異世界病棟

戸影絵麻

文字の大きさ
上 下
70 / 88

#69 乙都受難③

しおりを挟む
 窓に背を向け、通路を戻る。
 途中で西に入る曲がり角があって、のぞくとトイレの表示が出ていた。
「確か、ここだったと思う」
「検査室は、トイレの奥ですね。検体をすぐ採取できるよう、男子トイレと女子トイレの両方に繋がっています」
 乙都は平気な顔で男子トイレに入っていく。
 小便器で用を足していた老人が、突然乱入してきた乙都を見て目を丸くする。
 病衣の前を慌ただしくかき合わせると、点滴スタンドを引きずるようにして外に出て行った。
「誰かいますかあ?」
 検査室との境のカーテンをめくって中に首をつっこみ、乙都が叫んだ。
 誰もいないのか、返事はない。
 僕は乙都の後に続いてカーテンをくぐった。
 足を踏み入れたその検査室は、酷く雑然とした部屋だった。
 右手の壁に、中に黄色い液体が入ったビーカーがずらりと並ぶ背の高いスチール棚。
 左手には例のシンクと、バケツやデッキブラシ、洗剤、床にとぐろを巻いたホース。
「別に、怪しいものはなさそうだけど…」
 周囲を見渡して、乙都が言う。
「でも、よく見ろよ。床にも、シンクにも、何かを拭いた後がある」
 不自然に濡れているシンクの周囲を指差して、僕は言った。
「きっと血液反応を調べれば、それなりの痕跡が発見できると思う。だって、ついさっきまで、ここ、すごい血の海だったんだ」
「そんな…何の証拠もないのに、警察の鑑識にルミノール反応の調査、頼むわけにはいかないでしょ?」
「よく探してみろよ。何か犯行の証拠みたいなものが、見つかるはずだ」
 藤田氏は殺されたのだ。
 あのユズハとかいう、気味の悪い看護師に。
 ここへ来て、ますますその思いが強くなってきた。
 なんとなく、空気の底にも、消毒液やトイレの匂いの底に、生臭い血の匂いが混じっている気がする…。
 毛髪の一本でも残っていないかと、シンクに顔を近づけ、排水口を覗き込もうとした時だった。
「あれ? これは何かな?」
 乙都の声に、僕は振り向いた。
 乙都は、スチール棚から丸いものを抱え上げたところだった。
 どうやら、バイク乗りがかぶる、フルフェイスのヘルメットのようだ。
「どうして、ここに、こんなものが? あ」
 中をのぞきこんだ乙都の目が、極限まで見開かれるのがわかった。
「どうした?」
「そ、そんな…」
 悲鳴を噛み殺すように、乙都がうめいた。
 その手から、ヘルメットが床に転げ落ちる。
 乾いた音を立てて転がった鉄の丸い物体は、ゆっくり半回転したかと思うと、開口部を僕のほうに向けた。
 どろり。
 あふれ出る灰色の液状のもの。
 ぐずぐずに砕かれた豆腐みたいな残骸の中に、ピンポン玉のようなものがふたつ埋まってこちらを向いている。
「マジかよ…」
 その正体に気づいて、僕は呆然とつぶやいた。
 間違いない。
 あれは…。
 人間の眼球だ。
 と、その刹那、ふいに背後に人の気配がした。
「また舞い戻ってきたか。しかも、盛りのついたの牝犬まで連れて」
 声が降ってきた。
 ユズハの声だった。
 乙都が立ち上がった。
 真っ青な顔で、僕の背後を見上げている。
「颯太さん、逃げて!」
 突進してきた。
 僕の脇をすり抜けて、背後の何者かにつかみかかる。
「乙都!」
 振り向いた僕は、見た。
 鼻から上が、切り取られたように欠けた、異様に背の高い女。
 その女が昆虫の前肢みたいに節くれ立った腕で、乙都の小柄な躰を絡め取っている。
 二メートルの高みで後頭部まで裂けた口が蓋みたいに開き、軋むような声が言った。
「余計なことに首を突っ込むなと言っただろ! こうなったら仕方がない。こいつは見せしめのために私が預かっておくからね!」

 



しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語

六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

処理中です...