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グラス侯爵領編

223話 こっわ……

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 たしかに、わたしはきっとこの場にいるだれよりも、ブリアックについて知らない。でも、彼がこんな風に貶められていいはずがないことだけは、はっきりとわかっています。オリヴィエ様のことだって。二人はおもしろそうな表情で、わたしを見ました。

「なに、お嬢さん?」
「ブリアックさんを、辱めるのはやめてください」

 わたしがそう言うと、にやにやと二人は顔を見合わせます。……嫌だな。すごく、嫌だ。たとえこれが生前になされた陰口だったとしても気分がいいものではない。それを、亡くなった方へするなんて。――最低。
 そこは、もしかしたら文化の差とかがあるのかもしれないです。アウスリゼではその人へ生前に感じていたことを、そのままに言うのが普通なのかもしれない。そうは考えたくないけれど。反論できない人へ向けたそしりが、正当化なんてされてほしくないけれど。

「いやあ、辱めっていうか、本当のことだし?」
「まあ、お嬢さんにはわからんよなあ。あいつがどんなやつだったかなんて」
「わかりませんよ」

 その通りなので肯定しました。だからって二人の言動を肯定する気なんかさらさらないけれど。

「――ブリアックさんが……どんな食べ物を好んでいたのか。どんなことを悲しんで、どんなことに怒って、どんなことで笑うのか知りません」
「じゃあ、文句つけないでくんないかなあ? これが俺らなりの送り方なのよ」
「でも、わたし、ブリアックさんがどんなひととなりだったのか、あなたたちよりずっと理解しているんだなってわかりました」

 わたしがそう断言すると、卓に着いている全員が目を真ん丸にしました。そしてノエルさんが「へえ。そうなんだ。気になるな、教えてよ、あいつのこと」とおっしゃいました。ジゼルさんは鼻を鳴らします。

「すごく、真っ直ぐで――」

 思い出しているのは、ブランディーヌお母様から見せていただいたアルバム。そして、わたしがグレⅡを通して見ていた『ブリアック』。ぜんぜん違う人に思えるくらい、それぞれから受ける印象は違った。けれど、そこに矛盾はなにもなくて。
 ……生きていた。ブリアックは、たしかにここに。

「――家族思いで。やんちゃを絵に描いたような人で。考えるより先に体が動いちゃうくらい行動力があって。だからいつも生傷が絶えなくて――」

 涙が出てきました。泣かないようにがまんしました。一番泣きたい人たちが泣けないことを思いました。わたしがこの席に座るべきじゃないのは、わたしだってわかっています。

「……本当は弟のことが大好きなのに、どうしても自分と比べてしまって。損なわれた自尊心で物事を見てしまって。素直になれないうちにこじれた気持ちが、自分を突き動かすようになって」

 きっとどこかで、引き返す道はあったんだと思う。けれどそれを見失ってしまうほどには、ブリアックも傷ついていたんだ。
 グレⅡのエンディングは複数あった。どれもだれかにとっては正解で、きっとブリアックも自分にとっての正解を求めてマディアへと向かった。それが弟との決定的な敵対を意味するとしても。

「――本当にいっしょうけんめいに、自分の信念を貫こうと行動できる人。がむしゃらに努力だってできる」

 そして。……わたしが最後に見た、ブリアックの姿を思い出しました。マディア公爵邸の牢の中で、言葉なくうなだれて座っている、姿。
 ああ、あれが最後だったんだ。わたし、ちゃんとブリアックと向き合ったことすらなかった。
 それが悲しくて、こらえていた涙がこぼれました。
 あのとき、ブリアックはなにを考えていたんだろう。
 最後に、ブリアックはなにを思い描いただろう。

「……わたし、ブリアックさんのことほとんど知りません。紅茶とコーヒーだとどっちが好きなのか。朝型か夜型か。犬派か猫派か。でも、どんな人だったのかは知っています。愛されていた、愛すべき人でした。……ここは哀悼席です。どうか、ともに悼んでください。ブリアックさんは、亡くなりました」

 ちょっとの間静まり返りました。なにか反論されるかと思ったんですけど。タオルでぐいっと涙を拭いたら、ノエルさんが口を開きました。

「……十代のころは気取って紅茶を飲んでいたけれど、コーヒーの方が好きだったよ。意外に思えるけど朝型。夜中に遊ぶといつも最初に寝落ちてたな。それに犬派。猫は懐かなくてかわいげがないって言ってた」

 ノエルさんを見ました。これまで見た表情の中で一番穏やかな顔をされていました。わたしをご覧になって、ノエルさんはおっしゃいました。

「あなたがその席に座っている理由がわかったよ。そうだ、そんなヤツだった。あいつ死んだんだね。悲しいよ」

 手元のグラスを手にとって少しだけ飲んで。そしてほほえんで。

「――悲しいよ」

 その言葉に、他の男性二人がため息とうなずきで賛同しました。たしかに、いじることが彼らなりの見送り方だったのかもしれないな、と思いました。わるいことしちゃったかな。わたしは頭を下げて「ありがとうございます」と言いました。

「――ちょっと。ちょっとなんなのよ! なに納得してんのよ、あんたたち!」

 ジゼルさんが声をあげました。男性陣をざっとご覧になってから、わたしを見てにらみます。

「あたしは、あんたがそこに座っているの承知なんかしないわよ! どうにでも言えるじゃない、言葉なんて! 実際にブリアックと付き合っていたわけでもない。オリヴィエとだって!」

 えっと、はい。たしかにブリアックと交際した経験はないですね。はい。でもオリヴィエ様とは現在進行形でぎゃあああああああああああああああああああ。

「――そもそも、昨日の夜の哀悼晩餐はブランディーヌお母様がいらしたじゃない! あんたがそこに座る正統な理由がない証拠よ! ふざけないでほしいわ、あたしはブリアックと結婚する予定だったのよ⁉ あたしが、本来ならあたしが、そこに座るはずじゃないのよ!」

 一気にまくしたてられました。あ、やっぱ結婚の約束とかしていたんだ。それじゃあそう思うよね。わたしがどうしようかと考えたとき、背後から「――あなたに『お母様』と呼ぶ許可を与えたことはありませんわ、デュビュイさん」と声がありました。
 すっと衣擦れの音もなく、ブランディーヌお母様が入室されました。ジゼルさんが「……そんな、お母様!」とおっしゃいました。

「――やめてちょうだい。厚かましい。哀悼席ですら普通に振る舞えない人間が、わたくしを母と呼ぶなんて考えられません。もう十分でしょう、お帰りになって」
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