異世界病棟

戸影絵麻

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#60 新生の朝①

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 ベールがめくれるように闇が遠ざかり、朝がやってきた。
 開いたカーテンと天井のすき間から窓の上部が見え、そこから明るい青空の一部がのぞいている。
 僕は全身ぐっしょり汗をかいていた。
 病衣が身体中に貼りつき、異臭を放っている。
 リモコンを探り当て、ベッドの角度を変える。
 左手首に点滴のチューブが差し込まれ、部屋の隅の点滴スタンドからぶら下がったビニールパックににつながっている。
 右手の人差し指にくっついている洗濯ばさみみたいなものは、酸素濃度の検知器である。
 病衣のはだけた胸元からは、あばらの浮き出た胸に貼りつけられた心電図用の吸盤が見える。
 ゆうべ、眠る前とどこも変わっていなかった。
 とてつもなく長い悪夢を見ていた気がした。
 そう、やはりあれは夢だったのだ。
 堕天使みたいな姿に変身した先生と乙都たち。
 そしてICUに向かう途中で遭遇した化け物ども。
 更に不快だったのは、あのおぞましい手術…。
 僕は動脈と尿道に、ステントの代わりに生きた蚯蚓みたいな生き物を挿入されたのだ…。
 その後見た光景となると、もう、わけがわからない。
 幽体離脱して天井から見下ろした謎めいた物体…。
 あれは、確かに、バラバラに解体された人体だった。
 網の目のような血管につながれた内臓の集合体。
 まさかあれが…。
「颯太さーん、起きてますかー?」
 物思いにふけっていると、滋味に富んだ若い女性の声が僕を呼んだ。
「あ、うん」
 ひびわれた声で返事をすると、カーテンが開いて乙都が顏をのぞかせた。
 白いマスクに青いナース服。
 よかった。
 思わず安堵の吐息が漏れた。
 これは間違いなく、見習い看護師の、あのやさしいほうの乙都だ。
「手術、うまくいったみたいですね」
 マスクから出た大きな目を笑いの形に細めて、乙都が言った。
「泰良先生の伝言メモ読みました。ほんと、よかったです。私、心の中でずっと応援してたんですよ」
「あ、ありがとう」
 僕は赤くなった。
 乙都にそう言われて、うれしくないと言ったら、嘘になる。
「でも、てことは、昨夜、本当に手術はあったんだ…」
 その認識は、得体の知れない不安と同居していた。
 手術が本当なら、後のことも、全部…?
 いやいや、そんなはずがない。
 あんな馬鹿な出来事、起こっていいはずがない。
 患者がゾンビみたいになって襲ってきたり、机やキャビネットがパレードするみたいに練り歩いてきたり、ましてや僕の体内に…。
「覚えてないんですか? あ、そうか。早い段階から、全身麻酔かけられてたんですね」
 僕の右手首に血圧計を取りつけながら、乙都が言う。
「全身麻酔…。ああ、そうかも」
 僕はICUに運ばれる前、この病室で全身麻酔をかけられた。
 後のことは、その時に見た夢と考えれば、一応、筋は通る。
「乙都は、ゆうべはいなかったんだよね?」
 念のため、訊いてみた。
「はい。きのうは私、勤務の後は寮の自室で、VRシミュレーターの自宅研修してましたから。たぶん、レンゲちゃんも同じように自分の部屋で」
「VRか…。その内容は、どんなのだった?」
「それが、よく覚えてなくて」
 目だけで乙都が破顔する。
「いつもそうなんですけど、催眠学習ってやつなんですかね。朝起きると全然記憶に残ってないんですよ。ただ、やたら身体の節々が痛くて、汗をびっしょりかいていて…」
「記憶に、ない…か」
 そういえば、夜の乙都や先生は、そんなことを言っていた。
 昼間の乙都たちは、夜のことを、何も覚えていないと…。
「あれ? どうしたんですか? これ?」
 乙都が頓狂な声で叫んだのは、その時だった。
「ん? どうしたの?」
 僕は血圧の計測を終えて、点滴パックの点検を始めた乙都に、そう声をかけた。
 何を思ったのか、乙都は点滴スタンドを持ち上げ、台座のあたりをしげしげと見つめている。
「スタンドの台がすごくへこんでるんですけど…。支柱もかなり曲がってるし…。ひょっとして、寝てる時に思いっきり身体をぶつけちゃったとか? でも、人の躰が当たったぐらいで、こんなことになるものかしら…?」
 マジかよ。
 僕は絶句した。
 点滴スタンドといえば、思い出すのはただひとつだった。
 それは、ブラックナースに変身した蓮月が、ゆうべ武器として振り回していたものなのだ。



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