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第5部 慟哭のアヌビス

#17 君の仮面の中の涙

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 杏里が彼の正体に気づいたのは、その生殖器の形状を目の当たりにしたからだった。
 細く長い、ところどころに棘の生えたそれは、人間の男性のものとは明らかに異なっていた。
 挿入したら最後、逆棘を子宮壁に打ち込み、事が終わるまで本体がはずれないように固定する。
 そんな機能を備えたペニスが人間のものであるはずがない。
 そしてそれの恐ろしいところは、無理にはずそうとすると子宮どころか内臓まで裂けてしまう点だった。
 杏里はそのことを、山口翔太とのセックスで思い知らされていた。
 だから、慎重に事を運ぶ必要があったのだ。
 幸い、性体験のまったくない秀樹は、杏里にかかれば赤子同然だった。
 数秒フェラしただけで、あっけなく果ててしまった。
 口の中いっぱいに含んだ秀樹の精液を、杏里は床に吐き捨てた。
 さすがに飲み込む気にはなれなかった。
 以前、友人の高橋楓が産んだ外来種の胎児。
 あれを目撃してしまった以上、たとえ大丈夫とわかってはいても、体が生理的に受けつけないのだ。
 秀樹は床に尻餅をつき、茫然と杏里を見つめているだけだった。
 外見的には確かに不気味である。
 しかし、外来種特有の狂気の光は、その目には見られなかった。
 莢エンドウのような形状の頭部の両側に穿たれたその小さな目は、まるで怯えた小動物のそれのように気弱げで、以前紙袋の中から覗いていた少年の目そのものだった。
 が、ここでやめるわけにはいかなかった。
 外来種であれば尚更、彼の中には必ずあの凶暴性が潜んでいるはずなのだ。
 それを他で爆発させないように、ここでその芽を摘んでおかねばならなかった。
 そのことこそが、杏里がこの世界に生きる意味なのであり、使命でもあるのだから。
「どうだった?」
 射精を終え、硬さを失ったペニスを握ったまま、杏里はたずねた。
 ことさらコケティッシュに見えるように、小首をかしげることも忘れない。
「気持ち、良かった?」
 秀樹がうなずいた。
 無表情な仮面のような顔に、赤みが差している。
 ペニスは棘を筋肉の間に納め、無害な形に戻っていた。
 これなら挿入されても大丈夫、と杏里は思った。
 仮に中で膨張したとしても、また射精にまで導いてやれば、はずすのはわけはない。
「じゃ、今度は本番ね。でも、その前に」
 杏里は坐ったまま、するりとパンティを脱いだ。
 己の股間に指を這わせてみる。
 生理は終わったばかりだった。
 人間の女に比べると、タナトスの生理期間は短い。
 たいてい1日か2日で終了してしまう。
 だからもう大丈夫のはずだったが、一応確かめてみた。
 指についてきたのは、透明な愛液だけだった。
「いいわ。ゆっくり来て」
「だめだよ」
 大きな口をかすかに動かして、くぐもった声で秀樹がいった。
 あいかわらずしゃべるたびに、しゅうしゅうと空気の漏れる音がする。
「そんなことしたら、僕はどうなるかわからない。けだもののように、君を引き裂いてしまうかも」
 充分にあり得ることだった。
 杏里はそれで、興奮した翔太に乳房を引きちぎられたのだ。
「そうなったら、そうなったときのことよ。あなたが気にすることはないわ」
 真顔で杏里はいった。
「私はね、この世界のゴミ溜めみたいなものなの。しかも不死身。滅多なことでは死ねないから」
「死ねない? 死なない、じゃなくて?」
「うん」
 杏里は微笑んだ。
 その違いに気づいてくれて、ありがとう。
 心の底からそう思ったのだ。
「それに、世界のゴミ溜めって、どういう意味なんだい?」
 秀樹がまた訊いてきた。
 実際のセックスのチャンスを前にして、怯えているのかも知れなかった。
「世界中の人間が抱えている穢れを吸収するスポンジ、それが私」
「スポンジ・・・?」
「そう。だから相手のスイッチが入ったらもう逃げられないし、逃げもしない。体がそれに順応しようといろいろ準備し始めるから。たとえば、ほら」
 杏里はM字型に脚を開き、己の股間を秀樹に見せつけた。
 更に、人差指と中指で襞を開いて膣の中まで見せてやる。
 中からねっとりとした露が溢れ出しているのがわかるはずだった。
「そんなふうに、なってるんだ・・・」
 秀樹が感に堪えたような口調でつぶやいた。
「この中に、入れてみたいでしょ? その、あなたの体の一部を」
「う、うん」
「じゃ、しようか」
 挿入の前に、これ以上昂ぶらせるのは得策ではなかった。
「来て」
 杏里は仰向けになると、手を取って秀樹を自分の上に導いた。
 半立ちになったペニスに右手を添え、膣口にそうっとあてがってやる。
「そう、そのまま、ゆっくり入ってきて」
「うう・・・」
 秀樹が早くも愉悦の呻きを漏らした。
 腰の位置を調節して、ペニスが入りやすい角度を作ってやる。
「ああ、き、気持ち、いい・・・」
 秀樹が喘ぐ。
 亀頭が完全に埋もれたところで、杏里は上半身を起こして秀樹に抱きついた。
「抱いて。キスしながら、おっぱいを、触って。そう、そんなふうに、ときどき乳首を強く、つねって。ああ、いい・・・上手よ、とっても」
 自分も喘ぎながら、腰をうねるように動かした。
 中で秀樹のペニスが限界にまで膨れ上がるのがわかった。
 棘が強度を取り戻し、子宮の壁に食い込んでくる。
 もう少しだった。
 ここで射精にまで追い込んでしまえば。
 もう、私の勝ちだ。
 そう油断したのがまずかった。
「ぐわあ」
 突然、秀樹が絶叫した。
 杏里のマシュマロのように白い乳房から、血がしぶいた。
 両の乳房に爪を突き立て、秀樹は上体をのけぞらせている。
 杏里の子宮の中で、はちきれそうに膨らんだ肉棒がのたうちまわった。
「だめだ! できない!」
 秀樹が叫ぶ。
「僕は君を滅茶苦茶にしたがっている。僕の体の中のけだものが、君を八つ裂きにしたがってる。でも、僕にはそんなこと、できないよ! 杏里、君は、君は・・・・」
 ずるりと自らペニスを抜き取った。
 ブチブチと肉の爆ぜる音がして、杏里の膣口から鮮血がほとばしる。
 杏里は激痛に歯を食いしばった。
 そんな杏里を横たえたまま、秀樹がゆらりと立ち上がった。
 泣いているようだった。
 小動物のような、つぶらな瞳で杏里を見下ろして、いった。
「ありがとう・・・杏里。僕はもう行くよ。最後に、君に会えて、ほんとによかったよ」
 よろめきながら、階段のほうへと歩き出す。
「行くって、どこに?」
 飛び起きて、杏里が叫んだときだった。
 秀樹の真上の天井に、だしぬけに穴が開いた。
 黒い石のように、何かがすごい勢いで落下した。
 秀樹の首がグキっと鈍い音を立てて、折れた。
 その陰から、見慣れたシルエットが現れた。
 蝙蝠の翼みたいな髪型。
 スレンダーな身体。
 真っ赤なミニスカートに膝まであるブーツ。
 由羅だった。
「杏里、大丈夫か?」
 ぐったりとなった秀樹の体を片手で持ち上げて、シャドウに縁取られたような目で、由羅が杏里を見た。
「由羅・・・」
 杏里の瞳から熱い涙が溢れた。
「ダメだったよ、由羅、そんなことしちゃ・・・」
 引っかき傷だらけのその胸の谷間に、赤い痣が浮き出してきている。
「何いってるんだ、杏里。見てみろ、それを」
 由羅がその痣を指差した。
 それは、外来種の証、あの謎の刻印(スティグマ)だった。






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