激甚のタナトス ~世界でおまえが生きる意味について~【虐殺編】

戸影絵麻

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第5部 慟哭のアヌビス

プロローグ

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 車のブレーキ音で目が覚めた。
 枕元の置時計のデジタル表示は、午後5時を示している。
 そろそろ母が帰ってくる時間だ。
 そう思うと気が重くなった。
 なんとはなしに、窓の外に目をやった。

 運送会社のコンテナ車が、マンションの前に停まっている。
 引越しだろうか。
 作業員たちが車の後部から大きな段ボールや家具を運び出す様子を眺めて、
 彼は思った。
 確か隣の402号室は、まだ空き部屋だったはずだ。
 そこに誰か引っ越してきたのだろうか。
 だとすると、少しやっかいなことになる。
 これまで以上に外出に気を使わなければいけないからだ。
 気分がますます重くなり、彼は深いため息をついた。

 予想は当たったようで、じきに外の通路のほうが騒がしくなった。
 越してくるのは、どんな人たちなのだろう?
 少し興味を覚えて、彼は窓の外の光景を見守ることにした。
 やがて彼の興味を満たすかのように、コンテナ車の後ろに白いワゴン車が停
 まった。
 運転席から、髪の長い、やせた青年が降りてきた。
 車の横にまわると、後部座席のドアをスライドさせる。
 少女がひとり、降り立った。
 年のころは、彼と同じくらいか。
 黒いタンクトップに真っ赤なミニスカートという、派手な格好をしている。
 蝙蝠の翼を連想させる奇妙な髪型をしていた。
 彼はその少女に対して、なぜか軽い嫌悪感のようなものを感じた。
 警戒心が芽生えた、といってもいいかもしれない。
 理由はわからなかった。
 少女は、松葉杖を抱えていた。
 それを傍らの青年に渡すと、もう一度後部座席に頭を突っ込んだ。
 短いスカートの裾から一瞬純白の下着が覗き、彼の目を釘づけにする。
 が、少女に介抱されながら姿を現したもうひとりの少女をひと目見るなり、
 彼の心臓は停止した。

 色白の、少しぽっちゃりした感じの少女だった。
 年は彼と変わらないくらいなのだろうが、遠めにもずいぶん成熟した体つき
 をしていることがわかる。
 そのくせ顔つきはあどけなく、まさに彼の好みのタイプなのだ。
 大きな胸と真っ白な太腿に、白いブラウスとチェックの短めのスカートが
 よく似合っている。
 あの娘が、隣に・・・・?
 胸の鼓動が高鳴った。
 夢のようなシチュエーションではないか。
 が、すぐに現実を思い出して、彼は意気消沈した。
 僕は、素顔で外に出られない。
 せっかくあんな可愛い子が隣に越してきても、声すらかけることができない
 のだ。
 赤いミニの少女が青年から松葉杖を受け取ると、白いブラウスの少女に肩を
 貸しながら、それを渡す。
 ふたりでマンションの入口のほうに、ゆっくりと歩き出した。

「素顔で外なんか見てんじゃないよ」
 ふいに背後から声をかけられて、彼は危うく悲鳴をあげそうになった。
 部屋のドアが開き、彼の母親、呉(くれ)耀子が立っていた。
 グレーのスーツが、だらしなく着崩れている。
 胸元から、真っ赤なブラジャーが覗いていた。
「袋かぶれって、いつもいってるだろ? 誰かに見られたら、どうするんだよ」
 うろたえて、彼は枕元にあった大きめの紙袋を頭からひっかぶった。
 目と口のところにだけ穴が開いている、茶色い紙袋である。
「あ、それから」
 煙草に火をつけながら、耀子が苛立たしげな声でいった。
「今夜は修二が来るから、早めに押入れに隠れてんだぞ。顔出したら
 承知しないからな」
 彼はおどおどとうなずいた。
 うなずきながらも、腹の中では絶望が渦巻いていた。
 また、朝まで押入れか・・・。
 その間は、テレビもゲームも禁止、それどころかトイレさえも行けないのだ。
 それだけなら、まだいい。
 嫌なのは、"あのとき"の耀子の声を聞かされることだった。
 耀子はわざと彼が隠れている押入れの前に蒲団を敷き、そこで事に及ぶのだ。
「わかったか。ヒデキ」
 耀子が恫喝するような口調でいった。
「あたしにあんたみたいな化け物の子どもがいることがバレたら、おまんまの
  食い上げなんだからね」
 彼ーヒデキはうなずいた。
 耀子は保険の外交員をしている。
 が、自堕落な性格が祟って、営業成績は最低だ。
 その穴を埋めるのが、修二をはじめとする”男たち”なのである。
 30代後半の耀子はそのために必死で若作りしている。
 息子の彼が見ても、それは涙ぐましいほどの努力だった。
 身体にぴったりとはりついた細身のスーツとタイトミニ。
 が、ボディラインの崩れはすでに隠しようのないところまで来ていた。

「8時には押入れに入ってな。それまでに飯も風呂もクソもみんな済ませて
 おくんだよ」
 そういい残すと、耀子は隣の部屋に戻っていった。
 彼は急いで窓の外に目を戻した。
 だが、少女たちの姿は、すでに見えなくなっていた。


「ありがとね、由羅」
 玄関口でブーツを履いている榊由羅に向かって、笹原杏里はいった。
「また来るよ。うちのほうの引越しが済んだらな」
 由羅がシャドウに縁取られた切れ長の眼を上げる。
「あとは大丈夫だ。俺ひとりでなんとかなるだろう」
 背後から杏里の肩をそっと支えて、小田切勇次がいう。
 三度目の引越しだった。
 今度は運河の近くの昭和町である。
 つい最近まで住んでいた潮見が丘の隣町だった。
 この前の"事件"の名残りで、杏里はまだ松葉杖を手放せない。
 それで、引越しに由羅がついてきたのだった。
「夏休みに入って、ラッキーだったよな」
 ドアに手をかけて、由羅がいう。
「早く体、治せよな」
「うん」
 杏里ははにかんだように微笑むと、小さくうなずいた。
 いつになく由羅が優しいのが、うれしくてならなかったのだ。
「疲れただろう。ベッドは使えるようにして置いたから、少し休むといい」
 由羅が帰っていくと、小田切がいった。
「2学期が始まって、新しい中学に通うまでは、充電期間ということにしよう。
 ここに篭っていれば、タナトスの役割を周囲から要求されることもない
 だろうし、ましてや外来種とも遭わないで済むだろうからな」
 
 だといいけど・・・。
 杏里は壁に手をついて奥へと向かいながら、心の中でつぶやいた。
 黒野零にばらばらにされた手足が、まだ完全に胴体に接合していないのだ。
 この身体で新たな虐待を受けるのだけは、さすがに御免被りたかった。
 ベッドに身を横たえたとき、ふと杏里は思い出した。
 さっき、このマンションに着いたとき、隣の部屋の窓から誰か覗いていた
 気がする・・・。
 あれは、眼の錯覚だったのだろうか。
 カーテン越しに覗くそのシルエットに、杏里はなぜか、妙な違和感を覚えた
  のだった。

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