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『三田園子』という人

177話 一朝一夕では解決しないし

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「――はっきり言え。その男に、プロポーズされたと? そういうことだな?」
「……はい。……そうですうぅぅぅ……」

 愛ちゃんは500ミリリットルの三缶目を手にしています。わたしは愛ちゃんが微ビールと呼んでいるちょっとだけアルコールの缶を両手で持ったまま、正座で背を丸めました。いたたまれない。恥ずかしい。どうしたらいいの。ぜったい今顔真っ赤じゃんわたし。
 わたしがなぜ混乱し、悩んでいるのか。そのことを愛ちゃんに伝えました。アウスリゼのみんなに、心配かけてしまっているだろうことや、きっとわたしのことを探してくれているだろうこと。黙って聞いてくれたあと、愛ちゃんはあっけらかんと「悩むこと、ある? なんでその、よくわかんないところに義理立てしなきゃなんないの? 世話になったのかもしれないけどさ。元はと言えば、あんたここの人なんだし」と言いました。それで、説明せざるを得なくなったわけです。……帰りを待ってくれている人がいることを。

「あー、まじか。まじかよー。どこなのか知らんけどさ。遠いんでしょ?」
「たぶん。すごく」
「嫁に行く気?」
「……まだ、返事、してなかった」
「いや、あたしが聞いてるのは、返事したかじゃなくて、なんて返事するつもりだったか」

 愛ちゃんがガン詰めしてきます。容赦ない。ううううううう。うううううううう。わかんない、わかんないよ。そもそも、結婚とか考えたことないよ。どうしたらいいの。
 わたしは、日本に生まれ育って、オリヴィエ様と同じ二十八歳で人生終了するものと思って生きてきた。だから生涯設計とかなんにもなくて、来年以降どう生きているのか想像もつかない。でもオリヴィエ様は、おそらく亡くなるイベントを回避できて、無事二十九歳になることができるのだと思う。それはわたしがアウスリゼへ行って……いや、そのずっと前から、切実に願っていたことで。
 わたし、混乱してる。すごくうれしい。すごくほっとした。なかったはずのオリヴィエ様の未来が拓けたこと、泣けるほどうれしい。なのに。
 オリヴィエ様が、アウスリゼの平均寿命について話してくださったことを思い出しました。オリヴィエ様は、自分の人生が道半ばに終わらされてしまう可能性なんか考えていらっしゃいませんでした。平均の半分まで来たっておっしゃってた。その先のことを考えていらした。それなのにわたしはどうだろう。なにも。なにもないんです。これからの展望がなにも。

「…………自信ないや、わたし」

 出た言葉はそれでした。わたしの、今の結論でした。
 愛ちゃんはじっとわたしを見て、それから手に持った缶をぐいーっとしました。ちょっとわからないんですけどペースが早くないでしょうか。お酒強いとこんなもんなんでしょうか、わかりません。そして「……じゃあ、まずそっから、性根の叩き直しだな」と、おっかないことをぼそっとつぶやきました。なにする気。
 愛ちゃんが冷蔵庫へまったく危なげなく歩いて新しいお酒を取りに行きました。そのときにわたしのスマホが鳴って。あれ、どこ。どこに置いたわたし。あった。切れたら困ると思って、だれかも確認せずあわてて出ました。

「はい、もしもし」
『……三田? ……あの。加西翔太だけど』
「あっ、加西くん?」

 加西くんでした。下の名前翔太さんっておっしゃるんですね。わすれていました。加西くんは『いや……どうしてるかなって、思って』とつぶやいて、そのまま沈黙しました。

「うん? 元気だよー」
『そうか、よかった。彼氏は?』
「……たぶん、元気」

 愛ちゃんが座布団クッションのところに戻ってあぐらをかきました。なにか感じるものがあったのか、あたりめをくわえて自分のスマホを持ち上げ、わたしをじっと見て指でタップするしぐさをします。はい。わたしは通話中の自分のスマホをタップして、スピーカーオンにしました。

『たぶんって? 会ってないの?』
「今、遠いところにいるから」
『え? 付き合い始めたばっかって言ってたじゃん』
「うん……うん。でも、わたしが、日本に戻って来ちゃったから」
『どゆこと? 彼氏外国人?』
「……うん。そういうことに、なる、かな」

 多少歯切れわるくなるのはしかたがないと思います。まあ外国人。間違いない。じゃあわたしは二重国籍者か。――そっか。二重国籍者だ。今、どっちを選ぶか、催告されているんだ、わたし。
 どっちも選んだら、どうなるんだろう。
 どっちも選ばなかったら、どうなるんだろう。

『なんだよ! じゃあ、俺のが分がいいじゃん!』

 加西くんの声が華やぎました。え、なにそれ。『外国の彼氏を出し抜けるチャンス、いくらでもあるってことだよな? なんせこっちは地続きの国内にいるんだから。会いに行こうと思えば飛行機で二時間だ。よっしゃ、やる気出てきた』と、めちゃくちゃポジティブ。来んの? こっち? いや来なくていいんだけど。

『調整する。会いに行ってい?』
「だめではないけど……加西くん、お休みの日はサッカーのボラしてるって言ってたじゃん」
『生徒みんな俺の恋路応援してくれてるから平気。来週とか、どこ空いてる?』
「えー? 来るの?」
『行くよ。行く。会いたい。三田に』

 この人すごいなー。とりあえず、引っ越ししなくてはいけなくて、予定が不透明なことを伝えました。そしたら『また連絡する』とのことでした。

『俺、あきらめる気、ないから』

 さわやかな声での宣言をもって、通話は終了しました。愛ちゃんの視線が痛い。「どういうことだってばよ」とひとこと説明を求められました。しどろもどろでお答えしました。

「はーっ⁉ 日本でもプロポーズされたと⁉ あんたどんだけ魔性の女だよ!」
「いえ、ふつうの三田園子です」
「だよなあ」

 わたしもあたりめを口に入れました。あむあむ。滋味豊か。正直申し訳ないけれどわすれていました、加西くんのこと。それどころじゃなくて。ほんとすんません。

「で、どっち選ぶの」
「そうくるかー」
「そうもどうも、そういうことでしょ」
「ぶもおおおおおおおおおおお」

 難問すぎないでしょうか。これはきっと中学受験よりむずかしい。微分積分とか必要。算数も数学も不得意だった園子さんに投げる問題じゃない。そこらへんちゃんと考えて出題してほしい。え、だって、それ結局、アウスリゼか日本かってことじゃん。だれか微分して。まず分母を、分母を同じにして、よくわかんないから。

「じゃあ、言い方変える。どっちが好きなの?」
「……オリヴィエ様」

 愛ちゃんには、先日ちぇきの写真を見せました。「2.5次元系やな」との感想でした。わたしがいっしょに写ってなかったら二次元と断定していたかもしれません。はい。わたしの回答に、愛ちゃんは「じゃあ、答えは決まってんじゃん」とあきれたように言いました。

「あんたは、その外国のイケメンに嫁ぐ。それで」
「ちょっとまってーまってーまってー! いろいろ準備が! 心とかいろいろな準備が!」
「今から花嫁修業すんの? 手遅れだから心配すんなって。あんたのポンなところは二時間つきあえばわかるから、相手も承知してる」
「ポンとは」
「なにがそんなに不安なわけ?」

 真顔で問われました。わたしも、それは言語化し難くて、どう伝えたらいいのかわかりません。なので思いついたことをそのまま口にしました。

「もし――もし、オリヴィエ様のところへ行くとしたら。……愛ちゃんに、もう会えなくなる」

 すっと愛ちゃんの顔から表情が抜け落ちました。ちょっと黙ってから、愛ちゃんは「……そんなことか」とつぶやきました。

「それってさあ、あんたが、あんたの幸せを捨てる理由になる?」
「べつに、結婚だけが幸せの道ってわけじゃないし」
「そりゃそうだ。でもね、あんた、そもそも生きる目標とか、なかったじゃん」

 言い当てられました。バレてたんだ。その日暮らしで、未来展望はなにもなくて。

「こんなに自分の進路悩むのも初めてって感じでしょ」
「……うん」
「あんたさ、今本当にいきいきしてるよ。ちゃんと、次どうしようって考えられてる」

 愛ちゃんはお酒の缶をテーブルに置いて、わたしに向き直りました。あぐらの膝に両手を置きます。そして「あたしはあんたに言うことがある。心して聞け」と言いました。関白宣言でしょうか。

「はい」
「あんたはね、これまで自分のこと考えなさすぎだった」
「はい」
「自分は二の次、だれかが幸せなのを見て幸せ受動喫煙で満足してる」
「幸せ受動喫煙」
「それさ、ある意味コスパよくて最強かもしれんよ。金かからないし。でも、あんたが幸せになるわけじゃないの、それ。わかる?」
「はい、わかります」

 愛ちゃんは「わかってねえな。わかった」と言いました。どっちでしょうか。そして「あのね、あんたはきっと、自分から能動的に幸せをつかみに行こうなんて欲求はないんだと思う。自分にその必要を感じてないから。でもさ」と、まっすぐにわたしを見ました。

「あんたも、幸せになっていいんだよ。その手段が、結婚でもべつのなにかでもかまわない。あんたにはその自覚が足りない。あたしが、歌うのが好きで、それで幸せって感じるようななにか。あんたに、ある?」
「…………ない。……かな」

 いっしゅん「グレⅡ」って答えそうになりました。オタとしては正しい答えでも、この場で正しい答えではないので言いませんでしたけども。
 愛ちゃんは「やっぱり性根叩き直しだな」と言いながらお手洗いへ立ちました。こわい。なにするの。
 スマホがもう一度鳴りました。今度はだれからかちゃんと見ました。勇二さんでした。

「はい、園子です」
『あっ、はい。勇二です、こんばんは』

 毎度緊張されていてちょっと気の毒になります。わたしそんなにおっかないんですかね。勇二さんは『あの、そちらの家主から謝罪の電話をいただきました。状況把握しております。今後、どうされるのかと思って』とおっしゃいました。

「とりあえず、今部屋を片付けながら、考えていたところです」
『――あの。やっぱり、あのマンションでは、ご満足いただけませんか』
「いえ、十分すぎます。わたしが住むには豪華すぎるくらいです」
『そんなことはないです、俺が学生時代に住んでいたところですから。ちょっと手狭ですが』
「いえいえいえいえ、今のところより広いし、水回りもキレイだし」

 愛ちゃんが戻ってきて、訳知り顔でちょっと笑いました。勇二さんがきりきり舞いしてるの伝わったみたいです。
 その愛ちゃんの顔を見て、すとん、となにかが胸の中でいい感じに収まりました。まあ、いいか。悩むことはいっぱい、他にあるんだし。

「……じゃあ、お願いしようかな。いつから、入れます?」

 スマホの向こうがいっしゅん無音になりました。そして『はい! あ、はい、はい! いつでも! ……いつでも!』とあわてた声が聞こえました。
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