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#76 東病棟ナース・ステーションの謎①
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病棟を一歩外に出ると、建物全体を揺るがすような咆哮が高まった。
うお~ん、うお~ん。
ぎゃあ、ぎゃあ、ぎゃあ。
その吠え声に反応して、僕のベッドを押すコンドウサンが巨大な頭部をぎこちなくめぐらせた。
と、すぐ隣の病室から、ゆらりと背の高い影が立ち現れた。
両手を前に垂らした、白髪の老人である。
が、ひと目で普通ではないとわかった。
目が血を噴き出したように赤く、瞳孔がない。
口からは狂犬病にかかった犬のようにだらだら涎を垂らし、僕らのほうにつかみかかってくる。
「邪魔!」
蓮月が短く叫び、例の巨大な植木バサミを突き出した。
ザクッ。
キャベツでも切断するような音が響き、老人の首がぐらりと傾いた。
プシューッ。
まるでスプラッタ映画の血糊みたいに多量の鮮血がほとばしり、天井と壁の掲示板に降りかかる。
「こ、殺しちゃっていいの?」
円筒形の躰を起こせるだけ起こして、僕はたずねた。
「だって、この人たち、みんな、元はといえば、この病棟の患者なんだろ?」
「夜モードはバーチャルリアリティー、つまりゲームの世界みたいなもんなんだよ。ここで死んでも、朝が来て世界が変わればよほどのことがない限り、生き返る。重要な手術に失敗したり、特別に酷い呪いのターゲットになったりしなければね。だからおおむね何をやっても平気なのさ。ただ、逆はダメだ。昼世界で迎える死は、本物だから。あんたの隣で寝てたあの藤田って中年男が、そう。昼の世界まで生かされてて、そこでユズハに殺された。きっと今頃は天国か地獄だね」
僕らの気配に気づいたのか、通路に面した病室から、次から次へとゾンビ化した患者たちが溢れ出してくる。
前回はベッドに仰向けになっていて、あまり周囲を見ていなかったのだが、今になってわかる。
あの時肌で感じたように、患者たちはみんな異形の者に変貌している。
蓮月がハンターならば、こいつらは紛れもなくモンスターの類いなのだ。
あうー、あうー。
血ヲクレ…血ガ欲シイ…。
押し寄せてくるゾンビめいた患者たちを、
「邪魔!」
「おまえも!」
「おまえもだよ!」
蓮月がザクザク植木バサミで刈り取っていく。
たちまち廊下は血の海になり、あちこちに丸太のように人体の一部が転がった。
コンドウサンは乱暴に、その残骸の上をキャスター付きのベッドで乗り越えていく。
だから、いわば僕の寝心地は最悪だった。
エレベーターが見える位置で立ち止まると、蓮月が言った。
「エレベーターホールの角を曲がったら、そこからは東病棟エリアだ。ヒトモドキもシビトツキも、こっち側よりずっと凶暴だから、いざとなったら全員で戦え。蚯蚓少年も寝てるばかりが能じゃないだろう?」
「わかってるよ」
僕はうなずくと、退化して赤ん坊サイズに縮んだ手で結束バンドをはずした。
全身が変形しただけで、悪いところなど、どこにもなさそうなのだ。
野生動物に戻ったような殺戮欲が、ふつふつと身体の底から湧き上がってくるのがわかる。
「ここからは、もうベッドはいらない。俺、こうするから」
僕はずるっとベッドから長い身体を抜き出した。
どさっと床に落ち、とぐろを巻いて首をもたげる。
固いリノリウムの感触が、粘液にまみれた腹に心地よい。
「やればできるじゃないか」
真赤な唇の端を吊り上げて蓮月がニッと笑い、おなかの筋肉で這い始めた僕を見て、コンドウサンが、うお~んと応援してくれるように雄たけびを上げた。
うお~ん、うお~ん。
ぎゃあ、ぎゃあ、ぎゃあ。
その吠え声に反応して、僕のベッドを押すコンドウサンが巨大な頭部をぎこちなくめぐらせた。
と、すぐ隣の病室から、ゆらりと背の高い影が立ち現れた。
両手を前に垂らした、白髪の老人である。
が、ひと目で普通ではないとわかった。
目が血を噴き出したように赤く、瞳孔がない。
口からは狂犬病にかかった犬のようにだらだら涎を垂らし、僕らのほうにつかみかかってくる。
「邪魔!」
蓮月が短く叫び、例の巨大な植木バサミを突き出した。
ザクッ。
キャベツでも切断するような音が響き、老人の首がぐらりと傾いた。
プシューッ。
まるでスプラッタ映画の血糊みたいに多量の鮮血がほとばしり、天井と壁の掲示板に降りかかる。
「こ、殺しちゃっていいの?」
円筒形の躰を起こせるだけ起こして、僕はたずねた。
「だって、この人たち、みんな、元はといえば、この病棟の患者なんだろ?」
「夜モードはバーチャルリアリティー、つまりゲームの世界みたいなもんなんだよ。ここで死んでも、朝が来て世界が変わればよほどのことがない限り、生き返る。重要な手術に失敗したり、特別に酷い呪いのターゲットになったりしなければね。だからおおむね何をやっても平気なのさ。ただ、逆はダメだ。昼世界で迎える死は、本物だから。あんたの隣で寝てたあの藤田って中年男が、そう。昼の世界まで生かされてて、そこでユズハに殺された。きっと今頃は天国か地獄だね」
僕らの気配に気づいたのか、通路に面した病室から、次から次へとゾンビ化した患者たちが溢れ出してくる。
前回はベッドに仰向けになっていて、あまり周囲を見ていなかったのだが、今になってわかる。
あの時肌で感じたように、患者たちはみんな異形の者に変貌している。
蓮月がハンターならば、こいつらは紛れもなくモンスターの類いなのだ。
あうー、あうー。
血ヲクレ…血ガ欲シイ…。
押し寄せてくるゾンビめいた患者たちを、
「邪魔!」
「おまえも!」
「おまえもだよ!」
蓮月がザクザク植木バサミで刈り取っていく。
たちまち廊下は血の海になり、あちこちに丸太のように人体の一部が転がった。
コンドウサンは乱暴に、その残骸の上をキャスター付きのベッドで乗り越えていく。
だから、いわば僕の寝心地は最悪だった。
エレベーターが見える位置で立ち止まると、蓮月が言った。
「エレベーターホールの角を曲がったら、そこからは東病棟エリアだ。ヒトモドキもシビトツキも、こっち側よりずっと凶暴だから、いざとなったら全員で戦え。蚯蚓少年も寝てるばかりが能じゃないだろう?」
「わかってるよ」
僕はうなずくと、退化して赤ん坊サイズに縮んだ手で結束バンドをはずした。
全身が変形しただけで、悪いところなど、どこにもなさそうなのだ。
野生動物に戻ったような殺戮欲が、ふつふつと身体の底から湧き上がってくるのがわかる。
「ここからは、もうベッドはいらない。俺、こうするから」
僕はずるっとベッドから長い身体を抜き出した。
どさっと床に落ち、とぐろを巻いて首をもたげる。
固いリノリウムの感触が、粘液にまみれた腹に心地よい。
「やればできるじゃないか」
真赤な唇の端を吊り上げて蓮月がニッと笑い、おなかの筋肉で這い始めた僕を見て、コンドウサンが、うお~んと応援してくれるように雄たけびを上げた。
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