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 マディア公爵邸にて

114話 ここからが本番なんですけど、じつはわたしやることないんですよね

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 公用車の前後左右を、警備の自動車が挟んでいます。めっちゃ重要人物警護って感じです。前方にはもう一台先行している自動車があって、道の安全を確かめています。
 わたしは、後部座席に座っています。はい。流れるように助手席へ向かったのですが、ミュラさんに「ソノコ、それは身持ちの良い女性が座る場所ではない」と叱られてしまいました。はい。これ、オリヴィエ様を迎えに来た自動車なんですよ。よって。

 ――隣に、オリヴィエ様が座っていらっしゃるのです……。

「私も長逗留できるわけではない。忙しい日程ですからね。あなたとこうしてふたりで話せる時間も、もしかしたらもう取れないかもしれない」

 オリヴィエ様はわたしにそうおっしゃいました。そうかー、それでわたしもお迎えに連れてこられたのかー。街道からの声援に応えながら、オリヴィエ様は「元気にしていましたか、ソノコ」と尋ねてくださいました。「はい元気です!」とわたしは答えました。

「あなたと話さなければならないことは多くあります。けれど一番大切なことをこうして先にあなたへ確認したかった」

 なにを言われるんでしょうか。オリヴィエ様が隣に座っていらっしゃるという事実が、そこにいらっしゃるという奇跡が、むりというかしんどいというかありがとうございますというか、とにかくわたしにとって自分がまず正気かを全方面から確認しなければならない事態のためちょっと現実逃避気味にわたしは自分の膝のあたりをみつめています。「ソノコ、こちらを見て?」と声をかけられて、おそるおそる顔を上げました。視覚の暴力とも言える美しいお姿が目に入ります。まっ……まぶしいいいいいいいいいいいいい‼ ぎゃあああああ紫の瞳がわたしを見ているうううううううううううううう。

「再会してすぐに無粋な質問をしてしまうことを許してほしい。私はあなたに確認しなければならない――あなたは、今でもリシャール殿下の『友人』ですか」

 遠回しに聞こえながら、意味は直接的です。これまで敵対行動を取らなかったか、ということです。わたしは自信を持ってそれに「はい」と答えました。オリヴィエ様が微笑まれます。なにそれすごい今日はなんの日? わたしの命日? 言い値で買うので写真屋さん、今のショットをお願い。頭が飛びかけましたけれど、わたしはちゃんとわたしの立場を明確にしなければいけないのだ、と考えていたのでした。それは今です。ちゃんと言わなきゃ。

「あの――わたし、リシャール殿下だけではなくて……クロヴィスさんの『友人』でもありたいと思っているんです!」

 ひっしにひねり出したわたしの言葉を聞いて、オリヴィエ様が瞠目されました。ミュラさんがミラー越しにこちらをご覧になったのもわかります。なだらかなカーブを、自動車はそれに沿ってゆっくりと走っていきます。

「それは、どういう意味ですか」

 ものすごく怒られるかも、と考えていたのに、思いがけずオリヴィエ様の問いかけは穏やかです。わたしは言語化しづらかったけれど、ずっと考えていたこと、自分の指針としてきたこと、願いを、ここで打ち明けようと口を開きました。

「みんな幸せに。そうなればいい、と思っています。だれかが王様になったら、他のだれかが不幸せになるんじゃなくて。みんないっしょに、一番いいところ目指して、握手しあえればいいんじゃないかなって」

 黙ってオリヴィエ様は聞いてくれました。道路わきのみなさんが、こちらへ手を振っているのがその肩越しに見えます。

「――そのための、和平協議なんだろう、とも思っています。思いがけず、わたしもクロヴィスさんの置かれている状況を知ってしまいました。切実な願いも。その事情には、リシャール殿下に対立せざるを得ないものがありましたけれど、最初からその願いがあったわけではないはずです。お医者様がいらして、状況もがらりと変わりました。なので、できるはずです。リシャール殿下と、クロヴィスさんが『友人』になることも」

 シナリオなんて、知ったこっちゃないのです。王杯のばーかばーかおたんこなすー!
 オリヴィエ様が目を細めてわたしをご覧になりました。検分されているような、面白がられているような、それでいてとてもやさしい瞳でした。

「あなたはそのような人なんでしょうね、ソノコ。――あなたのその言葉が、叶うように願っています」

 ミュラさんも、ハンドルを切りながら「そうなりますように」とささやきました。
 ふたりに理解してもらえたことがうれしくて、泣きそうでしたけどわたしは笑いました。

 公使館につきました。記者さんたちが構えていたカメラボックスが、オリヴィエ様の姿を収めるというカメラ生でこれ以上ない最高の仕事を次々と終えました。君たちの働きは無駄にはしない。言い値で買おう。今日来ている新聞社と雑誌社の情報はレアさんが把握しているのでだいじょうぶです。
 今後、オリヴィエ様が立ち去られた後もここを公使館とするために、借り上げだった土地と建物はすべて買い上げになりました。なので、広いお庭の一部を突貫で工事して、プレハブよりはずっといいかんじの宿舎が建てられています。そこで警備の方とか、オリヴィエ様の護衛で着いてこられた方とかが寝泊まりしたり休憩をとったりしてもらう感じです。アシモフたんとイネスちゃんの遊び場が狭くなってしまいますが、その分遊び相手が増えるのでがまんしてもらいましょう。
 公使館三階は、ただっぴろい屋根裏部屋と、ダンスパーティーができそうなルーフバルコニーがあります。なにに使っていたって、お洗濯干すのに使っていただけなんですよね。
 で、雇った事務員さんの一部の方がそちらでお仕事できるように移動しました。屋根裏部屋は今、パーテーションとかで区切ってあって、ラ・リバティ新聞社の編集部屋みたいな感じです。バルコニーがあるの、けっこういいみたいですね。ちょっと息がつきたいときとかようにテーブルセットもみっつ置いて。ご飯はレアさんとわたしと、日雇いのコックさんでどうにか一般家庭キッチンで回しています。お手洗いが、一階と二階にしかないんですよね。今三階にも増設工事中です。
 で、わたしとレアさんと美ショタ様なんですが。変わらず二階の部屋で過ごしていますが、このままレテソルに長く居るなら引っ越すことになりそうです。はい。さすがにねえ……。
 オリヴィエ様は、ひとまず美ショタ様と同じ部屋に逗留されます。ということで、リビングでご対面です。

 両者、ともに言葉なく対峙されました。先に動いたのはオリヴィエ様。近づいていって、ぎゅっとハグされました。なにこれ尊い。記者さん帰っちゃった? 今シャッターチャンスよ? 公使館専属写真家の必要性がわたしの中で提唱されますね。あとでミュラさんに提案しましょう。

「心配した……テオ」
「うん。……うん。……ごめん」

 オリヴィエ様と美ショタ様は、腕木通信でほぼ交換日記みたいに文通をしていらっしゃいました。全部を見せていただいたわけではないですけど、美ショタ様の中のわだかまりとか、オリヴィエ様の気持ちとか、表現して伝えるにはいい手段だったみたいです。限られた文字の中に、自分の考えをあますことなく伝えるのって、なかなか難しい。でも、限られているからこそ真剣に考えた言葉がそこにはあって。ただ向き合って、話し合うだけでは、このハグの意味は違っていたかもしれない。
 レアさんと、雇いのコックさんが腕をふるってくれました。みんなで小さな、でも豪華なオリヴィエ様歓迎会。
 さて、明日からは和平協議へ向けて一直線です。わたしはおとなしくしています。はい。
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