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10. うつけの読み

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「......もうよいというのが聞こえなんだか!いつまでも終わったことを言っていても仕方あるまい。才蔵は死んだ、猿は天下に近付いた。それだけのことだ」

「しかし、上様!」 

 光秀はなおも食い下がろうとしたが、信長にすくめられ、黙り込んだ。

「半蔵、弥助......それから伊賀衆の者ども。おぬしらはよく働いてくれた。才蔵のことは無念であった。必ずやあの猿を……羽柴秀吉を討って、仇を取ろうぞ。必ずや我らの手で」

 半蔵も弥助も、伊賀衆の面々もその場に膝を突き、頭を下げた。
 忍び式の、最敬礼であった。

「お心遣い、痛み入ります」

  家康はひとつ咳払いをして、場を取りなした。

「とはいえ、光秀殿のいうことも事実であります。秀吉の居城が不明な限り、我らは常に後手に回らざるを得ませぬ。そして、光秀殿を討ったことは早々に国々に広まりましょう。そのとき秀吉はさらに力をつけております。各国の武将たちを味方につけられた後では、我らの軍とも呼べぬような数では太刀打ちできますまい......」

 光秀はいまだ怒りのこもった声で重い口を開いた。
 それはそれは神妙な面持ちであった。

「なんとしても秀吉を討たねばなるまいが......居城が分からぬのでは......」

 みな、暗い顔を隠しもせず、各々が思案に耽った。
 しかし信長だけは違った。
 暗い雰囲気を嘲るような声で、大きく笑ってこう言った。

「なにをそんなに暗くなっておる。安心せい。どうせ猿のことだ。おおよそ山崎に城でも建てるつもりだろう。あやつは昔からそうだった。儂に仕えておるときから、築城することばかり考えておったからな」 

「まさか……そんなことがあり得るでしょうか......まだ、本能寺が焼けてからそう時は経っておりませぬ」

 対して、家康は不安だった。
 表向きにはまだ、慕う信長が討たれて間もないと思われている秀吉が、そんな性急な判断をするだろうか。
 まさか謀反人を打ち倒した地に城を建てるなど......

 しかし信長はそこまで考えての発言だった。

「だからこそだ。あやつは今、この機に乗じて、国中に己の力を知らしめたいはず。となれば、城をいくつも建てていくだろう。遅かれ早かれ山崎に築城することは考えておるはず。島津や北条に対しても有利に立ち回れるであろうからな。となれば、そこを叩くべきではないか?」

 面々の顔は徐々に明るくなっていく。

「山崎城が建てば、秀吉はしばらくそこを住処にするであろう。そうでなくとも、入城くらいはするはずだ」

「そしてそこを叩くと?」

如何いかにも。しかし、あやつにはまず天下を取ってもらわねばならん。猿の取る天下などたかが知れておる。あやつは狡猾こうかつで強欲なところがある。分かるな?家康」

「確かに仰る通り……。天下を取って何をするか……。百姓上がりの秀吉故の政策とあらば、狙いは恐らく年貢でしょうな」

「そうだ。読みが当たれば、戦は無くなれど民衆にとっては、秀吉の天下取りは間違いであると思うであろう。儂らもその間ただ黙って見ているわけではない。主を討ち取られ流浪るろうしている武将らを軍に引き入れるのだ」

「秀吉はおそらく四国や九州、東北を支配下におさめ天下統一を果たすつもりでしょうな。どんなに急いでも数年は掛かるはず……。我が軍も力を養うには十分な時間です」

「皆の者、まだ先にはなるが流浪した武将たちの説得を頼む。くれぐれも死ぬでないぞ!もうこれ以上、やつに不覚を取ってはならぬ。必ずや、生き延びて、才蔵の仇を……!」

 信長の声に周囲の士気が一気に高揚した。

「信長殿......変わりましたな」

 家康はしみじみと言った。

「何が言いたい」

「よもや家臣の命までも気にかけるようになるとは、思ってもいなかったのです。本能寺の茶会でのこと、お忘れではありますまい」

 信長は気まずくなって、ふいと視線を切った。
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