61 / 88
#60 新生の朝①
しおりを挟む
ベールがめくれるように闇が遠ざかり、朝がやってきた。
開いたカーテンと天井のすき間から窓の上部が見え、そこから明るい青空の一部がのぞいている。
僕は全身ぐっしょり汗をかいていた。
病衣が身体中に貼りつき、異臭を放っている。
リモコンを探り当て、ベッドの角度を変える。
左手首に点滴のチューブが差し込まれ、部屋の隅の点滴スタンドからぶら下がったビニールパックににつながっている。
右手の人差し指にくっついている洗濯ばさみみたいなものは、酸素濃度の検知器である。
病衣のはだけた胸元からは、あばらの浮き出た胸に貼りつけられた心電図用の吸盤が見える。
ゆうべ、眠る前とどこも変わっていなかった。
とてつもなく長い悪夢を見ていた気がした。
そう、やはりあれは夢だったのだ。
堕天使みたいな姿に変身した先生と乙都たち。
そしてICUに向かう途中で遭遇した化け物ども。
更に不快だったのは、あのおぞましい手術…。
僕は動脈と尿道に、ステントの代わりに生きた蚯蚓みたいな生き物を挿入されたのだ…。
その後見た光景となると、もう、わけがわからない。
幽体離脱して天井から見下ろした謎めいた物体…。
あれは、確かに、バラバラに解体された人体だった。
網の目のような血管につながれた内臓の集合体。
まさかあれが…。
「颯太さーん、起きてますかー?」
物思いにふけっていると、滋味に富んだ若い女性の声が僕を呼んだ。
「あ、うん」
ひびわれた声で返事をすると、カーテンが開いて乙都が顏をのぞかせた。
白いマスクに青いナース服。
よかった。
思わず安堵の吐息が漏れた。
これは間違いなく、見習い看護師の、あのやさしいほうの乙都だ。
「手術、うまくいったみたいですね」
マスクから出た大きな目を笑いの形に細めて、乙都が言った。
「泰良先生の伝言メモ読みました。ほんと、よかったです。私、心の中でずっと応援してたんですよ」
「あ、ありがとう」
僕は赤くなった。
乙都にそう言われて、うれしくないと言ったら、嘘になる。
「でも、てことは、昨夜、本当に手術はあったんだ…」
その認識は、得体の知れない不安と同居していた。
手術が本当なら、後のことも、全部…?
いやいや、そんなはずがない。
あんな馬鹿な出来事、起こっていいはずがない。
患者がゾンビみたいになって襲ってきたり、机やキャビネットがパレードするみたいに練り歩いてきたり、ましてや僕の体内に…。
「覚えてないんですか? あ、そうか。早い段階から、全身麻酔かけられてたんですね」
僕の右手首に血圧計を取りつけながら、乙都が言う。
「全身麻酔…。ああ、そうかも」
僕はICUに運ばれる前、この病室で全身麻酔をかけられた。
後のことは、その時に見た夢と考えれば、一応、筋は通る。
「乙都は、ゆうべはいなかったんだよね?」
念のため、訊いてみた。
「はい。きのうは私、勤務の後は寮の自室で、VRシミュレーターの自宅研修してましたから。たぶん、レンゲちゃんも同じように自分の部屋で」
「VRか…。その内容は、どんなのだった?」
「それが、よく覚えてなくて」
目だけで乙都が破顔する。
「いつもそうなんですけど、催眠学習ってやつなんですかね。朝起きると全然記憶に残ってないんですよ。ただ、やたら身体の節々が痛くて、汗をびっしょりかいていて…」
「記憶に、ない…か」
そういえば、夜の乙都や先生は、そんなことを言っていた。
昼間の乙都たちは、夜のことを、何も覚えていないと…。
「あれ? どうしたんですか? これ?」
乙都が頓狂な声で叫んだのは、その時だった。
「ん? どうしたの?」
僕は血圧の計測を終えて、点滴パックの点検を始めた乙都に、そう声をかけた。
何を思ったのか、乙都は点滴スタンドを持ち上げ、台座のあたりをしげしげと見つめている。
「スタンドの台がすごくへこんでるんですけど…。支柱もかなり曲がってるし…。ひょっとして、寝てる時に思いっきり身体をぶつけちゃったとか? でも、人の躰が当たったぐらいで、こんなことになるものかしら…?」
マジかよ。
僕は絶句した。
点滴スタンドといえば、思い出すのはただひとつだった。
それは、ブラックナースに変身した蓮月が、ゆうべ武器として振り回していたものなのだ。
開いたカーテンと天井のすき間から窓の上部が見え、そこから明るい青空の一部がのぞいている。
僕は全身ぐっしょり汗をかいていた。
病衣が身体中に貼りつき、異臭を放っている。
リモコンを探り当て、ベッドの角度を変える。
左手首に点滴のチューブが差し込まれ、部屋の隅の点滴スタンドからぶら下がったビニールパックににつながっている。
右手の人差し指にくっついている洗濯ばさみみたいなものは、酸素濃度の検知器である。
病衣のはだけた胸元からは、あばらの浮き出た胸に貼りつけられた心電図用の吸盤が見える。
ゆうべ、眠る前とどこも変わっていなかった。
とてつもなく長い悪夢を見ていた気がした。
そう、やはりあれは夢だったのだ。
堕天使みたいな姿に変身した先生と乙都たち。
そしてICUに向かう途中で遭遇した化け物ども。
更に不快だったのは、あのおぞましい手術…。
僕は動脈と尿道に、ステントの代わりに生きた蚯蚓みたいな生き物を挿入されたのだ…。
その後見た光景となると、もう、わけがわからない。
幽体離脱して天井から見下ろした謎めいた物体…。
あれは、確かに、バラバラに解体された人体だった。
網の目のような血管につながれた内臓の集合体。
まさかあれが…。
「颯太さーん、起きてますかー?」
物思いにふけっていると、滋味に富んだ若い女性の声が僕を呼んだ。
「あ、うん」
ひびわれた声で返事をすると、カーテンが開いて乙都が顏をのぞかせた。
白いマスクに青いナース服。
よかった。
思わず安堵の吐息が漏れた。
これは間違いなく、見習い看護師の、あのやさしいほうの乙都だ。
「手術、うまくいったみたいですね」
マスクから出た大きな目を笑いの形に細めて、乙都が言った。
「泰良先生の伝言メモ読みました。ほんと、よかったです。私、心の中でずっと応援してたんですよ」
「あ、ありがとう」
僕は赤くなった。
乙都にそう言われて、うれしくないと言ったら、嘘になる。
「でも、てことは、昨夜、本当に手術はあったんだ…」
その認識は、得体の知れない不安と同居していた。
手術が本当なら、後のことも、全部…?
いやいや、そんなはずがない。
あんな馬鹿な出来事、起こっていいはずがない。
患者がゾンビみたいになって襲ってきたり、机やキャビネットがパレードするみたいに練り歩いてきたり、ましてや僕の体内に…。
「覚えてないんですか? あ、そうか。早い段階から、全身麻酔かけられてたんですね」
僕の右手首に血圧計を取りつけながら、乙都が言う。
「全身麻酔…。ああ、そうかも」
僕はICUに運ばれる前、この病室で全身麻酔をかけられた。
後のことは、その時に見た夢と考えれば、一応、筋は通る。
「乙都は、ゆうべはいなかったんだよね?」
念のため、訊いてみた。
「はい。きのうは私、勤務の後は寮の自室で、VRシミュレーターの自宅研修してましたから。たぶん、レンゲちゃんも同じように自分の部屋で」
「VRか…。その内容は、どんなのだった?」
「それが、よく覚えてなくて」
目だけで乙都が破顔する。
「いつもそうなんですけど、催眠学習ってやつなんですかね。朝起きると全然記憶に残ってないんですよ。ただ、やたら身体の節々が痛くて、汗をびっしょりかいていて…」
「記憶に、ない…か」
そういえば、夜の乙都や先生は、そんなことを言っていた。
昼間の乙都たちは、夜のことを、何も覚えていないと…。
「あれ? どうしたんですか? これ?」
乙都が頓狂な声で叫んだのは、その時だった。
「ん? どうしたの?」
僕は血圧の計測を終えて、点滴パックの点検を始めた乙都に、そう声をかけた。
何を思ったのか、乙都は点滴スタンドを持ち上げ、台座のあたりをしげしげと見つめている。
「スタンドの台がすごくへこんでるんですけど…。支柱もかなり曲がってるし…。ひょっとして、寝てる時に思いっきり身体をぶつけちゃったとか? でも、人の躰が当たったぐらいで、こんなことになるものかしら…?」
マジかよ。
僕は絶句した。
点滴スタンドといえば、思い出すのはただひとつだった。
それは、ブラックナースに変身した蓮月が、ゆうべ武器として振り回していたものなのだ。
0
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語
六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる