虹とスニーカーと僕

戸影絵麻

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 タマオの検索によると、麻美の住むマンションは、意外なことに次郎の住むアパートと同じ町内にあるとのことだった。次郎と母が休みの日によく行く緑地公園の隣に、二十階建ての豪華なマンションが建っているのだが、その最上階が麻美の家だったのだ。五月の抜けるような青空を背景にそびえ立つガラスの要塞のような高層マンションを見上げて、次郎は思わずため息をついた。
「どうしたの?」
「いや、こんなすごいとこ、誰が住んでるんだろうって、いつも母さんと話してたからさ。
ほんと、世の中って、不公平だよな。うちなんて、父さん死んでから、母さん、パート二つ掛け持ちして一日十二時間以上、くたくたになって働いてるのに、六畳一間のアパート暮らしが精一杯なんだぜ」
「過渡期の資本主義経済って難しいよね。僕らのように全市民が記号化されて保存されるシステムを構築すればそういった悩みからは切り離されるんだけど、でもそれが本当に幸福かは僕にも自信がないしね」
「わけわかんないこというなよ。それより、何で俺、麻美にあんなにもからまれるのかな。どう考えても、あいつのが恵まれてるだろ。成績もいいし、私立中学受験するって話だし」
「何か心当たりはないの? けんかしたとか」
「女とけんかなんかしないよ。ろくに話をしたこともないんだ」
「ふむ。ストレスがたまってるのかな、その子」
「それより、どうやって入るんだよ、このマンション。すごく警戒厳重そうだけど。正面から行っても、絶対会ってくれないぜ。第一、なんでそんな重要なもの、麻美が持ってるんだか。交渉人が俺と宇宙人じゃ、もう地球の滅亡は決まったようなもんじゃないか。麻美がすんなりそんなもの渡してくれるはずないよ。絶対だ。賭けてもいい」
「うーん」
 タマオはしばらくマンションの上の方を見上げていたが、やがて、
「交渉する前からそんなに悲観的になるなよ。何事もやってみなくちゃわからないだろ?あ、そうだ。ベランダかな。窓が開いてるから、ベランダからなら入れそうだ」
 そう、あっさり言った。
「ベランダってお前、二十階だぞ。どう考えても・・・」
「無理じゃないよ。だからその靴をあげたんじゃないか。その靴の機能を使えば、あのくらいの高さ、どうってことないさ]
[え? それってもしかして、、何ていうか最初っからそのつもりだったってこと?」
 次郎はたまげた。
「お前さ、実は全部わかってたんじゃないの」
 タマオの目がすっと細くなり、口の両端ががピースマークのそれのように微妙につりあがった。
「んー、まあ、否定はしないけど。だってこの状況で僕ひとりではリリジウムの入手は難しそうだし、やっぱり地球人の協力者が必要かなと思って」
「なんだ、親切そうなこと言って俺に近づいて、はじめからそういう計画だったんだな。まったくこれだから」
「宇宙人は信用できないって言いたいわけ? だけど、スニーカーを取り戻せるんだからいいじゃないか。ギブアンドテイクってやつさ」
 なにがギブアンドテイクだ。だまされたようで釈然としなかったが、こんなところでもめていても仕方がない。次郎はとりあえず、靴の機能とやらを試してみることにした。マンションから百メートルくらい距離を置き、全速力で走り出す。速い。自転車で全力疾走するより数倍の速度で自分が走っているのがわかる。まさしくこれは魔法の靴だ。体育の授業で習った三段跳びの要領で思い切ってジャンプした。
 うわ!
 跳んだ。スパイダーマンかスーパーマン並みの跳躍力だ。
 次郎は感激した。
 すごい! 俺は今、ホントに空を飛んでいる!
 が、なんせ、はじめての大ジャンプである。マンションの二十階に到達する前に、空中でバランスを崩してしまった。
 落ちる!
 手足をばたつかせた。どうにもならない。
 冷や汗をかいたとき、ふっと後ろから体を持ち上げられた。
 タマオが宙に浮かんでいた。長いゴムのような緑色の腕で、次郎の体を支えていてくれている。そのまま麻美の家のベランダに近づき、観葉植物の陰に着地した。
 開いている窓からレースのカーテンが外にふわりと広がり、初夏の風にゆれている。ピアノの音が聞こえていた。おそるおそる中をのぞくと、白いワンピース姿のやせた髪の長い少女がピアノの前に座って、一心不乱に鍵盤をたたいているのが見えた。
「よ、よせ」
 次郎が止める暇もなく、
「ごめんください」
 タマオが窓から中へ入っていった。
 ピアノの音が途絶え、血相を変えて麻美が立ち上がるのが見えた。しかたなく、次郎も窓をまたぎ越えて部屋の中に入った。
「なによあんたたち? どろぼう?」
 険のある声で麻美が言った。
 きれいな顔立ちだけに、怒ると怖かった。
 が、ここで負けてはいられない。
「どろぼうはお前だろう? 俺のスニーカー、返せよ。しらばっくれたってだめだぞ。お前しかそんないたずらしないってこと、わかってるんだ」
 次郎は必死で言い募った。
「別にしらばっくれる気なんてないわよ」
 麻美がさも馬鹿にしたような口調で言った。
「貧乏人が一人前にブランド物のスニーカーなんてはいてくるから悪いのよ。あんなの、家に帰る途中、川に捨ててやったわ。はっ、いい気味」
「なんだと!」
 次郎は怒りで目の前が赤く染まるのを感じた。とびかかろうとしたとき、タマオの腕が伸びて、次郎を後ろにぐいと引き戻した。
「貧乏人の癖に汚い足であたしの部屋にあがらないでよ。だいたい、あんたが転校してきて、家があのぼろアパートで、貧乏な母子家庭だってわかってから、あたしあんたが大っ嫌いになったのよ。だってみんなに貧乏がうつったら大変じゃない? それに何なの? その変なの。そんな人形持ってきて、あんた、頭変なんじゃないの? それであたしをおどかすつもりってわけ?」
 麻美があざけるように言った。機関銃のようにぽんぽんひどい言葉が飛び出してくるその形のいい唇を、次郎は何か信じがたいものを見るような目で見つめた。怒りが収まっていくのがわかった。それより、なぜこの女はこんなにけんか腰なんだろう、と思った。たかが宇宙人と同級生が窓から入ってきただけで、人間、ここまで逆切れするものだろうか。
だいたい、貧乏ってそんなに悪いものなのか? 伝染病のようにうつったりするものなのだろうか? 社会の授業で「平等権」ってのがあるって聞いたけど、あれはうそだったのか? それとも麻美の頭のほうが狂ってるのか?
「たしかに挨拶もなしに窓から入ったのは悪かったけど、君もそれは言いすぎじゃない?」
 気がつくとタマオがしゃべっていた。
「貧乏人がどうのって、そんなこと関係ないし、次郎君がたとえそうだとしても、それは彼の責任でも、彼のお母さんの責任でも、ましてや死んだ彼のお父さんの責任でもないんだから」
 麻美は気味悪そうにタマオを見つめていたが、やがて吐き捨てるように言った。
「じゃあ、誰の責任なのよ? だいたいあんたは何なの? お化け? フリークス? ただの頭のおかしい人?」
「宇宙人だよ」
 聞くに堪えない麻美の悪口雑言をさえぎるために、次郎は口をはさんだ。
「君の持ってるリリジウムをもらいに来たんだ。それがないと彼らの宇宙都市は制御を失い、後三日で地球に激突する。そうなったら、みんな死ぬ。地殻変動が起こって、世界各地で火山が爆発して、大津波がすべてを飲み込んでしまう」
 後半は自分の想像だった。
「あんた馬鹿?」
 両手を腰に当て、仁王立ちのポーズで次郎をにらみつけ、麻美が言った。
「リリジウムって、何それ? そんな話をあたしが信じるとでも思ってるの? 前々から馬鹿じゃないかと思ってたけど、まさかそこまでとはね。今すぐ精神病院に電話してあげる。それとも警察呼ぶ?」
「信じてもらわないと困るんだけど」
 タマオがちょこちょこ前へ進み出て、言った。
「今の話は本当なんだ。僕らの宇宙都市は制御を失って今この地球に向かっている。衝突しても地球が粉々になるだけで僕らの都市はかすり傷ひとつ負わないだろう。でも、僕らはどんな生命体も殺したくない。君たちに生きててほしいんだよ。そして、そのためにはリリジウムがどうしても必要なんだ。それで宇宙都市の軌道を修正できるから」
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