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『三田園子』という人

187話 結果的に、よかったと思っています

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 わたし、すごく不思議だったんです。幼稚園で、毎月の始めにあるお誕生会。なにを祝うのかがよくわからなかった。でも、周りの他の子たちは、自分の月が来るのをとてもたのしみにしていて。
 年が増えるのはわかりました。それはわたしもうれしかった。はやく大きくなりたいっていう気持ちがあったから。そう考えたら、自分の月をたのしみにする理由も理解できました。お誕生会は、大人に近づくことなんだって。だからみんなと同じように、その月ちょっと大人になる子はどの子なのか、調べたりもした。
 でも、みんな、お誕生会の他に、お誕生日があったんです。それは月の始めに限らなくて、いろんな子が自分の日を知っていました。わたし、知らなくて。
 先生に聞いてみたんです。そのこにおたんじょうびはあるの、って。ちょっと困ったような顔で、先生はわたしの名前が書かれたおたより手帳を持ってきて、見せてくれました。最初のページに、わたしのプロフィール記載欄があったんです。そこに記された数字が、わたしのお誕生日なのだと教えてもらいました。
 そして、わたしはさらに尋ねました。おたんじょうび、どうするの、と。先生はちょっともごもご言いながら、ケーキを食べる、とおっしゃいました。ケーキはその日にしか食べられないのか聞いたらそんなことはないと言われて、お誕生日のケーキは、べつのものなんだ、と言われました。べつのケーキって、なんだろうと思いました。
 疑問が解けたのは、小学生になってから。よくいっしょに遊んでいた、ジャンボ家族の彩花ちゃんのお家で、ふた月に一度くらいの頻度でお誕生会をしていました。わたしもよく呼ばれて。子どもが彩花ちゃんを含めて六人もいるお家でした。なので、お誕生日はそれぞれの好きなケーキを食べる権利がある日、とわたしは理解しました。わたしはお客さまとして千尋ちゃんといっしょに、先に選ばせてもらえました。わたし、当時はチョコレートケーキが好きだったんですけど、一度それを選んだら下から二番目の光也くんが泣いちゃって。だからわたしと千尋ちゃんは、だいたいモンブランかフルーツケーキを選んでいました。子どもだって空気は読めるんです。
 そして、小二のときの千尋ちゃんのお誕生日。ちーちゃんママが、はりきってシフォンケーキじゃないケーキを作って、わたしたちに振る舞ってくれました。ココアスポンジで美味しかった。そのとき、彩花ちゃんが「そのこちゃんのおたんじょうびはいつなの?」と聞いてくれました。わたしが答えると、「もう、すぎちゃったじゃん!」と言われました。
 どんなケーキを食べたのか聞かれました。わたしは食べなかったと答えました。どうしてって言われて、わかんない、と答えました。だって、我が家でお誕生会なんて、したことがなかったから。わたしがそう言うとちーちゃんママはすっごくあわてて、千尋ちゃんはどうしてだろうねえ、と言って。じゃあ、そのこちゃんのおたんじょうかいしよう、と言ってくれました。

「そのこちゃんはなにケーキがすき?」
「ちーちゃんママのシフォンケーキ!」

 すっごくだいすきだった。ふわふわしていて。お店みたいに並んでいるんじゃなくて、ちーちゃんママがその場で切り分けてくれるの。ときどき粉がダマになってる。そこがよかった。ちーちゃんママ、ちょっと感動したみたいな感じで。じゃあ今度、みんなでいっしょに作ろうかって言ってくれて。
 彩花ちゃんが、「じゃあ、そのこちゃんのおたんじょうかいね!」と言って。千尋ちゃんもノリノリで。次の週に、ちーちゃんのお家で、シフォンケーキを作りました。ちーちゃんママがたいへんでした。はい。
 みんなで食べて。たのしかったねって言って。あまった分を、ちーちゃんママがかわいくラッピングしてくれて。なるべく早く食べてねってわたしにくれました。自分たちで作った特別なケーキだから、とてもうれしかった。
 家に帰ったら、いつも通りだれもいませんでした。ひとりで夕飯を食べて、食器を下げました。食卓には必ず、もうひとつの食事が用意されています。勇二さんの分です。前の年にペンケースで殴られてから、会話もありませんでした。でも、ちょっとだけ、自慢したくて。自分で自分のためのケーキを作ったこと。それに、勇二さんもお誕生日のケーキを食べていない気がしました。だから、あげたかった。もらってきたシフォンのラッピングに、名前ペンで『そのこのおたんじょうケーキ』って書いて、水色のフードカバーの中へ入れました。ちょっと字が大きかったかもしれない。
 だれかにしてもらったお誕生会は、それが最初で最後です。次の年は、わたしが気後れしてお断りしました。じいちゃんばあちゃんは、もちろんやろうとしてくれたけれど、わたしはやっぱり断りました。なんとなく。とても虚しいことのように思えて。その代わり、べつのことをお祝いしよう、とお願いしました。

「……ちょっとだけ、私も昔話をしていいかな」

 一希さんがおっしゃいました。わたしは「どうぞ」と促し、勇二さんと真くんさんは自分が座っていた場所へ戻りました。一希さんは自嘲気味に、「私、バツイチなんだ」とおっしゃいました。はい、前に伺いました。

「――盛大にね、振られたんだよ。元妻に。二年の結婚生活だった。それなりに、マメな夫をしていたつもりだったんだけれど」

 一希さんは立ち上がって、冷蔵庫へ行き500ミリリットルの銀色のビールの缶をふたつ持ってきました。真くんさんが「僕もいただきます」とキリッとおっしゃいました。それと、オレンジジュースにコーラ。来るときに買って来られたものです。わたしの好きな飲みもの、把握してくれていたんだな、と思いました。勇二さんがコップを出して来ました。

「結婚記念日は、だいじょうぶだった。カルティエのリングを送った。でもね。……すっかりわすれていたんだ。彼女の誕生日を」
「え、専務そんな理由だったんすか、離婚」
「そう。まあ、それだけじゃないにせよ。どうせあなたはわたしのこと興味ないんでしょうって」

 結果的に協議離婚だそうです。慰謝料は600万円だったそうで。なにそれ怖い。なんとなく慰労の気持ちをこめて一希さんのコップへビールを注ぎました。「ありがとう」とおっしゃって、飲み干されます。「過去最高に美味いな」と一希さんがおっしゃったので、真くんさんが「園子ちゃん僕にもー!」とコップを持ち上げようとしたところを問答無用で勇二さんが注いでいました。はい。

「……そういや、学生時代もそうだったかもなあ、と思ったよ。だいたい僕が振られた。You don’t need me,do you? って言われて」
「いいなー、パツキン美女とそんなん言われる関係になりてー」
「おまえちょっと黙ってろ」
「――ちょっとね。私は……勇二もかな。一般的な、この世の中の人の心の機微に疎いところがあるのかもしれない、と感じているよ。努力はしているけれど」

 そうですね。庶民感覚はお持ちじゃないと思います。はい。わたしはあいまいに「そうですか」と言いました。
 
「――だから。この前、園子にいろいろプレゼントできたのが、うれしかった。あれは、義務感とかじゃなくて、私がしたいと思ってしたことだから。……もちろん、自己満なのは、わかっているけれど」

 もう一度注ぎました。今度は飲み干さずに、一希さんはわたしを見ました。そして「……誕生日を祝うっていう感覚が、よくわかっていなかったんだ。私は、三田の後継者として、社で祝われるけど。ビジネスの一貫でしかなかった」とおっしゃいます。社で祝うってすごいなそれ。

「……さみしい思いをさせてしまった。勇二も。二人に謝る。申し訳なかった」

 ……真面目だなあ、と思いました。一希さん。頭を下げられて、勇二さんも戸惑っているのがわかりました。たしかに、わたしたちと年は離れていて、いつでも大人に見えた一希さんだけれど。違うのに。それは、一希さんが気に病むことではないのに。
 わたしは「わたしもです」と言いました。

「わたしも、あんまりよくわからなくて。だから。じいちゃんばあちゃんとは、違うお祝いをしていました」
「へえ! なに?」
「『家族になった日』」

 四月の、第二金曜日。わたしが、福岡の鞍手町に着いた日。一希さんははっとしたような顔をして、勇二さんはテーブルへ視線を落としました。

「わたし、今後も誕生日は祝わないと思います。生まれたときのこと、覚えていないし。年が変わるだけの日なんです、わたしにとって」
「うん……よくわかる」
「でも、家族になった日は、わたしにとって意味がある日だから」

 じいちゃんもばあちゃんも、うれしそうにしてくれていた。もちろん年をとることも、すてきなことだと思うけれど。三人にとって共通の、そしてかけがえのない日。
 はじめは、お互いぎこちなくて。わたし、福岡に親類が居ること、そもそも知らなかったんです。だからじいちゃんばあちゃんとも初めましてでした。存在を知らされていなかった孫の面倒をみろ、といきなり言われて、二人は相当面食らったと思います。そもそも、母は就職で上京してからそのときに至るまで一切連絡していなかったそうだし、結婚したという事実も二人は知らなかったとのことで。二人は母を最初から居なかったものと考えて暮らしていました。それなのに約二十五年ぶりの連絡が、人づての「娘、そちらで預かって」ですからね。よく受け入れてくれたな、と今でも思います。
 それでも初めて『家族になった日』を祝ったとき、ばあちゃんが泣いてくれました。うれしいって、泣いてくれました。ばあちゃんがチラシ寿司を作ってくれて。じいちゃんが、まだ時季じゃないのに奥日向サーモンを調達してさばいてくれて。わたしはシフォンケーキを焼いてみて、失敗しました。でも美味しかった。ぜんぶ美味しかった。
 お互い手探りでした。初めましてから始めて、家族になりました。
 わたしにとって、かけがえのない六年でした。

「――……園子について、安心しているのはそのことなんだ」

 一希さんがぽつりとつぶやきました。安心とは。一希さんはやさしい瞳でわたしをご覧になって、「……君はね、私や勇二と違って、『家族』を知っているから」とおっしゃいました。――そうかもしれない、と思いました。
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