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第3章 地獄に堕ちた蛇
#1 警告
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連日の猛暑というのか…。
翌日も、朝から汗ばむほどの陽気だった。
梅雨の終わりと、本格的な夏の到来を告げるかしましいセミの声。
その喧騒の渦の中に一歩足を踏み出すと、たちまちのうちにめまいがして、私は自転車に寄りかかった。
うちに止めておく時には自転車に鍵をかける習慣がない。
だからついいつもの癖で母のママチャリにまたがろうとして、私はふと昨日の俊の言葉を思い出した。
いけないいけない。
思い直して、その隣のスポーツタイプのほうの前かごに、カバンを入れ直す。
久しぶりに乗る自分の自転車は、何か他人の持ち物のようで、勘を取り戻すまでにかなり時間がかかった。
ハンドルがまっすぐで、サドルが高いため、どうしても前傾姿勢になってしまうのだ。
特に、家を出てすぐの角が危険だった。
道がそこで急カーブしているので、下手をすると崖から外に飛び出しかねないのである。
ガードレールはあるにはあるけれど、さびだらけでしかもひん曲がっていて、とても本来の用途を果たしているとはいい難い。
案の定、私は角を曲がり切れず、ガードレールに衝突しそうになって、寸前で急ブレーキをかける始末だった。
でも、そのおかげでアドレナリンが体内を駆け巡り、頭がはっきりしてきたように思う。
そのあとの快適な下り坂を適度なスピードで駆け降りながら、私はまた、昨夜の出来事に思いを巡らせていた。
新しい兄弟ができるというのは、本来は喜ぶべきことのはずである。
なのに、昨夜はみんな、とてもそんな雰囲気ではなかったようなのだ。
父は戸惑うばかりだったし、俊ときたら明らかに腹を立てていた。
肝心の母もまるで手負いの獣のようで、始終ピリピリしていたし…。
どうしてなのだろう。
みんな、高齢出産を心配しているからなのだろうか。
今になると、もっと喜んであげるべきだったのに、と思わずにはいられない。
ただ、おまえはどうだったのだ、と聞かれると私にも答えるすべはない。
あの時私が感じたのは、当惑と、そしてもうひとつ。
理由のはっきりしない、ぼんやりした違和感だった。
何かがおかしい。
そんな気がしてならないのだ。
妊娠2ヶ月、と母は言った。
2か月前というと、何があった頃だろう。
あれは、確か…。
もう少しで答えが出そうになった時、学校の正門が見えてきた。
自転車置き場に自転車を引いていくと、ツインテールの女生徒が振り向いて、眩しそうに眼を細めた。
あの色白の顔は、友人の水木さやかである。
さやかの隣に立っているふくよかな子は、303の津島真澄だ。
私は胸の奥がざわつくのを感じて、少し気分が悪くなった。
学年が変わってから、さやかはいつも真澄と一緒に居る。
ふたりは部活が同じだから仕方ないのだが、その分、私と一緒に過ごす時間はめっきり減ってしまった。
私が今感じているのは、明らかに嫉妬だった。
それがわかるだけに自然な挨拶もできずに突っ立っていると、珍しくさやかのほうから近づいてきた。
「あ、絵麻。おはよ」
ニコッと笑って片手を上げたけど、何か言いたそうな顔をしている。
「お昼、暇かな? 久し振りにお弁当一緒に食べない?」
いきなり誘われた。
「う、うん。別にいいけど」
どうせぼっちの私は、昼休みなんて暇に決まっている。
「でも、どうしたの? 急に」
さやかの肩越しにこちらを見つめている真澄に視線を当てながらたずねると、さやかが声を潜めて言った。
「きのう、うちに刑事が来たの。で、絵麻のこと、色々訊かれたんで、それで気になって…」
「私のこと?」
「うん。絵麻んちには来なかった?」
「来なかったよ。でも、どうして…」
青天の霹靂とはこのことだった。
茫然と立ちすくむ私に、さやかが手を振った。
「ならいいけど…。じゃ、先に行ってるね。お昼休みはグラウンドのベンチで食べよう。真澄も一緒に。いいでしょう?」
私は上の空でうなずいた。
母の一件で、美沙の事件のことをすっかり忘れてしまっていた。
そういえばあの事件、まだ全然進展してなかったんだ…。
周囲の景色が急速に色を失っていく。
白茶けた色のない世界の真ん中に、私ひとりが立っている。
そんな気分だった。
内からと外からのプレッシャーで、この時私は、また立ちくらみを起こしかけていたのである。
翌日も、朝から汗ばむほどの陽気だった。
梅雨の終わりと、本格的な夏の到来を告げるかしましいセミの声。
その喧騒の渦の中に一歩足を踏み出すと、たちまちのうちにめまいがして、私は自転車に寄りかかった。
うちに止めておく時には自転車に鍵をかける習慣がない。
だからついいつもの癖で母のママチャリにまたがろうとして、私はふと昨日の俊の言葉を思い出した。
いけないいけない。
思い直して、その隣のスポーツタイプのほうの前かごに、カバンを入れ直す。
久しぶりに乗る自分の自転車は、何か他人の持ち物のようで、勘を取り戻すまでにかなり時間がかかった。
ハンドルがまっすぐで、サドルが高いため、どうしても前傾姿勢になってしまうのだ。
特に、家を出てすぐの角が危険だった。
道がそこで急カーブしているので、下手をすると崖から外に飛び出しかねないのである。
ガードレールはあるにはあるけれど、さびだらけでしかもひん曲がっていて、とても本来の用途を果たしているとはいい難い。
案の定、私は角を曲がり切れず、ガードレールに衝突しそうになって、寸前で急ブレーキをかける始末だった。
でも、そのおかげでアドレナリンが体内を駆け巡り、頭がはっきりしてきたように思う。
そのあとの快適な下り坂を適度なスピードで駆け降りながら、私はまた、昨夜の出来事に思いを巡らせていた。
新しい兄弟ができるというのは、本来は喜ぶべきことのはずである。
なのに、昨夜はみんな、とてもそんな雰囲気ではなかったようなのだ。
父は戸惑うばかりだったし、俊ときたら明らかに腹を立てていた。
肝心の母もまるで手負いの獣のようで、始終ピリピリしていたし…。
どうしてなのだろう。
みんな、高齢出産を心配しているからなのだろうか。
今になると、もっと喜んであげるべきだったのに、と思わずにはいられない。
ただ、おまえはどうだったのだ、と聞かれると私にも答えるすべはない。
あの時私が感じたのは、当惑と、そしてもうひとつ。
理由のはっきりしない、ぼんやりした違和感だった。
何かがおかしい。
そんな気がしてならないのだ。
妊娠2ヶ月、と母は言った。
2か月前というと、何があった頃だろう。
あれは、確か…。
もう少しで答えが出そうになった時、学校の正門が見えてきた。
自転車置き場に自転車を引いていくと、ツインテールの女生徒が振り向いて、眩しそうに眼を細めた。
あの色白の顔は、友人の水木さやかである。
さやかの隣に立っているふくよかな子は、303の津島真澄だ。
私は胸の奥がざわつくのを感じて、少し気分が悪くなった。
学年が変わってから、さやかはいつも真澄と一緒に居る。
ふたりは部活が同じだから仕方ないのだが、その分、私と一緒に過ごす時間はめっきり減ってしまった。
私が今感じているのは、明らかに嫉妬だった。
それがわかるだけに自然な挨拶もできずに突っ立っていると、珍しくさやかのほうから近づいてきた。
「あ、絵麻。おはよ」
ニコッと笑って片手を上げたけど、何か言いたそうな顔をしている。
「お昼、暇かな? 久し振りにお弁当一緒に食べない?」
いきなり誘われた。
「う、うん。別にいいけど」
どうせぼっちの私は、昼休みなんて暇に決まっている。
「でも、どうしたの? 急に」
さやかの肩越しにこちらを見つめている真澄に視線を当てながらたずねると、さやかが声を潜めて言った。
「きのう、うちに刑事が来たの。で、絵麻のこと、色々訊かれたんで、それで気になって…」
「私のこと?」
「うん。絵麻んちには来なかった?」
「来なかったよ。でも、どうして…」
青天の霹靂とはこのことだった。
茫然と立ちすくむ私に、さやかが手を振った。
「ならいいけど…。じゃ、先に行ってるね。お昼休みはグラウンドのベンチで食べよう。真澄も一緒に。いいでしょう?」
私は上の空でうなずいた。
母の一件で、美沙の事件のことをすっかり忘れてしまっていた。
そういえばあの事件、まだ全然進展してなかったんだ…。
周囲の景色が急速に色を失っていく。
白茶けた色のない世界の真ん中に、私ひとりが立っている。
そんな気分だった。
内からと外からのプレッシャーで、この時私は、また立ちくらみを起こしかけていたのである。
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