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第5部 慟哭のアヌビス
#11 彼らの中の彼女
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小田切勇次がその連絡を受けたのは、カウンセリングを1件終えて、職員室に戻ったときのことだった。
夏休みはすでに始まっていたが、部活動の生徒が多数登校しているので、小田切の勤める県立潮見が丘南高校では、けっこうな数の職員が出勤していた。
カウンセリングの相手はリストカット常習者の高校2年生の女子で、小田切に必要以上の関心を抱いていた。
最初の頃は友人関係や家庭環境のストレスから衝動的に手首を切っていたのだが、最近では小田切の気を引くためにやっているふしがあり、それがまたやっかいだった。
なんとか少女を宥めすかして帰宅させると、小田切はうんざりした表情で職員室のドアを開けた。
そのとたん、受話器を片手に何かしゃべっていた教頭に、手招きされたのである。
「あ、小田切先生、ちょうどよかった」
小田切が近づいていくと、送話口を掌で押さえながら、教頭がいった、
「あんたに電話だ。警察から」
その一言で、職員室中の視線が小田切に集中した。
「警察?」
うなじの産毛がチリチリと逆立つような嫌な予感がした。
受け取った受話器を耳に当てると、意外に若い男の声が聞こえてきた。
「県立潮見が丘南高校の、スクールカウンセラー、小田切勇次さんですか?」
「そうですが」
無愛想に答えると、
「実は、あなたが後見人になっている笹原杏里さんなんですが・・・」
「杏里が、何か?」
電話の向こうの刑事が話した内容は、小田切の予想もしないものだった。
厳しい表情で受話器を置くと、小田切は傍らで見守る教頭に礼もいわず、そのまままっすぐ校長室に向かった。
校長室では、校長が高校野球観戦の真っ最中だった。
今年は潮見が丘南がいいところまでいきそうだというので、夏休みにもかかわらず学校に顔を出して、地方予選のテレビ中継を見ているのだろう。
「ちょっといいですか」
小田切はテーブルの上のリモコンを拾い上げると、校長の返事も待たず、テレビのチャンネルを次々に変え始めた。
「お、おい、何をする」
あわてる校長を無視して、ニュース番組を探す。
ローカル放送局が、ちょうどその事件を放送しているところだった。
廃工場の映像が映っている。
入口のシャッターを遠巻きにするようにして、ジュラルミンの盾を構えた機動隊が配置についている。
「どうしたんだね? この事件が、何か、うちと関係があるとでも・・・?」
いぶかしげに訊いてくる校長にテレビのリモコンをパスすると、小田切は無言で部屋を出た。
杏里の許に駆けつける前に、対策を立てておく必要があった。
できるだけ詳しい情報が欲しかった。
職員用の駐車場に向かって大股で歩きながら、スマホを耳に当てた。
「冬美か? 今からおまえの家に行く。ちょっとそこを抜けてきてくれないか。あ、それから、由羅と重人にも、待機しているようにいっておいてほしい」
水谷冬美は、表向きは以前杏里たちが通っていた若葉台市にある、市立若葉台中学校の理科教師である。
が、その本来の"仕事”は、パトスとヒュプノスのトレーナーだ。
小田切がタナトスである杏里をサポートしているように、榊由羅と栗栖重人の後見人をしている。
職場はそのままだったが、子どもたち3人の転校にしたがって、今はこの昭和町の一角に、一軒屋を借りて住んでいた。
今までマンションにひとり暮らししていた由羅が黒野零の襲撃を受けたのを境に、大きめの家に3人で住むことにしたのである。
独立癖の強い由羅は重人と同居するのを嫌がったが、冬美は有無をいわせなかった。
元はといえば由羅と冬美の不注意のせいで、この前は危うく杏里が殺されかけたのだ。
同じ危険を冒すわけにはいかないのだった。
農家をそのまま借り切った冬美の家は、のどかな自然に囲まれていた。
広い前庭を鶏が歩いていた。
玄関の引き戸は開いたままだったので、小田切は長身をかがめて勝手に中に入っていった。
上がりがまちで靴を脱ぎ、畳敷きの広い部屋に上がる。
冬美と由羅、そして重人が思い思いの姿勢で畳の上に坐り、テレビを見ていた。
「ニュース、録画しといたよ」
重人が振り返って、いった。
「部活を早々に切上げて飛んで帰ってきたんだけど、これ、いったいどういうこと?」
スーツ姿のままの冬美がいった。
形のいい眉をひそめている。
かなり不機嫌になっている証拠だった。
「こっちがききたいよ」
小田切は重人の横に胡坐をかいた。
冬美が冷蔵庫から麦茶を出してきて、テーブルの上に置いた。
「小田切さんの隣の403号室は、呉耀子という37歳の女性がひとりでくらしていることになってる。今回、重傷を負った男は、池崎修二といって、山形組系の暴力団の構成員。どうやらこの耀子という女のところに入り浸っていたみたいなんだけど、わからないのは、映像に映っているこの人物」
重人が台本を読むようにすらすら解説しながら、テレビの静止画像を指し示す。
「人物? 怪物の間違いだろ?」
突っ込んだのは由羅だ。
膝を抱えて坐り、食い入るように画面を見つめている。
ミニスカートから下着が見えているが、本人はまったく頓着していないようだ。
「う。なんだ、これは?」
ひと目見て、小田切はうなった。
住人の一人がスマホで撮った画像だろう。
下着姿の杏里を肩に担いで今にも逃げ出そうとしているのは、とても人間とはいえない"何か”だった。
紡錐形に、前後に長く伸びた頭部。
黒光りする昆虫めいた胴。
逆関節の節くれだった脚。
ハリウッド映画に出てきたエイリアンに似ていないこともない。
杏里の生白い脚と、薄い布に覆われた丸い尻が、その化け物と異様なコントラストを成している。
「小田切君、これ、ひょっとして・・・」
冬美が画像から小田切に視線を移して、ささやくようにいった。
「外来種の、変異体、なんじゃないかしら」
「ああ」
小田切はうなずいた。
「俺も今、ちょうどどそう思ったところだ。問題は、こいつがどこから来たかだな」
「違うだろ?」
由羅が叫んだのは、そのときだった。
「そんなの、どうでもいいじゃないか! 今ほんとに重要なのは、どうやって杏里を助けるか、だろ?」
「まあな」
小田切はうなずくと、由羅の紅潮した顔に目を向けた。
「もちろんだ。だが、それは、由羅、おまえの仕事だろう」
夏休みはすでに始まっていたが、部活動の生徒が多数登校しているので、小田切の勤める県立潮見が丘南高校では、けっこうな数の職員が出勤していた。
カウンセリングの相手はリストカット常習者の高校2年生の女子で、小田切に必要以上の関心を抱いていた。
最初の頃は友人関係や家庭環境のストレスから衝動的に手首を切っていたのだが、最近では小田切の気を引くためにやっているふしがあり、それがまたやっかいだった。
なんとか少女を宥めすかして帰宅させると、小田切はうんざりした表情で職員室のドアを開けた。
そのとたん、受話器を片手に何かしゃべっていた教頭に、手招きされたのである。
「あ、小田切先生、ちょうどよかった」
小田切が近づいていくと、送話口を掌で押さえながら、教頭がいった、
「あんたに電話だ。警察から」
その一言で、職員室中の視線が小田切に集中した。
「警察?」
うなじの産毛がチリチリと逆立つような嫌な予感がした。
受け取った受話器を耳に当てると、意外に若い男の声が聞こえてきた。
「県立潮見が丘南高校の、スクールカウンセラー、小田切勇次さんですか?」
「そうですが」
無愛想に答えると、
「実は、あなたが後見人になっている笹原杏里さんなんですが・・・」
「杏里が、何か?」
電話の向こうの刑事が話した内容は、小田切の予想もしないものだった。
厳しい表情で受話器を置くと、小田切は傍らで見守る教頭に礼もいわず、そのまままっすぐ校長室に向かった。
校長室では、校長が高校野球観戦の真っ最中だった。
今年は潮見が丘南がいいところまでいきそうだというので、夏休みにもかかわらず学校に顔を出して、地方予選のテレビ中継を見ているのだろう。
「ちょっといいですか」
小田切はテーブルの上のリモコンを拾い上げると、校長の返事も待たず、テレビのチャンネルを次々に変え始めた。
「お、おい、何をする」
あわてる校長を無視して、ニュース番組を探す。
ローカル放送局が、ちょうどその事件を放送しているところだった。
廃工場の映像が映っている。
入口のシャッターを遠巻きにするようにして、ジュラルミンの盾を構えた機動隊が配置についている。
「どうしたんだね? この事件が、何か、うちと関係があるとでも・・・?」
いぶかしげに訊いてくる校長にテレビのリモコンをパスすると、小田切は無言で部屋を出た。
杏里の許に駆けつける前に、対策を立てておく必要があった。
できるだけ詳しい情報が欲しかった。
職員用の駐車場に向かって大股で歩きながら、スマホを耳に当てた。
「冬美か? 今からおまえの家に行く。ちょっとそこを抜けてきてくれないか。あ、それから、由羅と重人にも、待機しているようにいっておいてほしい」
水谷冬美は、表向きは以前杏里たちが通っていた若葉台市にある、市立若葉台中学校の理科教師である。
が、その本来の"仕事”は、パトスとヒュプノスのトレーナーだ。
小田切がタナトスである杏里をサポートしているように、榊由羅と栗栖重人の後見人をしている。
職場はそのままだったが、子どもたち3人の転校にしたがって、今はこの昭和町の一角に、一軒屋を借りて住んでいた。
今までマンションにひとり暮らししていた由羅が黒野零の襲撃を受けたのを境に、大きめの家に3人で住むことにしたのである。
独立癖の強い由羅は重人と同居するのを嫌がったが、冬美は有無をいわせなかった。
元はといえば由羅と冬美の不注意のせいで、この前は危うく杏里が殺されかけたのだ。
同じ危険を冒すわけにはいかないのだった。
農家をそのまま借り切った冬美の家は、のどかな自然に囲まれていた。
広い前庭を鶏が歩いていた。
玄関の引き戸は開いたままだったので、小田切は長身をかがめて勝手に中に入っていった。
上がりがまちで靴を脱ぎ、畳敷きの広い部屋に上がる。
冬美と由羅、そして重人が思い思いの姿勢で畳の上に坐り、テレビを見ていた。
「ニュース、録画しといたよ」
重人が振り返って、いった。
「部活を早々に切上げて飛んで帰ってきたんだけど、これ、いったいどういうこと?」
スーツ姿のままの冬美がいった。
形のいい眉をひそめている。
かなり不機嫌になっている証拠だった。
「こっちがききたいよ」
小田切は重人の横に胡坐をかいた。
冬美が冷蔵庫から麦茶を出してきて、テーブルの上に置いた。
「小田切さんの隣の403号室は、呉耀子という37歳の女性がひとりでくらしていることになってる。今回、重傷を負った男は、池崎修二といって、山形組系の暴力団の構成員。どうやらこの耀子という女のところに入り浸っていたみたいなんだけど、わからないのは、映像に映っているこの人物」
重人が台本を読むようにすらすら解説しながら、テレビの静止画像を指し示す。
「人物? 怪物の間違いだろ?」
突っ込んだのは由羅だ。
膝を抱えて坐り、食い入るように画面を見つめている。
ミニスカートから下着が見えているが、本人はまったく頓着していないようだ。
「う。なんだ、これは?」
ひと目見て、小田切はうなった。
住人の一人がスマホで撮った画像だろう。
下着姿の杏里を肩に担いで今にも逃げ出そうとしているのは、とても人間とはいえない"何か”だった。
紡錐形に、前後に長く伸びた頭部。
黒光りする昆虫めいた胴。
逆関節の節くれだった脚。
ハリウッド映画に出てきたエイリアンに似ていないこともない。
杏里の生白い脚と、薄い布に覆われた丸い尻が、その化け物と異様なコントラストを成している。
「小田切君、これ、ひょっとして・・・」
冬美が画像から小田切に視線を移して、ささやくようにいった。
「外来種の、変異体、なんじゃないかしら」
「ああ」
小田切はうなずいた。
「俺も今、ちょうどどそう思ったところだ。問題は、こいつがどこから来たかだな」
「違うだろ?」
由羅が叫んだのは、そのときだった。
「そんなの、どうでもいいじゃないか! 今ほんとに重要なのは、どうやって杏里を助けるか、だろ?」
「まあな」
小田切はうなずくと、由羅の紅潮した顔に目を向けた。
「もちろんだ。だが、それは、由羅、おまえの仕事だろう」
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