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第1部 激甚のタナトス
#11 拡散する悪夢
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目覚まし時計のけたたましい音で起こされた。
手を伸ばし、ベルを止める。
眠りが浅かったせいか、頭の芯が疼くように痛い。
上体を起こし、ぼうっとしたまま周りを見回す。
窓から明るい朝の日差しが斜めに差し込んでいる。
ふと、違和感を覚えて、杏里は自分の体に目を落とした。
寒いと思ったら、掛け布団がなかった。
しかも、パジャマの前が開いていて、胸から下腹にかけて、もろに素肌が覗いている。
ボタンが全部はずれていた。
パジャマのズボンも穿いていない。
なぜか、下はパンティ一枚で、振り向くと、小さな布から白桃のようなお尻がはみ出てしまっている。
杏里はふと、ゆうべ見た夢を思い出した。
誰かがすぐそばに立って、寝ている杏里をじっと見つめていた。
あれはいったい、何だったんだろう。
心の中でつぶやいて、ベッドから降りようとしたときだ、
何か冷たいものが髪の毛から垂れてきて、杏里の首筋に落ちた。
驚いて頭に手をやると、べっとりとした液体が指にくっついてきた。
「何? これ」
杏里は手についたものに顔を近づけ、眉をひそめた。
白濁した卵の白身のような液体だった。
所々透明な部分があり、ねばねばしている。
強いていえば、デンプン糊に似ていた。
青臭い臭いが鼻につく。
机の上の鏡をのぞくと、大変なことになっていた。
髪の毛にそれが大量にこびりついているのだ。
あわてて風呂場に駆け込んだ。
裸になって、シャワーを浴びる。
ところが、熱湯に当たるとそれはなぜだか硬くなって、よけいにとれなくなった。
卵と同じ、たんぱく質が成分なのか、熱を加えると固まってしまうらしいのだ。
髪がこわごわになり、杏里は泣きそうになった。
寒かったが、シャワーを冷水に切り替え、シャンプーを大量にふりかけた。
30分ほど根気よく髪を漉き、なんとか洗い落とした。
ふらふらになって風呂場から出ると、裸のままぺたんと畳の上に座り込んだ。
目の前のちゃぶ台の上に、食器が残っている。
杏里が昨夜用意した朝食を、父が食べていった跡だった。
つくっておいたおにぎりもなくなっていた。
ゆうべはさすがに疲れきっていて早起きする自信がなかったので、すべて寝る前に済ませておいたのだ。
正解だった、と思う。
あのあと、夕食を済ませて自分の部屋で宿題をやっていると、杏里は猛烈な睡魔に襲われた。
台所に立ち、なんとか弁当と朝食だけ準備して、そのまま寝入ってしまったのである。
だが、あの夢のせいで、熟睡とまではいかなかった。
ぼんやりとだが、体を撫で回されたような感触が肌に残っている。
荒い息遣いを聞いたような気もした。
そして、あの白濁した糊状のもの。
誰か部屋に入ってきたのだろうか。
一瞬、嫌な想像が脳裏をかすめた。
ううん、そんなこと、あるはずがない。
杏里は強く首を振って、妄想を振り払った。
気を取り直して、洗面所に立ち、歯を磨こうとした。
歯ブラシを持った手を口に近づけると、手の甲からぷんとあの臭いがした。
青臭いような、栗の花を思わせるあの独特の臭い。
杏里は嘔吐した。
が、口からは唾液のほか、何も出てこなかった。
夏服のセーラー服に着替えると、急いで家を飛び出した。
あずさに会えると思うと、胸が高鳴った。
肩を抱かれたときのぬくもりが蘇り、知らず知らずのうちに頬が火照ってきた。
朝からいやなことがあったけど、彼女の笑顔をひと目見ることができれば、気分はよくなるはずだった。
息を切らして坂道を上り切り、商店街に入る。
ほどなくして例の喫茶店が見えてきた。
あと10mほどまで、近づいたときである。
異臭を嗅いで、杏里は足を止めた。
商店街の一角にあるゴミ置き場の前だった。
黄色い業務用のゴミ袋がいくつか転がっている。
臭いはそこからきていた。
ぱんぱんに膨れ上がったゴミ袋のひとつから、血が流れ出している。
近づいてみると、中に黒い毛皮のようなものがぎっしり詰まっていた。
「野良猫だよ」
ふいに背後から声がした。
びくりとして振り向くと、腰の曲がった老婆がひとり、すぐ後ろにたたずんでゴミ袋を見つめていた。
「この街じゃね、最近誰かが猫を殺しまわってるんだ」
「え?・・・」
杏里は息を呑んだ。
狐を思わせる、意地の悪そうな少女の顔が脳裏を掠めた。
萌。
まさか、またあの子が・・・?
「かわいそうに」
老婆がいった。
手を合わせて、こうべを垂れる。
念仏を唱え始めた。
つられて杏里も手を合わせた。
南無阿弥陀仏・・・。
一回そう口にしたとき、
「杏里ったら、そんなとこで何してるの? 遅れちゃうよ!」
元気のいい声が、名前を呼んだ。
あずさだった。
手を伸ばし、ベルを止める。
眠りが浅かったせいか、頭の芯が疼くように痛い。
上体を起こし、ぼうっとしたまま周りを見回す。
窓から明るい朝の日差しが斜めに差し込んでいる。
ふと、違和感を覚えて、杏里は自分の体に目を落とした。
寒いと思ったら、掛け布団がなかった。
しかも、パジャマの前が開いていて、胸から下腹にかけて、もろに素肌が覗いている。
ボタンが全部はずれていた。
パジャマのズボンも穿いていない。
なぜか、下はパンティ一枚で、振り向くと、小さな布から白桃のようなお尻がはみ出てしまっている。
杏里はふと、ゆうべ見た夢を思い出した。
誰かがすぐそばに立って、寝ている杏里をじっと見つめていた。
あれはいったい、何だったんだろう。
心の中でつぶやいて、ベッドから降りようとしたときだ、
何か冷たいものが髪の毛から垂れてきて、杏里の首筋に落ちた。
驚いて頭に手をやると、べっとりとした液体が指にくっついてきた。
「何? これ」
杏里は手についたものに顔を近づけ、眉をひそめた。
白濁した卵の白身のような液体だった。
所々透明な部分があり、ねばねばしている。
強いていえば、デンプン糊に似ていた。
青臭い臭いが鼻につく。
机の上の鏡をのぞくと、大変なことになっていた。
髪の毛にそれが大量にこびりついているのだ。
あわてて風呂場に駆け込んだ。
裸になって、シャワーを浴びる。
ところが、熱湯に当たるとそれはなぜだか硬くなって、よけいにとれなくなった。
卵と同じ、たんぱく質が成分なのか、熱を加えると固まってしまうらしいのだ。
髪がこわごわになり、杏里は泣きそうになった。
寒かったが、シャワーを冷水に切り替え、シャンプーを大量にふりかけた。
30分ほど根気よく髪を漉き、なんとか洗い落とした。
ふらふらになって風呂場から出ると、裸のままぺたんと畳の上に座り込んだ。
目の前のちゃぶ台の上に、食器が残っている。
杏里が昨夜用意した朝食を、父が食べていった跡だった。
つくっておいたおにぎりもなくなっていた。
ゆうべはさすがに疲れきっていて早起きする自信がなかったので、すべて寝る前に済ませておいたのだ。
正解だった、と思う。
あのあと、夕食を済ませて自分の部屋で宿題をやっていると、杏里は猛烈な睡魔に襲われた。
台所に立ち、なんとか弁当と朝食だけ準備して、そのまま寝入ってしまったのである。
だが、あの夢のせいで、熟睡とまではいかなかった。
ぼんやりとだが、体を撫で回されたような感触が肌に残っている。
荒い息遣いを聞いたような気もした。
そして、あの白濁した糊状のもの。
誰か部屋に入ってきたのだろうか。
一瞬、嫌な想像が脳裏をかすめた。
ううん、そんなこと、あるはずがない。
杏里は強く首を振って、妄想を振り払った。
気を取り直して、洗面所に立ち、歯を磨こうとした。
歯ブラシを持った手を口に近づけると、手の甲からぷんとあの臭いがした。
青臭いような、栗の花を思わせるあの独特の臭い。
杏里は嘔吐した。
が、口からは唾液のほか、何も出てこなかった。
夏服のセーラー服に着替えると、急いで家を飛び出した。
あずさに会えると思うと、胸が高鳴った。
肩を抱かれたときのぬくもりが蘇り、知らず知らずのうちに頬が火照ってきた。
朝からいやなことがあったけど、彼女の笑顔をひと目見ることができれば、気分はよくなるはずだった。
息を切らして坂道を上り切り、商店街に入る。
ほどなくして例の喫茶店が見えてきた。
あと10mほどまで、近づいたときである。
異臭を嗅いで、杏里は足を止めた。
商店街の一角にあるゴミ置き場の前だった。
黄色い業務用のゴミ袋がいくつか転がっている。
臭いはそこからきていた。
ぱんぱんに膨れ上がったゴミ袋のひとつから、血が流れ出している。
近づいてみると、中に黒い毛皮のようなものがぎっしり詰まっていた。
「野良猫だよ」
ふいに背後から声がした。
びくりとして振り向くと、腰の曲がった老婆がひとり、すぐ後ろにたたずんでゴミ袋を見つめていた。
「この街じゃね、最近誰かが猫を殺しまわってるんだ」
「え?・・・」
杏里は息を呑んだ。
狐を思わせる、意地の悪そうな少女の顔が脳裏を掠めた。
萌。
まさか、またあの子が・・・?
「かわいそうに」
老婆がいった。
手を合わせて、こうべを垂れる。
念仏を唱え始めた。
つられて杏里も手を合わせた。
南無阿弥陀仏・・・。
一回そう口にしたとき、
「杏里ったら、そんなとこで何してるの? 遅れちゃうよ!」
元気のいい声が、名前を呼んだ。
あずさだった。
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