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1:飾り職人の権左

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 権左ごんざは、完成した簪を色んな角度から眺めて、ふふんと満足気な息を吐いた。我ながら上出来である。高級娼館の美しい遊女に飾るに相応しいものができた。権左は、丁寧に簪を布で包み、飾り箱に入れた。
 もう十日程、風呂に入っていない。権左は着替えと手拭いを用意して、ふらりと、棲家である長屋を出た。

 権左が住んでいるのは、花街の一角にあるボロい長屋だ。花街で働く者達が住んでいる。花街と言っても、春を売る者ばかりがいる訳ではない。飲み屋もあるし、小間物屋や呉服屋、小さいが診療所もある。
 権左は大きな欠伸をしながら、たらたらと歩き、湯屋に入った。小銭を番頭台に座る老婆に渡し、脱衣場に入る。時間が昼過ぎだからか、他に客はいなかった。貸切風呂だと、権左はにんまり笑った。
 脱衣場で着物を脱ぎ、早速浴場に向かう。小さな木の椅子に座って、身体を熱いお湯で流してから、糠袋で身体を擦ると、垢がポロポロと落ちた。ポロポロととれる垢が面白くて、権左は全身くまなく糠袋で擦った。垢や脂でベタついていた髪も洗髪剤で丁寧に洗った。熱いお湯で頭も身体も流すと、随分とスッキリした。権左は肩下まで伸ばしている白髪混じりの焦げ茶色の髪を、髪紐で一つに括ると、大きな湯船へと足を入れた。肩までお湯に浸かると、ゴリゴリに凝っていた肩や背中が一気に解れていく感じがする。これで按摩もいればいいのだが、残念ながら、金が足りない。今回の仕事は、デカい仕事で、細工に時間がかかり、出来上がって納品するまでは、実入りがない。細々と貯めていた金で食いつないできたが、そろそろ本気で金が尽きる。
 権左は、しっかり温まると、湯船から出た。

 湯屋を出た権左は、一度自宅の長屋に帰り、出来上がった簪を入れた飾り箱を着物の懐に入れ、依頼主である遊女がいる娼館へと歩き始めた。
 途中で、いい匂いをさせている稲荷屋があった。狐の親父が一人でやっている小さな屋台である。ちょっと食べていきたいが、今は金が無い。権左は、今は我慢して、娼館へと急いだ。

 此処は、『まほろば』と呼ばれる、人と妖が交わる奇妙な場所だ。『まほろば』全体が花街になっており、人の客も妖の客も訪れる。春を売る者も、人も妖もいる。

 権左は、此処で生まれ、育った。父親は、人の飾り職人で、母親は、狸の妖の遊女だ。父親が母親を孕ませたので、生まれた権左は父親に引き取られて、そのまま育てられた。権左は、そろそろ齢が四十五になる。狸の妖の血が交ざっているから、何事も無ければ、普通の人よりも長生きするのだろうが、それでも精々百年がいいところだろう。

 権左は、納品を終えると、金を懐に入れ、稲荷屋に向かった。
 権左が稲荷屋の暖簾を潜ると、二足歩行している狐の親父が、権左を見て、けへっと笑った。


「権左じゃあないかい。久方ぶりだねぇ。お見限りかと思ったわい」

「仕事が立て込んでたんだよ。親父。稲荷と酒。此処の稲荷以外は食えねぇんだよ。俺」

「けへへ。ありがてぇねぇ。酒は冷やでいいんだろい?」

「おぅ」


 狐の親父が、すぐに酒が入ったぐい呑みと皿に持った稲荷寿司を出してきた。権左は手で稲荷寿司を掴み、ぽいと口に放り込んだ。甘めに煮られた揚げと寿司飯が絶妙に美味い。もぐもぐと咀嚼して飲み込んでから、ぐい呑みを手に取って冷や酒を飲めば、香りのいいキリッとした辛口の酒が喉に嬉しい。
 権左は、むふっと笑って、二つ目の稲荷寿司を手に取りながら、狐の親父に話しかけた。


「放蕩息子は帰ってきたかい?」

「まだだねぇ。相も変わらず用心棒の真似事をしているよ。あたしも歳だからね。そろそろ、跡を継いで欲しいのだけど、中々ねぇ」

「しょうがねぇガキンチョだな。ガキの頃は、よく手伝いしてたのになぁ」

「ねぇ。権左によく懐いて、『おっちゃんの嫁になる!』とか言ってたねぇ。そういえば」

「がははっ! あったなぁ。そういやよ。安心しろよ。しっかりフッておいたからよぉ」

「酒のお代わりはいるだろい?」

「おう。稲荷ももう一皿」

「あいよ」


 権左は、腹が膨れるまで、稲荷屋で狐の親父と喋りながら、のんびり稲荷寿司と酒を楽しんだ。

 権左がほろ酔いで長屋に帰ると、敷きっぱなしの布団がこんもりしていた。権左が無言で掛け布団を捲ると、狐がだらしなく腹を見せて、すぴすぴ眠っていた。権左は台所の水瓶から茶碗に水を汲み、布団の所に戻って、間抜けにすぴすぴ寝ている狐の顔に水をぶっかけた。


「けへっ!?」

「おう。放蕩息子。何やってやがんでぃ。人の布団でよぉ」

「あ、おっちゃん。おけぇり」

「おぅ。たでぇま。じゃねぇよ。人の布団で勝手に寝るな」

「おっちゃん、布団干したのいつさ。臭ぇよ。特に枕」

「うるせぇ。とっととそこからどきやがれ」

「へいへい」


 狐がころんと寝返りをうち、ぽんっと人の姿に転じた。褪せた色合いの金髪に茶色の瞳をしている糸目の青年が現れる。狐の親父の稲荷屋の息子、昌吉しょうきちである。

 昌吉が全裸のまま、むぎゅっと権左に抱きついてきた。権左は無言で昌吉の顔面を鷲掴み、ギリギリと掴んだ手に力を入れた。


「いたいいたいいたいいたい」

「素っ裸で抱きつくんじゃねぇよ」

「あたしは、おっちゃんのお嫁さんになるんだもん。いいじゃないか。こんくらい」

「まだそれ言ってんのか。女になって出直せガキンチョ」

「ガキンチョじゃないよぉ。もう二十になる」

「俺からすりゃあ、十分ガキンチョだ。家業を手伝わずに用心棒の真似事なんぞしやがって。この放蕩息子め」

「仕事は真面目にしてるさ。放蕩息子なんかじゃないやい」

「遊女の姐さん達とも遊んでやがるんだろうが」

「あーそーんーでーまーせーんー。あたしは、おっちゃん一筋だからね」

「へぇへぇ。ガキは帰って糞して寝ろ」

「嫌だよぉ。おっちゃんと寝るもの。ほれほれ。若くてピチピチのお肌に触れたいだろぉ?」

「いや、別に」

「即答はいやっ! あたしにもっと構ってよぉ!」

「はいはい。俺ぁ、寝る。おめぇも、とっとと帰れよ」

「つれないなぁ。おっちゃん」


 昌吉が、拗ねたように唇を尖らせた。
 昌吉のことは、まだよちよち歩きの頃から知っている。権左の死んだ父親も狐の親父の稲荷屋が好きで、父親と一緒によく食べに行っていた。権左が幼い昌吉の遊び相手になってやった事もある。昌吉は権左の嫁になりたいと言うが、本当に幼い頃から知っている昌吉は、恋愛対象にならない。そもそも、権左は女が好きである。女には好かれないが。

 権左は、最終的に昌吉の尻を蹴り飛ばして家から追い出すと、万年床の布団に潜った。ほんのりと温もっている布団の心地よさに、すぐに眠気が訪れる。
 権左は、くわぁっと大きな欠伸をしてから、深い眠りに落ちた。


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