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翌朝九時に起き、近所の喫茶店で時間ぎりぎりのモーニングを食べ、ちょっと迷った末、結局地下鉄に乗った。名古屋駅まで約二十分。GW中だけあって、地下鉄の中も駅の構内もさすがに混んでいた。人込みを泳ぎ抜けるようにして、地上に上がる。地下街を歩くより、外の方が人が少ない分移動が楽だ。高島屋の横から名古屋駅のホームに入り、そのまま新幹線乗り場の方へと早足に歩きだす。大きなトラベルバッグをゴロゴロ引っ張っている旅行者や家族連れの間を縫うように進みながら、駅裏に出た。覇を競ってそびえる予備校のビル群の間から真っ青な空が見える。気温はぐんぐん上がり、まだ正午前だというのに僕は全身しっかりと汗ばんでしまっていた。
昨夜の「訪問者」が本物の石川君である保証は何もない。むしろやりたい放題のネット世界だ。誰かが僕をはめようとしている可能性は大いにある。しかし、である。そんなことをしていったい誰が得をするというのだ。僕は無名極まりない十八歳の大学生にすぎない。罠にはめる価値なんて皆無といっていいだろう。名古屋に出てきて間がないから、悪戯を仕掛けてくるほど親しい友達もいない。それに、と今更のように思う。あれはあまりにも石川典夫そのものだった。外見もしゃべり方もすべて、僕の記憶にある高校二年生の彼そっくりだったのだ。
レジャックの方へ駅裏を歩いて行くと、だんだん雰囲気があやしくなってくる。笹島の交差点を境に、西方面は特にいけない。頭上を高架が何本も走っているせいで周囲は薄暗いし、心なしか建物もさびれた感じのものが増えてくる。石川君の指定したガード下は、まさにその裏の裏世界の象徴だった。放置自転車と、散乱する煙草の吸殻。ずいぶん前に名古屋駅付近は歩き煙草禁止区域になったはずなのだが、ここはその条例とまるで無縁のようだ。狭い歩道に立ち止まり、僕はあたりを見回した。ガードレールを隔ててひっきりなしにすぐわきを車が走り抜けていく以外、人気もないし、見るべきものは何もない。
やっぱり悪戯だったのか。
ため息交じりに煙草に火をつけ、一息吸い込んだとき、僕は瞬間、ん?となった。頭上の高架を支える巨大なコンクリート脚部が右手の壁になっているのだが、その汚れた表面に赤い塗料で何か描いてあるのだ。とてつもなくでかい渦巻きの模様。蚊取り線香みたいな形、といえばわかってもらえるだろうか。そのほどけた先端は一本の紐になり、頭の上の線路に届かんばかりに伸びあがっている。しかもよく見ると、その模様は塗料でコンクリ―トの表面に描かれているのではなく、中からぼんやりと浮かび上がっているのだった。見ているだけでめまいがしそうだ。いったいだれが、何のために、いやその前にいったいどうやってこんな落書きをしたのか。
もちろん、僕ごときが考えて答えの出ることではない。ふと、石川君はこれを見せたかったのではないか、という気がした。でも、見てどうしろというのだろう?
短くなった煙草を、僕は歩道わきの排水溝に落とした。ポイ捨てには変わりないわけだが、路上に落とすより良心の痛みが少ないので、いつもそうしている。が、いつもと大いに違ったのは、ふいに排水溝の中からギャッという悲鳴が聞こえてきたことだった。僕はあわてて足元の四角い鉄格子を覗き込んだ。黒々とした闇が広がっている。予想よりずっと深い。突然、その闇の中にぽっかりと目が開いた。血走った、明らかに怒りをみなぎらせた目だ。僕は反射的に飛びのいた。逃げるべく、足が勝手に動き出していた。本能が小脳のあたりで金切り声のSOSを発信しているのがわかった。ゴゴゴ、路面が波打ち始めた。バランスを崩して尻もちをついた僕の目の前で、バンっと排水溝の鉄格子の蓋がはじけ飛んで、ちょうど運悪く横を走ってきたタクシーのフロントガラスを一撃で粉砕した。そしてー。
丸太ほどもある太い一本の触手が、穴から伸び出してきた。吸盤だらけの肉色をしたそれは先端に目を持っていた。闇の底から僕をにらみつけていたのは、こいつだったのだ!
ありえなかった。排水溝の地下にこんな化け物がいるなんて、断じて僕は聞いていない。が、憤っているひまはなかった。僕は態勢を立て直すと、表通りの方へ走りだそうとした。触手が獲物ーつまり僕を見つけて、鎌首をもたげるキングコブラよろしく向きを変えた。僕がダッシュするのと、触手が地面を水平に薙ぎ払うのとがほとんど同時だった。つま先を触手がかすめ、僕はその衝撃波で毬のように転がった。その時、尻ポケットの中で携帯が鳴った。
昨夜の「訪問者」が本物の石川君である保証は何もない。むしろやりたい放題のネット世界だ。誰かが僕をはめようとしている可能性は大いにある。しかし、である。そんなことをしていったい誰が得をするというのだ。僕は無名極まりない十八歳の大学生にすぎない。罠にはめる価値なんて皆無といっていいだろう。名古屋に出てきて間がないから、悪戯を仕掛けてくるほど親しい友達もいない。それに、と今更のように思う。あれはあまりにも石川典夫そのものだった。外見もしゃべり方もすべて、僕の記憶にある高校二年生の彼そっくりだったのだ。
レジャックの方へ駅裏を歩いて行くと、だんだん雰囲気があやしくなってくる。笹島の交差点を境に、西方面は特にいけない。頭上を高架が何本も走っているせいで周囲は薄暗いし、心なしか建物もさびれた感じのものが増えてくる。石川君の指定したガード下は、まさにその裏の裏世界の象徴だった。放置自転車と、散乱する煙草の吸殻。ずいぶん前に名古屋駅付近は歩き煙草禁止区域になったはずなのだが、ここはその条例とまるで無縁のようだ。狭い歩道に立ち止まり、僕はあたりを見回した。ガードレールを隔ててひっきりなしにすぐわきを車が走り抜けていく以外、人気もないし、見るべきものは何もない。
やっぱり悪戯だったのか。
ため息交じりに煙草に火をつけ、一息吸い込んだとき、僕は瞬間、ん?となった。頭上の高架を支える巨大なコンクリート脚部が右手の壁になっているのだが、その汚れた表面に赤い塗料で何か描いてあるのだ。とてつもなくでかい渦巻きの模様。蚊取り線香みたいな形、といえばわかってもらえるだろうか。そのほどけた先端は一本の紐になり、頭の上の線路に届かんばかりに伸びあがっている。しかもよく見ると、その模様は塗料でコンクリ―トの表面に描かれているのではなく、中からぼんやりと浮かび上がっているのだった。見ているだけでめまいがしそうだ。いったいだれが、何のために、いやその前にいったいどうやってこんな落書きをしたのか。
もちろん、僕ごときが考えて答えの出ることではない。ふと、石川君はこれを見せたかったのではないか、という気がした。でも、見てどうしろというのだろう?
短くなった煙草を、僕は歩道わきの排水溝に落とした。ポイ捨てには変わりないわけだが、路上に落とすより良心の痛みが少ないので、いつもそうしている。が、いつもと大いに違ったのは、ふいに排水溝の中からギャッという悲鳴が聞こえてきたことだった。僕はあわてて足元の四角い鉄格子を覗き込んだ。黒々とした闇が広がっている。予想よりずっと深い。突然、その闇の中にぽっかりと目が開いた。血走った、明らかに怒りをみなぎらせた目だ。僕は反射的に飛びのいた。逃げるべく、足が勝手に動き出していた。本能が小脳のあたりで金切り声のSOSを発信しているのがわかった。ゴゴゴ、路面が波打ち始めた。バランスを崩して尻もちをついた僕の目の前で、バンっと排水溝の鉄格子の蓋がはじけ飛んで、ちょうど運悪く横を走ってきたタクシーのフロントガラスを一撃で粉砕した。そしてー。
丸太ほどもある太い一本の触手が、穴から伸び出してきた。吸盤だらけの肉色をしたそれは先端に目を持っていた。闇の底から僕をにらみつけていたのは、こいつだったのだ!
ありえなかった。排水溝の地下にこんな化け物がいるなんて、断じて僕は聞いていない。が、憤っているひまはなかった。僕は態勢を立て直すと、表通りの方へ走りだそうとした。触手が獲物ーつまり僕を見つけて、鎌首をもたげるキングコブラよろしく向きを変えた。僕がダッシュするのと、触手が地面を水平に薙ぎ払うのとがほとんど同時だった。つま先を触手がかすめ、僕はその衝撃波で毬のように転がった。その時、尻ポケットの中で携帯が鳴った。
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