背徳の獣たちの宴

戸影絵麻

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第2章 浮遊する死者

#7 父の変質

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 眼鏡の奥で、目を飛び出しそうに見開いて、浴室のドアのすき間を凝視する父。

 その右手が、ふいにズボンの前に伸びた。

 もどかしげにファスナーを下ろすと、非常口から何か赤黒いものを引っ張り出した。

 それを握りしめると、うずくまったまま、右手を激しく上下に動かし始めた。

 私は息を殺してその父の奇怪な所業を見つめた。

 な、何、これ…?

 おとうさんったら、何してるの?

「うぐ」

 父が小さくうめき、後ろに尻もちをつくのと、シャワーの音が聞こえてくるのとが、ほとんど同時だった。

 はっと我に返り、股間を押さえたまま、父が浴室のトイレに飛びこんでいくのが見えた。

「誰? 誰か帰ってるの?」

 トイレのドアが閉まるなり、母の声がした。

「私」

 柱の陰から出て、仕方なく、私は返事を返した。

「あら、絵麻。早かったのね」

 バスローブを豊満な体に巻きつけた母が、浴室の中から姿を現した。

「きょうは、部活の後、友だちのおうちに寄って来るんじゃなったの?」

「う、うん。予定より、用事が早く済んだから」

 洋間から顔をのぞかせて、私は答えた。

 そうか。

 だから母は、安心して俊とお風呂に入っていたというわけか。

 美沙の要求次第によっては交渉が長引くかもしれないと思い、出がけに私がついた嘘を真に受けていたのだ。

「こんな時間から、お風呂?」

 何、この白々しい態度。

 こみあげる吐き気をこらえて、私はいやみを口にした。

 当てこすりのひとつも言わないと、気が済まなかったのだ。

「それも、俊も一緒に?」

 母の後ろから、うっそりと姿を現した俊を横目で睨んで、更に畳みかけてやる。

「俊がね、ここのところ、調子悪くてお風呂入ってなかったでしょ? 入れって言っても、嫌がってなかなかひとりで入ろうとしないから、たまりかねて私が背中を流してあげることにしたの。たまには親子水入らずっていうのも、いいと思ってね なんなら明日は、絵麻が母さんと一緒に入ってみる?」

「遠慮しておきます」

 私はそっぽを向いた。

 さすがに母は一枚も二枚も上手のようだった。

 現場を押さえられかけたというのに、まったく取り乱す気配もない。

「ほら、俊ったら、ちゃんとバスタオルで頭を拭いて」

 あくまで親子を演じ切ろうというのか、そんなことを言って、自分より背の高い俊の髪を拭いてやっている。

 そこに、水の流れる音がして、トイレから何食わぬ顔をした父がのっそりと現れた。

「あら、やだ、あなたまで」

 そんな父をひと目見て、母が目を丸くする。

「どうも腹の調子が悪くてね」

 ぼそぼそと言い訳して、父が禿げあがった頭をかいた。

 こちらも、何事もなかったように、平静を取りつくろっている。

 私は父の横顔をにらみつけた。

 この人、まったく、どんな神経をしているのだろう。

 妻が、よりによって、実の息子をもてあそんでいる様子を盗み見ながら、自分を慰めるだなんて…。

 胸がむかついてたまらなかった。

 狂ってる。

 うちの家族は、みんな、狂ってる。

「ごはんできたら、呼んで。それまで宿題、やってるから」

 そう言い残すと、私は足音も荒く、階段を駆け上がった。

 階段の途中まで上がった時である。

 洋間で父がテレビをつけたのだろう。

 ニュースらしき音声とともに、驚いたような父の声が聞こえてきた。

「おい、ニュースでやってるの、絵麻の学校じゃないか? 生徒が死んだとか、言ってるぞ」







 



 
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