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前編
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アイシャはなんとか運んだ重い飼葉の束をどさっと地面に置き、ふぅと疲れた息を吐いた。アイシャは騎士団の雑用係をしている。アイシャ自身は騎士ではない。騎士団の寮の管理や騎士団の設備の管理、その他諸々を、同僚の壮年の男と2人でしている。同僚の男は膝が悪く、あまり重いものは持てない。必然的に、アイシャが重労働をやることになっている。
アイシャはまだ成人したばかりの18歳で、身体はひょろひょろに情けなく痩せていて、顔立ちは猫っぽいと言われる童顔である。騎士団の若い騎士達に尻を撫でられたり、卑猥な言葉を投げかけられたりと、セクハラされまくる日々を送っている。幸いにも、力づくでどうこうしようという者はまだいないが、いつ襲われるんじゃないかとヒヤヒヤしながら、毎日朝から晩まで休むことなく働いている。
アイシャは兄弟が多く、7人兄弟の一番上だ。一番下の子はまだ2歳で、街の役場で働く父親の収入だけでは生活が厳しいので、16歳の頃から騎士団の雑用係として働き始めた。本当は、勉強が好きで、将来は学校の先生になりたかったが、家の事情を考えたら、高等学校に行きたいだなんて言えなかった。
アイシャは家族の為に頑張って働いている。家族のことは本当に大事だ。でも、時々少しだけ疲れる。朝から晩まで重労働を含めた仕事で走り回って、家に帰れば、下の子達の世話が待っている。下の兄弟達は可愛いが、それでもたまに、自分1人だけの時間があればなぁと思ってしまう。寝る時も下の子達と一緒だ。アイシャもお年頃なので、溜まったりするが、ゆっくりオナニーができた事なんてないし、エロ本もまともに読んだことがない。生活に支障をきたさないように、トイレでがーっとペニスを擦って出して終わりだ。結婚したら家を出るのだろうが、今の状況では、結婚なんか無理だ。結納金とか準備する余裕なんて欠片もない。毎日、生活をしていくだけで精一杯だ。騎士になれるような体格や運動神経があったら、また少し違ったのだろうが、残念ながら、アイシャは小さな頃から小柄で痩せていて、運動も苦手で初等学校では同じ学年の中で一番足が遅かった。勉強は好きだったが、成績は普通で、仮に高等学校への進学が許される環境だったとしても、頑張っても高等学校の進学は無理だったかもしれない。
できないこと尽くしのアイシャは、ひたすら雑用係として働くことしかできない。雑用係の給料は、そんなにいい方じゃない。騎士は高給取りだが、アイシャはそんな騎士達の為の単なる雑用係だ。誰にだって出来る簡単な仕事だから、給料は安い。それでも、頑張らなくてはいけない。
アイシャは荒くなった息を整えると、再び納品された飼葉を置いている場所へと向かった。納品された飼葉は、まだまだ沢山ある。荷車にのせて運べればいいのだが、荷車自体が古くて重いし、飼葉をのせたら、アイシャ1人では動かせない。時間はかかるが、少しずつ抱えて運ぶのが一番早くて身体への負担も少ない。
アイシャは小走りで納品された飼葉を置いている場所に向かうと、飼葉の束を抱え上げて、よたよたと厩舎を目指して歩き始めた。
朝から始めた飼葉の移動は、なんとか昼過ぎには終わった。とても空腹だが、まだ他にもやることがいっぱいある。騎士団の寮の古くなってギィギィ鳴るようになったドアを修理して、訓練場の草むしりをしなくてはいけない。他にも、騎士や同僚の男に頼まれたら、それをしなくちゃいけない。アイシャは空きっ腹を抱えたまま、倉庫に行って道具を取り、騎士団の寮へと、転ばないくらいの速さで走った。
2年も雑用係をやっていれば、ドアの修理くらいは1人でも出来るようになった。騎士団の寮のドアを修理していると、若い騎士達の話し声が聞こえてきた。
「さっきの副団長、マジですごかったなぁ!」
「なー。化物みてぇに強い団長と互角に闘えるのなんて、副団長くらいだろ」
「格好いいよなぁ。顔もよし。家柄もよし。めちゃくちゃ強くて、仕事もできる。その上、気さくで優しい。完璧過ぎんだろ」
「俺、副団長にだったら抱かれてもいいわ」
「分かるー。でも、お前はねぇよ。でかっ鼻」
「うるせぇ!出っ歯!ちょっと夢みるくらいいいだろ!」
「出っ歯じゃねぇし!ちょっと前歯が自己主張してるだけだ!」
「まぁまぁ。落ち着けよ。お前ら。俺達みたいな下っ端なんて、相手にされないって。副団長は男にも女にもモテモテだし、選びたい放題状態なのに、俺達なんか選ぶ訳ねぇじゃん」
「そりゃそうだ」
「確かに」
アイシャはドアの修理をしながら、なんとなく若い騎士達の会話を聞いていた。話題になっている副団長は、本当に格好よくて凄い人だ。濃い赤毛をいつもお洒落に整えており、顔立ちは凛々しく整っていて、男臭い笑みを見ただけで孕みそうとか言われたりしている。渋くて低い声は男の色気がむんむんって感じだし、確か、まだ28歳なのに、数百人いる騎士団内で、一位二位を争うくらい強い。それなのに、それを鼻にかけることなく、誰にでも気さくに話しかけ、特に剣の鍛錬の指導に熱心だと聞いている。脳筋と噂の団長の代わりに書類仕事をやったりと、頭もすごくキレるらしい。実家はとても裕福な侯爵家で、副団長は三男らしい。顔よし。性格よし。実家はお金持ちで、ものすごく強い。本当に、同じ人間とは思えない程、完璧人間である。
アイシャもたまに副団長に声をかけてもらえる。仕事を頼まれたり、『今日も頑張ってるな』と笑って頭を撫でてもらって、飴を貰ったりしている。
副団長は男も惚れる男って感じで、アイシャも副団長になら抱かれてもいいなぁとうっかり思っちゃう程、めちゃくちゃ格好いい。副団長は、本当にずば抜けて、いい男なのである。
若い騎士達の話し声が遠ざかっていく頃に、アイシャはドアの修理を終えた。道具を片付けたら、次は訓練場の草むしりだ。同僚が先にやっているのだろうが、多分殆ど進んでないだろう。
アイシャが嫌だと言わずに何を言われても頷くので、年々アイシャの仕事が増えていく。押しつけられていると言ってもいい。同僚は、ちょこちょこサボって、待機室で煙草を吸っていたりする。注意をしたいが、相手はアイシャの父親よりも年上で、何も言えない。やれと言われたら、やるしかない。
アイシャは急いで倉庫に道具を片付けると、草むしり用の道具を持って、訓練場へと向かった。
訓練場はとても広く、訓練をする中央部分は地面が剥き出しだが、その周囲には芝生が植えてある。中央部分にも雑草が生えるし、芝生は小まめに短く刈らなければいけない。訓練場に行けば、案の定、同僚の姿は無かった。間違いなく、サボって煙草を吸っているのだろう。ぐるりと訓練場を見渡せば、殆ど草むしりは進んでいなかった。これは今日も帰りが遅くなるなと溜め息を吐きながら、アイシャは誰もいない訓練場の中央の土が剥き出しになっている所の草むしりを始めた。硬い地面に生えている根性があり過ぎる雑草を頑張って引き抜いていく。引っ張っても、どうしても抜けない草は、シャベルで硬い土を掘り、なんとか引っこ抜く。草を抜いた後の地面をシャベルで元通りに均してから、次の雑草を抜いていく。
アイシャは1人で黙々と草むしりをした。汗がだらだらと流れるが、誰も手伝ってくれないし、そもそもこれがアイシャの仕事だ。同僚は色々適当だし、アイシャが頑張るしかない。
中々抜けない草を一生懸命引っ張っていると、スパッと草で掌が切れた。ジクジクと痛むが、この程度の怪我で休む訳にはいかない。明日は明日の仕事がある。今日の仕事は今日終わらせないといけない。
アイシャは顎を伝う汗を草臥れたシャツの袖で拭き、掌のうっすら滲んだ血もズボンで拭いて、根性ありまくりの雑草達との戦いを再開した。
完全に日が暮れた頃に、漸く訓練場の草むしりが終わった。アイシャが疲れた身体を引き摺るように、雑草を詰めた重い袋を運んでいると、唐突に横からひょいと重い袋が取り上げられた。
「え?」
「またこんな時間まで仕事してたのか。アイシャ」
「あ。副団長様」
アイシャが抱えていた重い雑草が詰まった布袋を取り上げたのは、昼間若い騎士達が噂していた副団長のディーベルだった。
アイシャはあわあわと慌てて、ディーベルから布袋を返してもらおうとした。
「あのっ!それ、俺が運ぶんでっ!」
「お前には重過ぎるだろ。倉庫の裏に運ぶんだろ。さっさと運んで帰るぞ」
ディーゼルがニッと男臭く笑って歩き出した。格好よ過ぎてヤバい。笑顔を見るだけで孕むと言われるのが理解できちゃうくらい、男臭い笑みを浮かべたディーゼルは問答無用で格好いい。おまけに優しい。
アイシャはじわぁっと涙が浮かびそうになるのを必死で堪えて、慌ててディーゼルの隣を歩いた。ものすごく疲れている時に優しくされちゃうと、うっかり泣いてしまいそうになる。アイシャのことを『頑張ってるな』と褒めてくれるのは、ディーゼルくらいのものだ。家族ですら、『頑張ってるね』って言ってくれない。アイシャが頑張るのは、当たり前のことだからだ。
アイシャの歩幅に合わせて、ディーゼルがいつもよりゆっくり歩いてくれている。本当はもっと颯爽と速く歩くことを知っている。ディーゼルのさり気ない気遣いが嬉しくて、アイシャはまた涙が浮かびそうになるのを頑張って堪えた。
「来年の話になるんだが、雑用係を増やすことになりそうだ」
「そうなんですか!?」
「あぁ。爺さんもいい年だし、今はアイシャばっかりが1人で仕事をしているだろう?流石に1人でやれる程、雑用係の仕事は暇じゃない。今年いっぱい、なんとか頑張ってくれないか?もう頑張りまくってるお前にこう言うのは心苦しいんだが」
「がっ、頑張ります!」
「キツくなったら、ちゃんと言うんだぞ。前倒しで新しい雑用係を雇えればいいんだが、人事と経理課が煩くてな。申し訳ない」
「ふっ、副団長様が謝ることじゃないです!俺っ、俺、ちゃんと頑張れます!」
「お前が頑張ってることは知ってるさ。だが、これ以上頑張れと言うのもなぁ」
背が高いディーゼルの横顔を見上げれば、ディーゼルが渋い顔をしていた。アイシャはあわあわしながら、ディーゼルに話しかけた。
「ドアの修理とか、1人で出来るようになりました!草むしりも1人で大丈夫です!来年まで、ちゃんと頑張れます!」
「うん。アイシャなら、そう言うと思った。でも無理はするなよ。人間、身体が一番大事なんだからな」
「は、はい」
ディーゼルがアイシャを見下ろして、優しく微笑んだ。ドキッとアイシャの心臓が高鳴った。
そのまま、2人で倉庫の裏へと向かって歩いていく。アイシャはディーゼルに聞かれるがままに、下の兄弟達の話しをした。ディーゼルは楽しそうに微笑ましそうに笑って聞いてくれた。
倉庫の裏へ雑草が詰まった重い布袋を運んでもらうと、ディーゼルがニッと笑って、アイシャの頭をわしゃわしゃと撫で回した。
「気をつけて帰れよ。帰ったら、しっかり休むこと。弟達の世話をするのもいいが、ちゃんと休むんだぞ」
「は、はい。ありがとうございます」
「じゃあ、また明日な。明日も頑張り過ぎるなよ」
「は、はい!」
ディーゼルがズボンのポケットから包み紙に包まれた飴を取り出して、アイシャに手渡した。もう一度、わしゃわしゃとアイシャの頭を撫で回してから、ディーゼルは騎士団の寮がある方向へと歩いていった。
アイシャはその場で飴の包み紙を外し、飴を口に放り込んだ。酷く空腹で疲れた身体に、優しい甘さが染み渡る。
アイシャは、じわぁっと滲んだ涙をゴシゴシとシャツの袖で拭い取り、家に帰る為に、鞄を取りに待機室へと足早に向かった。
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アイシャはずっしりと重い荷物を抱えて、のろのろとした足取りで市場を歩いていた。今日は休日である。母親に頼まれて、買い出しに来ている。母親から渡されたメモには、小麦粉や芋、肉等、重いものが多く書かれていた。まだ小さい下の弟達が一緒に行きたがったが、全力で宥めて家に置いてきた。連れてきたら、お菓子が欲しい、あれが食べたいこれが食べたいとねだられまくって、最終的にグズって泣くのが目に見えているからだ。余計なものを買う余裕なんて無い。そりゃあ、アイシャだって、弟達にお菓子くらい買ってやりたいが、我が家の家計にそんな余裕は無い。安いお菓子でも、人数分買えばそれなりの値段になるし、上の弟や妹は食べ盛りだから、一つや二つくらいじゃ足りないと騒ぎ出す。
アイシャがもっと稼げればいいのだが、現実問題として、それは厳しい。いっそ花街で身売りでもすればいいのだろうが、それだけはしたくない。知らない男に抱かれるなんて、想像するだけで吐き気がする。アイシャは淡い金髪に青色の瞳をしていて、猫みたいで可愛いと言われる顔立ちをしているから、実際に身売りしようと思えば、普通にできるだろう。15歳になった頃、両親がこっそりとアイシャを娼館に売ろうかと相談しているのを聞いてしまった事がある。アイシャはショックで、身体を売るなんて絶対に嫌で、話しを聞いてしまった数日後に、何食わぬ顔をして、中等学校を卒業したら就職すると両親に話した。
アイシャは疲れた溜め息を吐きながら、重い荷物を抱えて、肉屋へ向かった。人数が多いし、皆食べ盛りだから、買わなくてはいけない肉の量も多い。荷物が更に重くなり、地味にしんどい。
アイシャの身体がもっと丈夫で逞しかったらよかったのに。アイシャは小さな頃から少食な方で、太りにくいし、日々肉体労働をしていても、全然筋肉がつく気配がない。
アイシャは細い腕で頑張って重い荷物を抱え、家を目指して歩き始めた。
アイシャの家は下町にある。下町方向へ大通りを歩いていると、後ろから、ポンと肩を叩かれた。顔だけで振り返れば、私服姿のディーゼルがいた。
アイシャは驚いて、キョトンと目を丸くした。
「副団長様」
「やっぱりアイシャだったな」
「こ、こんにちは」
「こんにちは。随分と荷物が多いな」
「あ、はい。えっと、買い出し中で……うち、人数が多いので」
「なるほど」
ディーゼルが何故か考え込むように自分の顎を撫で、アイシャが抱えていた荷物をひょいと取り上げた。
「副団長様!?」
「送っていこう」
「え、でも、副団長様にそんなことをさせる訳には……」
「いい。いい。気にするな。俺がしたいだけだ。アイシャ。今日、この後予定はあるか?」
「えっと、下の子の相手とかするくらいです」
「ふーん。うん。じゃあ、ちょっと俺に付き合ってくれ」
「え?あ、は、はい」
「家はどっちだ?」
「あ、あっちの方向です」
「お。そうか。じゃあ、案内してくれ」
「は、はい」
ディーゼルがニッと笑って、重い荷物を片手で抱えて、くしゃっとアイシャの頭を撫でた。
アイシャの案内でアイシャの家に着くと、一番下の弟を抱っこした母親がディーゼルを見て、とても驚いていた。ディーゼルは愛想よく笑って、重い荷物を台所まで運ぶと、『アイシャを借りるな』と言って、アイシャを連れて家を出た。
アイシャがディーゼルの案内で連れて行かれた場所は、高級住宅街の近くにあるこじんまりとした一般住宅だった。二階建てで、狭いが庭がある。
アイシャが、何故ディーゼルはアイシャを此処に連れてきたのだろうかと不思議に思っていると、家の鍵を開けたディーゼルがアイシャの背中をやんわりと押して、家の中へ入らせた。
家の中は物が少なく、キレイに掃除されていた。
ディーゼルが悪戯っ子みたいな顔で、口を開いた。
「此処は俺の隠れ家だ。アイシャ」
「は、はい」
「お前、ものすごく疲れた顔をしているぞ。少し昼寝でもしなさい」
「え?え?」
ディーゼルがアイシャの頬をやんわりと摘み、みょんみょんと優しく引っ張った。
「寝室に案内しよう。昼飯の時間には起こしてやるよ」
「えっ!?あ、あの、流石にご迷惑なのでは!?」
「ん?俺がしたくてしてる事だ。気にするな」
「でも……」
「いいから寝る」
「あ、はい」
「いい子だ」
アイシャはとても困惑していたが、ディーゼルの笑顔の圧に負けた。ディーゼルの案内で寝室に行くと、大きなベッドに上がり、布団に潜り込んだ。昨日は下の子がご機嫌斜めで、ずっとあやしていたので、あんまり寝ていない。ふかふかの布団に包まれると、すぐに眠気が襲ってきた。
ディーゼルがベッドに腰掛け、優しくアイシャの頭を撫でた。
「寝てしまえ」
「……はい」
ディーゼルの低くて渋い声は、どこまでも優しくて、アイシャはすぅっと夢の中へと旅立った。
アイシャは優しく頭を撫でられ、名前を呼ばれて目が覚めた。ゆっくりと目を開ければ、ディーゼルがベッドに腰掛けていた。ディーゼルの剣胼胝のある大きなゴツい手は、温かくて、優しくて、また眠りに落ちそうなくらい落ち着く。
ディーゼルがクックッと笑いながら、アイシャのふわふわの癖っ毛をかき混ぜるように、アイシャの頭を優しく撫で回した。
「昼飯を食おう。俺が作ったものだから、味の保証はできないがな」
「え?あ、はい」
ディーゼルが戯けるように肩を竦めた。
アイシャは、なんだか現実味が無くて、頭がふわふわしたまま起き上がり、ベッドから下りて、ディーゼルの案内で居間へと向かった。
居間のテーブルの上には、ほんのり湯気が立つ美味しそうな匂いがするシチューとパン、皮を剥いて食べやすい大きさに切られている林檎があった。ふわふわ香る美味しそうな匂いに、アイシャの薄い腹が、クゥーっと小さく音を立てた。
ディーゼルにエスコートされるように椅子に座り、目の前の料理を眺める。シチューは肉や野菜がゴロゴロ入っていて、本当に美味しそうだ。
ディーゼルに勧められるがままにスプーンを手に取り、シチューを一口食べれば、優しい味が口の中に広がった。温かいシチューが、じんわりとアイシャの腹の中を温めてくれる。パンはふわふわで、シチューにつけて食べると、すごく美味しかった。いつも、家での食事は、下の子達に食べさせながらだから、アイシャが食べる頃には、冷めていることの方が多い。上の兄弟にねだられて、自分の食事を分けてやることも多い。こんなにゆっくり食事をとるなんて、もしかしたら、記憶にないくらい小さな頃以来かもしれない。
アイシャがはぐはぐと夢中で美味しいシチューを食べていると、ディーゼルがクックッと楽しそうに笑った。
「口に合うか?」
「すごく美味しいです!」
「そうか。それならよかった」
ディーゼルがはにかんだように笑った。
何でディーゼルは単なる雑用係であるアイシャにここまでよくしてくれるのだろうか。アイシャは不思議に思ったが、温かいシチューが冷めないうちに食べきる事を優先して、随分と久しぶりに、お腹いっぱいシチューやパンを食べた。
満腹になると、再び眠気が襲ってくる。しかし、これ以上、ディーゼルの世話になる訳にはいかない。ディーゼルだって休日なのだから、ゆっくり休むべきだし、そもそもディーゼルとアイシャでは身分が違う。こうして同じ食卓につくのも、本来なら許されない事だ。
アイシャはおずおずと、何故か楽しそうに笑っているディーゼルに話しかけた。
「あの……ご馳走様でした。本当に美味しかったです」
「ははっ。そうか。腹が落ち着いたら、もう少し寝ておけ」
「え、いや、でも……」
「なんなら一緒に昼寝するか」
「ふぇっ!?」
「うん。それがいいな。よし。そうするか」
「え?え?え?」
アイシャが混乱して固まっている間に、ディーゼルが機嫌よく笑って、食べ終わった食器類をまとめて、運んでいった。
何がどうして、ディーゼルと一緒に昼寝することになってしまったのか。アイシャは疑問符だらけの頭で、戻ってきたディーゼルに子供みたいに抱っこされて、再び寝室に戻った。
ディーゼルに抱き枕のようにゆるく抱きしめられて、アイシャの心臓はドッドッドッドッと激しく動き始めたが、ディーゼルに優しく頭を撫でられると、心地よくて、すぐに眠気が訪れ、そのまま、すやぁと寝落ちた。
アイシャが再び目覚めると、もう夕方が近い時間になっていた。
目を開けた瞬間、ディーゼルの凛々しく整った穏やかな寝顔が飛び込んできて、アイシャは反射的に自分の口を両手で押さえた。ビックリし過ぎて、あやうく奇声を発するところだった。
ディーゼルは寝顔も格好いい。すぅすぅと穏やかな寝息を立てている唇の上や顎周りには、ほんの少しだけ髭が生えていた。夕方だから、髭が伸びてきているのだろう。それでもディーゼルは格好いい。
なんでこんなによくしてくれるのだろうかと、アイシャが不思議に思いながら、寝ているディーゼルを起こさないように大人しくしていると、ディーゼルの長い睫毛が微かに震え、ゆっくりとディーゼルが目を開けた。ディーゼルの深い緑色の瞳がアイシャを捉えると、ディーゼルの目が楽しそうに細まった。
「おはよう。アイシャ」
「お、おはようございます」
寝起きの少し掠れた低くて渋い声が、半端なく男の色気があって、思わずドキッとしてしまう。
アイシャがドキマギしていると、ディーゼルが小さく欠伸をしながら、ゆるく抱きしめていたアイシャの身体をぎゅっと抱きしめた。足が絡んで、下腹部までピッタリと全身が温かいディーゼルの身体にくっつく。心臓が忙しなく動いて、今にも胸から心臓が飛び出してしまいそうだ。
ディーゼルがアイシャのふわふわの癖毛に鼻先を埋め、クックッと楽しそうに笑った。
「勃ってるな」
「うぇっ!?あ、あ、こっ、これは……」
「朝勃ちだろう?もう夕方だけど。俺も勃ってる」
「わ、わ、わ……」
下腹部に何か硬いものが押しつけられた。間違いなく、勃起したディーゼルのペニスだろう。アイシャのペニスもゆるく勃起している。
ディーゼルがアイシャの腰をやんわりと撫でながら、形のいい鼻先をすりっとアイシャの鼻に擦りつけ、内緒話をするような小さな声で、楽しそうに囁いた。
「溜まってるなら、一緒に抜くか?」
アイシャは思わず、ごくっと生唾を飲んだ。至近距離にある緑色の瞳は楽しそうに輝いていて、でも、どこか今まで見たことがない熱を孕んでいた。
アイシャはドキドキしながらも、気づけば小さく頷いていた。
ディーゼルが小さく笑って、アイシャの下唇をちゅくっと優しく吸い、つーっとアイシャの薄い唇をなぞるように、熱い舌を這わせた。
アイシャはまだ成人したばかりの18歳で、身体はひょろひょろに情けなく痩せていて、顔立ちは猫っぽいと言われる童顔である。騎士団の若い騎士達に尻を撫でられたり、卑猥な言葉を投げかけられたりと、セクハラされまくる日々を送っている。幸いにも、力づくでどうこうしようという者はまだいないが、いつ襲われるんじゃないかとヒヤヒヤしながら、毎日朝から晩まで休むことなく働いている。
アイシャは兄弟が多く、7人兄弟の一番上だ。一番下の子はまだ2歳で、街の役場で働く父親の収入だけでは生活が厳しいので、16歳の頃から騎士団の雑用係として働き始めた。本当は、勉強が好きで、将来は学校の先生になりたかったが、家の事情を考えたら、高等学校に行きたいだなんて言えなかった。
アイシャは家族の為に頑張って働いている。家族のことは本当に大事だ。でも、時々少しだけ疲れる。朝から晩まで重労働を含めた仕事で走り回って、家に帰れば、下の子達の世話が待っている。下の兄弟達は可愛いが、それでもたまに、自分1人だけの時間があればなぁと思ってしまう。寝る時も下の子達と一緒だ。アイシャもお年頃なので、溜まったりするが、ゆっくりオナニーができた事なんてないし、エロ本もまともに読んだことがない。生活に支障をきたさないように、トイレでがーっとペニスを擦って出して終わりだ。結婚したら家を出るのだろうが、今の状況では、結婚なんか無理だ。結納金とか準備する余裕なんて欠片もない。毎日、生活をしていくだけで精一杯だ。騎士になれるような体格や運動神経があったら、また少し違ったのだろうが、残念ながら、アイシャは小さな頃から小柄で痩せていて、運動も苦手で初等学校では同じ学年の中で一番足が遅かった。勉強は好きだったが、成績は普通で、仮に高等学校への進学が許される環境だったとしても、頑張っても高等学校の進学は無理だったかもしれない。
できないこと尽くしのアイシャは、ひたすら雑用係として働くことしかできない。雑用係の給料は、そんなにいい方じゃない。騎士は高給取りだが、アイシャはそんな騎士達の為の単なる雑用係だ。誰にだって出来る簡単な仕事だから、給料は安い。それでも、頑張らなくてはいけない。
アイシャは荒くなった息を整えると、再び納品された飼葉を置いている場所へと向かった。納品された飼葉は、まだまだ沢山ある。荷車にのせて運べればいいのだが、荷車自体が古くて重いし、飼葉をのせたら、アイシャ1人では動かせない。時間はかかるが、少しずつ抱えて運ぶのが一番早くて身体への負担も少ない。
アイシャは小走りで納品された飼葉を置いている場所に向かうと、飼葉の束を抱え上げて、よたよたと厩舎を目指して歩き始めた。
朝から始めた飼葉の移動は、なんとか昼過ぎには終わった。とても空腹だが、まだ他にもやることがいっぱいある。騎士団の寮の古くなってギィギィ鳴るようになったドアを修理して、訓練場の草むしりをしなくてはいけない。他にも、騎士や同僚の男に頼まれたら、それをしなくちゃいけない。アイシャは空きっ腹を抱えたまま、倉庫に行って道具を取り、騎士団の寮へと、転ばないくらいの速さで走った。
2年も雑用係をやっていれば、ドアの修理くらいは1人でも出来るようになった。騎士団の寮のドアを修理していると、若い騎士達の話し声が聞こえてきた。
「さっきの副団長、マジですごかったなぁ!」
「なー。化物みてぇに強い団長と互角に闘えるのなんて、副団長くらいだろ」
「格好いいよなぁ。顔もよし。家柄もよし。めちゃくちゃ強くて、仕事もできる。その上、気さくで優しい。完璧過ぎんだろ」
「俺、副団長にだったら抱かれてもいいわ」
「分かるー。でも、お前はねぇよ。でかっ鼻」
「うるせぇ!出っ歯!ちょっと夢みるくらいいいだろ!」
「出っ歯じゃねぇし!ちょっと前歯が自己主張してるだけだ!」
「まぁまぁ。落ち着けよ。お前ら。俺達みたいな下っ端なんて、相手にされないって。副団長は男にも女にもモテモテだし、選びたい放題状態なのに、俺達なんか選ぶ訳ねぇじゃん」
「そりゃそうだ」
「確かに」
アイシャはドアの修理をしながら、なんとなく若い騎士達の会話を聞いていた。話題になっている副団長は、本当に格好よくて凄い人だ。濃い赤毛をいつもお洒落に整えており、顔立ちは凛々しく整っていて、男臭い笑みを見ただけで孕みそうとか言われたりしている。渋くて低い声は男の色気がむんむんって感じだし、確か、まだ28歳なのに、数百人いる騎士団内で、一位二位を争うくらい強い。それなのに、それを鼻にかけることなく、誰にでも気さくに話しかけ、特に剣の鍛錬の指導に熱心だと聞いている。脳筋と噂の団長の代わりに書類仕事をやったりと、頭もすごくキレるらしい。実家はとても裕福な侯爵家で、副団長は三男らしい。顔よし。性格よし。実家はお金持ちで、ものすごく強い。本当に、同じ人間とは思えない程、完璧人間である。
アイシャもたまに副団長に声をかけてもらえる。仕事を頼まれたり、『今日も頑張ってるな』と笑って頭を撫でてもらって、飴を貰ったりしている。
副団長は男も惚れる男って感じで、アイシャも副団長になら抱かれてもいいなぁとうっかり思っちゃう程、めちゃくちゃ格好いい。副団長は、本当にずば抜けて、いい男なのである。
若い騎士達の話し声が遠ざかっていく頃に、アイシャはドアの修理を終えた。道具を片付けたら、次は訓練場の草むしりだ。同僚が先にやっているのだろうが、多分殆ど進んでないだろう。
アイシャが嫌だと言わずに何を言われても頷くので、年々アイシャの仕事が増えていく。押しつけられていると言ってもいい。同僚は、ちょこちょこサボって、待機室で煙草を吸っていたりする。注意をしたいが、相手はアイシャの父親よりも年上で、何も言えない。やれと言われたら、やるしかない。
アイシャは急いで倉庫に道具を片付けると、草むしり用の道具を持って、訓練場へと向かった。
訓練場はとても広く、訓練をする中央部分は地面が剥き出しだが、その周囲には芝生が植えてある。中央部分にも雑草が生えるし、芝生は小まめに短く刈らなければいけない。訓練場に行けば、案の定、同僚の姿は無かった。間違いなく、サボって煙草を吸っているのだろう。ぐるりと訓練場を見渡せば、殆ど草むしりは進んでいなかった。これは今日も帰りが遅くなるなと溜め息を吐きながら、アイシャは誰もいない訓練場の中央の土が剥き出しになっている所の草むしりを始めた。硬い地面に生えている根性があり過ぎる雑草を頑張って引き抜いていく。引っ張っても、どうしても抜けない草は、シャベルで硬い土を掘り、なんとか引っこ抜く。草を抜いた後の地面をシャベルで元通りに均してから、次の雑草を抜いていく。
アイシャは1人で黙々と草むしりをした。汗がだらだらと流れるが、誰も手伝ってくれないし、そもそもこれがアイシャの仕事だ。同僚は色々適当だし、アイシャが頑張るしかない。
中々抜けない草を一生懸命引っ張っていると、スパッと草で掌が切れた。ジクジクと痛むが、この程度の怪我で休む訳にはいかない。明日は明日の仕事がある。今日の仕事は今日終わらせないといけない。
アイシャは顎を伝う汗を草臥れたシャツの袖で拭き、掌のうっすら滲んだ血もズボンで拭いて、根性ありまくりの雑草達との戦いを再開した。
完全に日が暮れた頃に、漸く訓練場の草むしりが終わった。アイシャが疲れた身体を引き摺るように、雑草を詰めた重い袋を運んでいると、唐突に横からひょいと重い袋が取り上げられた。
「え?」
「またこんな時間まで仕事してたのか。アイシャ」
「あ。副団長様」
アイシャが抱えていた重い雑草が詰まった布袋を取り上げたのは、昼間若い騎士達が噂していた副団長のディーベルだった。
アイシャはあわあわと慌てて、ディーベルから布袋を返してもらおうとした。
「あのっ!それ、俺が運ぶんでっ!」
「お前には重過ぎるだろ。倉庫の裏に運ぶんだろ。さっさと運んで帰るぞ」
ディーゼルがニッと男臭く笑って歩き出した。格好よ過ぎてヤバい。笑顔を見るだけで孕むと言われるのが理解できちゃうくらい、男臭い笑みを浮かべたディーゼルは問答無用で格好いい。おまけに優しい。
アイシャはじわぁっと涙が浮かびそうになるのを必死で堪えて、慌ててディーゼルの隣を歩いた。ものすごく疲れている時に優しくされちゃうと、うっかり泣いてしまいそうになる。アイシャのことを『頑張ってるな』と褒めてくれるのは、ディーゼルくらいのものだ。家族ですら、『頑張ってるね』って言ってくれない。アイシャが頑張るのは、当たり前のことだからだ。
アイシャの歩幅に合わせて、ディーゼルがいつもよりゆっくり歩いてくれている。本当はもっと颯爽と速く歩くことを知っている。ディーゼルのさり気ない気遣いが嬉しくて、アイシャはまた涙が浮かびそうになるのを頑張って堪えた。
「来年の話になるんだが、雑用係を増やすことになりそうだ」
「そうなんですか!?」
「あぁ。爺さんもいい年だし、今はアイシャばっかりが1人で仕事をしているだろう?流石に1人でやれる程、雑用係の仕事は暇じゃない。今年いっぱい、なんとか頑張ってくれないか?もう頑張りまくってるお前にこう言うのは心苦しいんだが」
「がっ、頑張ります!」
「キツくなったら、ちゃんと言うんだぞ。前倒しで新しい雑用係を雇えればいいんだが、人事と経理課が煩くてな。申し訳ない」
「ふっ、副団長様が謝ることじゃないです!俺っ、俺、ちゃんと頑張れます!」
「お前が頑張ってることは知ってるさ。だが、これ以上頑張れと言うのもなぁ」
背が高いディーゼルの横顔を見上げれば、ディーゼルが渋い顔をしていた。アイシャはあわあわしながら、ディーゼルに話しかけた。
「ドアの修理とか、1人で出来るようになりました!草むしりも1人で大丈夫です!来年まで、ちゃんと頑張れます!」
「うん。アイシャなら、そう言うと思った。でも無理はするなよ。人間、身体が一番大事なんだからな」
「は、はい」
ディーゼルがアイシャを見下ろして、優しく微笑んだ。ドキッとアイシャの心臓が高鳴った。
そのまま、2人で倉庫の裏へと向かって歩いていく。アイシャはディーゼルに聞かれるがままに、下の兄弟達の話しをした。ディーゼルは楽しそうに微笑ましそうに笑って聞いてくれた。
倉庫の裏へ雑草が詰まった重い布袋を運んでもらうと、ディーゼルがニッと笑って、アイシャの頭をわしゃわしゃと撫で回した。
「気をつけて帰れよ。帰ったら、しっかり休むこと。弟達の世話をするのもいいが、ちゃんと休むんだぞ」
「は、はい。ありがとうございます」
「じゃあ、また明日な。明日も頑張り過ぎるなよ」
「は、はい!」
ディーゼルがズボンのポケットから包み紙に包まれた飴を取り出して、アイシャに手渡した。もう一度、わしゃわしゃとアイシャの頭を撫で回してから、ディーゼルは騎士団の寮がある方向へと歩いていった。
アイシャはその場で飴の包み紙を外し、飴を口に放り込んだ。酷く空腹で疲れた身体に、優しい甘さが染み渡る。
アイシャは、じわぁっと滲んだ涙をゴシゴシとシャツの袖で拭い取り、家に帰る為に、鞄を取りに待機室へと足早に向かった。
------
アイシャはずっしりと重い荷物を抱えて、のろのろとした足取りで市場を歩いていた。今日は休日である。母親に頼まれて、買い出しに来ている。母親から渡されたメモには、小麦粉や芋、肉等、重いものが多く書かれていた。まだ小さい下の弟達が一緒に行きたがったが、全力で宥めて家に置いてきた。連れてきたら、お菓子が欲しい、あれが食べたいこれが食べたいとねだられまくって、最終的にグズって泣くのが目に見えているからだ。余計なものを買う余裕なんて無い。そりゃあ、アイシャだって、弟達にお菓子くらい買ってやりたいが、我が家の家計にそんな余裕は無い。安いお菓子でも、人数分買えばそれなりの値段になるし、上の弟や妹は食べ盛りだから、一つや二つくらいじゃ足りないと騒ぎ出す。
アイシャがもっと稼げればいいのだが、現実問題として、それは厳しい。いっそ花街で身売りでもすればいいのだろうが、それだけはしたくない。知らない男に抱かれるなんて、想像するだけで吐き気がする。アイシャは淡い金髪に青色の瞳をしていて、猫みたいで可愛いと言われる顔立ちをしているから、実際に身売りしようと思えば、普通にできるだろう。15歳になった頃、両親がこっそりとアイシャを娼館に売ろうかと相談しているのを聞いてしまった事がある。アイシャはショックで、身体を売るなんて絶対に嫌で、話しを聞いてしまった数日後に、何食わぬ顔をして、中等学校を卒業したら就職すると両親に話した。
アイシャは疲れた溜め息を吐きながら、重い荷物を抱えて、肉屋へ向かった。人数が多いし、皆食べ盛りだから、買わなくてはいけない肉の量も多い。荷物が更に重くなり、地味にしんどい。
アイシャの身体がもっと丈夫で逞しかったらよかったのに。アイシャは小さな頃から少食な方で、太りにくいし、日々肉体労働をしていても、全然筋肉がつく気配がない。
アイシャは細い腕で頑張って重い荷物を抱え、家を目指して歩き始めた。
アイシャの家は下町にある。下町方向へ大通りを歩いていると、後ろから、ポンと肩を叩かれた。顔だけで振り返れば、私服姿のディーゼルがいた。
アイシャは驚いて、キョトンと目を丸くした。
「副団長様」
「やっぱりアイシャだったな」
「こ、こんにちは」
「こんにちは。随分と荷物が多いな」
「あ、はい。えっと、買い出し中で……うち、人数が多いので」
「なるほど」
ディーゼルが何故か考え込むように自分の顎を撫で、アイシャが抱えていた荷物をひょいと取り上げた。
「副団長様!?」
「送っていこう」
「え、でも、副団長様にそんなことをさせる訳には……」
「いい。いい。気にするな。俺がしたいだけだ。アイシャ。今日、この後予定はあるか?」
「えっと、下の子の相手とかするくらいです」
「ふーん。うん。じゃあ、ちょっと俺に付き合ってくれ」
「え?あ、は、はい」
「家はどっちだ?」
「あ、あっちの方向です」
「お。そうか。じゃあ、案内してくれ」
「は、はい」
ディーゼルがニッと笑って、重い荷物を片手で抱えて、くしゃっとアイシャの頭を撫でた。
アイシャの案内でアイシャの家に着くと、一番下の弟を抱っこした母親がディーゼルを見て、とても驚いていた。ディーゼルは愛想よく笑って、重い荷物を台所まで運ぶと、『アイシャを借りるな』と言って、アイシャを連れて家を出た。
アイシャがディーゼルの案内で連れて行かれた場所は、高級住宅街の近くにあるこじんまりとした一般住宅だった。二階建てで、狭いが庭がある。
アイシャが、何故ディーゼルはアイシャを此処に連れてきたのだろうかと不思議に思っていると、家の鍵を開けたディーゼルがアイシャの背中をやんわりと押して、家の中へ入らせた。
家の中は物が少なく、キレイに掃除されていた。
ディーゼルが悪戯っ子みたいな顔で、口を開いた。
「此処は俺の隠れ家だ。アイシャ」
「は、はい」
「お前、ものすごく疲れた顔をしているぞ。少し昼寝でもしなさい」
「え?え?」
ディーゼルがアイシャの頬をやんわりと摘み、みょんみょんと優しく引っ張った。
「寝室に案内しよう。昼飯の時間には起こしてやるよ」
「えっ!?あ、あの、流石にご迷惑なのでは!?」
「ん?俺がしたくてしてる事だ。気にするな」
「でも……」
「いいから寝る」
「あ、はい」
「いい子だ」
アイシャはとても困惑していたが、ディーゼルの笑顔の圧に負けた。ディーゼルの案内で寝室に行くと、大きなベッドに上がり、布団に潜り込んだ。昨日は下の子がご機嫌斜めで、ずっとあやしていたので、あんまり寝ていない。ふかふかの布団に包まれると、すぐに眠気が襲ってきた。
ディーゼルがベッドに腰掛け、優しくアイシャの頭を撫でた。
「寝てしまえ」
「……はい」
ディーゼルの低くて渋い声は、どこまでも優しくて、アイシャはすぅっと夢の中へと旅立った。
アイシャは優しく頭を撫でられ、名前を呼ばれて目が覚めた。ゆっくりと目を開ければ、ディーゼルがベッドに腰掛けていた。ディーゼルの剣胼胝のある大きなゴツい手は、温かくて、優しくて、また眠りに落ちそうなくらい落ち着く。
ディーゼルがクックッと笑いながら、アイシャのふわふわの癖っ毛をかき混ぜるように、アイシャの頭を優しく撫で回した。
「昼飯を食おう。俺が作ったものだから、味の保証はできないがな」
「え?あ、はい」
ディーゼルが戯けるように肩を竦めた。
アイシャは、なんだか現実味が無くて、頭がふわふわしたまま起き上がり、ベッドから下りて、ディーゼルの案内で居間へと向かった。
居間のテーブルの上には、ほんのり湯気が立つ美味しそうな匂いがするシチューとパン、皮を剥いて食べやすい大きさに切られている林檎があった。ふわふわ香る美味しそうな匂いに、アイシャの薄い腹が、クゥーっと小さく音を立てた。
ディーゼルにエスコートされるように椅子に座り、目の前の料理を眺める。シチューは肉や野菜がゴロゴロ入っていて、本当に美味しそうだ。
ディーゼルに勧められるがままにスプーンを手に取り、シチューを一口食べれば、優しい味が口の中に広がった。温かいシチューが、じんわりとアイシャの腹の中を温めてくれる。パンはふわふわで、シチューにつけて食べると、すごく美味しかった。いつも、家での食事は、下の子達に食べさせながらだから、アイシャが食べる頃には、冷めていることの方が多い。上の兄弟にねだられて、自分の食事を分けてやることも多い。こんなにゆっくり食事をとるなんて、もしかしたら、記憶にないくらい小さな頃以来かもしれない。
アイシャがはぐはぐと夢中で美味しいシチューを食べていると、ディーゼルがクックッと楽しそうに笑った。
「口に合うか?」
「すごく美味しいです!」
「そうか。それならよかった」
ディーゼルがはにかんだように笑った。
何でディーゼルは単なる雑用係であるアイシャにここまでよくしてくれるのだろうか。アイシャは不思議に思ったが、温かいシチューが冷めないうちに食べきる事を優先して、随分と久しぶりに、お腹いっぱいシチューやパンを食べた。
満腹になると、再び眠気が襲ってくる。しかし、これ以上、ディーゼルの世話になる訳にはいかない。ディーゼルだって休日なのだから、ゆっくり休むべきだし、そもそもディーゼルとアイシャでは身分が違う。こうして同じ食卓につくのも、本来なら許されない事だ。
アイシャはおずおずと、何故か楽しそうに笑っているディーゼルに話しかけた。
「あの……ご馳走様でした。本当に美味しかったです」
「ははっ。そうか。腹が落ち着いたら、もう少し寝ておけ」
「え、いや、でも……」
「なんなら一緒に昼寝するか」
「ふぇっ!?」
「うん。それがいいな。よし。そうするか」
「え?え?え?」
アイシャが混乱して固まっている間に、ディーゼルが機嫌よく笑って、食べ終わった食器類をまとめて、運んでいった。
何がどうして、ディーゼルと一緒に昼寝することになってしまったのか。アイシャは疑問符だらけの頭で、戻ってきたディーゼルに子供みたいに抱っこされて、再び寝室に戻った。
ディーゼルに抱き枕のようにゆるく抱きしめられて、アイシャの心臓はドッドッドッドッと激しく動き始めたが、ディーゼルに優しく頭を撫でられると、心地よくて、すぐに眠気が訪れ、そのまま、すやぁと寝落ちた。
アイシャが再び目覚めると、もう夕方が近い時間になっていた。
目を開けた瞬間、ディーゼルの凛々しく整った穏やかな寝顔が飛び込んできて、アイシャは反射的に自分の口を両手で押さえた。ビックリし過ぎて、あやうく奇声を発するところだった。
ディーゼルは寝顔も格好いい。すぅすぅと穏やかな寝息を立てている唇の上や顎周りには、ほんの少しだけ髭が生えていた。夕方だから、髭が伸びてきているのだろう。それでもディーゼルは格好いい。
なんでこんなによくしてくれるのだろうかと、アイシャが不思議に思いながら、寝ているディーゼルを起こさないように大人しくしていると、ディーゼルの長い睫毛が微かに震え、ゆっくりとディーゼルが目を開けた。ディーゼルの深い緑色の瞳がアイシャを捉えると、ディーゼルの目が楽しそうに細まった。
「おはよう。アイシャ」
「お、おはようございます」
寝起きの少し掠れた低くて渋い声が、半端なく男の色気があって、思わずドキッとしてしまう。
アイシャがドキマギしていると、ディーゼルが小さく欠伸をしながら、ゆるく抱きしめていたアイシャの身体をぎゅっと抱きしめた。足が絡んで、下腹部までピッタリと全身が温かいディーゼルの身体にくっつく。心臓が忙しなく動いて、今にも胸から心臓が飛び出してしまいそうだ。
ディーゼルがアイシャのふわふわの癖毛に鼻先を埋め、クックッと楽しそうに笑った。
「勃ってるな」
「うぇっ!?あ、あ、こっ、これは……」
「朝勃ちだろう?もう夕方だけど。俺も勃ってる」
「わ、わ、わ……」
下腹部に何か硬いものが押しつけられた。間違いなく、勃起したディーゼルのペニスだろう。アイシャのペニスもゆるく勃起している。
ディーゼルがアイシャの腰をやんわりと撫でながら、形のいい鼻先をすりっとアイシャの鼻に擦りつけ、内緒話をするような小さな声で、楽しそうに囁いた。
「溜まってるなら、一緒に抜くか?」
アイシャは思わず、ごくっと生唾を飲んだ。至近距離にある緑色の瞳は楽しそうに輝いていて、でも、どこか今まで見たことがない熱を孕んでいた。
アイシャはドキドキしながらも、気づけば小さく頷いていた。
ディーゼルが小さく笑って、アイシャの下唇をちゅくっと優しく吸い、つーっとアイシャの薄い唇をなぞるように、熱い舌を這わせた。
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