激甚のタナトス ~世界でおまえが生きる意味について~【覚醒編】

戸影絵麻

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第2部 背徳のパトス

#11 杏里と闖入者

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 少年は注射器を持ち直した。
 こんなところで落として割ったりしたら、せっかくのチャンスが水の泡だ。
 注射器を持っていないほうの手で、音を立てぬよう、慎重にドアを開いていく。
 それにしても、と思う。
 この女、裸で何をやっているのだろう。
 今はベッドに横になって動かないでいるが、少し前まではひとりで色々なポーズをとっては呻いていた。
 自分で自分の体をいじめているようにも見えた。
 女はわからない、と改めて思った。
 少年は女が苦手だった。
 特に同い年の女子たちは騒がしくてがまんできない。
 それに、時折臭くなるときがある。
 生理、というのだろうか。
 あの生臭い臭いが少年にはどうにも耐えられないのだった。
 体が入るだけの隙間を確保して、いざ行動に移ろうと思ったときだった。
「何やってるんだ? おまえ」
 だしぬけに肩をつかまれ、少年は廊下に突き転がされた。
 !
 軽いパニックに陥った。
 転がるようにして、廊下の隅に逃げた。
 仰ぎ見ると、天井の非常灯の光を斜め横から受けて、奇妙な出で立ちの少女が立っていた。
 黒い革のベストに、同じく黒い革のマイクロミニ。
 脚にも膝まである黒いブーツを履いている。
 スリムなスタイルは、一見すると少年のようにも見える、
 が、かすかに胸が盛り上がり、腰がくびれていた。
 同い年くらいの少女であることは間違いない。
 全身黒ずくめというのも妙だったが、もっと人目を引くのがその顔だ。
 翼を開いた蝙蝠のような髪型。
 大きな目は黒く縁取られ、両側に鋭角に吊りあがっている。
 尖った小さな鼻の下に、大きめの口がある。
「ひょっとしておまえ」
 つかつかと歩み寄ってくると、少女がいきなり少年の胸倉をつかみ、ぐいと持ち上げた。
 すごい力だった。
 顔を近づけ、じっと見つめてきた。
 恐いほどの目力だった。
 少年は思わず視線を逸らした。
 体が小刻みに震え、恐怖で小便をもらしそうになる。
 それほどこの得体の知れぬ少女は獣しみていた。
 まるで野生の狼にでも睨まれているような気分だったのだ。

「違うな」
 やがて少女がつぶやき、少年を突き放した。
「とっとと消えな。ここはおまえのような雑魚のくるところじゃねえよ」
 興味なさげな口調でいう。
 ぶざまに投げ出された恥辱と、雑魚呼ばわりされた怒りで少年は赤くなった。
「あん? まだなんか文句あんのか?」
 睨むと、逆にすごい迫力で睨み返された。
 ベストの懐に右手を差し入れている。
 ナイフでも散り出すつもりだろうか。
 退散するしかなかった。
 落とさないように注射器を抱え、少年は駆け出した。
 屈辱ではらわたが煮えくり返っていた。
 このまま済ませるわけにはいかない。
 よたよたと走りながら、思った。
 この恨み、必ず倍にして返してやる・・・。

「おまえ、そんな格好で、何してんだ?」
 突然頭上から声をかけられて、杏里は背筋から氷水を浴びせられたかのようにぞっとなった。
 いつの間に入ってきたのか、目の前に見知らぬ少女が仁王立ちになり、杏里をじっと見下ろしていた。
 左右に広がった蝙蝠の翼みたいな髪の毛。
 隈取のある、吊りあがった大きな目。
 酷薄そうな唇は薄く、横に広い。
「ははん。オナニーか」
 にやりと笑うと、ベッドサイドの椅子にどんと腰かけた。
 股下0?に近い超ミニのスカートを穿いている。
 にも関わらず、高々と脚を組むものだから、そこだけ真っ白な下着が丸見えになった。
 素肌にじかに革のベストを羽織っているらしく、胸の谷間がしっかりのぞいていた。
 似ている、と本能的に杏里は思った。
 この子、どこか私に似ているような気がする。
 少女は、杏里とは全く別種のセクシーさを身にまとっていた。
 いってみればそれは、野生の肉食獣が持つ色気のようなものだった。
「あなた、誰?」
 杏里は少女のからかいを無視して、あわててシーツを体に巻きつけた。
 この子も"外来種"なのだろうか。
 今度は雌の外来種が、私を殺しに来たのだろうか、
「うちは榊由羅」
 短く少女がいった。
 奇抜な外見によく似合う、ハスキーな声だった。
「サカキ、ユラ?」
 杏里は小首をかしげた。
 変わった名前だと思う。
 外来種にも、一応名前があるものなのか。
「それにしてもおまえ、むちゃくちゃ女くせえなあ」
 由羅と名乗った少女が、シーツにくるまった杏里をじろじろ眺めながら、大げさに鼻をつまんだ。
「タナトスにお目にかかるのって、うち、これが初めてなんだけどさ」
 身を乗り出し、杏里の顔に自分の顔を近づけてきて、いった。
「タナトスって、ウワサどおりにエロくて泣き虫なんだな」
 泣き虫?
 杏里は反射的にシーツで目元を拭った。
 エロいといわれたことより、泣き虫呼ばわりされたことのほうが、癇に障ったのだ。
「私を殺しに来たんでしょ」
 少女を睨みつけて、いった。
「はあ?」
 少女の吊りあがった目が、束の間丸くなる。
「なんでうちが、おまえを殺さなきゃなんないわけ?」
「それは、あなたが外来種だから」
 杏里の言葉に、
 由羅が、がははという感じで、豪快に笑った。
「おまえ、ばかだな」
 腹を抱えて笑いながら、いった。
「うちを何だと思ってるんだ」
 椅子の上で体をくの字に折ってくすくす笑う。
「うちはパトス」
 笑いが収まると、真顔に戻っていった。
「冬美に頼まれたんで、わざわざおまえのボディガードにきてやったんだぜ。それをよりによって外来種だと?」
「え? あなたが、パトス・・・?」
 杏里は驚愕に目を見開いた。
 このスレンダーな娘が、外来種の駆除担当の、アタッカー?
「そんな、まさか・・・」
「まさかじゃねーよ。このオナニー女めが」
 由羅が悪態をつき、顔を更に近づける。
「変なこといわないで」
 杏里が手を上げた。
 その手首を由羅がつかんだ。
 由羅の瞳が杏里の瞳を正面から捉えた。
「とりあえず、うちのキスでがまんしとくんだな」
 唇を奪われた。
 杏里は茫然となった。
 それもそのはず・・・。
 由羅と名乗る少女は、驚くほどキスがうまかったのだ。


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