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第8部 妄執のハーデス
#54 バトルロイヤル⑧
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エスカレーターでもう1階下がったB2フロアが、宿泊施設になっていた。
窓のない長い廊下の左右に、味気ない鉄の扉が5つずつ、計10部屋分、並んでいる。
扉にはAからJまで、アルファベットのプレートがはめ込まれていた。
研修は、土、日、月の3日間である。
その間、ここに泊まれということらしい。
腕時計に目をやると、まだ昼の2時を少し過ぎたところだった。
1回戦は7時からだと、北条は言った。
ということは、まだ5時間近くもある。
杏里たちがC号室に近づくと、隣のB号室の扉を、ちょうどふたりの少女が開けようとしているところだった。
まるでバトミントンかテニスのペアみたいな、ボーイッシュな感じの女子たちである。
よく日に焼けているほうがパトスで、肌の白い、どこか色っぽいほうがタナトスだろうか。
杏里たちに気づくと、小麦色の肌の女子が、気さくな口調で話しかけてきた。
「お互い、いやになっちまうよね。毒針が仕掛けてあるとかさあ、そんなのうそっぱちに決まってるじゃん」
金属の輪が嵌った左手首をさすりながら、おどけたように肩をすくめてみせる。
「それはどうかな」
答えたのは、由羅だった。
「委員会の連中は、うちらを虫けらとしか思ってない。そのくらいのことは、平気でやるんじゃないかな」
「だったら尚更、そんな遠隔操作の装置なんてお金のかかるもの、使わないでしょ? そのへんうろうろしてる警官に、ピストルで撃たせればそれで終わりじゃん」
「タナトスは銃弾くらいじゃ死なないだろ? パトスの中にもかなりやばいやつがいそうだしさ」
「まあねえ。とにかく、ひと休みしたら、あたしらで試してみるよ。死んだら死んだで、運が悪かったってことで」
日焼け少女は、けらけら笑いながら相棒の肩を抱くと、扉を長い脚で蹴り開けて、中に入っていってしまった。
杏里は由羅と顔を見合わせた。
ひと口にパトスとタナトスと言っても、色々なタイプがいるものだ。
そう思ったのである。
鉄製のシングルベッドがひとつあるきりの、おそろしく粗末な部屋だった。
壁も床も天井も灰色のコンクリートがむき出しで、ユニットバスとの間には、腰までの高さの仕切りしかない。
窓はなく、照明は切れかかった蛍光灯が2本だけ。
「刑務所のほうがまだましだな」
吐き捨てるように、由羅がつぶやいた。
「座れよ。疲れただろ」
ベッドのほうを顎でしゃくって、杏里を促した。
「ううん、由羅こそ」
首を振ると、
「うちはいいんだよ」
由羅も立ったまま、動こうとしない。
「じゃ、一緒に」
杏里は由羅の手を取ると、まず自分がベッドの端に腰かけ、それから由羅を引き寄せた。
こんなふうに、体を寄せ合うのって、久しぶり。
由羅の体温を体の片側に感じていると、張り詰めていたものがするするとほどけていく気がした。
「ねえ、由羅」
あふれそうな何かを押さえ切れず、杏里はおずおずと口を開いた。
「どう思う?」
「どう思うって、何が?」
由羅は変に緊張しているようだ。
会議室では始終堂々とふるまっていたのに、ふたりっきりになったとたん、態度がぎこちない。
「勝ち残るには、仲間を6人も殺さなきゃならないんだよ? そんなこと、できると思う?」
1回戦で8チームが対戦する。
2回戦ではそれが4チームに減っているはずだ。
そして3回戦は、その勝者の2チームが戦うから、1組ふたりとして、敵は計6人。
「あの3人組がいるから、7人かもな」
ぶっきらぼうに、由羅が言う。
「私、いや。そんなの」
杏里は、自分の声が震えていることに気づいた。
押さえていた感情の波に、呑み込まれかけているのだ。
「零や、美里先生の時は、仕方なかったと思う。ああでもしなきゃ、私たち、皆殺しにされてたから。でも…」
「変わんないだろ? 今度だって」
杏里から視線を逸らしたまま、由羅がつぶやいた。
「やらなきゃ、やられるだけさ」
「でも、見ず知らずの人たちと殺し合うなんて、私にはできない。零や美里先生には、戦うべきそれなりの理由があったもの。あれは、自分でも納得の上だった。なのに、ここでは、みんな、さっき顔を合わせたばかり。私には、彼らに何の恨みもない…」
「別に、おまえに殺せとは言ってない」
ぎこちなく由羅の手が伸び、杏里の肩を抱いた。
「うちが全員殺すから、おまえは、見てるだけでいい」
髪をやさしく撫でられ、杏里はこらえきれず、由羅の胸に顔をうずめた。
「だめよ…由羅にだけ、そんなこと、させられない…」
「言っただろ? うちはおまえにいいとこ見せたいんだって」
由羅が笑って、杏里の肩に回した腕に力をこめる。
「だから、あの触手も使うな。おまえには誰にも、指一本触れさせないから」
「由羅…」
感極まって、キスをせがむように、杏里が濡れた瞳を上げた時だった。
突如として、激しく扉を叩く音がした。
「ねえ、見に来ない? あたしら、今からここ、脱出するからさあ」
杏里ははっと我に返り、由羅から離れた。
扉越しに聞こえてくるのは間違いなく、さっき部屋の前で別れた、隣のB号室の少女の声だったからである。
窓のない長い廊下の左右に、味気ない鉄の扉が5つずつ、計10部屋分、並んでいる。
扉にはAからJまで、アルファベットのプレートがはめ込まれていた。
研修は、土、日、月の3日間である。
その間、ここに泊まれということらしい。
腕時計に目をやると、まだ昼の2時を少し過ぎたところだった。
1回戦は7時からだと、北条は言った。
ということは、まだ5時間近くもある。
杏里たちがC号室に近づくと、隣のB号室の扉を、ちょうどふたりの少女が開けようとしているところだった。
まるでバトミントンかテニスのペアみたいな、ボーイッシュな感じの女子たちである。
よく日に焼けているほうがパトスで、肌の白い、どこか色っぽいほうがタナトスだろうか。
杏里たちに気づくと、小麦色の肌の女子が、気さくな口調で話しかけてきた。
「お互い、いやになっちまうよね。毒針が仕掛けてあるとかさあ、そんなのうそっぱちに決まってるじゃん」
金属の輪が嵌った左手首をさすりながら、おどけたように肩をすくめてみせる。
「それはどうかな」
答えたのは、由羅だった。
「委員会の連中は、うちらを虫けらとしか思ってない。そのくらいのことは、平気でやるんじゃないかな」
「だったら尚更、そんな遠隔操作の装置なんてお金のかかるもの、使わないでしょ? そのへんうろうろしてる警官に、ピストルで撃たせればそれで終わりじゃん」
「タナトスは銃弾くらいじゃ死なないだろ? パトスの中にもかなりやばいやつがいそうだしさ」
「まあねえ。とにかく、ひと休みしたら、あたしらで試してみるよ。死んだら死んだで、運が悪かったってことで」
日焼け少女は、けらけら笑いながら相棒の肩を抱くと、扉を長い脚で蹴り開けて、中に入っていってしまった。
杏里は由羅と顔を見合わせた。
ひと口にパトスとタナトスと言っても、色々なタイプがいるものだ。
そう思ったのである。
鉄製のシングルベッドがひとつあるきりの、おそろしく粗末な部屋だった。
壁も床も天井も灰色のコンクリートがむき出しで、ユニットバスとの間には、腰までの高さの仕切りしかない。
窓はなく、照明は切れかかった蛍光灯が2本だけ。
「刑務所のほうがまだましだな」
吐き捨てるように、由羅がつぶやいた。
「座れよ。疲れただろ」
ベッドのほうを顎でしゃくって、杏里を促した。
「ううん、由羅こそ」
首を振ると、
「うちはいいんだよ」
由羅も立ったまま、動こうとしない。
「じゃ、一緒に」
杏里は由羅の手を取ると、まず自分がベッドの端に腰かけ、それから由羅を引き寄せた。
こんなふうに、体を寄せ合うのって、久しぶり。
由羅の体温を体の片側に感じていると、張り詰めていたものがするするとほどけていく気がした。
「ねえ、由羅」
あふれそうな何かを押さえ切れず、杏里はおずおずと口を開いた。
「どう思う?」
「どう思うって、何が?」
由羅は変に緊張しているようだ。
会議室では始終堂々とふるまっていたのに、ふたりっきりになったとたん、態度がぎこちない。
「勝ち残るには、仲間を6人も殺さなきゃならないんだよ? そんなこと、できると思う?」
1回戦で8チームが対戦する。
2回戦ではそれが4チームに減っているはずだ。
そして3回戦は、その勝者の2チームが戦うから、1組ふたりとして、敵は計6人。
「あの3人組がいるから、7人かもな」
ぶっきらぼうに、由羅が言う。
「私、いや。そんなの」
杏里は、自分の声が震えていることに気づいた。
押さえていた感情の波に、呑み込まれかけているのだ。
「零や、美里先生の時は、仕方なかったと思う。ああでもしなきゃ、私たち、皆殺しにされてたから。でも…」
「変わんないだろ? 今度だって」
杏里から視線を逸らしたまま、由羅がつぶやいた。
「やらなきゃ、やられるだけさ」
「でも、見ず知らずの人たちと殺し合うなんて、私にはできない。零や美里先生には、戦うべきそれなりの理由があったもの。あれは、自分でも納得の上だった。なのに、ここでは、みんな、さっき顔を合わせたばかり。私には、彼らに何の恨みもない…」
「別に、おまえに殺せとは言ってない」
ぎこちなく由羅の手が伸び、杏里の肩を抱いた。
「うちが全員殺すから、おまえは、見てるだけでいい」
髪をやさしく撫でられ、杏里はこらえきれず、由羅の胸に顔をうずめた。
「だめよ…由羅にだけ、そんなこと、させられない…」
「言っただろ? うちはおまえにいいとこ見せたいんだって」
由羅が笑って、杏里の肩に回した腕に力をこめる。
「だから、あの触手も使うな。おまえには誰にも、指一本触れさせないから」
「由羅…」
感極まって、キスをせがむように、杏里が濡れた瞳を上げた時だった。
突如として、激しく扉を叩く音がした。
「ねえ、見に来ない? あたしら、今からここ、脱出するからさあ」
杏里ははっと我に返り、由羅から離れた。
扉越しに聞こえてくるのは間違いなく、さっき部屋の前で別れた、隣のB号室の少女の声だったからである。
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