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#32 夢の中の夢③
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「え? ど、どうしてですか?」
意外な言葉に、僕は手首をつかまれたまま女刑事の顔を見つめ返す。
「ボタンの掛け違いってこともあるでしょ? あるいはこうかな。コーヒーに砂糖を入れようとして、間違えてうっかりカツオ出し入れちゃったみたいな。ほら、スティックタイプのやつだと、よくあるのよね。私、近眼だから」
真面目な顔でそんなこと言われても、何のたとえかさっぱりわからない。
第一、僕の質問の答えになっていないだろう。
血痕はエレベーターの箱の中にもあって、怪我人がエレベーターで2階へ上がったことはもう明らかだった。
「いくら呼んでも反応ないし、かなりの間郵便受けも開けた形跡ないから、大家叩き起こして鍵借りてきたってわけ」
ヒールの踵の音を立てて階段を登りながら、泰良瑞季刑事が続けた。
「血痕、踏まないように注意して」
女刑事の名前、タイラミズキは、泰良瑞季と書く。
訊きもしないのに、自己紹介ついでに、彼女はそう説明してくれた。
泰良女史は、クールなようでいてどこか愛嬌のある、妙につかみどころのない刑事だった。
その瑞季刑事が長い手を伸ばして、202号室の鍵穴に鍵を差し仕込んだ。
なるほど、その下の新聞受けからは、何日分かの新聞がはみ出ている。
ガチャリと、鍵が回る音がした。
「開けるよ」
刑事が慎重にドアを手前に引いた。
「私たちが先に」
制服警官がふたり、先に立って開いたドアのすき間に滑り込む。
「行こう。ドアや壁に触らないでね」
しばらく待ってから、泰良刑事がドアのすき間を顎でしゃくり、するりと中に入っていった。
仕方ない。
ここまで来て、逃げるわけにもいかなかった。
ざわつく胸を押さえて、躰を斜めにし、ドアのすき間を通り抜けた。
狭い玄関。
短い廊下。
右側にユニットバス、キッチンと続き、正面が6畳の洋間。
中は非常灯だけの明かりで、薄暗い。
当たり前だが、僕の部屋と全く同じ間取りである。
「生活臭がないね」
周囲を見回し、泰良刑事が誰にともなくつぶやいた。
「今の若い男の子がいくら草食系だといっても、ベッドぐらいあってもよさそうなもんだ」
「ですが、ついさっきまで、誰かがここにいたようですね」
長身の警官が、部屋の真ん中のあるものを指差して言った。
床で何かがぼうっと光を放っている。
「何?」
僕の手を取って、女刑事が前に進み出た。
床に、蓋を開いたノートパソコンがじかに置かれている。
今の今まで、警官たちの陰になって見えなかったのだ。
僕は瞬間、心臓が止まるかと思った。
自分の部屋に舞い戻ったかのような、そんな錯覚に陥ったからだった。
パソコンの画面には、何かが映っていた。
肌色をした、何か。
パソコンの前に片膝をつき、画面をのぞきこんだ泰良刑事がハッと息を呑んだ。
「これは・・・基盤?」
僕は後退った。
頭の中で誰かが金切り声で警報を発している。
見ちゃいけない! 見ちゃいけない!
「ちょっと、少年」
泰良刑事が振り向いた。
愛嬌のある丸眼鏡の奥から、不似合いに鋭い目が僕をねめつけている。
「ここに来て、よく見てごらんなさい。あなた、これに、見覚えがあるんでしょう?」
意外な言葉に、僕は手首をつかまれたまま女刑事の顔を見つめ返す。
「ボタンの掛け違いってこともあるでしょ? あるいはこうかな。コーヒーに砂糖を入れようとして、間違えてうっかりカツオ出し入れちゃったみたいな。ほら、スティックタイプのやつだと、よくあるのよね。私、近眼だから」
真面目な顔でそんなこと言われても、何のたとえかさっぱりわからない。
第一、僕の質問の答えになっていないだろう。
血痕はエレベーターの箱の中にもあって、怪我人がエレベーターで2階へ上がったことはもう明らかだった。
「いくら呼んでも反応ないし、かなりの間郵便受けも開けた形跡ないから、大家叩き起こして鍵借りてきたってわけ」
ヒールの踵の音を立てて階段を登りながら、泰良瑞季刑事が続けた。
「血痕、踏まないように注意して」
女刑事の名前、タイラミズキは、泰良瑞季と書く。
訊きもしないのに、自己紹介ついでに、彼女はそう説明してくれた。
泰良女史は、クールなようでいてどこか愛嬌のある、妙につかみどころのない刑事だった。
その瑞季刑事が長い手を伸ばして、202号室の鍵穴に鍵を差し仕込んだ。
なるほど、その下の新聞受けからは、何日分かの新聞がはみ出ている。
ガチャリと、鍵が回る音がした。
「開けるよ」
刑事が慎重にドアを手前に引いた。
「私たちが先に」
制服警官がふたり、先に立って開いたドアのすき間に滑り込む。
「行こう。ドアや壁に触らないでね」
しばらく待ってから、泰良刑事がドアのすき間を顎でしゃくり、するりと中に入っていった。
仕方ない。
ここまで来て、逃げるわけにもいかなかった。
ざわつく胸を押さえて、躰を斜めにし、ドアのすき間を通り抜けた。
狭い玄関。
短い廊下。
右側にユニットバス、キッチンと続き、正面が6畳の洋間。
中は非常灯だけの明かりで、薄暗い。
当たり前だが、僕の部屋と全く同じ間取りである。
「生活臭がないね」
周囲を見回し、泰良刑事が誰にともなくつぶやいた。
「今の若い男の子がいくら草食系だといっても、ベッドぐらいあってもよさそうなもんだ」
「ですが、ついさっきまで、誰かがここにいたようですね」
長身の警官が、部屋の真ん中のあるものを指差して言った。
床で何かがぼうっと光を放っている。
「何?」
僕の手を取って、女刑事が前に進み出た。
床に、蓋を開いたノートパソコンがじかに置かれている。
今の今まで、警官たちの陰になって見えなかったのだ。
僕は瞬間、心臓が止まるかと思った。
自分の部屋に舞い戻ったかのような、そんな錯覚に陥ったからだった。
パソコンの画面には、何かが映っていた。
肌色をした、何か。
パソコンの前に片膝をつき、画面をのぞきこんだ泰良刑事がハッと息を呑んだ。
「これは・・・基盤?」
僕は後退った。
頭の中で誰かが金切り声で警報を発している。
見ちゃいけない! 見ちゃいけない!
「ちょっと、少年」
泰良刑事が振り向いた。
愛嬌のある丸眼鏡の奥から、不似合いに鋭い目が僕をねめつけている。
「ここに来て、よく見てごらんなさい。あなた、これに、見覚えがあるんでしょう?」
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