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『三田園子』という人

157話 それ、どういうことだろう

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 12歳のとき。わたしは中学受験に失敗しました。それがすべて。『完璧な』三田家の中で、わたしは即座に居ない存在とされました。生まれ育った神奈川県小田原市から、母の故郷である福岡県の鞍手町へ。表向き理由は病気療養。その実ただのやっかい払い。

 元々、それほど愛情表現がある家庭ではなかったとは思います。家に帰ればだれも居ないか、週三で雇っていたハウスキーパーさんが無言で仕事をしていました。生活自体は過不足なかったので、わたしはごく普通の子どもに育ったと思います。二人の兄は年が離れていて、いっしょに遊ぶということはなかったし、女として末に生まれたのでいくらか目こぼしもあったのでしょう。今思えば兄たちは友人を厳選されていて、わたしのように放課後に級友の家へ遊びに行くということもなかった気がします。わからないけれど。

 小学校低学年のときに、よく遊んだのは千尋ちゃんと彩花ちゃん。
 千尋ちゃんのお父さんはわたしの父の会社に勤めている人だったから、それでたぶん、とてもよくしてもらった気がします。わたしたち子どもはそんなことよくわからなくて、ただ通学路がいっしょだから仲良くなったのだけれど。ちーちゃんママが作ってくれるシフォンケーキは、お店のシフォンケーキなんかよりずっと美味しく思えて大好きだった。ときどき粉がダマになっているの。そこがよかった。
 彩花ちゃんのお家は二階建ての古い借家でした。そこに背中が丸いおばあちゃんと、ご両親、それにぜんぶで六人の兄妹たち。お家全体がジャングルジムみたいだった。上へ下へ。あっちで騒ぎ、こっちで笑い、ひとりがトイレへ向かったら全員が並ぶ。ひとときも静かな瞬間がない。わたしも千尋ちゃんも、みんなといっしょに怒られるようなことをたくさんそのお家でして、連座で叱られました。すごくたのしかった。
 他にも友だちはいたし、他の子と遊ぶこともあったけれど。だいたいいつも同じメンバー。わたしの幼い情操は多くの場合、そうして他所で形成されて行ったと感じます。あのころの友人たちには、本当に感謝しています。子どもらしさを、体験させてくれた。

 家に帰れば、夕飯があります。結局だれが作っているのかよくわからなかった。多くの場合わたしはひとりでご飯を食べて、組まれたタイムスケジュールの通りにお風呂へ入り、眠りました。ときどきそこに二番目の兄がいます。けれど、わたしが小学生になったころはちょうど中学受験勉強のストレスで参っていたころで、なにかしらの八つ当たりをされるので、会いたくありませんでした。なので彼が塾から帰ってくるより早くすべてを終えて、自分の部屋へ引きこもることにしました。本当は、わたしだって他のクラスメイトみたいにアニメを観たかった。でも一度夕食後にテレビを観ていたら、ペンケースで思いきり後頭部を殴られて。それ以来、ドアの開閉音を聞き逃すことはなくなりました。その緊迫した生活は二年続きました。
 わたしはどこか自分を、『三田家』の人間ではないとふんわりと思っていたふしがあります。けれど、考えてみれば当然だったのかもしれませんが、小学四年生になったとき、自分も兄たちのように中学受験の勉強に身をやつすことになりました。びっくりしました。
 それまで、わたしになんの関心も示して来なかった親族たちが、こぞってプレッシャーをかけてきました。彩花ちゃんと千尋ちゃんとは遊べなくなりました。彩花ちゃんは「え? なんで?」という感じで。千尋ちゃんは「お察しします」とでも言いたげな顔で。
 二年の受験勉強は実らず、わたしは二人の兄と同じ中学への入学資格を得られませんでした。そして、福岡へ。卒業式は出席させてもらえたのは武士の情けでしょうか。親族はだれも来なかったけれど。

 そもそも、受験をしてたくさんの友だちと離ればなれになる中学へ行くのは嫌だったのに、離れるどころか会えなくなる場所へと去らせられるとは夢にも思いませんでした。なので最初のうちは家族が仕組んだ大がかりなジョークだろうと思っていて、田舎での生活をたのしもうと思う余裕がありました。また遊びに来たとき、友だちがいたらいいなと思って自分から溶けこもうとがんばったりもして。けれど、一カ月が過ぎても迎えに来るどころか連絡すらなくて、親が本気でわたしを捨てたのだと徐々に理解できました。泣きました。
 こっそり泣いていたことは、じいちゃんばあちゃんにバレていたのだと思います。
 六月のある日曜日。じいちゃんもばあちゃんも朝からそわそわしていました。年金が出たばっかりだから、美味しいもの食べよう、と前の日から言われてはいました。だからお寿司とかとるのかな、と思っていたのですけれど、街まで行こう、と言われました。街、というのは福岡市の中央区のことです。だいたい天神あたりのことを指して、じいちゃんたちはそう呼んでいました。
 鞍手町から天神って、行くのに一時間はかかるんです。じいちゃんは定年退職後に車を手放していたので、交通機関を用いて行くことになります。前日のむわっとした暑さとはうって変わって午前中から雨が降っていて、移動がたいへんそうでした。なので、来週にしたらどうかと提案しましたけれど、どうしても行くのだ、と二人は言うのでした。それでも、わたしはどきどきしていて。ぜんぜん知らない土地で、知らないところへ行くのは、彩花ちゃんの上のお兄ちゃんがやっていたゲームの提督の決断みたいな気分でした。開戦準備しなきゃ。
 お昼を少し過ぎたくらいのときに天神へ着きました。ばあちゃんが「岩田屋さんに行こう」と言っていたのでそちらに向かって、レストランで食事をしました。そういえばあのときも、ばあちゃんに勧められてプリンアラモードを食べたかもしれない。じいちゃんは移動で疲れきっちゃって。そのままレストランで待っていると言いました。ばあちゃんは「じゃあ、行こうか。そのちゃん」と言いました。連れて行かれたのはおもちゃ売り場。
 そこで、加西くんに会ったわけです。

「――あのとき、加西くん『おっまえ、プレステ3持ってないんだろー!』って言って」
「やめろ! 黒歴史掘り返すな!」
「いや、いや。あれが、わたしの転換点だったんだもん。お礼言いたくて。ありがとう」
「なんだそれ」

 欲しい物買ってあげるって言われても、ピンとこなくて。受験勉強、受験、それに予期していなかった引っ越しに、友だちとのお別れ。いろいろ気持ちが追いついていなかったし、おもちゃで遊ぶっていう感覚も、なんだかわからなくなっていて。そもそも小田原の家で、わたしはおもちゃらしいおもちゃを持っていなかったですし。たまたま、売り場でわたしはプレステ3を眺めていて。それで。
 
「――あのとき、ばあちゃんがムキになって。高いのに、プレステ3と加西くんが買ったグレⅡをいっしょに買ってくれた。……ああ、あれがなかったら、今のわたしはないんだなあって。あらためて思うよ」

 なつかしさと実感を込めて言うと、加西くんは「お、おう」と面食らっていました。それはそうですよね。
 わたしがグレⅡに……オリヴィエ様に、会えたのは加西くんのおかげ。急激に加西くん孝行をしたくなりました。なので「肩こってない? わたし揉むの得意だけど揉もうか?」と聞いてみました。「いらん、いらん」と言われました。
 いろんな話をしました。みんなバラバラの高校へ行くことになって、わたしは県立の定時制へ。加西くんはスポーツ推薦で、わたしでも知っているサッカー選手がOBの学校へ。プロへの道はあきらめたけれど、今は小学生にボランティアでサッカーを教えているそうです。たのしいって。

「いいなあ。加西くんの夢は、そういう形で叶ったんだねえ」
「三田は? なんかそういうの、なかったの」
「うーん……ただひたすらオタ道進んでたからねえ……」

 将来の夢とか、もしかしたら幼稚園の卒園アルバムとかに載っているかも、くらいのレベルです。ちーちゃんママのシフォンケーキを作るお店はやりたかったかもしれない。でも、なんかそうやって自分の人生とかをじっくり考える時間を、これまで持たなかった気がする。加西くんは苦笑いしながら「そうだよなあ」と言いました。

「高二のときのデートでさ」
「だれとだれの?」
「……俺と三田」
「えっ⁉ なにそれ⁉」

 あからさまに加西くんがうなだれました。「そっかーそうかー、やっぱそうだったかー」とうめきます。

「……福岡ダービー。レベスタで。俺から誘って、行ったじゃん」
「あれデートだったの⁉」

 いやたしかに! デートっぽいとは思ってはいた! てゆーか周りからそう言われたけど、っぽいだけだと思っていた! まじかー、わたしちゃんと青春してたんじゃん! でもハーフタイムでめっちゃグレⅡの話して、加西くんにドン引きされた記憶しかないんだけど。なんならオリヴィエ様について説いた。伝道した。やりきった。とてもうらめしそうな視線で加西くんがわたしを見ます。そんな目で見ないで。

「よーくわかった。まじで相手にされてなかったんだな俺。わかったよ」
「えーとごめん? なんかごめん?」
「いいよ、たぶんそういうところもひっくるめて……好きになったんだ」

 ぐいーとグラスの中身を飲み干して、早押しクイズみたいに加西くんはピンポンを押しました。黒子みたいな動きと素早さで店員さんがいらして、オーダーを受けてすすすっといなくなり、またすすすっと現れてグラスを置いて行かれました。四杯目なんですけどだいじょうぶでしょうか、加西くん。知多ハイダブルって強い? 「ちょっとトイレ。顔洗ってくる」と席を立って、ちょっとしてから戻ってきました。その間わたしはムール貝のキッシュを食べました。んまい。

「……三田さ、今彼と付き合ってどんくらいなの」
「ぴゃーーーーー」

 今彼⁉ まって、まって。それはだれを指すの。ちょっと待って。準備が。主に心の準備が。ジャストアモーメントプリーズ。アイスティーを飲み干して、わたしも早押しクイズしました。あまおう苺レモネードを頼みました。
 運ばれてきて、飲みます。甘い。加西くんはじっとわたしを見ていて回答を待っていたので、わたしは小声で「一週間くらいです……」と言いました。

「まじか。こないだじゃん」
「はい……」
「じゃあ、まだ俺入り込む余地、ある?」
「……はい?」

 わたしが見返すと、加西くんはまっすぐにわたしを見ていました。一度知多ハイダブルをくいっと飲んで、言いました。

「――大学卒業してからは、ずっとフリー。年収は……いまんとこ400万くらい。いちおう上場企業。部下も三人いる。一人暮らし四年目で、家事炊事けっこう得意。土日はボラでジュニアユース目指す子たち教えてる」

 えっと。それって。言葉なく見返すわたしへ、被せるように加西くんは言いました。

「……三田のこと、初恋だった。今日岩田屋で会って、変わってなくて、すぐ見てわかって、ほっとした。だれとデートしてもさ、やっぱ思うんだよ。三田を誘ったとき、俺ホント、ガキだったなって。今なら、どうだろうって。今三田を誘ったら、ちゃんとたのしませられるかなって」

 それから、ちょっと不安そうに「今日は、どう?」と聞いてきたので「たのしいよ!」と言いました。加西くんはうれしそうに笑いました。

「相手の男さ……俺たち、もう二十八なるし。たぶんいろんな覚悟とか持って三田と付き合い始めたとは思う。三田も、たぶんそいつとの将来を考えようと思ったから、選んだんだと思うし」
「将来……」
「まだ、ギリ間に合わないかな? 俺も名乗り上げちゃだめ?」

 わたしは手元のあまおう苺レモネードを見ました。ピンク色がとてもキレイで、カヤお嬢様をちょっと思い出しました。そして、彼女へ答えた、わたし自身の言葉を思い出しました。――「わたしは――好きな人が幸せだったら、それでいいです」
 わたしは顔を上げて、加西くんを見ました。加西くんはまっすぐに視線を返してきました。なので、尋ねました。

「加西くんは、わたしが好きなの?」
「――好きだよ。あらためて思った」

 少し考えるような間があって、「さっき。電話ボックスで泣いてたじゃん。あれ見て。……ああ、泣かせたくねえなあ、て思った」と加西くんはつぶやきました。

「初恋引きずるとか、きもいって思われるかもしれんけど。でもやっぱり好きだ。……ここで言わないで、後悔したくない。いっしょになりたい。できればいっしょに……三田と、幸せになりたい」 
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