激甚のタナトス ~世界でおまえが生きる意味について~【虐殺編】

戸影絵麻

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第4部 暴虐のカオス

#4 ペイン②

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 久しぶりの学校だった。
 都合、2週間は休んでいただろうか。
 黒野零は、しなやかな長い髪を風になびかせて、校門をくぐった。
 7月というのに、セーラー服は黒い冬服のままである。
 膝まであるソックスも黒だ。
 それだけに、肌の白さがいやでも目立つ。
 中学生とはとても思えない、細く長い手足。
 前髪を眉のすぐ上で一直線に切りそろえた小さめの貌は、日本人形そっくりだった。
 が、その全体的に清楚なイメージを、双眸が裏切っていた。
 底知れぬ虚無を湛えた瞳に、どこか淫靡な光が宿っているのだ。
 
 昼休み直前の時間帯ということもあって、校内は静かだった。
 合唱の声と蝉の鳴き声が入り混じって、潮騒のように高く低く、遠くから聞こえてくる。
 午後の授業から顔を出そうと思っていたのだが、来るのが少し早すぎたようだ。
 在籍している2年3組は、敷地の西側、中学部棟の2階にある。
 中途半端な時間に出席しても仕方がないので、校庭を囲む遊歩道で時間を潰そうと、ベンチに足を向けたときだった。
 零はふと、奇妙な臭いを嗅いだ。
 生臭い血と、糞尿の入り混じった刺激的な臭い。
 学校の敷地内では、めったに嗅ぐことのできない、魅惑的な臭いである。
 周囲を見回し、神経を集中する。
 零の五感はヒトとは比べ物にならぬほど発達している。
 すぐに臭いの発生源を特定することができた。
 中学部棟の端にある保健室。
 その窓から、臭いは漏れてきているのだ。
 周囲に誰も居ないことを確かめると、零はトンと地面を軽く蹴って、高々とジャンプした。
 ひと跳びで、並木の枝の上に飛び乗った。
 保健室の窓が見えるところまで、木々を伝って移動する。
 目的の窓は2階の北の端にあった。
 その上に張り出した太い枝に腰をかけると、生い茂る葉を掻き分けて、保健室の中を注視した。
 そして、思わず息を呑んだ。
 白衣の中年女が、ベッドに横たわった半裸の少女にのしかかっている。
 それも、ただ乱暴しているのではない。
 両目に親指を突っ込んで、少女の体をがくがくと揺すっているのだ。
 少女の目には眼球が無いらしく、虚ろな2つの穴からそのたびに鮮血がどぼどぼと溢れ出てくる。
 壊れた人形のように弄ばれているのは、笹原杏里だった。
 "タナトス"である。
 杏里はブラとパンティだけのあられもない姿で、ベッドに紐で大の字にくくりつけられている。
 中学生離れしたその熟れきった肢体は、血と糞尿にまみれていた。
 零は食い入るようにその光景を見つめた。
 うなじの産毛が快感でざわざわと逆立つのがわかった。
 すごい・・・。
 無意識のうちに、右手が胸元を割って乳房を弄び始めていた。
 左手は下着をつけていないスカートの中だ。
 零が性的興奮を覚えるのはこんなときだった。
 他の刺激では一切興奮しないだけに、いったんリミッターが外れると、見境がつかなくなってしまう。
 しかも目の前でいじられ、翻弄されているのはあのタナトスなのだ。
 世界中で、もっとも苛められ役の似合うキャラクター・・・。
 あどけなく可愛らしい顔に、あまりにもアンバランスな、熟しすぎた肉体。
 どれだけ責め苛んでも死なないだけに、安心して見ていられる。
 ・・・いい。
 枝の上で木の幹に背をもたせかけ、大きく足を開いた。
 意外にむっちりした真っ白い太腿の間から、爛れたように充血した割れ目が顕わになる。
 その襞を人差し指と中指でゆっくりなぞりながら、
 零は自慰に没頭し始めた。

 水泳の授業は終盤にさしかかっていた。
 生徒たちが入り乱れてプールの中で水しぶきを上げるのを、由羅は退屈そうに眺めていた。
 体育の授業が、由羅は嫌いだった。
 本気を出せないからである。
 たとえば今習っているクロールがそうだ。
 由羅が本気で泳げば、タイムは間違いなく世界新記録である。
 ある意味"暗殺者"的存在であるパトスが、そんなことで目立つわけにはいかないのだった。
「先生、うち、気分悪くなってきた」
 うーんと大きく伸びをすると、プールサイドで生徒たちを叱咤激励している男性教師に声をかけた。
「ちょっと先にあがって、保健室行ってくる」
「そ、そうか」
 振り向いた教師が、何か悪いものでも見たようにあわてて目を逸らす。
 由羅の水着のせいだった。
 競技で目立てない分、由羅は外見で目立っていた。
 スクール水着には違いないのだが、由羅の水着はハイレグ仕様なのだ。
 浅黒い健康的な肌。
 すらりとのびた長い脚。
 大きく開いた背中に赤い筋が走っているのは、昨夜の"プレイ"で冬美に鞭打たれた跡だった。
 スレンダーな体ではあるものの、胸と腰はしっかり張っている。
 小柄だが、小悪魔のように蟲惑的である。
 女らしさを極めた杏里とは別の意味で、人目を惹きつける肢体をしているのだ。
 が、由羅は杏里のようにいじめのターゲットにされることはない。
 クラスで孤高の位置を占め、浮いているのは同じなのだが、恐れられている。
 野獣のようなオーラを発散させている由羅には、誰も寄ってこようとはしないのだ。
 それは教師も同じだった。
 ろくに止められもせず、由羅は更衣室から荷物の入った袋だけ持ち出すと、水着のまま廊下をぶらぶら歩き始めた。
 杏里の様子を見に行くつもりだった。
 正直、杏里は苦手だった。
 タナトス特有の女々しさみたいなものが、由羅には我慢できないときがある。
 鬱陶しい、と感じてしまうのだ。
 が、だからといって突き放してしまうこともできなかった。
 同類だという思いが、強い。
 自分とは何もかもが正反対の杏里だが、根底でどこか深く繋がっているのが、本能的にわかる。
 その意味では、他の誰よりも絆は強いのかもしれない。
 そんなことを考えながら、保健室のドアに手をかけたときだった。
 由羅は、漂う悪臭と中から聞こえてくる異様な物音に気づいて、はっと我に返った。
 乱暴にドアを開け放った。
 白衣の背中が見えた。
 その向こうで、裸に剝かれた杏里の体が踊っている。
「な、何してる?」
 近づいて、絶句した。
 保険医の鈴木翠が、杏里の両目に指を突っ込んでいた。
 指を突っ込んだまま、杏里の肉体をがたがたゆすぶっているのだ。
 杏里は死んでいるように見えた。
 上半身は血にまみれ、下半身は漏らした便と尿で惨めに汚れてしまっている。
 瞬間、かっと頭に血がのぼった。
 翠に飛びかりそうになる自分を、すんでのところで抑えた。
 これは・・・。
 仕事なのだ。
 タナトスの。
 パトスがが口出しすべきことでは、ない・・・。
「おい、おばさん」
 由羅は後ろから、翠の肩を抱きかかえた。
「もういいだろ? いくらなんでも、もう気が済んだだろう?」
「うう・・・」
 意外にあっさり、翠の体から力が抜けた。
 死の衝動が、消えかけている証拠だった。
 翠が杏里の眼窩から指を抜くと、どろりと血の塊が溢れ出た。
 由羅は隣のベッドに翠を寝かせると、杏里のほうをおそるおそる振り返った。
 目の前の杏里は、あまりにも無惨だった。
 まるで、ゴミ捨て場に捨てられた肉人形だ。
 由羅は茫然と立ち竦んだ。
 こいつは、いつも、こうだ。
 自分は何も悪いことしてないのに、いつも誰かに、こんなふうに、
 むちゃくちゃにされて・・・。
 時間が経てば元に戻るとはいうけれど、報われることなど、何もない・・・。
「おい、大丈夫か? 生きてるか? 生きてるよな?」
 やっとのことで、声を絞り出した。
 なんでおまえが、ここまでしなくちゃいけないんだ?
 こんなババアひとりを狂気から救うために、
 なんでおまえは、そんなことまで・・・。
 視界が曇ってきた。
 由羅は自分の喉からすすり泣きの声が漏れているのに気づいた。
 そのとき、鮮血で斑になった杏里の顔の中で、唇がかすかに動いた。
「ゆら・・・。目を、探して・・・私の、目を・・・。きっと、どこかに、落ちてるはず、だから・・・」

 とんだ邪魔者が入ってしまった。
 自慰の手を止めて、零は枝の上に立ち上がった。
 由羅。
 おひさしぶり。
 心の中で呼びかけた、
 元気そうで何よりだわ。
 これはきっと、この続きは自分で、ってことね。
 零はうっすらと微笑んだ。
 もうすぐ私のテーマパークが完成する。
 そしたら、由羅、あなたを真っ先に招待してあげる。
 もちろん、主役はその、可愛いお人形さんだけどね。

 杏里の眼球は、ふたつとも無事なままベッドの隅に落ちていた。
 体の下敷きにならなくてよかった、と由羅は思った。
 それをそっと拾い上げたとき、窓の外にふと強い視線を感じた。
 反射的に顔を上げる。
 が、目に入ってきたのは、風に揺れる木の葉の茂みと、その間から覗く青い夏空だけだった。



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