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再び、レテソルへ
96話 これは一件落着なんでしょうか、わかりません
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『どんな状況であれ、今皆さんがこうしてここに存在すること。それが奇跡であることを、忘れないでください』
ルミエラのおうちから持ってきた、オリヴィエ様に関する記事や情報をまとめているノートを開きました。もうずっと昔に思えるけれど、まだ五カ月くらいしか経っていません。ルミエラで参加した、経団連フォーラム。そこでオリヴィエさまがなさった基調講演の結びの言葉です。
講演内容は全文経済新聞に公開されました。心が迷いそうになったとき、くじけそうなとき、何度も読み返しました。わたしがここにいること。それはたしかに奇跡です。
『挑戦をあきらめてしまうことのないようにしましょう。それは敗北です。自分自身への敗北です。自分がどこに向かっているかは、最初は見えないかもしれない。手探りで、闇雲で、それでも前進しないよりずっとマシだ。全部を見る必要などない。目の前の、手の届く範囲だけでもいい。そうやって、自分の歩くべき道を各々で見つける必要があります』
これまでもその言葉を指針にしてきました。あきらめない。わたし、まけない。わたし自身はとても弱くて卑屈な人間です。空元気でどうにか回して、このグレⅡ世界の中でひっしにやってきました。
わたしの心が強いから前へ進もうとできたわけではありません。オリヴィエ様が、示してくれたから。わたしがどう歩むべきか。
ミュラさんは緊急通信から三日後にいらっしゃいました。なんと、あのかっこいい白リムジンメーカーの自動車で。イネスちゃんもいっしょ! 午前中の市街地に突然現れた高級車に、通行人さんがガン見していました。
「おひさしぶりです」
ちょっとやせたんじゃないでしょうか。お仕事たいへんだったんだろうな。アシモフたんがイネスちゃんの姿を見て全身全霊全力でよろこんでいました。かわいい。すぐに中に入っていただきました。レアさんが「ようこそ」と笑顔で迎えると、ミュラさんが懐かしむような瞳で「おじゃまします、レアさん」とおっしゃいました。なんかミュラさんの男ぶりが上がった気がします。
王国直轄領からマディア領へ入ったのではなく、もうひとつ隣の伯爵領を経由して来られたんだそうです。自動車で。個人旅行ということで。イネスちゃんを連れてきたのはそのカモフラージュ的な意味もあるみたいです。
リビングに入ってすぐに、ミュラさんは美ショタ様に向き直りました。美ショタさまはソファに寝そべって推理小説を読みふけっています。ミュラさんのため息には、本当に多くの意味がこめられていそうでした。
「テオくん、ひさしぶりだね」
「そうだね、二年ぶりくらい?」
ごろん、と仰向けになって美ショタ様が答えます。「君がこちらに来ていると知って、ご家族は本当に心配しているよ」とミュラさんがおっしゃると、「そうだろうね」と事もなげな発言。のそのそと起き上がります。
「――大きくなったね。見違えた」
「そりゃ、もう中学生だし」
「じゃあ、今の状況もわかるね?」
「開戦したんでしょ。わかってるさ、そのくらい」
その言葉を聞くや否や、ミュラさんが美ショタ様の頬を打ちました。ひゅっとわたしの喉が鳴りました。レアさんも硬直します。
「――体は大きくなっても、中身は小学生のままなのか。君がとった行動で、どれだけの人が眠れない夜を過ごすと思っている。ご両親とお兄さんが、わたしに君を託さざるを得なかった気持ちがわかるか」
……ミュラさん、かっけえ。
わたしとレアさんじゃこれはできないです。立場的に。はい。おんなじ気持ちですけど。はい。
美ショタ様はミュラさんをにらみつけました。正論言われているのはわかるでしょうから、反ばくはされません。でも、ミュラさんが旅装のまま向かい側のソファに腰を下ろして彼に向き直ったとき、静かにおっしゃいました。
「……あの家族には、僕なんか必要ない」
……。パードン?
いや、急きょ高官であるミュラさんが派遣されちゃうくらい重要視されていると思うんですが? ミュラさんもなにを言われたのかわからないといった表情です。やんごとなきご家庭の美ショタさまは深刻な表情で続けました。
「……僕は、父さんと母さんの本当の子どもじゃないんだ。もちろん、兄さんたちの弟でも。僕はもらわれっ子だったんだ。ずっと、そのことを隠されていたんだ」
ええええええ⁉ そんなご家庭事情が⁉ わたしが息を飲むと、反対にレアさんとミュラさんはほっと息をつきました。
「なんだ、そんなことか」
「そんなことってなんだよ!」
美ショタ様が声を荒げます。そうだそうだ! そんなことってなんだ! はらはらしながらわたしは成り行きを見守ります。オリヴィエ様のご実家の事情がこんなに複雑だったなんて! 表の事情だけでも複雑だったので、グレⅡ内では語られなかったんですかね。そもそも美ショタのテオフィル様はシナリオに関係ないから出てこなかったしね!
「君は、自分がこれまで受けてきた愛情が本物だとわからないくらいにバカなのか? だとしたらわたしから言うことはなにもない。グラス侯爵夫人が……君を育てた君のお母さんが、くれぐれもよろしくとわたしの手を取って泣いていたことも、すべて無駄だということだな」
美ショタ様がちょっと泣きそうになっています。わたしも泣きそうになっています。「……じゃあ、なんで、僕が本当の子どもじゃないって教えくれなかったんだよ」とつぶやきます。そうだー! なんでだー!
「必要ないからだろ。君はあの家の本当の子なんだから」
ミュラさんがあっけらかんとおっしゃいました。なるほどー! ちょっとわかんないけどなるほどー! ミュラさんは続けます。
「そもそもなんでそんなことを思った? こんな時期に突然」
「……にいさんの、部屋に行ったら……」
美ショタ様はとつとつと語りました。ファピーの雑誌を渡してもらったときに、オリヴィエ様がわたしの話をしたことに興味を持って、わたしからの手紙を今度見せてもらう、という約束をしたのだそうです。日時は決めていなかったけれど、気になって勝手にオリヴィエ様のアパートメントへ行って。留守だったから、好奇心から机の引き出しを開けて。わたしからの手紙の他に、写真があったと。今の自分と同じくらいの年のオリヴィエ様の姿と、自分そっくりな男性、そして知らない女性が三人で微笑んでいる写真が。女性はおなかが大きくて、写真の裏には『テオフィルが生まれる前年。中庭にて』と書いてあったと。
「……前から、兄さんの友だちとかが、僕を見て『笑った顔がオリヴィエにそっくりだな!』とか言うの、ひっかかってて。だって、兄弟なんだから、似てるの当然じゃん。なんでみんなそろいもそろって、当然のこと言うんだろうって。でも違った。その写真見て、ぜんぶわかった。僕は、父さんと母さんじゃない人から生まれた人間なんだって。だからみんな、驚いて『そっくり』なんてことをわざわざ言うんだって」
そう思い至ったとき、目の前が真っ暗になったと。考えてみれば家族の中で赤毛なのは自分だけで。いても立ってもいられずに、どこかに逃げたくなって。目の前にあったわたしからの手紙の住所をメモして、書置きして、引き出しにあった小切手帳を持って、飛び出してきたと。
このお話を聞いてわたしはちょっとほっとしました。ボーヴォワール家は十四歳のボーイに小切手帳を携帯させるような異次元経済観念のおうちではなかったようです。はい。
話を聞いたあと、ミュラさんが大きな大きなため息をついて、とても疲れた表情でおっしゃいました。
「……なるほど。経緯はとてもよくわかった。これはわたしが踏み込むようなことではないから、これ以上はなにも言わない。ただ、君は多くの誤解をしている。その誤解が生じるようにしてしまったボーヴォワール閣下にも責任はある。君は、お兄さんとご家族と、しっかり話をしてみなさい。それで解決する問題だ」
なるほどー! そうなんだー! ミュラさんは「……ああ、緊急通信するか。なんて書くかな」とぼやきました。
ルミエラのおうちから持ってきた、オリヴィエ様に関する記事や情報をまとめているノートを開きました。もうずっと昔に思えるけれど、まだ五カ月くらいしか経っていません。ルミエラで参加した、経団連フォーラム。そこでオリヴィエさまがなさった基調講演の結びの言葉です。
講演内容は全文経済新聞に公開されました。心が迷いそうになったとき、くじけそうなとき、何度も読み返しました。わたしがここにいること。それはたしかに奇跡です。
『挑戦をあきらめてしまうことのないようにしましょう。それは敗北です。自分自身への敗北です。自分がどこに向かっているかは、最初は見えないかもしれない。手探りで、闇雲で、それでも前進しないよりずっとマシだ。全部を見る必要などない。目の前の、手の届く範囲だけでもいい。そうやって、自分の歩くべき道を各々で見つける必要があります』
これまでもその言葉を指針にしてきました。あきらめない。わたし、まけない。わたし自身はとても弱くて卑屈な人間です。空元気でどうにか回して、このグレⅡ世界の中でひっしにやってきました。
わたしの心が強いから前へ進もうとできたわけではありません。オリヴィエ様が、示してくれたから。わたしがどう歩むべきか。
ミュラさんは緊急通信から三日後にいらっしゃいました。なんと、あのかっこいい白リムジンメーカーの自動車で。イネスちゃんもいっしょ! 午前中の市街地に突然現れた高級車に、通行人さんがガン見していました。
「おひさしぶりです」
ちょっとやせたんじゃないでしょうか。お仕事たいへんだったんだろうな。アシモフたんがイネスちゃんの姿を見て全身全霊全力でよろこんでいました。かわいい。すぐに中に入っていただきました。レアさんが「ようこそ」と笑顔で迎えると、ミュラさんが懐かしむような瞳で「おじゃまします、レアさん」とおっしゃいました。なんかミュラさんの男ぶりが上がった気がします。
王国直轄領からマディア領へ入ったのではなく、もうひとつ隣の伯爵領を経由して来られたんだそうです。自動車で。個人旅行ということで。イネスちゃんを連れてきたのはそのカモフラージュ的な意味もあるみたいです。
リビングに入ってすぐに、ミュラさんは美ショタ様に向き直りました。美ショタさまはソファに寝そべって推理小説を読みふけっています。ミュラさんのため息には、本当に多くの意味がこめられていそうでした。
「テオくん、ひさしぶりだね」
「そうだね、二年ぶりくらい?」
ごろん、と仰向けになって美ショタ様が答えます。「君がこちらに来ていると知って、ご家族は本当に心配しているよ」とミュラさんがおっしゃると、「そうだろうね」と事もなげな発言。のそのそと起き上がります。
「――大きくなったね。見違えた」
「そりゃ、もう中学生だし」
「じゃあ、今の状況もわかるね?」
「開戦したんでしょ。わかってるさ、そのくらい」
その言葉を聞くや否や、ミュラさんが美ショタ様の頬を打ちました。ひゅっとわたしの喉が鳴りました。レアさんも硬直します。
「――体は大きくなっても、中身は小学生のままなのか。君がとった行動で、どれだけの人が眠れない夜を過ごすと思っている。ご両親とお兄さんが、わたしに君を託さざるを得なかった気持ちがわかるか」
……ミュラさん、かっけえ。
わたしとレアさんじゃこれはできないです。立場的に。はい。おんなじ気持ちですけど。はい。
美ショタ様はミュラさんをにらみつけました。正論言われているのはわかるでしょうから、反ばくはされません。でも、ミュラさんが旅装のまま向かい側のソファに腰を下ろして彼に向き直ったとき、静かにおっしゃいました。
「……あの家族には、僕なんか必要ない」
……。パードン?
いや、急きょ高官であるミュラさんが派遣されちゃうくらい重要視されていると思うんですが? ミュラさんもなにを言われたのかわからないといった表情です。やんごとなきご家庭の美ショタさまは深刻な表情で続けました。
「……僕は、父さんと母さんの本当の子どもじゃないんだ。もちろん、兄さんたちの弟でも。僕はもらわれっ子だったんだ。ずっと、そのことを隠されていたんだ」
ええええええ⁉ そんなご家庭事情が⁉ わたしが息を飲むと、反対にレアさんとミュラさんはほっと息をつきました。
「なんだ、そんなことか」
「そんなことってなんだよ!」
美ショタ様が声を荒げます。そうだそうだ! そんなことってなんだ! はらはらしながらわたしは成り行きを見守ります。オリヴィエ様のご実家の事情がこんなに複雑だったなんて! 表の事情だけでも複雑だったので、グレⅡ内では語られなかったんですかね。そもそも美ショタのテオフィル様はシナリオに関係ないから出てこなかったしね!
「君は、自分がこれまで受けてきた愛情が本物だとわからないくらいにバカなのか? だとしたらわたしから言うことはなにもない。グラス侯爵夫人が……君を育てた君のお母さんが、くれぐれもよろしくとわたしの手を取って泣いていたことも、すべて無駄だということだな」
美ショタ様がちょっと泣きそうになっています。わたしも泣きそうになっています。「……じゃあ、なんで、僕が本当の子どもじゃないって教えくれなかったんだよ」とつぶやきます。そうだー! なんでだー!
「必要ないからだろ。君はあの家の本当の子なんだから」
ミュラさんがあっけらかんとおっしゃいました。なるほどー! ちょっとわかんないけどなるほどー! ミュラさんは続けます。
「そもそもなんでそんなことを思った? こんな時期に突然」
「……にいさんの、部屋に行ったら……」
美ショタ様はとつとつと語りました。ファピーの雑誌を渡してもらったときに、オリヴィエ様がわたしの話をしたことに興味を持って、わたしからの手紙を今度見せてもらう、という約束をしたのだそうです。日時は決めていなかったけれど、気になって勝手にオリヴィエ様のアパートメントへ行って。留守だったから、好奇心から机の引き出しを開けて。わたしからの手紙の他に、写真があったと。今の自分と同じくらいの年のオリヴィエ様の姿と、自分そっくりな男性、そして知らない女性が三人で微笑んでいる写真が。女性はおなかが大きくて、写真の裏には『テオフィルが生まれる前年。中庭にて』と書いてあったと。
「……前から、兄さんの友だちとかが、僕を見て『笑った顔がオリヴィエにそっくりだな!』とか言うの、ひっかかってて。だって、兄弟なんだから、似てるの当然じゃん。なんでみんなそろいもそろって、当然のこと言うんだろうって。でも違った。その写真見て、ぜんぶわかった。僕は、父さんと母さんじゃない人から生まれた人間なんだって。だからみんな、驚いて『そっくり』なんてことをわざわざ言うんだって」
そう思い至ったとき、目の前が真っ暗になったと。考えてみれば家族の中で赤毛なのは自分だけで。いても立ってもいられずに、どこかに逃げたくなって。目の前にあったわたしからの手紙の住所をメモして、書置きして、引き出しにあった小切手帳を持って、飛び出してきたと。
このお話を聞いてわたしはちょっとほっとしました。ボーヴォワール家は十四歳のボーイに小切手帳を携帯させるような異次元経済観念のおうちではなかったようです。はい。
話を聞いたあと、ミュラさんが大きな大きなため息をついて、とても疲れた表情でおっしゃいました。
「……なるほど。経緯はとてもよくわかった。これはわたしが踏み込むようなことではないから、これ以上はなにも言わない。ただ、君は多くの誤解をしている。その誤解が生じるようにしてしまったボーヴォワール閣下にも責任はある。君は、お兄さんとご家族と、しっかり話をしてみなさい。それで解決する問題だ」
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