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『三田園子』という人
188話 ごちそうさまでした
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「――家族って、なんなんだろうなあ。私は、それがわかっていないのだと思う」
一希さんがため息まじりにおっしゃいます。勇二さんがちょっとだけうなずいたように思えました。
「戸籍上のやりとりが済んだら、それで家族になったのだと思っていた。……でも、元妻はそう思わなかったんだ」
「元妻さんは、どうされているんですか」
「再婚したよ。二歳の男の子がいる」
一希さんはスマホをスワイプして、わたしに写真を見せてくださいました。キレイな女の人と、やさしそうな男の人と、小さい男の子。元妻さんが送ってきたんだそうです。ちょっと怖いと思ってしまったのはわたしだけでしょうか。
「……べつに子どもが嫌いなわけではないし、できたらできたで、できなかったらそれはそれで、と思っていた。名字がいっしょで、同じ家に住んでいたらそれでいいかと。それで『家族』になれたんだと思っていた」
その気持ちも、すごくわかるんです。きっと、わたしもずっとあの『三田家』にいたら、そうなっていたのではないかと思う。いっしょの家に居るから家族。それだけ。
「――違うんだよね。きっとそうじゃないんだ。私は、彼女の考える『家族』になってあげられなかった」
ちょっと笑いながら、一希さんは「だから、再婚はあきらめているよ」とつぶやきました。後継者はいいんでしょうか。知らんけど。
「――母は、私にも自分の両親や故郷のことを話したことはなかった。だから私も、園子が福岡へ移住させられたと聞いてから、初めて祖父母の存在を知ったんだ」
「えっ、一希さんもご存じなかったんですか?」
「うん。祖父が亡くなったと、連絡を受けて初めて自分の祖父母が存命だったと知った。……そして、園子がその元へ送られたと知ったのもそのときだ。すまなかった」
「それはもういいんです。しかたがないことだから」
わたしは首を振りました。いろんな理由があって、わたしたちは歪な関係になってしまった。それはきっと、わたしたちの努力だけではどうにもならないものだったのだと思う。そして、その強制力でわたしがじいちゃんばあちゃんのところへ行けたのだとしたら、わたしはそこに感謝しかないから。
「……祖父に会えなかったのは、悲しかったな。最初で最後の思い出が、仏壇の遺影になってしまった」
「でも、ばあちゃんは、よろこんでました。りっぱな孫が居たって。男前でよかったって」
わたしがそう言うと、一希さんは面食らったような顔をしてから笑って「ありがとう」とおっしゃいました。勇二さんがしょぼんとしていて、そういえば、彼はばあちゃんにも会えなかったんだ、と思い出します。わたしは「……じゃあ、もうひとりの子も、きっと美男子だろうねって言ってました」と伝えました。びっくりした顔で、「美男では、ないけど」ともごもごとおっしゃいました。はい。まあ。うん。わたし似。ちょっとだけ。
インターホンが鳴りました。まじでビビりました。だれ? と思ったら、真くんさんが立ち上がって「酒、足りないでしょ?」と玄関へ向かいました。
「え、なに」
「うーばーたのんだ」
「バカ、園子は飲めないんだよ」
「わかってるよ、弱いんでしょ。勇二そっくりだからそうだと思った。微アルもたのんだから」
勇二さんと目が合いました。そしてお互い反らしました。あー、やっぱり。似てるんだ。他人から見ても。一希さんが「はっはっはっは」とさもたのしそうに笑いました。
血のつながりは、しっかりあるよなあ。でもそれは、『家族』の絶対要件ではないし、理由でもないんだ。
大きいビニール袋にふたつもお酒が来ました。勝手知った感じで真くんさんが冷蔵庫を開けて中へ入れて行きます。「ゆうじー、なんかつまみー。あ、このチーズは?」「やめろ、それ空輸でフランスから仕入れたやつで、来週使う予定で……」「その予定園子ちゃんに食べてもらうより大事?」「……」とりあえずテーブルの上を一希さんと片付けました。はい。
真くんさんがわたしのところへ、愛ちゃんが微ビールと呼んでいるやつと、3%のレモンみかんチューハイを並べてくれました。まあいいや。飲んじゃえ。レモンみかんを開けます。プシュッ。
なんか、いい感じに空気が霧散しましたね。いいんだろうか。切り分けられたおフランス産チーズに手を伸ばして、一希さんと、勇二さんのことを考えました。二人がどんな生活をしてきたのか。わたしが、もし三田に残っていたら、今ごろどうだっただろうって。
きっと、こんな話はしなかっただろうな。よそよそしくて、でもそれを疑問に感じずに、それが『家族』だと思っていたかもしれない。それはとても嫌だな、と思いました。
なによりも。きっとオリヴィエ様に会えていなかった、と思う。……それは、嫌だな。本当に、嫌だな。
一希さんと勇二さんが、再会してからずっとわたしのことにいっしょうけんめいになってくれているのは、きっとそれが二人なりの愛情の示し方で、二人が考える『家族』の形なんだと思う。でもどうしても思ってしまって。どうして今なの? って。
「……質問してもいいですか」
「もちろん」
わたしが言うと、一希さんと勇二さんが居住まいをただしました。真似して真くんさんもちょっと背筋をぴんとしました。わたしは思った通り、「ずっと没交渉だったのに、どうして今になってこんなに、よくしてくださるんですか」と尋ねました。一希さんはちょっと、眉を八の字にしてほほえみました。
「――本当に、その通りだと思うよ。この一週間、突然親族面されて迷惑だった?」
「迷惑ってわけでは。居なかった間、本当にお世話になりましたし」
「……うん。それなんだ。私たちは、君が居なくなってしまったことが、怖かった」
勇二さんが、コーラのサワーみたいのをプシッと開けました。ぐいーっと行きます。だいじょうぶなんでしょうか。一希さんは少しだけ曇った表情で、わたしを見つめておっしゃいました。
「園子は……元気に、自分の人生をたのしんで生きていると思っていた。そこに私たちの介入は必要ないとも、思っていた。むしろ邪魔になるだろうし、不愉快だろうと。……でも、君はいなくなってしまった」
「――ああ……そっか」
わたしが、世を儚んで失踪した可能性を考えたんですね。まあ、愛ちゃんは否定してくれていたにせよ、世間的にはそう考えられていただろうし。当然の反応です。……では、後悔か。二人を今突き動かしているのは。
じいちゃんばあちゃんが存命だったら。もっといろんな孝行をしたかったってわたしが考えているのと同じで。じいちゃんの晩年に、ガンに効くってウワサのヒラメじゃなくて、大好きなサーモンを食べさせてあげればよかった。ばあちゃんに、ちゃんと本場の札幌ラーメンを食べさせてあげたかった。やらなかったこと、できなかったことばかりが、やけに思い浮かぶの。もし二人が生き返ってきたら。きっとわたしも、その後悔を形にする。どんなに時間とお金がかかったって。
わたしは、一希さんと勇二さんの観点からは、一度喪われた存在なんでしょう。そして、家やライフラインをすべて維持しておくくらい、その事実を受け入れ難く思ってくれていたんだ。あやふやな『家族』の形しか知らない彼らは、わたしをその『家族』と思ってくれていて。そのことは、少しだけありがたくて、ものすごく驚きで。
だから、わたしは「もう、十分ですよ」と言いました。
「――おかげさまで、五体満足で、元気です。べつに身投げしようとか、そういう理由でいなくなったわけではありません。留守中、本当にお世話になりました。……二人とも、どうかわたしから解かれてください」
心から言いました。二人は、ずっとわたしに負い目を感じて生きてきたんだろうな。そんな必要ないのに。二人にはなにも、わたしへの責任がないのに。
彼らだって、きっと傷ついている。わたしには見えないし、今後もわからない痛みを持っているんだと思う。だから、おあいこってことじゃダメかな。このチーズとお酒で、ぜんぶチャラってことにできないかな。
だって。――じゃないと、悲しいじゃない。
また、ちょっと静かになりました。真くんさんも黙っていました。わたしはふと思いついて、今日使っていたリクルートバッグをたぐり寄せました。中を覗くとモアイこけしと目が合います。その隣に、小さい紙袋。
「――わたし、お二人のことわからないです」
わたしがそうつぶやくと、二人は表情を固くしました。たぶん、これが今の最善じゃないかな。そう思うから、わたしは言いました。
「……でも、お二人がわたしを考えてくれていたのは、理解したつもりです。『家族』ってなんなのか、わたしも説明できません。だけど、わたし、じいちゃんばあちゃんとは『家族』になれたってはっきり思っているんです。……なので、仕切り直しませんか」
バッグから出して。中身を取り出して、テーブルに置きました。みんなの視線が集中しました。千尋ちゃんが作った、ちーちゃんママのシフォンケーキ。「今日、何日でしたっけ」とわたしが言うと、全員がさっと自分のスマホを確認しました。
「……わたしたち、『初めまして』しませんか」
わたしのその言葉に、一希さんも勇二さんもあきらかに疑問まっしぐらな顔をされました。――じいちゃんばあちゃんとも、最初は初めましてだったんだ。そこから始まった。あのときは、むりやりだったけど。
「……わたしたちの『家族になった日』、作りませんか。……そして、もう一度、初めましてから知り合いませんか」
勇二さんが息を呑んで天井を見上げました。一希さんがうるんだ目でわたしを見てうなずきます。
「――うん、うん。……作ろう。私たちの日を」
――綺麗事かなあ。そうだろうなあ。でもわたしは、他に方法がわからない。こうやって再会して、ごはん食べて、買い物して、NARUTO観て。べつに、二人のこと、嫌いなわけじゃないんです。ただ、距離があって。この一週間ちょっと、わたしはずっと戸惑っていた。
だから、仕切り直し。わたしたちの関係を。あやふやで歪なわたしたちに、あらためてちゃんと名前をつけるんだ。
……わかんないけど。わたしたちに、『家族』って名前をつけていいのか。わかんないけど。
勇二さんがキッチンへ向かって、シフォンケーキを切るためにナイフを持って来ました。目が赤くなっていました。真くんさんは「さすがに僕でも空気読むよ」と言って、ビールを持ってテーブルから外れました。そして「あ」と言いました。
「園子ちゃん、スマホ貸して」
「なんでです?」
「写真撮ってあげるよ。『家族写真』」
「えっ」
「はい三人ともー並んでー。園子ちゃん真ん中ねー」
言われるままに、立って並びました。「はい、三人とも、手をつないでー!」と言われました。まじかよ。一希さんはさくっとわたしの右手を取ります。勇二さんはびくっとして、わたしが左手を出したら取りました。なにこれ、お遊戯か。
「いいよー、園子ちゃん、かわいい! じゃあ連写いっきまーす!」
まじで連写されました。「一番いいの選んで共有してね!」とスマホを返されました。ありがとうございます。
テーブルに戻って。勇二さんがわたしと一希さんへ、シフォンを三等分したやつを渡してくれました。ささやかな、お祝い。わたしたちの、始まりの日。
「――じゃあ、『初めまして』。よろしくお願いします。一希兄さん。勇二兄さん」
なんか、ちょっと言いづらいけど。ムズムズする。
勇二兄さんが右手で額を押さえました。一希兄さんがすごくキレイな笑顔で、「初めまして、園子。よろしく」とおっしゃり、勇二兄さんも「はじめまして。……よろしくお願いします」とつぶやきました。真くんさんが「えっ、えっ、いいな、それいいな。園子ちゃん僕も! 僕もよろしく! 兄さんって!」と言い、ドスが効いた勇二兄さんの「……どこが空気読んだって?」という言葉に黙りました。はい。
「ねー、そのケーキだれが作ったやつ? 園子ちゃん?」
真くんさんが席に戻って尋ねてこられたので、「受付の、中村さんです。わたしの小学生時代の友だちで、たまたま作って持ってきてたからって、くれたんです」と言いました。
「中村? どの子だろう」
「中村千尋ちゃん。向かって左側に立っていました」
わたしがそう言うと、真くんさんはキリッとした表情で「わかった、一番おっぱいが大きい子だ」とおっしゃって「だ」のあたりで勇二兄さんに殴られていました。はい。一希兄さんもキリッとして「なるほどあの子か」とおっしゃいました。さすがに殴られていませんでした。
ちょっと笑って、わたしはシフォンケーキにフォークを入れて半分にしました。
「やだ……ウケる」
「……どうした?」
勇二兄さんがちょっと心配そうにわたしへ言います。わたしはもうおかしくて、笑い転げて答えられませんでした。一希兄さんがわたしの手元を覗き込んで、「あー、これは。私のと取り替えよう」と言ってくれましたが、「いえ、いいんです」とわたしはそれを止めました。
「……わたしがだいすきな、ちーちゃんママのシフォンケーキです」
――ときどき、粉がダマになってるの。そこがいいの。
こんなところまで再現するとか、ちーちゃんすごい。
うれしくて、笑えて、ちょっと泣けて、びっくりで。――わたしの、特別な日が増えました。
一希さんがため息まじりにおっしゃいます。勇二さんがちょっとだけうなずいたように思えました。
「戸籍上のやりとりが済んだら、それで家族になったのだと思っていた。……でも、元妻はそう思わなかったんだ」
「元妻さんは、どうされているんですか」
「再婚したよ。二歳の男の子がいる」
一希さんはスマホをスワイプして、わたしに写真を見せてくださいました。キレイな女の人と、やさしそうな男の人と、小さい男の子。元妻さんが送ってきたんだそうです。ちょっと怖いと思ってしまったのはわたしだけでしょうか。
「……べつに子どもが嫌いなわけではないし、できたらできたで、できなかったらそれはそれで、と思っていた。名字がいっしょで、同じ家に住んでいたらそれでいいかと。それで『家族』になれたんだと思っていた」
その気持ちも、すごくわかるんです。きっと、わたしもずっとあの『三田家』にいたら、そうなっていたのではないかと思う。いっしょの家に居るから家族。それだけ。
「――違うんだよね。きっとそうじゃないんだ。私は、彼女の考える『家族』になってあげられなかった」
ちょっと笑いながら、一希さんは「だから、再婚はあきらめているよ」とつぶやきました。後継者はいいんでしょうか。知らんけど。
「――母は、私にも自分の両親や故郷のことを話したことはなかった。だから私も、園子が福岡へ移住させられたと聞いてから、初めて祖父母の存在を知ったんだ」
「えっ、一希さんもご存じなかったんですか?」
「うん。祖父が亡くなったと、連絡を受けて初めて自分の祖父母が存命だったと知った。……そして、園子がその元へ送られたと知ったのもそのときだ。すまなかった」
「それはもういいんです。しかたがないことだから」
わたしは首を振りました。いろんな理由があって、わたしたちは歪な関係になってしまった。それはきっと、わたしたちの努力だけではどうにもならないものだったのだと思う。そして、その強制力でわたしがじいちゃんばあちゃんのところへ行けたのだとしたら、わたしはそこに感謝しかないから。
「……祖父に会えなかったのは、悲しかったな。最初で最後の思い出が、仏壇の遺影になってしまった」
「でも、ばあちゃんは、よろこんでました。りっぱな孫が居たって。男前でよかったって」
わたしがそう言うと、一希さんは面食らったような顔をしてから笑って「ありがとう」とおっしゃいました。勇二さんがしょぼんとしていて、そういえば、彼はばあちゃんにも会えなかったんだ、と思い出します。わたしは「……じゃあ、もうひとりの子も、きっと美男子だろうねって言ってました」と伝えました。びっくりした顔で、「美男では、ないけど」ともごもごとおっしゃいました。はい。まあ。うん。わたし似。ちょっとだけ。
インターホンが鳴りました。まじでビビりました。だれ? と思ったら、真くんさんが立ち上がって「酒、足りないでしょ?」と玄関へ向かいました。
「え、なに」
「うーばーたのんだ」
「バカ、園子は飲めないんだよ」
「わかってるよ、弱いんでしょ。勇二そっくりだからそうだと思った。微アルもたのんだから」
勇二さんと目が合いました。そしてお互い反らしました。あー、やっぱり。似てるんだ。他人から見ても。一希さんが「はっはっはっは」とさもたのしそうに笑いました。
血のつながりは、しっかりあるよなあ。でもそれは、『家族』の絶対要件ではないし、理由でもないんだ。
大きいビニール袋にふたつもお酒が来ました。勝手知った感じで真くんさんが冷蔵庫を開けて中へ入れて行きます。「ゆうじー、なんかつまみー。あ、このチーズは?」「やめろ、それ空輸でフランスから仕入れたやつで、来週使う予定で……」「その予定園子ちゃんに食べてもらうより大事?」「……」とりあえずテーブルの上を一希さんと片付けました。はい。
真くんさんがわたしのところへ、愛ちゃんが微ビールと呼んでいるやつと、3%のレモンみかんチューハイを並べてくれました。まあいいや。飲んじゃえ。レモンみかんを開けます。プシュッ。
なんか、いい感じに空気が霧散しましたね。いいんだろうか。切り分けられたおフランス産チーズに手を伸ばして、一希さんと、勇二さんのことを考えました。二人がどんな生活をしてきたのか。わたしが、もし三田に残っていたら、今ごろどうだっただろうって。
きっと、こんな話はしなかっただろうな。よそよそしくて、でもそれを疑問に感じずに、それが『家族』だと思っていたかもしれない。それはとても嫌だな、と思いました。
なによりも。きっとオリヴィエ様に会えていなかった、と思う。……それは、嫌だな。本当に、嫌だな。
一希さんと勇二さんが、再会してからずっとわたしのことにいっしょうけんめいになってくれているのは、きっとそれが二人なりの愛情の示し方で、二人が考える『家族』の形なんだと思う。でもどうしても思ってしまって。どうして今なの? って。
「……質問してもいいですか」
「もちろん」
わたしが言うと、一希さんと勇二さんが居住まいをただしました。真似して真くんさんもちょっと背筋をぴんとしました。わたしは思った通り、「ずっと没交渉だったのに、どうして今になってこんなに、よくしてくださるんですか」と尋ねました。一希さんはちょっと、眉を八の字にしてほほえみました。
「――本当に、その通りだと思うよ。この一週間、突然親族面されて迷惑だった?」
「迷惑ってわけでは。居なかった間、本当にお世話になりましたし」
「……うん。それなんだ。私たちは、君が居なくなってしまったことが、怖かった」
勇二さんが、コーラのサワーみたいのをプシッと開けました。ぐいーっと行きます。だいじょうぶなんでしょうか。一希さんは少しだけ曇った表情で、わたしを見つめておっしゃいました。
「園子は……元気に、自分の人生をたのしんで生きていると思っていた。そこに私たちの介入は必要ないとも、思っていた。むしろ邪魔になるだろうし、不愉快だろうと。……でも、君はいなくなってしまった」
「――ああ……そっか」
わたしが、世を儚んで失踪した可能性を考えたんですね。まあ、愛ちゃんは否定してくれていたにせよ、世間的にはそう考えられていただろうし。当然の反応です。……では、後悔か。二人を今突き動かしているのは。
じいちゃんばあちゃんが存命だったら。もっといろんな孝行をしたかったってわたしが考えているのと同じで。じいちゃんの晩年に、ガンに効くってウワサのヒラメじゃなくて、大好きなサーモンを食べさせてあげればよかった。ばあちゃんに、ちゃんと本場の札幌ラーメンを食べさせてあげたかった。やらなかったこと、できなかったことばかりが、やけに思い浮かぶの。もし二人が生き返ってきたら。きっとわたしも、その後悔を形にする。どんなに時間とお金がかかったって。
わたしは、一希さんと勇二さんの観点からは、一度喪われた存在なんでしょう。そして、家やライフラインをすべて維持しておくくらい、その事実を受け入れ難く思ってくれていたんだ。あやふやな『家族』の形しか知らない彼らは、わたしをその『家族』と思ってくれていて。そのことは、少しだけありがたくて、ものすごく驚きで。
だから、わたしは「もう、十分ですよ」と言いました。
「――おかげさまで、五体満足で、元気です。べつに身投げしようとか、そういう理由でいなくなったわけではありません。留守中、本当にお世話になりました。……二人とも、どうかわたしから解かれてください」
心から言いました。二人は、ずっとわたしに負い目を感じて生きてきたんだろうな。そんな必要ないのに。二人にはなにも、わたしへの責任がないのに。
彼らだって、きっと傷ついている。わたしには見えないし、今後もわからない痛みを持っているんだと思う。だから、おあいこってことじゃダメかな。このチーズとお酒で、ぜんぶチャラってことにできないかな。
だって。――じゃないと、悲しいじゃない。
また、ちょっと静かになりました。真くんさんも黙っていました。わたしはふと思いついて、今日使っていたリクルートバッグをたぐり寄せました。中を覗くとモアイこけしと目が合います。その隣に、小さい紙袋。
「――わたし、お二人のことわからないです」
わたしがそうつぶやくと、二人は表情を固くしました。たぶん、これが今の最善じゃないかな。そう思うから、わたしは言いました。
「……でも、お二人がわたしを考えてくれていたのは、理解したつもりです。『家族』ってなんなのか、わたしも説明できません。だけど、わたし、じいちゃんばあちゃんとは『家族』になれたってはっきり思っているんです。……なので、仕切り直しませんか」
バッグから出して。中身を取り出して、テーブルに置きました。みんなの視線が集中しました。千尋ちゃんが作った、ちーちゃんママのシフォンケーキ。「今日、何日でしたっけ」とわたしが言うと、全員がさっと自分のスマホを確認しました。
「……わたしたち、『初めまして』しませんか」
わたしのその言葉に、一希さんも勇二さんもあきらかに疑問まっしぐらな顔をされました。――じいちゃんばあちゃんとも、最初は初めましてだったんだ。そこから始まった。あのときは、むりやりだったけど。
「……わたしたちの『家族になった日』、作りませんか。……そして、もう一度、初めましてから知り合いませんか」
勇二さんが息を呑んで天井を見上げました。一希さんがうるんだ目でわたしを見てうなずきます。
「――うん、うん。……作ろう。私たちの日を」
――綺麗事かなあ。そうだろうなあ。でもわたしは、他に方法がわからない。こうやって再会して、ごはん食べて、買い物して、NARUTO観て。べつに、二人のこと、嫌いなわけじゃないんです。ただ、距離があって。この一週間ちょっと、わたしはずっと戸惑っていた。
だから、仕切り直し。わたしたちの関係を。あやふやで歪なわたしたちに、あらためてちゃんと名前をつけるんだ。
……わかんないけど。わたしたちに、『家族』って名前をつけていいのか。わかんないけど。
勇二さんがキッチンへ向かって、シフォンケーキを切るためにナイフを持って来ました。目が赤くなっていました。真くんさんは「さすがに僕でも空気読むよ」と言って、ビールを持ってテーブルから外れました。そして「あ」と言いました。
「園子ちゃん、スマホ貸して」
「なんでです?」
「写真撮ってあげるよ。『家族写真』」
「えっ」
「はい三人ともー並んでー。園子ちゃん真ん中ねー」
言われるままに、立って並びました。「はい、三人とも、手をつないでー!」と言われました。まじかよ。一希さんはさくっとわたしの右手を取ります。勇二さんはびくっとして、わたしが左手を出したら取りました。なにこれ、お遊戯か。
「いいよー、園子ちゃん、かわいい! じゃあ連写いっきまーす!」
まじで連写されました。「一番いいの選んで共有してね!」とスマホを返されました。ありがとうございます。
テーブルに戻って。勇二さんがわたしと一希さんへ、シフォンを三等分したやつを渡してくれました。ささやかな、お祝い。わたしたちの、始まりの日。
「――じゃあ、『初めまして』。よろしくお願いします。一希兄さん。勇二兄さん」
なんか、ちょっと言いづらいけど。ムズムズする。
勇二兄さんが右手で額を押さえました。一希兄さんがすごくキレイな笑顔で、「初めまして、園子。よろしく」とおっしゃり、勇二兄さんも「はじめまして。……よろしくお願いします」とつぶやきました。真くんさんが「えっ、えっ、いいな、それいいな。園子ちゃん僕も! 僕もよろしく! 兄さんって!」と言い、ドスが効いた勇二兄さんの「……どこが空気読んだって?」という言葉に黙りました。はい。
「ねー、そのケーキだれが作ったやつ? 園子ちゃん?」
真くんさんが席に戻って尋ねてこられたので、「受付の、中村さんです。わたしの小学生時代の友だちで、たまたま作って持ってきてたからって、くれたんです」と言いました。
「中村? どの子だろう」
「中村千尋ちゃん。向かって左側に立っていました」
わたしがそう言うと、真くんさんはキリッとした表情で「わかった、一番おっぱいが大きい子だ」とおっしゃって「だ」のあたりで勇二兄さんに殴られていました。はい。一希兄さんもキリッとして「なるほどあの子か」とおっしゃいました。さすがに殴られていませんでした。
ちょっと笑って、わたしはシフォンケーキにフォークを入れて半分にしました。
「やだ……ウケる」
「……どうした?」
勇二兄さんがちょっと心配そうにわたしへ言います。わたしはもうおかしくて、笑い転げて答えられませんでした。一希兄さんがわたしの手元を覗き込んで、「あー、これは。私のと取り替えよう」と言ってくれましたが、「いえ、いいんです」とわたしはそれを止めました。
「……わたしがだいすきな、ちーちゃんママのシフォンケーキです」
――ときどき、粉がダマになってるの。そこがいいの。
こんなところまで再現するとか、ちーちゃんすごい。
うれしくて、笑えて、ちょっと泣けて、びっくりで。――わたしの、特別な日が増えました。
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