汚れちまった悲しみに、きょうも血潮が降り注ぐ

戸影絵麻

文字の大きさ
上 下
16 / 58

#15 急転

しおりを挟む
 くもったガラスの向こうにピンク色が見えた時には、息がとまるかと思った。
 更にその小さな体が動いて、細い指が曇りを拭い、つぶらな瞳がのぞいた時には、安堵で涙がこぼれそうになった。
 芙由子は柵を乗り越え、狭いベランダにしゃがみこんでいる。
 半分ほど開いたサッシ窓の向こうには比奈がちょこんと座り、ガツガツと菓子パンにかじりついていた。
 よほどおなかが空いていたのだろう。
 次から次へと包装を破っては、貪るように口の中に詰め込んでいく。
 立て続けに3つほど食べ終えてパックの牛乳をごくりと一口飲むと、比奈は可愛らしくゲップをした。
 目の周りのパンダみたいな痣はなくなっていたが、その代わりに唇の端が切れて乾いた血がカサブタになっている。
 やはりあれから折檻されたのだ。
 そう思うと、胸が苦しくなった。
 どうしたら、この子を助けてあげられるのだろう。
 私にしてあげられることは、何なのか。
「きょうは時間がないから、もう行くけど」
 芙由子は手を伸ばして、比奈の小さな手を包み込んだ。
 やわらかいけど、ひどく冷たい手だった。
「でも、ひとつだけ、覚えておいて。どんなにつらいことがあっても、私は火奈ちゃんお味方だから」
 比奈が顔を上げ、不思議そうに芙由子を見た。
 お姉ちゃん、誰?
 そう言いたげなまなざしだ。
「私、近所に住んでるの。だから、また様子を見に来るから。でも、きょうのことは、おとうさんとおかあさんには、内緒だよ」
 長い睫毛をゆっくりしばたたき、比奈がこっくりとうなずいた。
 後ろ髪惹かれる思いで、芙由子は外からサッシ窓を閉めてやった。
 腕時計に目をやった。
 12時35分。
 もう、時間がない。
 休憩は1時までなのだ。
 ベランダから降りようと、おそるおそる鉄柵にまたがった時だった。
 ふいにブロック塀の角から、男が現れた。
 30代半ばくらいの、眼鏡をかけたやせた男である。
 蛇のような眼が、不自然な姿勢で固まっている芙由子の上で止まった。
 その瞬間、芙由子は、背筋が凍りつくような悪寒に襲われた。
 まさか…。
 そんな…。
 が、本能的に悟っていた。
 よりによって、一番まずい相手に見つかってしまったのだ。
 あなた…動物園に行ったんじゃ、なかったの?
「誰だ?」
 つかつかと近付いてくると、芙由子を見上げて男が言った。
「そんなところで、何をしている?」
 間違いなく、ゆうべ聞いたあの声だった。

 
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

終焉の教室

シロタカズキ
ホラー
30人の高校生が突如として閉じ込められた教室。 そこに響く無機質なアナウンス――「生き残りをかけたデスゲームを開始します」。 提示された“課題”をクリアしなければ、容赦なく“退場”となる。 最初の課題は「クラスメイトの中から裏切り者を見つけ出せ」。 しかし、誰もが疑心暗鬼に陥る中、タイムリミットが突如として加速。 そして、一人目の犠牲者が決まった――。 果たして、このデスゲームの真の目的は? 誰が裏切り者で、誰が生き残るのか? 友情と疑念、策略と裏切りが交錯する極限の心理戦が今、幕を開ける。

職場のパートのおばさん

Rollman
恋愛
職場のパートのおばさんと…

視える棺2 ── もう一つの扉

中岡 始
ホラー
この短編集に登場するのは、"視えてしまった"者たちの記録である。 影がずれる。 自分ではない"もう一人"が存在する。 そして、見つけたはずのない"棺"が、自分の名前を刻んで待っている——。 前作 『視える棺』 では、「この世に留まるべきではない存在」を視てしまった者たちの恐怖が描かれた。 だが、"視える者"は、それだけでは終わらない。 "棺"に閉じ込められるべきだった者たちは、まだ完全に封じられてはいなかった。 彼らは、"もう一つの扉"を探している。 影を踏んだ者、"13階"に足を踏み入れた者、消えた友人の遺書を見つけた者—— すべての怪異は、"どこかへ繋がる"ために存在していた。 そして、最後の話 『視える棺──最後の欠片』 では、ついに"棺"の正体が明かされる。 "視える棺"とは何だったのか? 視えてしまった者の運命とは? この物語を読んだあなたも、すでに"視えている"のかもしれない——。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

由紀と真一

廣瀬純一
大衆娯楽
夫婦の体が入れ替わる話

処理中です...