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19. 信長の情け

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 犠牲も多かった。
 幾人もの同志がこの男の計らいに騙され、籠絡ろうらくされ、散っていった。
 才蔵もその一人であった。
 ようやく仇を討てるときが来たのだ。
 きっと半蔵も弥助も、このときを心待ちにしていただろう。

「さぁ、秀吉公。光秀殿から誠の話を改めて聞くまでもありませぬな?これでもう言い逃れはできますまい。冥土の土産にこちらの話をしましょう」

 家康はこれまでのことを話し始めた。
 本能寺から信長が如何様に逃げ延びたのか、光秀に扮した才蔵が殺された山崎の戦いのこと。
 そして、此度の戦の意味。
 秀吉はいちいち驚いていたが、光秀や信長にとっては忘れもしない出来事ばかりだ。
 信長など欠伸あくびを噛み殺しもしなかった。

「――以上のように、秀吉公、おぬしの謀りごとは数年前から見破られていたのですよ。天下を統一させたのも、全て計算づくにございます。おぬしの独裁政権には、民衆はみな、ほとほと疲れておりますよ」

 事実、秀吉が天下統一を果たしてからの年貢額は『二公一民にこういちみん』が一般的となり収穫物の3分の2を領主に差し出すという重税が課せられていた。
 現代でいうと、所得税率が約66%ということになる。

 取り落とされた小刀がカツンと硬い音を立てた。
 その様子を見ていた信長が、静かな声で言った。

「......のう、猿よ。儂にはひとつ、分からぬことがある。どうして儂を裏切り、光秀を謀り、そうまでして天下統一など目指した。おぬしは何を求めていたのだ。なぜ、儂を裏切っ た」

 家康は、終始信長の声が震えているのに気がついた。
 秀吉は喉の奥でうめきながら、ぽつりぽつりと話し始めた。

「儂はずっと、誰かの下についているだけの人間でありました。上様に仕えているときも、一国を任せていただけるとはいっても、所詮しょせんは上様の家臣に過ぎぬ。儂は、己の野心に抗えなかった。己の力で、誰よりも上に立ち、天下人になりたかった。それだけのこと。しかし……」

 秀吉は小さな溜息をもらした。

「そうか。所詮、天下人はこのようなもの。いずれは突き崩される砂上の楼閣ろうらくに過ぎぬのですな、上様......」

「……貴様の思い描いた天下とはなんだ」

「上様、儂は確かに天下を取り申した。しかし、儂もその問いには答えられぬのです。百姓であった頃は戦をなくし、民らが食うに困らぬ平和な世を思い描いておりました。それがいつしか『織田信長』を超えたいという野心に飲み込まれた。今や民から莫大な年貢を取り、天下人としての我が力を世に知らしめたいという思いに駆られ……儂は獣と化した……」

 幼いころから織田信長に忠信を示し続けた男が、かつての信念を見失い、天下人としての力を示したいと謀反を起こすとは、家康にはそれが一層あわれに思えた。
 信長は一寸考えてから、こう胸の内を明かした。

「儂も、かつては誰かの上に立ちたい一心であった。武力により統治し、儂がこの国を手中に収める。それでよいと本気で思っていた。だがな、秀吉よ。そんな世に人の笑顔なぞありはせぬ。燃える本能寺で、ずっと考えておった。よりよい世というのはなんであったのか......」

 秀吉は不思議そうな、あるいは傷ついた顔をしていた。
 まるで親に見限られた子どものような表情を浮かべた。
 しかし、信長はこの憐れな猿を見捨ててはいなかった。

「儂は、明智・徳川と手を組んで、『天下三分』を考えておる。そして武力行使を禁じ、戦いをやめ、大国を保ち、功績を成し遂げ、民の暮らしを安定させ、大衆の争いを無くし、商いを繁栄させる。誠の意味での『天下布武』を成し遂げるつもりだ」

 家康はどうして信長がここまで話すのかを察して、小刀を見た。
 やはりこのお方は、鈍らせている。 

「どうだ。おぬしももう一度やり直してはみぬか。先ほど、儂への忠誠心は真似事ではないと言ったな。儂も、おぬしの今までの忠信すべてが偽りであったとは毛頭思っておらぬ」 

 秀吉はしばらく呆けた顔をしていたが、次第にその顔をほころばせていった。

「......そのようなこと、許されるはずがありませぬ。裏切った家臣を、もう一度信用するなど。上様らしくもない……上様も、墜ちましたな」

 そういって秀吉は、小刀を拾い上げると、服をはだけて腹に向けた。

「......是非に及ばず」

 うめき声が喉を破る。
 腹から血があふれ出る。

「猿め……馬鹿なことを......」

 信長は光秀の刀を抜き、その首を刎ねた。
 介錯をした信長の表情は、悔しさを滲ませ、無念そうであった。
 ごとん、と鈍い音がして秀吉の首が転がった。 

「......勝手なことをしてすまぬな。才蔵に合わせる顔がないわ」

 そうして動かなくなった秀吉を残し、三人は城を後にした。
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