41 / 58
#40 危惧
しおりを挟む
「お気持ちはわかります。でも、相手が悪かったですね」
帰りの車の中、ハンドルを握って真っすぐ前を見たまま、巧が言った。
「さっきスマホで調べてみたんですが、松村製薬というのは老舗の医薬品メーカーで、主に漢方の成分を取り入れたサプリメントを扱っていて、最近の健康ブームを追い風にかなり業績を伸ばしているみたいです。規模の小さな地方企業ではあるけれど、あの女社長、きっとお金は有り余るほど持ってるんじゃないですかね」
「私が言いたいのは、そういうことじゃないの」
長い沈黙の後、芙由子はようやく口を開くことができた。
めまいがする。
嫌な予感で胸がふさがれそうなのだ。
「そりゃ、裕福な家庭にもらわれたほうが、比奈ちゃんも幸せに決まってる。でも、お金があればいいってものじゃない。現に、あのひとたちは、どこか変…。特に、息子のほう…」
「ハルト、とか呼ばれてましたね」
巧がすぐに言葉を返してきた。
「芙由子さんも、気がついてましたか」
「あの男の眼…あれは、比奈ちゃんの父親と同じ…悪意が溢れてた」
「悪意?」
「ええ。閾値を超えた悪意は、外にあふれ出す…。そして、私にはそれが見えるから」
アーミールックのあの小太りの男、顔はよく見えなかった。
フードの奥に”悪意”が渦巻いていて、正視できなかったからである。
「悪意が、見える…?」
おうむ返しに巧がつぶやいた。
ルームミラー越しに、後部座席の芙由子をうかがっている。
「比喩の類いではありません。昔からそうなんです」
ため息交じりに芙由子は言った。
「そのことはいずれ詳しくお話しします。それより、巧君もあの男に何か感じたわけですか?」
「なんとなく、ですけど」
ルームミラーの中で、巧の整った顔がかすかに歪んだようだった。
「あいつの、比奈ちゃんを見る眼…。ちょっと変質者っぽかったから」
「変質者?」
冷たいものが、芙由子の背筋を駆け抜けた。
「今は、小児愛好者っていうんでしょうか。要するに、ロリコンですね。男の中には、幼児にしか性的興味を覚えない者が、一定数存在する。僕の偏見かもしれないけど、あいつはそんなタイプに見えました。母親のほうは、まともな人みたいでしたけど」
「どうしよう…」
芙由子は青ざめた顔で、ルームミラーの中の巧を見返した。
「あんな目に遭って、また異常者の家にもらわれていくなんて…。いくらなんでも、比奈ちゃんが可哀想。悪いことが起こらないうちに、なんとかしなきゃ。なんとか…」
「法的にはどうしようもないですね。まだ、何か事件が起こったわけじゃないし。これはあくまで、僕らの憶測にすぎないですから。それに、芙由子さんのその、”悪意を見る能力”ってのも、客観的に証明できるものじゃないでしょう?」
「でも、わかるんです。きっと比奈ちゃんにとってよくないことが起こる。それも、きわめて近い将来に」
「どうします? また家に乗り込みますか? この前みたいに」
巧は半分からかうような口調だったが、それに答える芙由子は真剣そのものだった。
「必要とあれば。帰ったら、すぐに住所を調べてみます。あの女社長の家の」
「そうくると思った」
巧が苦笑する。
「いいでしょう。手伝いますよ。どうせ乗りかかった船だし。芙由子さんひとりじゃ、危なっかしくて見ていられない」
「ごめんなさい…でも、ありがとう」
しょんぼり肩を落としながらも、内心、芙由子は巧の申し出がうれしくてならなかった。
聡明で行動力のある巧が一緒なら、きっと比奈を救い出せる。
そう思えてならない。
「そうと決まったら、何か食べて帰りませんか。僕、もう腹が減って死にそうだ」
明るい巧の声に、芙由子はつられてくすっと笑った。
「やっと笑顔になりましたね」
目を細め、巧が芙由子を見つめてきた。
「そのほうがいいですよ。芙由子さんには、笑顔のほうが似合うから」
帰りの車の中、ハンドルを握って真っすぐ前を見たまま、巧が言った。
「さっきスマホで調べてみたんですが、松村製薬というのは老舗の医薬品メーカーで、主に漢方の成分を取り入れたサプリメントを扱っていて、最近の健康ブームを追い風にかなり業績を伸ばしているみたいです。規模の小さな地方企業ではあるけれど、あの女社長、きっとお金は有り余るほど持ってるんじゃないですかね」
「私が言いたいのは、そういうことじゃないの」
長い沈黙の後、芙由子はようやく口を開くことができた。
めまいがする。
嫌な予感で胸がふさがれそうなのだ。
「そりゃ、裕福な家庭にもらわれたほうが、比奈ちゃんも幸せに決まってる。でも、お金があればいいってものじゃない。現に、あのひとたちは、どこか変…。特に、息子のほう…」
「ハルト、とか呼ばれてましたね」
巧がすぐに言葉を返してきた。
「芙由子さんも、気がついてましたか」
「あの男の眼…あれは、比奈ちゃんの父親と同じ…悪意が溢れてた」
「悪意?」
「ええ。閾値を超えた悪意は、外にあふれ出す…。そして、私にはそれが見えるから」
アーミールックのあの小太りの男、顔はよく見えなかった。
フードの奥に”悪意”が渦巻いていて、正視できなかったからである。
「悪意が、見える…?」
おうむ返しに巧がつぶやいた。
ルームミラー越しに、後部座席の芙由子をうかがっている。
「比喩の類いではありません。昔からそうなんです」
ため息交じりに芙由子は言った。
「そのことはいずれ詳しくお話しします。それより、巧君もあの男に何か感じたわけですか?」
「なんとなく、ですけど」
ルームミラーの中で、巧の整った顔がかすかに歪んだようだった。
「あいつの、比奈ちゃんを見る眼…。ちょっと変質者っぽかったから」
「変質者?」
冷たいものが、芙由子の背筋を駆け抜けた。
「今は、小児愛好者っていうんでしょうか。要するに、ロリコンですね。男の中には、幼児にしか性的興味を覚えない者が、一定数存在する。僕の偏見かもしれないけど、あいつはそんなタイプに見えました。母親のほうは、まともな人みたいでしたけど」
「どうしよう…」
芙由子は青ざめた顔で、ルームミラーの中の巧を見返した。
「あんな目に遭って、また異常者の家にもらわれていくなんて…。いくらなんでも、比奈ちゃんが可哀想。悪いことが起こらないうちに、なんとかしなきゃ。なんとか…」
「法的にはどうしようもないですね。まだ、何か事件が起こったわけじゃないし。これはあくまで、僕らの憶測にすぎないですから。それに、芙由子さんのその、”悪意を見る能力”ってのも、客観的に証明できるものじゃないでしょう?」
「でも、わかるんです。きっと比奈ちゃんにとってよくないことが起こる。それも、きわめて近い将来に」
「どうします? また家に乗り込みますか? この前みたいに」
巧は半分からかうような口調だったが、それに答える芙由子は真剣そのものだった。
「必要とあれば。帰ったら、すぐに住所を調べてみます。あの女社長の家の」
「そうくると思った」
巧が苦笑する。
「いいでしょう。手伝いますよ。どうせ乗りかかった船だし。芙由子さんひとりじゃ、危なっかしくて見ていられない」
「ごめんなさい…でも、ありがとう」
しょんぼり肩を落としながらも、内心、芙由子は巧の申し出がうれしくてならなかった。
聡明で行動力のある巧が一緒なら、きっと比奈を救い出せる。
そう思えてならない。
「そうと決まったら、何か食べて帰りませんか。僕、もう腹が減って死にそうだ」
明るい巧の声に、芙由子はつられてくすっと笑った。
「やっと笑顔になりましたね」
目を細め、巧が芙由子を見つめてきた。
「そのほうがいいですよ。芙由子さんには、笑顔のほうが似合うから」
0
お気に入りに追加
21
あなたにおすすめの小説
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。


終焉の教室
シロタカズキ
ホラー
30人の高校生が突如として閉じ込められた教室。
そこに響く無機質なアナウンス――「生き残りをかけたデスゲームを開始します」。
提示された“課題”をクリアしなければ、容赦なく“退場”となる。
最初の課題は「クラスメイトの中から裏切り者を見つけ出せ」。
しかし、誰もが疑心暗鬼に陥る中、タイムリミットが突如として加速。
そして、一人目の犠牲者が決まった――。
果たして、このデスゲームの真の目的は?
誰が裏切り者で、誰が生き残るのか?
友情と疑念、策略と裏切りが交錯する極限の心理戦が今、幕を開ける。

視える棺2 ── もう一つの扉
中岡 始
ホラー
この短編集に登場するのは、"視えてしまった"者たちの記録である。
影がずれる。
自分ではない"もう一人"が存在する。
そして、見つけたはずのない"棺"が、自分の名前を刻んで待っている——。
前作 『視える棺』 では、「この世に留まるべきではない存在」を視てしまった者たちの恐怖が描かれた。
だが、"視える者"は、それだけでは終わらない。
"棺"に閉じ込められるべきだった者たちは、まだ完全に封じられてはいなかった。
彼らは、"もう一つの扉"を探している。
影を踏んだ者、"13階"に足を踏み入れた者、消えた友人の遺書を見つけた者——
すべての怪異は、"どこかへ繋がる"ために存在していた。
そして、最後の話 『視える棺──最後の欠片』 では、ついに"棺"の正体が明かされる。
"視える棺"とは何だったのか?
視えてしまった者の運命とは?
この物語を読んだあなたも、すでに"視えている"のかもしれない——。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる