22 / 58
#21 奇跡
しおりを挟む
いったん閉まりかけたふすまが、また徐々に開き始めた。
すき間からのぞく丸い顔。
目がやたら大きく見えるのは、比奈の特徴だ。
「比奈ちゃん、そんなとこにいたんだ」
芙由子は泣き笑いのような表情を蚊に浮かべ、囁くように言った。
「よかった。比奈ちゃんが無事で」
2、3度まばたきをすると、比奈が押し入れの中から這い出してきた。
窓から差し込む街灯の明かりの中に、その愛くるしい顔が浮かび上がる。
芙由子は安堵のあまり、身体中の力が抜けていくのを感じた。
明かりの中に浮かび上がった比奈の貌には、染みひとつついていない。
栄養が足りないせいだろう。
眼ばかり大きく見えるのは、おそらくそのせいだ。
だが、あの殴られた跡のような目の周りの隈は消えているし、芙由子がされたように、ナイフで傷つけられた痕もない。
本当によかった、と思う。
この子が無事でいてくれて。
「あんまり近くに来ないでね。お姉ちゃん、今、ちょっと臭いから」
目の前にちょこんと座った比奈に向かって、バツの悪い口調で、芙由子は言った。
お姉ちゃん、と口にしてしまってから、おばちゃんというべきだったかと少し反省する。
27歳といえば、比奈の母親より年上かもしれないのだ。
どうしたの?
とでもいいたげに、芙由子を見上げる比奈。
何か答えないと悪い気がして、
「お姉ちゃん、お漏らししちゃったの。大人の癖に、情けないでしょ・
おどけた口調でそう言うと、
「比奈もするよ」
突然、比奈がしゃべった。
小鳥がさえずるような、可愛らしい声。
いつか名前を聞いて以来、久しぶりに聞く声だった。
芙由子はわけもなく感動した。
この子、ちゃんとしゃべれるんだ。
「じゃ、比奈ちゃんとお姉さんは、お友だちだね」
「うん」
手を引っ込める暇もなかった。
いきなり比奈が、芙由子の右手を握ってきた。
「名前も、おんなじ」
比奈が、笑った。
薄暗い部屋の中、ふいにそこにだけ陽が射したような、屈託のない明るい笑顔だった。
「お姉ちゃん、汚いから」
あわてて手を引っ込めようとした。
だが、比奈は放そうとしない。
そのうち、膝立ちの姿勢になると、芙由子の頬に空いたほうの手を伸ばしてきた。
ナイフでつけられた傷のあたりを、指先でそうっと触っている。
ひりつくような痛みが、嘘のように引いていくのがわかった。
「比奈ちゃん…何、してるの?」
次に比奈が触ってきたのは、芙由子の右の乳房に刻まれた醜いバツ印である。
「治るよ」
バツ印に沿って人差し指を動かしながら、比奈が言った。
「比奈の指はね、お怪我を治すことができるんだ」
すき間からのぞく丸い顔。
目がやたら大きく見えるのは、比奈の特徴だ。
「比奈ちゃん、そんなとこにいたんだ」
芙由子は泣き笑いのような表情を蚊に浮かべ、囁くように言った。
「よかった。比奈ちゃんが無事で」
2、3度まばたきをすると、比奈が押し入れの中から這い出してきた。
窓から差し込む街灯の明かりの中に、その愛くるしい顔が浮かび上がる。
芙由子は安堵のあまり、身体中の力が抜けていくのを感じた。
明かりの中に浮かび上がった比奈の貌には、染みひとつついていない。
栄養が足りないせいだろう。
眼ばかり大きく見えるのは、おそらくそのせいだ。
だが、あの殴られた跡のような目の周りの隈は消えているし、芙由子がされたように、ナイフで傷つけられた痕もない。
本当によかった、と思う。
この子が無事でいてくれて。
「あんまり近くに来ないでね。お姉ちゃん、今、ちょっと臭いから」
目の前にちょこんと座った比奈に向かって、バツの悪い口調で、芙由子は言った。
お姉ちゃん、と口にしてしまってから、おばちゃんというべきだったかと少し反省する。
27歳といえば、比奈の母親より年上かもしれないのだ。
どうしたの?
とでもいいたげに、芙由子を見上げる比奈。
何か答えないと悪い気がして、
「お姉ちゃん、お漏らししちゃったの。大人の癖に、情けないでしょ・
おどけた口調でそう言うと、
「比奈もするよ」
突然、比奈がしゃべった。
小鳥がさえずるような、可愛らしい声。
いつか名前を聞いて以来、久しぶりに聞く声だった。
芙由子はわけもなく感動した。
この子、ちゃんとしゃべれるんだ。
「じゃ、比奈ちゃんとお姉さんは、お友だちだね」
「うん」
手を引っ込める暇もなかった。
いきなり比奈が、芙由子の右手を握ってきた。
「名前も、おんなじ」
比奈が、笑った。
薄暗い部屋の中、ふいにそこにだけ陽が射したような、屈託のない明るい笑顔だった。
「お姉ちゃん、汚いから」
あわてて手を引っ込めようとした。
だが、比奈は放そうとしない。
そのうち、膝立ちの姿勢になると、芙由子の頬に空いたほうの手を伸ばしてきた。
ナイフでつけられた傷のあたりを、指先でそうっと触っている。
ひりつくような痛みが、嘘のように引いていくのがわかった。
「比奈ちゃん…何、してるの?」
次に比奈が触ってきたのは、芙由子の右の乳房に刻まれた醜いバツ印である。
「治るよ」
バツ印に沿って人差し指を動かしながら、比奈が言った。
「比奈の指はね、お怪我を治すことができるんだ」
0
お気に入りに追加
21
あなたにおすすめの小説
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。


終焉の教室
シロタカズキ
ホラー
30人の高校生が突如として閉じ込められた教室。
そこに響く無機質なアナウンス――「生き残りをかけたデスゲームを開始します」。
提示された“課題”をクリアしなければ、容赦なく“退場”となる。
最初の課題は「クラスメイトの中から裏切り者を見つけ出せ」。
しかし、誰もが疑心暗鬼に陥る中、タイムリミットが突如として加速。
そして、一人目の犠牲者が決まった――。
果たして、このデスゲームの真の目的は?
誰が裏切り者で、誰が生き残るのか?
友情と疑念、策略と裏切りが交錯する極限の心理戦が今、幕を開ける。

視える棺2 ── もう一つの扉
中岡 始
ホラー
この短編集に登場するのは、"視えてしまった"者たちの記録である。
影がずれる。
自分ではない"もう一人"が存在する。
そして、見つけたはずのない"棺"が、自分の名前を刻んで待っている——。
前作 『視える棺』 では、「この世に留まるべきではない存在」を視てしまった者たちの恐怖が描かれた。
だが、"視える者"は、それだけでは終わらない。
"棺"に閉じ込められるべきだった者たちは、まだ完全に封じられてはいなかった。
彼らは、"もう一つの扉"を探している。
影を踏んだ者、"13階"に足を踏み入れた者、消えた友人の遺書を見つけた者——
すべての怪異は、"どこかへ繋がる"ために存在していた。
そして、最後の話 『視える棺──最後の欠片』 では、ついに"棺"の正体が明かされる。
"視える棺"とは何だったのか?
視えてしまった者の運命とは?
この物語を読んだあなたも、すでに"視えている"のかもしれない——。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる