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第1部 激甚のタナトス
#6 水谷冬美
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「突然『パンツ買ってきて』なんていうから、ついに頭おかしくなったかと思ったわ」
1時間ほどして、小田切と一緒に保健室に入ってきたのは、長い髪にスーツ姿の美女だった。
「いや、ほんと、申し訳ない。もう、こんなこと頼めるのは君しかしなくてさ」
小田切がぺこぺこ頭を下げている。
「あ、こちら理科担当の水谷先生。俺の大学時代の同級生なんだ」
杏里が不思議そうに見つめているのに気づくと、頭を掻きながら、小田切がいった。
「この子が、例の?」
美女がかすかに柳眉をを上げて、小田切に耳打ちするのが聞こえてきた。
「ああ」
うなずく小田切。
「はじめまして。理科担当の水谷冬美です。あなたが笹原さん? 転校生なんだってね」
杏里の前に立つと、紙袋を手渡しながら、美女がいった。
「はい、これ。サイズ、合うといいけど」
「ありがとうございます」
杏里はお礼を言うと、紙袋を持って、トイレに入った。
汚れた下着を脱ぐ。
さっき一度拭いたのだが、念のため、手洗い用の水で湿らせたトイレットペーパーで、もう一度太腿の間と局部をしっかり拭いておいた。
下着は小さく畳んでスカートのポケットに突っ込み、新しいものに穿き替えた。
杏里は着やせするたちなので、サイズは少し小さかったが、木綿の柔らかな生地が肌に心地よい。
「本当に、助かりました」
外に出ると、二人の教師に向かってもう一度、深々と頭を下げた。
この学校も、そんなに捨てたものではないのかもしれない。
少なくとも、いい先生と、いい先輩がいる。
改めて、そう思った。
「何かあったら遠慮なくいってね」
水谷冬美が、杏里の肩に優しく手を置いた。
「私は1年生の担任だから直接あなたを教える機会はないけれど、職員室に来れば会えるから」
「俺はいつもここにいるしな」
隣で小田切が微笑んだ。
「はい」
もう一度、お辞儀をして保健室を出た。
4時限目修了の時間が近かった。
きょうは午後から職員会議があるため、授業は5時限で終わり、と聞いている。
つまり、なんとか昼休みとその後の1時間をやりすごせば、晴れてこの地獄から解放されるのだ。
がんばろう、
と杏里は思った。
この先、何があっても耐え抜いてみせる。
そう固く決意して、教室に向かった。
終業のチャイムが鳴った。
教室内がざわめいた。
杏里は廊下の柱の陰から、生徒たちが出て行くのを見守った。
若葉台中学には購買部があるため、昼になるとクラスの半分ほどの生徒がパンを買いに行く。
そこが狙いだった。
萌のグループが出て行くのを見届けてから、急いで教室に入った。
何人かの生徒が振り向いて、これみよがしにぷっと吹き出してみせた。
「くっさ~い」
女生徒のひとりが大げさに鼻をつまんで見せ、みんながどっと笑う。
予想通りの展開だった。
保健室での一件を、萌が言いふらしたのに違いない。
が、そんなことは想定内だった。
杏里は自分の席に急ぐと、弁当の入った手提げ袋を回収して、すぐに回れ右して教室を出た。
わき目も振らずに屋上に向かう。
屋上の扉は鍵が壊れていて開いている。
それは転校1日目に確認済みだった。
全員にシカトされるなかで教室でひとり弁当を食べるのは苦痛だったし、トイレは危険すぎた。
転校初日にさんざん探し回った挙句、やっと見つけた避難場所が、この棟の屋上だったのだ。
屋上に出ると、杏里は円筒形の給水塔の陰に回った。
そこはちょうど日陰になっていて、風の通りもよかった。
鉄の階段に腰かけると、遠くになだらかな山並みが見えた。
空が抜けるように青い。
ほっと安堵の息が漏れた。
少し気分が落ち着いた。
ふきんをほどき、膝の上に広げる。
弁当は、今朝早起きして自分で作ったものだ。
毎日父の分と自分の分を作ってから登校する。
それが杏里の日課だった。
姉があんなふうに死んでから、ずっとそれを続けている。
初めは苦痛だったが、今はそうでもなくなった。
むしろ、弁当作りを楽しんでいる自分がいた。
父はうまいともまずいとも何もいってくれないが、レシピを色々考えるのはけっこう楽しかった。
本屋でもよく料理の本を立ち読みするようになっていた。
きょうは何だったっけ?
だし巻き卵とウインナー、それから・・・。
が、鼻歌混じりに弁当箱のフタを開けた杏里は、そこで硬直した。
中に、異様なものが入っていたのだ。
ご飯が真っ赤に染まってる。
海苔の代わりにその上に乗っているのは、使用済みのナプキンだった。
その横には、ご丁寧にもこれまた使用済みのタンポンが詰め込まれている。
濃厚な血の匂いが鼻をつく。
生理特有の、嗅ぎ慣れたあの臭いだ。
茫然と見つめる杏里の目の前で、ふいに血まみれのナプキンが動いた。
下から何かが這い出してくる。
今度こそ杏里は悲鳴を上げた。
それは、大人の男の親指ほどの太さもある、でっぷり肥えた芋虫だった。
思わず弁当箱を取り落とした。
扉のほうに向かって逃げ出そうとした杏里は、そこでぎくりと足を止めた。
扉が半分開いている。
その陰から、爆発したように笑い声が起こった。
萌たちだった。
杏里は駆け出した。
「どこ行くのよ」
萌が捕まえようと手を伸ばしてくる。
あちこちをつかまれた。
懸命に振り払う。
行く手を阻む生徒たちをかきわけて、泣きながら階段を駆け下りた。
「お弁当、食べないの?」
萌の声が追ってくる。
「ねえ、一緒に食べようよォ」
1時間ほどして、小田切と一緒に保健室に入ってきたのは、長い髪にスーツ姿の美女だった。
「いや、ほんと、申し訳ない。もう、こんなこと頼めるのは君しかしなくてさ」
小田切がぺこぺこ頭を下げている。
「あ、こちら理科担当の水谷先生。俺の大学時代の同級生なんだ」
杏里が不思議そうに見つめているのに気づくと、頭を掻きながら、小田切がいった。
「この子が、例の?」
美女がかすかに柳眉をを上げて、小田切に耳打ちするのが聞こえてきた。
「ああ」
うなずく小田切。
「はじめまして。理科担当の水谷冬美です。あなたが笹原さん? 転校生なんだってね」
杏里の前に立つと、紙袋を手渡しながら、美女がいった。
「はい、これ。サイズ、合うといいけど」
「ありがとうございます」
杏里はお礼を言うと、紙袋を持って、トイレに入った。
汚れた下着を脱ぐ。
さっき一度拭いたのだが、念のため、手洗い用の水で湿らせたトイレットペーパーで、もう一度太腿の間と局部をしっかり拭いておいた。
下着は小さく畳んでスカートのポケットに突っ込み、新しいものに穿き替えた。
杏里は着やせするたちなので、サイズは少し小さかったが、木綿の柔らかな生地が肌に心地よい。
「本当に、助かりました」
外に出ると、二人の教師に向かってもう一度、深々と頭を下げた。
この学校も、そんなに捨てたものではないのかもしれない。
少なくとも、いい先生と、いい先輩がいる。
改めて、そう思った。
「何かあったら遠慮なくいってね」
水谷冬美が、杏里の肩に優しく手を置いた。
「私は1年生の担任だから直接あなたを教える機会はないけれど、職員室に来れば会えるから」
「俺はいつもここにいるしな」
隣で小田切が微笑んだ。
「はい」
もう一度、お辞儀をして保健室を出た。
4時限目修了の時間が近かった。
きょうは午後から職員会議があるため、授業は5時限で終わり、と聞いている。
つまり、なんとか昼休みとその後の1時間をやりすごせば、晴れてこの地獄から解放されるのだ。
がんばろう、
と杏里は思った。
この先、何があっても耐え抜いてみせる。
そう固く決意して、教室に向かった。
終業のチャイムが鳴った。
教室内がざわめいた。
杏里は廊下の柱の陰から、生徒たちが出て行くのを見守った。
若葉台中学には購買部があるため、昼になるとクラスの半分ほどの生徒がパンを買いに行く。
そこが狙いだった。
萌のグループが出て行くのを見届けてから、急いで教室に入った。
何人かの生徒が振り向いて、これみよがしにぷっと吹き出してみせた。
「くっさ~い」
女生徒のひとりが大げさに鼻をつまんで見せ、みんながどっと笑う。
予想通りの展開だった。
保健室での一件を、萌が言いふらしたのに違いない。
が、そんなことは想定内だった。
杏里は自分の席に急ぐと、弁当の入った手提げ袋を回収して、すぐに回れ右して教室を出た。
わき目も振らずに屋上に向かう。
屋上の扉は鍵が壊れていて開いている。
それは転校1日目に確認済みだった。
全員にシカトされるなかで教室でひとり弁当を食べるのは苦痛だったし、トイレは危険すぎた。
転校初日にさんざん探し回った挙句、やっと見つけた避難場所が、この棟の屋上だったのだ。
屋上に出ると、杏里は円筒形の給水塔の陰に回った。
そこはちょうど日陰になっていて、風の通りもよかった。
鉄の階段に腰かけると、遠くになだらかな山並みが見えた。
空が抜けるように青い。
ほっと安堵の息が漏れた。
少し気分が落ち着いた。
ふきんをほどき、膝の上に広げる。
弁当は、今朝早起きして自分で作ったものだ。
毎日父の分と自分の分を作ってから登校する。
それが杏里の日課だった。
姉があんなふうに死んでから、ずっとそれを続けている。
初めは苦痛だったが、今はそうでもなくなった。
むしろ、弁当作りを楽しんでいる自分がいた。
父はうまいともまずいとも何もいってくれないが、レシピを色々考えるのはけっこう楽しかった。
本屋でもよく料理の本を立ち読みするようになっていた。
きょうは何だったっけ?
だし巻き卵とウインナー、それから・・・。
が、鼻歌混じりに弁当箱のフタを開けた杏里は、そこで硬直した。
中に、異様なものが入っていたのだ。
ご飯が真っ赤に染まってる。
海苔の代わりにその上に乗っているのは、使用済みのナプキンだった。
その横には、ご丁寧にもこれまた使用済みのタンポンが詰め込まれている。
濃厚な血の匂いが鼻をつく。
生理特有の、嗅ぎ慣れたあの臭いだ。
茫然と見つめる杏里の目の前で、ふいに血まみれのナプキンが動いた。
下から何かが這い出してくる。
今度こそ杏里は悲鳴を上げた。
それは、大人の男の親指ほどの太さもある、でっぷり肥えた芋虫だった。
思わず弁当箱を取り落とした。
扉のほうに向かって逃げ出そうとした杏里は、そこでぎくりと足を止めた。
扉が半分開いている。
その陰から、爆発したように笑い声が起こった。
萌たちだった。
杏里は駆け出した。
「どこ行くのよ」
萌が捕まえようと手を伸ばしてくる。
あちこちをつかまれた。
懸命に振り払う。
行く手を阻む生徒たちをかきわけて、泣きながら階段を駆け下りた。
「お弁当、食べないの?」
萌の声が追ってくる。
「ねえ、一緒に食べようよォ」
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