8 / 58
第1部 激甚のタナトス
#7 恥辱の教室
しおりを挟む
どこをどうさまよったのか、よく覚えていない。
気がつくと、校庭の隅のベンチに腰かけて、頭を抱えていた。
上履きのままだった。
猫の血の染みついた、ピンクの上履きだ。
なんで・・・。
杏里はしゃくりあげた。
何で私だけが、こんな目に・・・。
萌の台詞が耳の奥に蘇る。
ーあんたは、むかつくんだよ。
ー理由なんてない。ゴキブリと同じ。ただむかつくんだ。
そんなのって、あるだろうか。
理由もなく嫌われたら、嫌われた者はいったい、どうすればいいんだろう?
涙で濡れた目を、杏里は空を流れる雲に向けた。
ふと、姉の良子のことを、思い出したのだ。
姉は杏里の2つ上、生きていれば、今頃高校1年生になっていたはずだった。
そういえば、姉さんも、いつもぼろぼろになって帰ってきてたっけ。
どうしたの?
って訊くたびに、
いいの。私が悪いの。
そういって、さみしく笑ったっけ。
父さんにひどいことされたときも、そうだった・・・。
頭痛がひどくなってきた。
姉のことを思い出すと、決まって頭が痛くなるのだ。
思い出したくないことが、何かあるのかもしれなかった。
どれだけそうして、流れる雲を目で追っていたのか。
少しだけ落ち着いてきた心の中で、杏里は頭痛に耐えながら、思った。
姉さん。
私は、死なないよ。
姉さんみたいに、自分で死を選んだりしない。
だって、そんなことしたら・・・。
いつか母さんがいった言葉の意味が、わからなくなるもの・・・。
杏里は立ち上がった。
自分で作った弁当を台無しにされたのは悔しかったが。もとより食欲などなかったのだ。
校舎の大時計は、5時限目の始まりが近いことを示している。
あと1時間。
がんばるよ。
自分で自分に気合を入れて、歩き出した。
十分に覚悟はしてきたはずだった。
しかし、その光景はあまりに衝撃的だった。
杏里は教室の入口で、棒を呑んだように立ち竦んだ。
クラスメート全員の好奇の視線が、痛いほど突き刺さってくる。
「ああ・・・」
両手で口を押さえて、杏里はともすれば漏れそうになる悲鳴を押し殺した。
無意識のうちにスカートのポケットを探っていた。
ない。
落としたのか。
いや、盗られたのだ。
あのとき。
屋上で。
杏里は思い出し、悔しさに唇を噛んだ。
恥辱で頬と耳が燃えるように熱い。
膝ががくがく震えた。
釘づけになった視線の先。
黒板に、ピンクのパンティがガムテープで貼ってある。
面積の狭い、レースの縁取りのある下着である。
中学生がふだん穿くには、あまりふさわしくないデザインだった。
杏里とて、何も好き好んで身につけていたわけではない。
ブラとセットで、父に強制されたのだ。
姉の良子のものだからと、仕方なく穿いてきた。
それが、こんな形で人目にさらされることになろうとは。
その下に赤いチョークで、
『笹原杏里のおしっこつきパンティ、絶賛販売中!』
そう、太く書いてある。
『ここに注目!』
矢印が、股間の部分を指していた。
「ねえ、杏里」
萌が席に坐ったまま、ほがらかに声をかけてきた。
「いくらにする? あんたんとこ、貧乏なんでしょ? なんならオークションしてみてもいいよ?」
「10円!」
男子のひとりがおどけて手を上げた。
「たった10円かよ!」
笑いがはじける。
「俺、100円!」
他の男子が勢いよく叫んだ。
「じゃ、俺、500円!」
「600円!」
「800円!」
どんどん、手が上がり始める。
「ネットで転売すれば万単位で売れるんだぜ。俺、1万円でも買うわ」
茶髪のすれた顔つきの少年が、大声でいうと、
「おおー!」
とクラス中がどよめいた。
女子はおおむね、
「いやらしー」
と顔をしかめるか、萌たち一派のように、にやにや笑って成り行きを見守っているだけだ。
「やめて!」
気がつくと、杏里は前へ飛び出していた。
机と机の間の狭い通路を、両手を前へ伸ばし、黒板に向かい、がむしゃらに駆けた。
半ばまで来たとき、誰かが脚を突き出した。
よける暇もなくその障害物に激突し、杏里は前のめりに倒れこんだ。
顎がもろに床に衝突し、うつぶせのまま滑った。
頭の中に星が飛んで、一瞬意識が朦朧となる。
「あれ? こいつ、パンツはいてるぜ?」
頭の上で誰かがいった。
尻から背中までのあたりが、妙に涼しかった。
スカートが頭の上までめくれあがってしまっているのだ。
「どれどれ」
ざわざわと大勢が集まってくる気配がした。
「脱がせちまおうぜ」
あの、茶髪の少年の声がいうのが聞こえた。
「脱がせて、このパンツもセリにかけたらどうだ?」
「いいね!」
「ウケる!」
何本もの手が伸びてきて、杏里の手足の自由を奪った。
杏里は死に物狂いで抵抗した。
足が、何かに当たった。
「いてえな、こいつ」
誰かが肘で腹を突いてきた。
頬を拳骨で殴られた。
唇が切れ、血のしずくがブラウスに飛び散った。
胸をもまれた。
ブラウスのボタンが引きちぎられる。
下着を複数の手が引っ張っている。
杏里は体をくねらせ、伸びてくる執拗な手を振り払った。
はいずるようにして前に進み、黒板の下まで転げ出る。
すでに下着は太腿の辺りまでずり下げられ、臀部が丸出しになっていた。
それでも起き上がって入口のほうに逃げようとしたとき、ふいに目の前の引き戸が開いた。
顔を上げると、先生が立っていた。
カマキリのようにやせた、初老の女性教師である。
「さあ、みんな、席について」
銀縁眼鏡を光らせて周りを見回すと、教師がいった。
「授業を、始めます」
気がつくと、校庭の隅のベンチに腰かけて、頭を抱えていた。
上履きのままだった。
猫の血の染みついた、ピンクの上履きだ。
なんで・・・。
杏里はしゃくりあげた。
何で私だけが、こんな目に・・・。
萌の台詞が耳の奥に蘇る。
ーあんたは、むかつくんだよ。
ー理由なんてない。ゴキブリと同じ。ただむかつくんだ。
そんなのって、あるだろうか。
理由もなく嫌われたら、嫌われた者はいったい、どうすればいいんだろう?
涙で濡れた目を、杏里は空を流れる雲に向けた。
ふと、姉の良子のことを、思い出したのだ。
姉は杏里の2つ上、生きていれば、今頃高校1年生になっていたはずだった。
そういえば、姉さんも、いつもぼろぼろになって帰ってきてたっけ。
どうしたの?
って訊くたびに、
いいの。私が悪いの。
そういって、さみしく笑ったっけ。
父さんにひどいことされたときも、そうだった・・・。
頭痛がひどくなってきた。
姉のことを思い出すと、決まって頭が痛くなるのだ。
思い出したくないことが、何かあるのかもしれなかった。
どれだけそうして、流れる雲を目で追っていたのか。
少しだけ落ち着いてきた心の中で、杏里は頭痛に耐えながら、思った。
姉さん。
私は、死なないよ。
姉さんみたいに、自分で死を選んだりしない。
だって、そんなことしたら・・・。
いつか母さんがいった言葉の意味が、わからなくなるもの・・・。
杏里は立ち上がった。
自分で作った弁当を台無しにされたのは悔しかったが。もとより食欲などなかったのだ。
校舎の大時計は、5時限目の始まりが近いことを示している。
あと1時間。
がんばるよ。
自分で自分に気合を入れて、歩き出した。
十分に覚悟はしてきたはずだった。
しかし、その光景はあまりに衝撃的だった。
杏里は教室の入口で、棒を呑んだように立ち竦んだ。
クラスメート全員の好奇の視線が、痛いほど突き刺さってくる。
「ああ・・・」
両手で口を押さえて、杏里はともすれば漏れそうになる悲鳴を押し殺した。
無意識のうちにスカートのポケットを探っていた。
ない。
落としたのか。
いや、盗られたのだ。
あのとき。
屋上で。
杏里は思い出し、悔しさに唇を噛んだ。
恥辱で頬と耳が燃えるように熱い。
膝ががくがく震えた。
釘づけになった視線の先。
黒板に、ピンクのパンティがガムテープで貼ってある。
面積の狭い、レースの縁取りのある下着である。
中学生がふだん穿くには、あまりふさわしくないデザインだった。
杏里とて、何も好き好んで身につけていたわけではない。
ブラとセットで、父に強制されたのだ。
姉の良子のものだからと、仕方なく穿いてきた。
それが、こんな形で人目にさらされることになろうとは。
その下に赤いチョークで、
『笹原杏里のおしっこつきパンティ、絶賛販売中!』
そう、太く書いてある。
『ここに注目!』
矢印が、股間の部分を指していた。
「ねえ、杏里」
萌が席に坐ったまま、ほがらかに声をかけてきた。
「いくらにする? あんたんとこ、貧乏なんでしょ? なんならオークションしてみてもいいよ?」
「10円!」
男子のひとりがおどけて手を上げた。
「たった10円かよ!」
笑いがはじける。
「俺、100円!」
他の男子が勢いよく叫んだ。
「じゃ、俺、500円!」
「600円!」
「800円!」
どんどん、手が上がり始める。
「ネットで転売すれば万単位で売れるんだぜ。俺、1万円でも買うわ」
茶髪のすれた顔つきの少年が、大声でいうと、
「おおー!」
とクラス中がどよめいた。
女子はおおむね、
「いやらしー」
と顔をしかめるか、萌たち一派のように、にやにや笑って成り行きを見守っているだけだ。
「やめて!」
気がつくと、杏里は前へ飛び出していた。
机と机の間の狭い通路を、両手を前へ伸ばし、黒板に向かい、がむしゃらに駆けた。
半ばまで来たとき、誰かが脚を突き出した。
よける暇もなくその障害物に激突し、杏里は前のめりに倒れこんだ。
顎がもろに床に衝突し、うつぶせのまま滑った。
頭の中に星が飛んで、一瞬意識が朦朧となる。
「あれ? こいつ、パンツはいてるぜ?」
頭の上で誰かがいった。
尻から背中までのあたりが、妙に涼しかった。
スカートが頭の上までめくれあがってしまっているのだ。
「どれどれ」
ざわざわと大勢が集まってくる気配がした。
「脱がせちまおうぜ」
あの、茶髪の少年の声がいうのが聞こえた。
「脱がせて、このパンツもセリにかけたらどうだ?」
「いいね!」
「ウケる!」
何本もの手が伸びてきて、杏里の手足の自由を奪った。
杏里は死に物狂いで抵抗した。
足が、何かに当たった。
「いてえな、こいつ」
誰かが肘で腹を突いてきた。
頬を拳骨で殴られた。
唇が切れ、血のしずくがブラウスに飛び散った。
胸をもまれた。
ブラウスのボタンが引きちぎられる。
下着を複数の手が引っ張っている。
杏里は体をくねらせ、伸びてくる執拗な手を振り払った。
はいずるようにして前に進み、黒板の下まで転げ出る。
すでに下着は太腿の辺りまでずり下げられ、臀部が丸出しになっていた。
それでも起き上がって入口のほうに逃げようとしたとき、ふいに目の前の引き戸が開いた。
顔を上げると、先生が立っていた。
カマキリのようにやせた、初老の女性教師である。
「さあ、みんな、席について」
銀縁眼鏡を光らせて周りを見回すと、教師がいった。
「授業を、始めます」
0
お気に入りに追加
42
あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。


どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる