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最初の愛と最後の恋

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40年連れ添った女房が死んだ。特別燃えるような恋をして結婚した訳じゃない。女房とは見合い結婚で、時間をかけながら家族になっていった。お互いに『愛してる』なんて言ったことはないが、多分愛し合っていたのだと思う。
パークが60歳になり、身体が思うように動かなくなって大工の仕事を辞めてからは、2人で穏やかに、たまにちょっとした喧嘩をしながら、日々を過ごしていた。

女房の葬式が終わっても、まだ全然実感が湧かなくて、パークの心にぽっかりと大きな穴が開いた。
食欲もわかず、毎日をただぼんやりと、女房とよく一緒に座っていたソファーに座って過ごしていると気づけば半年が過ぎていた。
痩せて気力が無くなり、一気に老けたパークを見かねてか、ある日、息子が一枚のチラシを持ってきた。
『茶飲み友達の会』というもので、伴侶に先立たれた者達が集まって、お茶を飲みながらお喋りをするという催し物らしい。
行くのも面倒だったが、息子がどうしても行ってこいと煩いので、パークは久しぶりに家の外に出ることにした。

久しぶりにちゃんと髭を剃り、少し伸びた髪を整髪剤で整えた。草臥れていない比較的マシな服を着て、姿見を見れば、記憶にあるよりも随分と老けた老爺が映っていた。
パークはのんびりと歩いて『茶飲み友達の会』の会場へと向かった。

『茶飲み友達の会』の参加者は、年齢は様々だが、皆老人と言える年頃の者達ばかりだった。
パークが会場の隅っこの椅子に座って、ちびちび紅茶を飲んでいると、1人の老爺が近づいてきた。足が悪いのか、杖をついている。
優しそうな穏やかな顔をした老爺が声をかけてきた。


「ご一緒してもいいかな?」

「……どうぞ」

「ありがとう。僕はリカルド。君は?」

「パーク」

「よろしくね。パーク。ここに来るのは初めてかい?」

「あぁ。息子に勧められて」

「そうかい。パークは何をしていたんだい?僕は役所で働いていたよ」

「大工やってた」

「おや。すごいね」

「別にすごかない。誰にでもできる」

「誰にでもなんてできないことさ。手先が器用で、きっちりとした計算と図面通りのものを作り上げる技術がないとできない仕事だよ」

「そうか?」

「そうだよ。僕の仕事はいくらでも代わりがいるようなものだったけど、職人さんは職人さんにしかできないことがある。立派なお仕事だ」

「そりゃどうも」


リカルドの言葉はおべっかじゃない真剣な響きで、パークは照れくさくなって、後頭部をガシガシ掻いた。


「リカルドはいくつだ?」

「僕?65だよ。去年膝を痛めてね。杖なしじゃ歩けなくなってしまったよ」

「難儀だな。俺は64だ」

「歳を取ると駄目だねぇ。あちこちにガタがきてしまう」

「そうだな。俺も腰がいてぇし、手も若い頃みてぇに動かなくなった」

「パークは煙草はやるかい?」

「あぁ。ここじゃ吸えねぇみてぇだな」

「よかったら外に吸いに行かないかい?茶飲み友達よりも煙草友達の方が欲しくてね」


リカルドが悪戯っぽく笑った。
昔は煙草はどこででも吸えたが、今では分煙だ禁煙だと煩くて、自分の家以外じゃ中々煙草が吸えない。
パークは小さく笑って頷いた。
2人でリカルドの歩みに合わせて外に出て、人目を避けた木陰の下にこっそり移動した。
一応持ってきていた煙草の箱と着火具を取り出し、煙草を1本咥えて火をつける。
煙を深く吸って、細く長く吐き出すと、煙草特有の酩酊感が心地よい。
すぐ隣で同じように煙草を吸っているリカルドが、悪戯する子供みたいな顔で笑った。


「ここも禁煙の範囲内だけど、見つからなければいいよね」

「携帯灰皿がある。証拠隠滅すりゃいいだろ」


パークまでなんだか悪戯でもしてるような気になってきた。
2人でこっそり煙草を吸いながら、ポツポツと話をした。仕事のこと、身体のこと、死んだ女房のこと、評判のいい病院や薬屋のこと、話は尽きずに、煙草も何本も吸った。

リカルドが何気なく時計を見て、小さく溜め息を吐いた。


「やれ。折角楽しいのに、お終いの時間だ。そろそろ戻らなきゃ」

「もうそんな時間か」

「楽しいと時間が過ぎるのが早いねぇ。『茶飲み友達の会』は毎週やってるんだ。次も来るかい?」

「アンタが来るなら」

「ふふっ。じゃあ、また次もこっそり2人で煙草を吸おう」

「いいぜ」


パークはリカルドと顔を見合わせて、ニッと笑った。

帰り道。パークは久しぶりにご機嫌だった。いい出会いがあったかもしれない。リカルドとこっそりいけないことをするのも、友達と悪戯をしていたガキの頃を思い出して楽しかった。リカルドとの会話も楽しくて、パークは久しぶりに声を出して笑った。
次の休日が楽しみである。心配をかけている息子にも、いい報告ができそうだ。
パークは浮かれた気分で、途中にある店で煙草を買い、家へと帰った。

『茶飲み友達の会』は、街の役所の一室で行われている。広い会議室を開放して、紅茶やお菓子が振る舞われる。パークが会場に入ると、リカルドが来ていた。パークが真っ直ぐにリカルドの元へ行くと、リカルドが嬉しそうに笑った。


「やぁ。パーク」

「よぉ。リカルド」

「とりあえず紅茶を飲むかい?」

「あぁ。珈琲がありゃ、もっといいんだがな」

「ふふっ。分かるとも。僕も珈琲派だからね。これは街の役所が主催だから、予算の関係かな」

「なるほど」

「ねぇ。パーク」

「ん?」

「いっそ抜け出して珈琲を飲みに行くかい?煙草も吸える喫茶店を知っているよ」

「そいつぁいい。行こうぜ」

「うん」


2人でこそこそ話してから、顔を見合わせて、悪戯っ子みたいな顔で笑った。
役所の職員に2人で出ることを一応言ってから、パークはリカルドと一緒に街へと繰り出した。
杖をついて歩くリカルドが、クックッと楽しそうに笑った。


「こっそり煙草も楽しいけれど、座って美味しい珈琲を飲みながらもいいよね」

「だな。立ちっぱなしは腰にくる」

「そうなんだよ。僕は膝にもくる」

「歳はとりたくねぇな」

「まったくだ」


リカルドの案内で入った喫茶店は、年季の入った感じの店で、客は1人しかおらず、同年代くらいの男がカウンターの奥で珈琲を淹れていた。
パークはリカルドとテーブル席に座り、珈琲を注文した。


「パーク。煙草を1本交換しないかい?その銘柄は吸ったことがないんだ」

「いいぜ。ほら」

「ありがと」


パークはリカルドに煙草の箱を差し出し、リカルドから違う銘柄の煙草の箱を受け取った。箱から煙草を1本取り出して、着火具で火をつける。
すぅーっと吸えば、薄荷の香りがした。


「こりゃ薄荷のやつか」

「そう。苦手だったかな」

「いや?嫌いじゃねぇ」

「それはよかった。僕もこの煙草好きだね」

「結構旨いだろ。安いんだが、値段の割に旨いんだよ」

「へぇ。いいねぇ。昔からある銘柄だよね」

「あぁ。親父も同じのを吸ってたわ」

「そうなんだ。僕は割となんでも試す方でね。薄荷のものなら、新しいものが出るとすぐに買って試しちゃうんだ」

「ははっ。楽しみがあっていいじゃねぇか」

「まぁね。パークさえよければ、次からは此処で会わないかい?役所で会うのも楽しいけれど、やっぱり座ってお喋りする方が楽だからさ。煙草を吸いながらね」

「いいぜ。何時に集合する?」

「此処は確か午前のお茶の時間に開くんだ。その時間でどうだい?」

「いいぜ。どうせ朝は早く目が覚めるしな」

「だよねぇ。若い頃みたいに、二度寝なんてできなくなったよねぇ」

「できねぇなぁ。その代わり昼寝はするようになったがな」

「あー。分かるよ。それに夜寝るのも早くなった」

「そうそう」


パークは美味しい珈琲を飲みつつ、夕方になるまで、ずっとリカルドと一緒に煙草を吸いながらお喋りを楽しんだ。

リカルドと毎週の休日に会うようになり、3ヶ月が過ぎた。週に一度の楽しみのお陰か、最近は食欲も戻り、身体の調子が少しよくなった。
ある日、パークは女房が好きだった花を買って、女房の墓へ向かった。女房の墓に来るのは、葬式以来だ。女房が死んだということが飲み込めなくて、墓に来ることができなかった。
パークは女房の墓の前に花束を置くと、墓の前に腰を下ろした。


「すまねぇな。母ちゃん。来るのが遅くなってよ。おめぇがいなくなったのに未だに慣れねぇや。この歳になってよ、友達ができたんだ。ちっとばかし、話を聞いてくれよ」


パークは女房の墓に語りかけるように、最近の楽しい出来事を話した。一通り話し終えると、なんだか気持ちがスッキリした。不思議と、漸く女房が死んだということを受け入れることができた気がする。未だに、何かある度に『おい。母ちゃん』とか言ってしまうが、それもそのうち無くなっていくのだろう。
パークは女房の墓に向かって、『また来る』と言ってから、墓から家へと帰った。思い返してみれば、女房に花を贈るなんて初めてだった。生きている時に花の一つでも渡してやったら喜んでくれただろうにと、じわっと後悔が胸の中に湧き上がる。
後悔しても仕方がない。これから、何度だって女房に花を贈ってやればいい。
ついでに、パークの話を聞いてもらおう。きっとあの世で笑いながら聞いてくれている筈だ。
パークはしっかりと前を向いて、歩いて帰った。



ーーーーー
今日はリカルドと会う日である。
パークは少しでもマシな格好をして、家を出た。馴染みになりつつある喫茶店に行けば、パークが店の前に立っていた。

「やぁ。パーク」

「よぉ。リカルド」

「今日は良い天気でいいね。天気が悪いと膝が痛くなるから嫌なんだよ」

「俺も腰が痛くなるわ。なぁ。釣りは好きか?」

「釣り?したことがないね」

「俺も息子がガキの頃に釣り堀でやったくらいなんだが、一緒にやってみねぇか?」

「いいね。楽しそうだ」

「じゃあ、今日は釣り堀に行くか」

「うん。うちは娘ばかりだったから、釣り堀なんて行かなかったんだよね。僕達が子供の頃は釣り堀なんて無かったし」

「人が少なけりゃ煙草も吸えるだろ。日向ぼっこがてら、のんびり釣ろうぜ」

「いいとも。釣った魚はどうするんだい?」

「持って帰る。それ込みの料金だからな。量が多ければ、俺は息子の家にでも持っていくわ」

「僕はどうしようかな。娘達の家は少し遠いんだよね」

「釣り堀から息子の家が近いんだ。なんなら一緒に食うか?息子の嫁さんに料理してもらおう」

「いいのかい?お邪魔して」

「孫がいるから賑やかだが、それでよければ」

「じゃあ、お邪魔させてもらおうかな」

「おう。先に息子の家に寄ってから釣り堀に行こうぜ」

「うん」


リカルドが楽しそうに笑った。
息子の家に行き、家にいた義娘に釣り堀に行くことを告げると、義娘はとても嬉しそうに笑って、『いっぱい釣ってきて』と言った。
義娘にも心配をかけていたので、義娘や孫達を喜ばせる為にも、沢山釣りたい。
パークはやる気満々で、ワクワクした様子のリカルドと共に、釣り堀へと向かった。

夕方近くまで、のんびりと釣りを楽しんだ。釣り堀で竿などを借りて、リカルドに釣りの仕方を教えてやり、2人並んで、静かに喋りながら、魚が食いつくのを待った。

リカルドは2匹釣り上げ、パークは5匹釣り上げた。リカルドは本当に楽しそうで、魚が釣れると、子供みたいにはしゃいで笑った。パークも楽しくて楽しくて、つられて笑った。
座りっぱなしで痛む腰を擦りながら、釣った魚を袋に入れて息子の家に行けば、義娘が大喜びした。まだ小さい孫が3人いる。孫達も喜んでくれた。リカルドを紹介すると、好奇心旺盛な孫達は、リカルドにどんどん話しかけ始めた。リカルドもニコニコ笑いながら、孫達の話に付き合ってくれた。
今夜の夕食は魚三昧で、義娘が作ってくれた料理はどれも美味しかったし、賑やかな食卓が本当に楽しかった。息子も喜んでくれて、とても満足した一日になった。



ーーーーー
リカルドと友達になって、1年が過ぎた。日がな一日喫茶店で煙草と珈琲片手にお喋りを楽しんだり、釣り堀で釣りをしたり、義娘に弁当を作ってもらって、街の外の丘まで2人でピクニックに行ったりと、2人で色んな楽しいことをしている。
パークはこの1年で太り、元の固太りな体型に戻った。

春の風が心地よい日。
パークはリカルドと一緒に共同墓地へと向かった。今日はお互いの女房の墓参りをする。
先にリカルドの女房の墓に行くと、リカルドが楽しそうに笑って、墓に向かって話しかけた。


「レジーナ。友達のパークだよ。いつも話しているだろう?」

「いつも話してんのかよ」

「まぁね。娘達の嫁ぎ先は少し遠いから、奥さんにいつも話してるんだ」

「まぁ、俺も母ちゃんにアンタのことをいつも話してるけどな」

「ははっ。僕達って少し似てるよね」

「だな」

「レジーナ。また来るよ」


リカルドが優しい手つきで墓石を撫でた。

今度はパークの女房の墓の前に行くと、パークは女房にリカルドを紹介した。

「母ちゃん。友達のリカルドだ。いい男だろ。惚れんなよ」

「ははっ!僕は皺くちゃの爺だよ」

「俺も皺くちゃの爺だな」

「皆歳をとれば皺くちゃの爺になるのさ」

「それもそうだ」

「奥さんの好きな花が売り切れてて残念だったね」

「まぁ、次にまた買うわ。……生きてる時は花なんぞ渡したことなんてないが、今になって花を贈りまくってるよ」

「そっかぁ。奥さんも喜んでるよ」

「だといいな。俺の家は此処から近いんだ。酒は好きか?」

「好きだね。そんなに量は飲まないけど」

「昼間酒はどうよ」

「最高」


パークはリカルドと顔を見合わせて、にんまりと笑った。
女房がいたら怒られそうだが、少しくらいは大目に見てほしい。
パークは女房に『また来る』と言ってから、リカルドと共に家へと向かった。

パークの家は、義娘がたまに掃除をしに来てくれるので、そんなに散らかっていない。
パークはリカルドを居間に通し、台所で、グラスと蒸留酒、小皿に入れた塩を用意して、居間に運んだ。


「肴は塩でいいだろ」

「いいよ。おっ。それ、美味しいやつだ。僕も好きだよ」

「この酒、安い割に美味いよな」

「だよねぇ」


嬉しそうなリカルドに酒を注いだグラスを渡し、乾杯をしてから酒を飲み始めた。蒸留酒のキツい酒精が喉を焼く感覚が堪らない。ふわっと鼻に抜ける香りもいい。パークは一口酒を飲むと、煙草の箱を取り出して、煙草を咥えて、火をつけた。
リカルドも煙草を吸い始めた。2人で煙草を片手にとりとめのない話をしながら、酒を楽しむ。

リカルドと友達になってから、楽しいことがいっぱいである。女房が生きていた頃も、それなりに楽しいことがあったが、今はそれ以上である。リカルドといると、時折、なんだか気持ちがガキの頃に戻るような感じがする。
パークは2人で一瓶を空にするまで、のんびり酒と煙草とお喋りを楽しんだ。



ーーーーー
リカルドと友達になって3年目の秋、リカルドが逝った。1年前から心臓が悪くなっていて、ある日突然倒れて、そのまま逝ってしまった。パークは、また置いていかれてしまった。
喪失感が大きくて、パークは女房の墓の前で、背中を丸めて静かに涙を溢した。


「母ちゃん。また置いていかれたわ。俺、あいつのこと好きだったのになぁ。もしかしたら、あいつに恋してたのかもしれねぇ。あいつといると楽しくて、ワクワクして、ずっと一緒にいたいと思ってた。母ちゃん。すまねぇ。俺、多分、恋しちまってた。老い先短ぇのによ、爺に惚れちまってたぜ。母ちゃん。母ちゃんのことは愛してる。でも、リカルドのことも好きなんだ。俺ぁ、最低な男だなぁ」


パークはそう言いながら、ボタボタと零れ落ちる涙を手で拭った。
リカルドが好きだと気づいたのは、リカルドの葬式が終わった後だった。リカルドまでいなくなってしまって、ふと『あぁ。リカルドが好きだったんだな』と思った。
気づくのが遅すぎた。たとえリカルドに気持ち悪いと言われても、好きだと伝えればよかった。
パークはいつでも遅すぎる。パークは泣き言を女房に話してから、のろのろと墓の前から立ち去った。

愛していた女房も、恋していたリカルドも先に逝ってしまった。あの世で再会したら、思いっきり2人を抱きしめて、『好きだ』と言おう。
パークは鼻をすんと鳴らしてから、無理矢理前を向いた。
パークはまだ生きている。老い先短いが、だからこそ、先に逝った2人の分まで懸命に生きなければ。その方が、きっと2人が喜ぶ。
最初の愛は女房に捧げた。最後の恋はリカルドに捧げた。

パークは、精々長生きしてやらぁと、気合を入れる為に、自分の頬を両手でパァンと叩いた。

そんなパークの背中を押すように、柔らかい秋の風がパークの背中をやんわりと撫でた。

(おしまい)

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