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媚薬に縋らずとも
しおりを挟む「お前を愛してる」
そう告げる君の手の中には何かを飲み干した残骸が握られていた。
もう、十年を超える時を、一緒に戦場で過ごしていた男だった。
僕が幼い頃に始まった隣国との戦争が漸く終わり、君や生き延びた仲間達と共に、王都へと帰還して、一年が経った。慣れない机仕事ばかりの日々を愚痴りあい、硝煙や血と泥の匂いを感じず、銃声と仲間や敵の悲鳴やうめき声を耳にしない日々の素晴らしさを語り合い、人間らしい食事ができる喜びを分かち合い、特に仲がいい戦友として、僕は君と過ごす平和な毎日をのほほんと満喫していた。
君の手にある空瓶を見た瞬間、僕は躊躇わずに君に飛びつき、躊躇なく君の口に指を突っ込んだ。
「何を飲んだ!?吐けっ!!」
「う、ぐぅっ、ぅ、ぐぅえっ」
僕は君の喉奥へと指を深く突っ込み、されるがままの君の胃の辺りに拳を強く叩き込んだ。君が前のめりになり、苦しそうにびしゃびしゃと吐瀉物を撒き散らかした。君が吐いたものを見れば、淡い桃色をしていた。酸っぱいような胃液の匂いとやけに甘ったるい匂いがする。
僕は嘔吐く君を肩に担ぎ上げ、一番近い水道へと走り、強制的に君に水を飲ませて、指を口に突っ込み、拳を腹に叩きつけ、何度も何度も君に吐かせた。
何を飲んだのかは分からないが、毒である可能性が捨てきれない。即死はしていないが、遅効性の毒であるかもしれない。怪我の応急処置ならともかく、毒の対処なんて分からない。吐かせるだけ吐かせて、医者のところに連れて行くしかない。
君が苦しそうに涙を浮かべながら何度も吐くと、僕は再び君を肩に担ぎ上げ、医者が常駐している軍の建物の医務室へと、全速力で駆け出した。
医者に診てもらったら、君はなんの異常もなかった。何を飲んだのかと、ぐったりとした君を医者と共に問い詰めると、君は暫く無言でいたが、渋々といった雰囲気で口を開いた。
「惚れ薬を飲んだ」
「なんだそれ」
「君。それ騙されてるよ。惚れ薬なんて都合のいいもの、あるわけないでしょ」
医者の呆れたような発言に、君が泣きそうに顔を歪めた。僕はバシッと強く君の頭を平手で叩いた。
「毒を飲んだのかと思っただろうが。人騒がせな」
「……わるい」
「理由は僕の部屋で聞く。先生はお喋りだから」
「誰がお喋りだい」
「僕の部屋に行くぞ」
「流さないでくれよ。まぁいいけど。診察結果は上に報告しないであげるよ」
「助かるよ。先生」
「いいってことさ」
気がきく医者に礼を言ってから、僕は俯いて下唇を噛んでいる君の腕を掴んだ。
官舎の自室に君と共に帰り、君をベッドに座らせる。君の吐瀉物で汚れた服を無理矢理脱がせて、君をパンツ一枚の姿にすると、僕は君の身体をベッドに押し倒して腹の上に跨り、君の身体を押さえつけるようにして両肩を掴み、真っ直ぐに君の顔を見下ろした。
「理由を言え」
「……この状態でか」
「君の逃げ足の速さを知ってる僕が、君が逃げられるような状態を許すと思うのか?パンツを残してやったのは、ほんの少しの情けだ。なんなら今からパンツも脱がす」
「……お前はそういう奴だよ。なぁ」
「なんだ」
「俺をフッてくれ」
「はぁ?」
「お前のことを愛してる。だが、戦争が終わった以上、実家の為に許嫁の女と結婚をしなくちゃいけない。……惚れ薬なんて、最初から信用していない。だが、惚れ薬のせいにしたら、お前に俺を見てもらえるかもしれないだろ?……ほんの一時でいい。ただ、幸せな夢が見たかった」
君が泣きそうに顔を歪めた。僕は面食らって、パチパチと何度も瞬きをした。
「君。僕が好きなのか」
「好きだ。わるいか」
「そうか。僕が好きなのに女と結婚するのか」
「そうだ。それが昔から決められていたことだ」
「ふーん。じゃあ、君を拐ってやろう」
「……は?」
「嫌なんだろう?結婚が。そして、君は僕が好きなんだろう。じゃあ、此処ではない何処かに行けばいい。糞みたいだった戦争がやっと終わったのに、また違う糞みたいな生活をするつもりなのか。君は」
「……お前は、お前は……俺のことなんか、愛していないだろう」
「今はな」
「は?」
「僕が君を愛すようになるかは、今後の君の努力次第だ。せいぜい頑張って口説け」
「自分の家も今の仕事も捨てる気か」
「柵がなくて気楽でいいだろう」
「……この馬鹿め」
「その馬鹿が好きなのは君だ」
「俺も馬鹿か」
「君も馬鹿だ」
君が今にも泣きそうな、不細工な笑みを浮かべた。僕は君を見下ろして、左の口角だけを上げて笑った。
「脱柵するぞ。今から」
「あぁ」
僕と君は見つめ合って、同時にニヤリと笑った。
敵に突撃する時は、いつも二人で顔を見合わせて、無理矢理にでも笑っていた。
僕と君の逃避行の幕開けである。君の愛にどう応えたかは、僕と君だけの秘密である。
(おしまい)
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