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#8 待ち受け妻
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夫の正一が帰ってきたのは、予想通り、深夜零時を過ぎてからだった。
「飯はいいよ。食べてきたから」
玄関口に迎えに立った琴子を押しのけるようにして上がってくると、よろめきながら居間に入っていった。
正一は酒の匂いをぷんぷんさせ、見るからに不機嫌そうな表情をしていた。
和夫が事故に遭ってから、ずっとそうだ。
怯えたようなまなざしで夫の背中を見送りながら、琴子は苦い思いを噛みしめた。
病院にろくに見舞いにも行かず、琴子に和夫のことを丸投げしているくせに、それなりに正一はプレッシャーを感じているようだった。
それは日に日に遅くなる帰宅時間からもわかる。
働き方改革とやらが叫ばれるなか、正一の会社の残業もずっと減っているはずなのだ。
そのことは給与明細を見ればわかるから、少なくとも深夜に帰宅するのは仕事が長引いたせいでないことは明らかだ。
正一は避けている。
今更のように、琴子はそう思わずにはいられない。
和夫を、琴子を、この家を、正一は己の視界から消し去りたいのではないだろうか…?
そのひとつの表れが、あの動画が証明する不倫なのだろう。
離婚の二文字が脳裏をよぎった。
それは、この一日、琴子が悶々と考え続けてきたことでもあった。
むろん、浮気されたからといって、琴子が離婚を望んでいるわけではない。
和夫があんな状態である以上、今、離婚を切り出されたら、大変なことになる。
独身の頃を除けば、専業主婦経験しかない琴子が、重症の息子を抱えて生きていけるはずないのである。
情けないと思いながらも、琴子の得た結論は、それだった。
離婚だけは、なんとしてでも避けねばならない。
正一への愛情の問題ではない。
和夫と琴子が生きるためなのだ。
正一が風呂に入ったのを見計い、琴子は寝室でこっそり秘蔵の下着と透けるネグリジェに着換えた。
下着は、和夫がLINEで指摘してきたものである。
ショーツは、下品な言い方をすれば、ふんどしそっくりだった。
腰のまわりを絞めつける紐に、かろうじて股間を隠す幅の狭い布がついている。
まるで前も後ろもTバックになったような、そんなきわどいデザインである。
ブラは乳房のふもとを囲む枠に、乳首の上をメッシュの帯が水平に走っているだけで、後はすべてむき出しだ。
数年前、香港出張の際、正一がふざけて琴子の誕生日プレゼントに買ってきたものである。
あまりに悪趣味なので、正一の求めに応じて2、3度身に着けてみたものの、それ以来、ずっと箪笥のこやしになっていた。
鏡に映してみると、年齢を重ねて多少身体がふくよかになったせいか、シースルーのネグリジェから透けて見えるその肢体は、今にも肉が下着からはみ出そうで、我ながら呆れるほど猥褻だった。
風呂から上がった正一は、ガウンに着換え、ソファに座って缶ビール片手に夕刊を呼んでいる。
「横、座っていい?」
勇気を出して声をかけると、正一が迷惑そうに新聞から目を上げた。
「なんだ、その格好は?」
いつになくセクシーな琴子の下着姿を前に、驚いたように太い眉を吊り上げる。
「和夫もだいぶよくなってきたし…久しぶりに、どうかなと思って」
どきどきしながら、言ってみた。
自分から誘うのは、結婚してからこれが初めてだった。
つまりこの行為は、それほどまでに琴子が精神的に追い詰められていた証でもあったのだが…。
正一の反応は、ひどく冷たいものだった。
「何を馬鹿なことを…。そんなもん身に着けて、おまえ、自分が何歳だと思ってるんだ。それに、言っただろ? 俺は疲れてるんだよ。明日も早いんだし、くだらないこと言ってないで、先に寝ててくれよ」
「ご、ごめんなさい」
琴子はとっさにわざと明るい声を出していた。
「ちょっと、びっくりさせようと思っただけ」
ぎこちなく笑いながら後ずさりして、後ろ手に夫婦の寝室のドアを開け、中に飛び込んだ。
ベッドにくずれるように座り込むと、とたんに涙があふれてきた。
くだらないこと…。
夫は、はっきりとそう言った。
妻の私とのセックスなんて、彼にとっては、もはや”くだらないこと”に過ぎないのだ…。
「飯はいいよ。食べてきたから」
玄関口に迎えに立った琴子を押しのけるようにして上がってくると、よろめきながら居間に入っていった。
正一は酒の匂いをぷんぷんさせ、見るからに不機嫌そうな表情をしていた。
和夫が事故に遭ってから、ずっとそうだ。
怯えたようなまなざしで夫の背中を見送りながら、琴子は苦い思いを噛みしめた。
病院にろくに見舞いにも行かず、琴子に和夫のことを丸投げしているくせに、それなりに正一はプレッシャーを感じているようだった。
それは日に日に遅くなる帰宅時間からもわかる。
働き方改革とやらが叫ばれるなか、正一の会社の残業もずっと減っているはずなのだ。
そのことは給与明細を見ればわかるから、少なくとも深夜に帰宅するのは仕事が長引いたせいでないことは明らかだ。
正一は避けている。
今更のように、琴子はそう思わずにはいられない。
和夫を、琴子を、この家を、正一は己の視界から消し去りたいのではないだろうか…?
そのひとつの表れが、あの動画が証明する不倫なのだろう。
離婚の二文字が脳裏をよぎった。
それは、この一日、琴子が悶々と考え続けてきたことでもあった。
むろん、浮気されたからといって、琴子が離婚を望んでいるわけではない。
和夫があんな状態である以上、今、離婚を切り出されたら、大変なことになる。
独身の頃を除けば、専業主婦経験しかない琴子が、重症の息子を抱えて生きていけるはずないのである。
情けないと思いながらも、琴子の得た結論は、それだった。
離婚だけは、なんとしてでも避けねばならない。
正一への愛情の問題ではない。
和夫と琴子が生きるためなのだ。
正一が風呂に入ったのを見計い、琴子は寝室でこっそり秘蔵の下着と透けるネグリジェに着換えた。
下着は、和夫がLINEで指摘してきたものである。
ショーツは、下品な言い方をすれば、ふんどしそっくりだった。
腰のまわりを絞めつける紐に、かろうじて股間を隠す幅の狭い布がついている。
まるで前も後ろもTバックになったような、そんなきわどいデザインである。
ブラは乳房のふもとを囲む枠に、乳首の上をメッシュの帯が水平に走っているだけで、後はすべてむき出しだ。
数年前、香港出張の際、正一がふざけて琴子の誕生日プレゼントに買ってきたものである。
あまりに悪趣味なので、正一の求めに応じて2、3度身に着けてみたものの、それ以来、ずっと箪笥のこやしになっていた。
鏡に映してみると、年齢を重ねて多少身体がふくよかになったせいか、シースルーのネグリジェから透けて見えるその肢体は、今にも肉が下着からはみ出そうで、我ながら呆れるほど猥褻だった。
風呂から上がった正一は、ガウンに着換え、ソファに座って缶ビール片手に夕刊を呼んでいる。
「横、座っていい?」
勇気を出して声をかけると、正一が迷惑そうに新聞から目を上げた。
「なんだ、その格好は?」
いつになくセクシーな琴子の下着姿を前に、驚いたように太い眉を吊り上げる。
「和夫もだいぶよくなってきたし…久しぶりに、どうかなと思って」
どきどきしながら、言ってみた。
自分から誘うのは、結婚してからこれが初めてだった。
つまりこの行為は、それほどまでに琴子が精神的に追い詰められていた証でもあったのだが…。
正一の反応は、ひどく冷たいものだった。
「何を馬鹿なことを…。そんなもん身に着けて、おまえ、自分が何歳だと思ってるんだ。それに、言っただろ? 俺は疲れてるんだよ。明日も早いんだし、くだらないこと言ってないで、先に寝ててくれよ」
「ご、ごめんなさい」
琴子はとっさにわざと明るい声を出していた。
「ちょっと、びっくりさせようと思っただけ」
ぎこちなく笑いながら後ずさりして、後ろ手に夫婦の寝室のドアを開け、中に飛び込んだ。
ベッドにくずれるように座り込むと、とたんに涙があふれてきた。
くだらないこと…。
夫は、はっきりとそう言った。
妻の私とのセックスなんて、彼にとっては、もはや”くだらないこと”に過ぎないのだ…。
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