激甚のタナトス ~世界でおまえが生きる意味について~【虐殺編】

戸影絵麻

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第5部 慟哭のアヌビス

#14 陽射しの中の毒

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 マウンテンバイクに跨った。
 前傾姿勢で、立ったままペダルを漕ぎ始める。
 大通りに出る頃には最高速度に達していた。
 自動車と併走する自転車を見て、ドライバーたちが驚きに目を見張る。
 乗っているのが超ミニの少女ときたら尚更だ。
 由羅の骨密度は常人の倍以上高い。
 サイズこそコンパクトではあるが、筋肉の強靭さも人間離れしている。
 したがって、たかがマウンテンバイクでも、彼女にとっては車以上の"足"になる。
 冬美の家から現場まではかなりの距離があったが、ものの10分で到着することができた。
 廃工場に近づくと、由羅は自転車を停め、様子をうかがった。
 テレビで見た通り、工場の前は黒山の人だかりだった。
 ともすれば雪崩れ込もうとする野次馬とマスコミ関係者を、警官たちが必死で制止しているのが見えた。
 正面突破は無理だな。
 由羅はあっさり見切りをつけると、今来た道を少し戻って細い路地に入った。
 工場の敷地の隣は倉庫だった。
 錆びたトタン屋根の倉庫が何棟か路地に沿って立ち並んでいる。
 3メートルほどの高さのブロック塀に軽々飛び乗ると、いちばん背の低い倉庫の屋根に飛び移った。
 着地した瞬間、足元が沈んだ。
 由羅は小柄でスレンダーな割に、重い。
 細胞の密度が高いためだ。
「おっと」
 屋根をぶち抜きそうになって、危うく後ろに飛び退いた。
 肘まである革の手袋と、膝まである革のブーツはこういうときに役に立つ。
 およそ夏向きではないが、トタンの鋭い端を気にせず屋根の上で行動できるのだ。
 どちらも鋼鉄の鋲を埋め込んであるから、格闘の際には強力な武器にもなる。
 対外来種用に開発されたパトスには、いくつかのタイプがある。
 その中でも由羅は、もっともオーソドックスな肉弾戦タイプだった。
 小柄で華奢な外見に油断した相手の隙に乗じて速攻でぶちのめす。
 それが彼女の戦闘スタイルなのだ。
 倉庫の屋根にうずくまって、工場のほうに目をやった。
 敷地内の前庭は、機動隊でいっぱいだ。
 シャッターの下りた建物の入口を遠巻きにして、拡声器で投降を呼びかけている。
 倉庫と工場は5メートルほど離れており、工場の建物のほうがかなり背が高い。
 由羅はその裏手に回るべく、移動を開始した。
 トタン屋根は夏の日差しにあぶられ、目玉焼きが焼けるほどに熱くなっている。
 その上を分厚いブーツの底で踏みながら、足早に移動していく。
 工場の裏手には、ブロック塀を隔てて7階建てのマンションが建っていた。
  こちら側には、警官やマスコミの姿はない。
  倉庫から倉庫へと飛び移り、最後にマンションに向かって大ジャンプした。
 短いスカートが腰のあたりまで翻り、真っ白な下着に包まれた下半身がむき出しになる。
 右腕をいっぱいに伸ばし、マンションの階段の手すりをつかむ。
 片手懸垂で体を引き上げると、そこは3階の踊り場だった。
 工場の屋根に飛び移るには、まだ高さが足りない。
 階段を駆け上り、最上階に出た。
 最上階は部屋がひとつあるだけで、その横の壁に屋上への鉄扉が埋め込まれていた。
 南京錠がかかっている。
 右足を高く上げ、2度3度と踵で蹴って粉砕した。
 頑丈な南京錠がねじまがってコンクリートの床に落ちた。
 ドアを引き開け、広々とした屋上に出る。
 給水塔が中央にそびえているだけの、殺風景な空間だった。
 夏空だけが、凶暴なほどぎらぎらと青く耀いている。
 工場側の手すりにもたれて、身を乗り出した。
 今度は工場より高い位置に来ていた。
 ここから飛び下りれば楽勝だ。
 由羅はテレビで見た不鮮明な画像を思い出した。
 半裸の杏里を抱えていた、奇怪なフォルムの怪物。
 外来種変異体。
 杏里の身が気がかりでならなかった。
 不死身のタナトスであるとはいえ、杏里は前回負った大怪我から回復したばかりなのだ。
 立て続けに陵辱されては、いつか回復機能にも限界がくるに違いない。
 そう思われてならなかった。
 杏里のぽってりした唇が脳裏に浮かぶ。
 胸の底で、魂を締めつけられるような感情が蠢いた。
「待ってろよ」
 手すりを強く両手で握り、そうつぶやいたときだった。
「由羅だね」
 ふいに声がした。
 由羅ははじかれたように振り向いた。
 給水塔の陰に、人が立っている。
 一瞬、死神かと思った。
 その人影は、白熱した夏空を背景に、虚無のように黒々としていた。
 黒いセーラー服に、黒いリボン。
 膝丈のスカートも、長い脚を包んだストッキングも同じように黒い。
 ただ、肌の色だけが、異様に白かった。
 そして唯一、その白の中で、唇だけが血を吸ったように赤い。
「お、おまえ・・・?」
 相手の正体に気づき、由羅は絶句した。
 話には聞いていたが、信じられなかった。
 生きてる。
 こいつ、本当に、生きてたんだ・・・。
「おひさしぶり」
 黒野零が、にやりと笑った。
 真っ赤な唇が、三日月形に吊りあがる。
「この前はどうも」
 わざとらしく、お辞儀をしてみせた。
「楽しかったでしょ?」
 細く長い首をかしげて、いった。
 背中まで伸びたさらさらの髪が揺れ、日本人形を連想させる妖艶な貌が顕わになる。
 切れ長の眼が、面白がっているような表情を湛えている。
「くそ」
 由羅はうめいた。
「この化け物め」
 無意識のうちに、後じさっていた。
 最悪の事態だった。
 もう少しで、杏里のところに行けたのに。
 よりによって、なんで今、こんなところに零がいる?

 由羅・・・?
 何してるの・・・?
 由羅、助けにきてくれないの?

 自分の名を呼ぶ杏里の声が、風に乗って遠くから聞こえた気がした。


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