287 / 288
第8部 妄執のハーデス
#135 別れの時
しおりを挟む
流出…?
その言葉が何かの合図ででもあったかのように、再び世界が暗転した。
一瞬、断絶したかに思われた意識が元の連続性を取り戻した時には、杏里はまた暗闇の中にたたずんでいた。
見上げる位置にあるのは、黄金色の蜜のような液体を満たしたあの巨大な円筒である。
今のは、夢…?
自分が質素なワンピース姿に戻っていることに気づいて、ふと杏里は思った。
光あふれる白い部屋で、もうひとりの私を抱いた、あのめくるめく体験は、全部夢だったの?
円筒の中を、クリオネそっくりの影が浮遊している。
銀色の髪に囲まれたその丸い頭部の中心から、真紅の目が杏里を見つめていた。
-夢といえば夢だけど、おまえの夢ではないー
意味ありげに口角を吊り上げながら、サイコジェニーが”言った”。
-あれはいわばあたしの見た夢。だからおまえにとっては、ある意味リアルなのさー
なんのことかわからない。
ただひとつ言えるのは、あれが誰の夢だったにせよ、杏里の中で何かが変わったというそのことだ。
強くなった、というのとは少し違う。
空虚な部分に何かが充填され、その分、存在自体が安定したような、そんな感じ…。
ただ、由羅を失った傷は深い。
心の隅にその痛みは固いしこりとなってわだかまったままだ。
が、それでも、笹原杏里という存在自体は、以前より、なんとなく密度が高くなった気がする。
世界における存在感が増したとでもいうのか…。
「流出って、何なの?」
浮遊する魂のようなジェニーに向かって、杏里はたずねた。
「あなた、前にも言ってたよね。その言葉」
そう。
私にだけでなく、零にもその”流出”が始まったのだとか、確かそんな意味不明の言葉を、あの戦いのさなかに囁かれたような気がするのだ。
-今はその言葉自体を記憶に留めておけばいい。高次のレベルの概念を一気に理解しようとするのは、どだい今のおまえには無理な話さ。それより、少し外来種について話そうか。我々、原種薔薇保存委員会は、最近ひとつの命題にかかりっきりになっている。それは、こんな謎だ。外来種を、いつ、誰がこの地球に持ち込んだのか、ということさ。セイヨウタンポポ、ミシシッピアカミミガメ、アリゲーターガー、ブルーギル…。現在、池や沼にはびこり、在来種を駆逐するそれらの外来生物たちをこの国に持ち込んだのは、まぎれもなく人間だ。ならば、人類の天敵足りうる黒野零たち”外来種”についても、当然、地球に持ち込んだ者がいるはずだ。そうじゃないか?ー
外来種を、持ち込んだ者?
急にスケールの大きくなった話の内容に、杏里は目をしばたたかせた。
あらゆる点で人間を超える彼ら外来種。
それを持ち込んだ者が存在するとすれば、それは当然、外来種をすら、はるかに超える者ということになる…。
-まあ、今すぐ結論の出る事例ではないさ。だから、杏里、私はこれからのおまえの活躍に期待しているんだ。今回の”淘汰”をきっかけに、おまえは不死身の肉体と、究極のエロスを手に入れた。そのふたつがあれば、おそらくおまえは、今後、永遠に近い生を生きることも可能だろう。実は私は、おまえを見守ることで、その大いなる謎に迫っていけるんじゃないかとと考えているんだ。今、何食わぬ顔で人間社会に溶け込み、裏でひそやかな殺戮をくり返しながら息を潜めている外来種たち。彼らはいずれまたおまえに狙いをつけ、次から次へと襲いかかってくるだろう。おまえはタナトスとして人間たちのストレスを浄化しつつ、彼らと戦い続けることになる。その過程で、きっと何かがわかる。私には、そんな気がしてならないのさー
ゆっくりと回転しながら、ジェニーの”声”が遠くなっていく。
見ると、円筒がステージの中に徐々に沈み始めているのだった。
光が消えると同時に、杏里の背後で空気の漏れるような音が響いた。
エアロック状の扉が開き始めた音だ。
終わった。
その音に、杏里は何の前触れもなく、悟ったのだった。
戦いも、会見も、ここで行われた何もかもが、今…。
その言葉が何かの合図ででもあったかのように、再び世界が暗転した。
一瞬、断絶したかに思われた意識が元の連続性を取り戻した時には、杏里はまた暗闇の中にたたずんでいた。
見上げる位置にあるのは、黄金色の蜜のような液体を満たしたあの巨大な円筒である。
今のは、夢…?
自分が質素なワンピース姿に戻っていることに気づいて、ふと杏里は思った。
光あふれる白い部屋で、もうひとりの私を抱いた、あのめくるめく体験は、全部夢だったの?
円筒の中を、クリオネそっくりの影が浮遊している。
銀色の髪に囲まれたその丸い頭部の中心から、真紅の目が杏里を見つめていた。
-夢といえば夢だけど、おまえの夢ではないー
意味ありげに口角を吊り上げながら、サイコジェニーが”言った”。
-あれはいわばあたしの見た夢。だからおまえにとっては、ある意味リアルなのさー
なんのことかわからない。
ただひとつ言えるのは、あれが誰の夢だったにせよ、杏里の中で何かが変わったというそのことだ。
強くなった、というのとは少し違う。
空虚な部分に何かが充填され、その分、存在自体が安定したような、そんな感じ…。
ただ、由羅を失った傷は深い。
心の隅にその痛みは固いしこりとなってわだかまったままだ。
が、それでも、笹原杏里という存在自体は、以前より、なんとなく密度が高くなった気がする。
世界における存在感が増したとでもいうのか…。
「流出って、何なの?」
浮遊する魂のようなジェニーに向かって、杏里はたずねた。
「あなた、前にも言ってたよね。その言葉」
そう。
私にだけでなく、零にもその”流出”が始まったのだとか、確かそんな意味不明の言葉を、あの戦いのさなかに囁かれたような気がするのだ。
-今はその言葉自体を記憶に留めておけばいい。高次のレベルの概念を一気に理解しようとするのは、どだい今のおまえには無理な話さ。それより、少し外来種について話そうか。我々、原種薔薇保存委員会は、最近ひとつの命題にかかりっきりになっている。それは、こんな謎だ。外来種を、いつ、誰がこの地球に持ち込んだのか、ということさ。セイヨウタンポポ、ミシシッピアカミミガメ、アリゲーターガー、ブルーギル…。現在、池や沼にはびこり、在来種を駆逐するそれらの外来生物たちをこの国に持ち込んだのは、まぎれもなく人間だ。ならば、人類の天敵足りうる黒野零たち”外来種”についても、当然、地球に持ち込んだ者がいるはずだ。そうじゃないか?ー
外来種を、持ち込んだ者?
急にスケールの大きくなった話の内容に、杏里は目をしばたたかせた。
あらゆる点で人間を超える彼ら外来種。
それを持ち込んだ者が存在するとすれば、それは当然、外来種をすら、はるかに超える者ということになる…。
-まあ、今すぐ結論の出る事例ではないさ。だから、杏里、私はこれからのおまえの活躍に期待しているんだ。今回の”淘汰”をきっかけに、おまえは不死身の肉体と、究極のエロスを手に入れた。そのふたつがあれば、おそらくおまえは、今後、永遠に近い生を生きることも可能だろう。実は私は、おまえを見守ることで、その大いなる謎に迫っていけるんじゃないかとと考えているんだ。今、何食わぬ顔で人間社会に溶け込み、裏でひそやかな殺戮をくり返しながら息を潜めている外来種たち。彼らはいずれまたおまえに狙いをつけ、次から次へと襲いかかってくるだろう。おまえはタナトスとして人間たちのストレスを浄化しつつ、彼らと戦い続けることになる。その過程で、きっと何かがわかる。私には、そんな気がしてならないのさー
ゆっくりと回転しながら、ジェニーの”声”が遠くなっていく。
見ると、円筒がステージの中に徐々に沈み始めているのだった。
光が消えると同時に、杏里の背後で空気の漏れるような音が響いた。
エアロック状の扉が開き始めた音だ。
終わった。
その音に、杏里は何の前触れもなく、悟ったのだった。
戦いも、会見も、ここで行われた何もかもが、今…。
0
お気に入りに追加
52
あなたにおすすめの小説
いつもと違う日常
k33
ホラー
ある日 高校生のハイトはごく普通の日常をおくっていたが...学校に行く途中 空を眺めていた そしたら バルーンが空に飛んでいた...そして 学校につくと...窓にもバルーンが.....そして 恐怖のゲームが始まろうとしている...果たして ハイトは..この数々の恐怖のゲームを クリアできるのか!? そして 無事 ゲームクリアできるのか...そして 現実世界に戻れるのか..恐怖のデスゲーム..開幕!
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

終焉の教室
シロタカズキ
ホラー
30人の高校生が突如として閉じ込められた教室。
そこに響く無機質なアナウンス――「生き残りをかけたデスゲームを開始します」。
提示された“課題”をクリアしなければ、容赦なく“退場”となる。
最初の課題は「クラスメイトの中から裏切り者を見つけ出せ」。
しかし、誰もが疑心暗鬼に陥る中、タイムリミットが突如として加速。
そして、一人目の犠牲者が決まった――。
果たして、このデスゲームの真の目的は?
誰が裏切り者で、誰が生き残るのか?
友情と疑念、策略と裏切りが交錯する極限の心理戦が今、幕を開ける。

女子切腹同好会
しんいち
ホラー
どこにでもいるような平凡な女の子である新瀬有香は、学校説明会で出会った超絶美人生徒会長に憧れて私立の女子高に入学した。そこで彼女を待っていたのは、オゾマシイ運命。彼女も決して正常とは言えない思考に染まってゆき、流されていってしまう…。
はたして、彼女の行き着く先は・・・。
この話は、切腹場面等、流血を含む残酷シーンがあります。御注意ください。
また・・・。登場人物は、だれもかれも皆、イカレテいます。イカレタ者どものイカレタ話です。決して、マネしてはいけません。
マネしてはいけないのですが……。案外、あなたの近くにも、似たような話があるのかも。
世の中には、知らなくて良いコト…知ってはいけないコト…が、存在するのですよ。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる