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#31 訊問
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診断の結果は、何か所かの打撲、それだけだった。
念のためレントゲンを撮られ、個室に入れられて芙由子は点滴を受けた。
刑事たちがやってきたのは、翌日の午前中のことである。
テレビドラマでよく見るような、中年刑事と若い刑事のふたり組だった。
だが、さすがに実物は眼光が鋭く、柔らかな物腰をしていても、それが芙由子を必要以上に怯えさせたのだった。
「岩瀬正治、それがあなたを襲った男の名前ですが、岩瀬は死にましたよ」
しばらく芙由子の身の上についていくつか質問した後、やにわに中年刑事のほうがそう切り出した。
「死因は出血多量。鋭利な包丁のようなもので、後ろから首を、こう、グサッとひと突きです」
ジェスチュアを交えて、真顔でそう言った。
「単刀直入にお聞きしましょう。やったのは、あなたですね?」
獲物を狙う猟犬のようなまなざしに、芙由子は震え上がった。
「ちがい、ます」
やっとのことで、そう口にした。
あれからベッドの中で何度も思い返してみた。
やったのは、私なのだろうか?
だが、いくら考えても、答えはノーだった。
ベランダにも部屋の中にも、手の届く所に刃物なんてなかったのである。
そんなもの、手で触った覚えもない。
「隠さなくてもいいのですよ。岩瀬正治はヤク中で児童虐待の前科もある。あなたはあの子を助けようとして、岩瀬に殺されそうになり、とっさに身近にあった刃物で反撃した。だとしたら、これは、立派な正当防衛ですから」
物分かりの悪い生徒に噛んで含めるような口調で、辛抱強く、刑事が言った。
確かに責められている感じはしない。
だけど、やっていないものは、やっていないのだ。
「でも、違うんです」
芙由子は言い張った。
「私、刃物なんて、もっていませんでしたし、近くでそんなもの、見た記憶もありませんから」
「やはりそうですか」
あまりにあっさりと刑事が引き下がったので、芙由子は一瞬、ぽかんとなった。
「いやね、凶器が見つからんのですよ」
刑事が頭をかいた。
「ベランダから家の中、舗道の溝から隣の部屋まで徹底的に洗ったんですがね、包丁はおろか、果物ナイフ1本、見つかりゃしない。いったい、何がどうなってるんだか」
若い刑事のほうも、メモ帳から顔を上げ、苦笑を噛み殺している。
どうやら警察は、芙由子を容疑者とは考えていないようだった。
それがわかって、芙由子はほっとした。
急速に身体から力が抜けていき、眠気が押し寄せてきた。
「落ち着いたら、一度署においで願います。また連絡しますから、十分に身体を休めておいてください」
そう言い置いて、刑事たちは帰っていった。
眠りにつく瞬間、芙由子はふと思った。
ならば、私を救ってくれたのは、いったい誰なのだろう?
念のためレントゲンを撮られ、個室に入れられて芙由子は点滴を受けた。
刑事たちがやってきたのは、翌日の午前中のことである。
テレビドラマでよく見るような、中年刑事と若い刑事のふたり組だった。
だが、さすがに実物は眼光が鋭く、柔らかな物腰をしていても、それが芙由子を必要以上に怯えさせたのだった。
「岩瀬正治、それがあなたを襲った男の名前ですが、岩瀬は死にましたよ」
しばらく芙由子の身の上についていくつか質問した後、やにわに中年刑事のほうがそう切り出した。
「死因は出血多量。鋭利な包丁のようなもので、後ろから首を、こう、グサッとひと突きです」
ジェスチュアを交えて、真顔でそう言った。
「単刀直入にお聞きしましょう。やったのは、あなたですね?」
獲物を狙う猟犬のようなまなざしに、芙由子は震え上がった。
「ちがい、ます」
やっとのことで、そう口にした。
あれからベッドの中で何度も思い返してみた。
やったのは、私なのだろうか?
だが、いくら考えても、答えはノーだった。
ベランダにも部屋の中にも、手の届く所に刃物なんてなかったのである。
そんなもの、手で触った覚えもない。
「隠さなくてもいいのですよ。岩瀬正治はヤク中で児童虐待の前科もある。あなたはあの子を助けようとして、岩瀬に殺されそうになり、とっさに身近にあった刃物で反撃した。だとしたら、これは、立派な正当防衛ですから」
物分かりの悪い生徒に噛んで含めるような口調で、辛抱強く、刑事が言った。
確かに責められている感じはしない。
だけど、やっていないものは、やっていないのだ。
「でも、違うんです」
芙由子は言い張った。
「私、刃物なんて、もっていませんでしたし、近くでそんなもの、見た記憶もありませんから」
「やはりそうですか」
あまりにあっさりと刑事が引き下がったので、芙由子は一瞬、ぽかんとなった。
「いやね、凶器が見つからんのですよ」
刑事が頭をかいた。
「ベランダから家の中、舗道の溝から隣の部屋まで徹底的に洗ったんですがね、包丁はおろか、果物ナイフ1本、見つかりゃしない。いったい、何がどうなってるんだか」
若い刑事のほうも、メモ帳から顔を上げ、苦笑を噛み殺している。
どうやら警察は、芙由子を容疑者とは考えていないようだった。
それがわかって、芙由子はほっとした。
急速に身体から力が抜けていき、眠気が押し寄せてきた。
「落ち着いたら、一度署においで願います。また連絡しますから、十分に身体を休めておいてください」
そう言い置いて、刑事たちは帰っていった。
眠りにつく瞬間、芙由子はふと思った。
ならば、私を救ってくれたのは、いったい誰なのだろう?
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