする。アルマは兄妹なのだから、ニルダが優しいことを知っている筈だ。もうちょっとニルダと親しくしてくれてもいい気がする。セベリノが2人の関係をよく知らないからそう思うだけなのかもしれないが、ニルダに1人でも多く軽口を言い合えるような相手がいてほしい。余計なお世話かもしれないが、お互いに唯一の兄妹なのだし、もうちょっと良好な関係の方がいいと思う。

セベリノは暫くの間ぐるぐると考え、明日、ニルダには内緒で、アルマの家に事情を聞きに突撃することを決めた。





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ニルダには買い物をしてくると言って、セベリノは1人で家を出た。返礼品は昨日の今日でまだ用意していないが、適当に果物でも買って、お裾分けと挨拶に来たとでも言えばいいだろう。
アルマの嫁ぎ先は一応聞いている。セベリノは途中にある果物屋で杏を大量に買うと、アルマの嫁ぎ先の家具屋がある第三地区に向けて歩き始めた。

アルマの嫁ぎ先の家具屋は、老舗で有名なところで、迷わずに辿り着くことができた。店内に入るとすぐに、小さな子供を抱っこして店番をしているアルマの姿が目に入った。
カウンターの所に座り、子供をあやしていたアルマが顔を上げ、セベリノを見るなり、微かに眉間に皺を寄せた。
セベリノはにこやかな笑みを浮かべて、アルマに声をかけた。


「こんにちは。アルマさん。先日はありがとうございました」

「……こんにちは。家具を見に来たの?」

「いえ。杏をいっぱい貰ったのでお裾分けに来ました。それと、貴女と少し話がしたかったので」

「……奥が家なの。ちょっと待ってて。お義母さんと店番を変わってもらうから」

「お仕事の邪魔をしちゃって、すいません」

「……別に」


アルマがむすっとした顔で立ち上がり、子供を抱っこしたまま奥の方へと向かった。セベリノがその場で待っていると、すぐにアルマの義母らしき老女とアルマが戻ってきた。
セベリノはアルマの義母に感じよく挨拶をしてから、子供を義母に預けたアルマについていき、家の中に入った。

セベリノは居間に通され、すぐにアルマがお茶を運んできてくれた。お茶の礼を言ってから、杏が入った袋をアルマに手渡すと、アルマが小さく礼の言葉を口にした。
セベリノと対面になるソファーにアルマが座ると、セベリノは単刀直入に話を切り出した。


「アルマさんはニルダさんが嫌いなんですか」

「…………別に」

「じゃあ、なんでニルダさんと会わないんですか?」


セベリノの言葉に、アルマが眉間に深い皺を寄せた。少し俯いて、下唇を噛みながら膝の上で拳を握り、少しの沈黙の後、アルマが口を開いた。


「……会いたくないから会わないんじゃないわ。夫と義両親が嫌がるから帰らないだけ。子供達もニーを怖がるし。……私が夫と結婚する時、ニーと頻繁に会わないことが条件の一つだった」

「は?」

「私の夫、かなり気が小さいの。ニーが怖いのよ。それに、ニーは『幸福の導き手』なのに、『恐怖の巨人』なんて言われてるでしょ。自分の身内にそんな人がいるのが嫌なんでしょうよ。ニーと極力関わりたくないんですって。両親が生きてた頃は、両親に会いに行くって理由で実家に帰れた。……まぁ、それはそれで嫌な顔をされてたけど。『嫁いできた身で実家に帰るなんて』って」

「いや、嫁いでも普通に実家に帰るでしょ」

「さぁ?お義母さんもお義父さんも、『嫁いできたのだから、お前の家は此処だけだ』って言ってたもの。お義母さんも結婚してからは、殆ど実家には帰らなかったらしいわ。此処はそういう家なのよ」

「はぁ……さようで」

「……私、ニーが嫌いだった時期がある。ニーは、あの見た目なのに、『幸福の導き手』だし。友達とか、学校が一緒なだけのよく知らない人から、結構色々言われてたのよ」

「…………」

「ニーが無理だからって、フラれたこともあるわ。中々結婚が決まらなくて、婚期を逃すかもって、かなり焦ってた時期もあったし。まぁ、ギリギリ嫁き遅れる前に結婚できたけど。……ニーが、私の兄妹だってことが嫌だった。でも、本当に嫌いにはなれなかった。……ねぇ」

「はい」

「何で、ニーと結婚したの」

「……ニルダさんが好きだからです」

「どこが好きなの」

「……すごく、優しいところ」


セベリノは少しだけ俯き、なんとなく手をもじもじさせながら答えた。6割くらいは嘘である。結婚した理由は、セベリノの保身の為だ。でも、ニルダのことは本当に優しいと思っているし、心底感謝もしている。
アルマの視線を感じて、セベリノは真っ直ぐにアルマを見返した。アルマがぼそっと呟いた。


「貴方、ちゃんとニーが好きなのね」

「あ、はい」

「ニーは優しいでしょ」

「はい。ものすごく」

「ちっちゃい頃から優しいのよ。優しいから、ずっと1人なの。本当に馬鹿みたいに優しい。私がニーを避けてた時も、何も言わなかった。私が母さんに泣きついた時は、何も言わない癖にいつも私の部屋の前にクッキーが置いてくれてた。自分は甘いもの食べないのに、『食いきれないから』とか言って。……子供達にね、毎年誕生日プレゼントをくれるのよ。私の夫が嫌な顔しても、子供達がニーを見てギャン泣きしても、必ず届けに来てくれるの。絶対自分が嫌な思いするのに、絶対に来てくれるの。……私の誕生日にも」

「アルマさん……」

「夫のことが好きなの。お義父さんもお義母さんも、よくしてくれている方だと思う。だから、ニーに会うわけにはいかないの」

「……そうですか」

「……セベリノ」

「はい」

「ニーのこと、よろしくね。悲しい思いをさせないで。ずっと側にいてあげて。一緒に笑っていてあげて。ニーをちゃんと幸せにしてあげて」

「……はい」

「……この事、ニーには言わないで。夫達に嫌われてるって知ったら、ニーが傷つく。……もうとっくに気づいてるかもしれないけど」

「分かりました」

「ありがとう……実家の5軒先にパン屋があるでしょう?」

「ん?あ、はい。ありますね」

「ニー、あそこの干し葡萄のパンが好きなの。甘いものは全然食べなくて、果物も殆ど食べないけど、あそこの干し葡萄のパンだけは好きなのよ。あそこの息子がビビリで、ニーを見る度にべそをかくから、絶対に自分じゃ買いに行かないけど」

「帰りに買って帰ります」

「うん。そうして。……貴方も、此処には来てくれない方がいいわ。多分、夫達がいい顔しないから。……ごめんなさいね。私の居場所は此処しかないの。夫達に反発する勇気が、私にはないのよ。情けないことにね」

「いえ……その、突然押しかけてきて、すいませんでした」

「いいわ。貴方がちゃんとニーのことを大事にしてるのが分かったし」

「ニルダさんの側には、俺がずっといます」

「うん。セベリノ。ニーを好きになってくれてありがとう」

「……いえ。あの……」

「なに」

「貴女からの贈り物、ニルダさんが嬉しそうでした」

「そう」


泣きそうな顔で笑ったアルマに、なんだか胸が締めつけられるような気がした。
アルマは、ちゃんとニルダのことを家族として好きだった。ただ、婚家の関係で、ニルダと関われなくなっていただけだった。アルマには3人も子供がいる。夫が好きだからという理由もあるのだろうし、どうしても今の自分の家庭を最優先にしなければいけないのだろう。

帰り道、アルマに教えてもらったパン屋を目指しながら、セベリノは苦い思いを噛み締めた。ニルダが何をしたと言うのだ。ただ、ちょっと見た目が怖いだけだ。ニルダ自身は、本当にすごく優しいのに。アルマにはアルマの事情がある。アルマがニルダのことを嫌いじゃなかったのはよかったが、それにしたって後味が悪い。嫁いでいる以上、アルマは一応違う家の人間になる。あまり他人様の家庭に口出しするのも憚られる。
セベリノは何度も大きな溜め息を吐きながら、落ち込んだ気分のまま、干し葡萄のパンをいっぱい買って、家に帰った。


干し葡萄のパンをニルダに渡すと、ニルダがきょとんとした後、パァッと嬉しそうに笑った。何故か、ニルダは笑うと3割増しで顔が怖くなる。セベリノでさえ、ちょっと金玉がひゅんってしちゃったくらい、満面の笑顔は怖かった。それでも、ニルダの笑顔が見ることができて、セベリノは嬉しかった。
気合を入れて夕食を作り、一緒に食べながら、セベリノはニルダに話しかけた。


「ニルダさん。好きなものは何ですか?」

「……胡桃」

「他には?」

「酒」

「結婚式の残りの酒が大量にありますよね。勿体無いし飲みますか」

「あぁ」

「明日は胡桃を買ってきます。どうやって食べるのが好きですか?」

「パン」

「パンは自分で作ったことがないですね。折角だし、挑戦してみますか。ニルダさんも手伝ってくださいよ。一緒にやりましょう」

「あぁ。……お前は」

「ん?」

「好きなもの」

「んー。茄子が好きですね。チーズをたっぷり乗せて焼いたやつが一番好きです。あとクッキーが好きです。ジャムクッキー。実家の近くの菓子屋のが美味しいんですよ」

「そうか」

「酒持ってきますね。肴も追加でなんか作りますか?」

「いい。十分ある」

「そうですか?酒はどれがいいです?」

「任せる」

「ふむん。今日のメニューだと、葡萄の蒸留酒が合うかな?キツいけど、それでいいですか?」

「あぁ」

「俺も軽めのを飲もうかなぁ。飲みきれないだろうから、手伝ってくださいよ」

「あぁ」


セベリノはいそいそと台所横のちょっとした食料収納部屋に移動し、酒の瓶を2本手に取った。結婚式で余りまくった酒がいっぱいある。暫くは酒を買わなくていい。
明日までは2人とも休みだ。初めて挑戦するパン作りを、2人で楽しめたらいい。
セベリノはグラスも取りに行ってからニルダの元に戻り、もっもっと干し葡萄のパンを頬張っているニルダに、酒を注いだグラスを笑顔で手渡した。

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